2006年10月25日 バナナはおやつを超越する、境界線上のバナナ、芭蕉の夢・バナナの旅 
はたして、バナナは、草なのか?木なのか? 野菜なのか?果物なのか? 主食なのか?間食なのか? そして、松尾芭蕉は「松尾バナナ」という自分の名前に納得しているのか!? 今日は、バナナという越境する植物について考えます。
芭蕉 野分 して( 盥 に雨を聞く夜かな 松尾芭蕉(
俳人・松尾芭蕉、初期の秀作です。字、余りすぎ。
句意は、「芭蕉の葉が台風に揺れる中、たらいに雨漏りが落ちるのを聞く夜だ」という感じでしょうか。時は延宝8年(1680年)。松尾芭蕉が住んでいた江戸深川の草庵には、門人
この「芭蕉」はバショウ科の多年草ですが、これが「バナナ」と同じ仲間であるということはよく知られています。すなわち、やつの名は「松尾バナナ」。すばらしい。
余談ですが、作家のよしもとばななさんは、自らのペンネームの由来を「バナナの花が好きだったからです」と語っています。バナナの花の画像にリンクしておきます。
もっとも、我々が現在食べている熱帯植物バナナは東京の気候では生育しませんから、中国原産の芭蕉とは単純にイコールではありません。しかし、当時の江戸の町において、芭蕉というのはかなりエキゾチック(異国的)な植物であったと思われます。そこに「たらいに雨」という身近なイメージをぶつけていく松尾芭蕉という男は、やはり大変ファンキーな人間であったようです。
さて、ここで考えたいのは「松尾芭蕉」が「松尾バナナ」であると知って、なぜ我々はかくも喜ぶのだろうか、ということです。芭蕉は、「芭蕉」と名乗る以前「
これは「バナナ」という果物に、何かユーモラスなイメージがあるからに違いない。それは、いったいどこから来るのでしょうか?
今日のテーマは、バナナという果物の謎についてです。
さて、まずはバナナは草なのか木なのかについて考えてみます。ンなもん、木に決まっとるやんけ! そう思っていた時期が私にもありました。
ところが、wikipediaによると、「バナナは間違いなく草である」のだそうです。そ、そんなバナ……いや、今の発言はなかった方向で。しかし、これはいったいどういうことでしょうか。
調べてみると、「木」と「草」の分類はかなりややこしい問題のようです。しかし、年輪ができるのが木、という定義、あるいは、茎が何年も太くなり続け、しまいには死んだ細胞質が木化して、それによって生体が支えられているのが木、という定義、いずれの定義をとっても、バナナはれっきとした「草」なのだそうです。
ところで、この定義だと、竹は木と草の両方の性質をもつことになります。wikipediaによれば、上田弘一郎京大名誉教授(世界の竹博士)は『竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だっ!』と力説しておられたのだそうです。実に興味深い発言です。
植物学では、「
続いて、バナナは野菜なのか果物なのかについて考えます。
お約束の展開で申し訳ないですが、ここでもやはり「野菜」か「果物」か、という分類はこじれる問題なのでした。「野菜の定義について」というコラムが最もまとまっているように思いますので、詳細はそちらに譲ります。
農林水産省では、「一般に、野菜とは食用に供し得る草本性の植物で加工の程度の低いまま副食物として利用されるもの」としています。「くだもの」の語源は「木の物」ですから(「けだもの」は「毛の物」)、もともと木になるのが果物なわけです。既に見たようにバナナは草ですし、ナマで食いますから、我が国政府の公式見解に従うとバナナは野菜です。
もっとも、普通、野菜の定義としては「一年生の草本植物」が採られるようです。バナナは多年生ですから、これなら野菜にはなりません。なお、「一年生植物」というのは、「種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実して、種子を残して枯死する植物」です。友達100人できる前に、枯れます。
なお、この定義であっても、メロン・スイカは野菜です。人生は常に不条理です。
さて、どうやら、バナナという植物については、もっと根本的に考えねばならないようです。そこで、バナナはそもそも「食べ物」か。ということについて、考えます。
おいおい、バナナが食い物じゃなきゃなんなんだ。武器か。と、
調べてみると、wikipediaに記載されているのは、沖縄・奄美大島に産する
ところで、そろそろ、「あの質問」にふれなければなりますまい。そうです。日本人を魅了してやまぬ、究極の問い。「バナナはおやつに入るのか」です!
これについては、ネット上でも大激論がかわされていまして、正直私の出る幕などありません。デイリーポータルZで、教えて!ティーチャー先生で、Yahoo!知恵袋で、コトノハで、2chの哲学板で、今日も熱いバトルがくりひろげられております。
ところで、デイリーポータルZのバナナ好きは異常とも言える域に達しています。バナナをキリン柄にペイントしてみたり、バナナで日曜大工をやってみたり、うまいバナナを求めて沖縄まで行ってみたり、真っ黒いバナナを求めて東京中をかけまわってみたり、−80℃でバナナを凍らせてみたり、落ちているバナナの皮をレポートしてみたり、バナナいろの作成にチャレンジしたり、いったいバナナの何が彼らをそうさせるのでしょうか。
このデイリーポータルZのバナナ記事で、ひときわ私の目を惹いたのが、コーヒーおむすびとバナナの味噌汁の記事です。それによりますと、みそ汁の中に入れたバナナは、イモのような味になっていたそうです。
wikipediaのbananaの項によりますと、人間が消費する作物は、米、小麦粉、トウモロコシ、バナナが4強なのだそうです。また、ウガンダでは、"matooke"という言葉が、「バナナ」と「食べ物」の両方を意味するのだとか。日本の「ゴハン」みたいなものでしょうか。こうなると、バナナは世界的に見て、主食の地位にある、と言えそうです。
しかし、一方で、バナナが間食として優れていることは論を待ちません。速攻のエネルギー源であり、また皮をむいてすぐ食べられる簡便さは、他の追随を許さぬものがあります。また、日本においては、おかずというものは米飯との調和がとれるものでなければなりませんが、バナナと炊きたて御飯の組み合わせは、お世辞にも相性がいいとは言えません。
「バナナはおやつに入るのか」を考察した中で私が最も秀逸だと思ったページでは、量子力学の不確定性原理における「シュレーディンガーの猫」を引き合いに出していました。
量子力学においては、物質の状態は観測されるまで決定されない、とされています。シュレーディンガーの猫というのは、箱の中のネコが生きているのか死んでいるのかは、観測してみるまで決まっていない、という話です。このページでは、バナナがおやつかどうかは観測されるまで決定されない、つまり、御飯といっしょに食べたなら「おかず」、間食されたなら「おやつ」というふうに、そのつど決定されると指摘します。
私も同感です。既に見たように、バナナとは、ありとあらゆる二項対立を超越する物体なのです。草なのか木なのか、果物なのか野菜なのか、食物なのか布物なのか、主食なのか間食なのか、AかBかという、すべての問いを転倒させ、越境していく存在です。
現在、日本人が最も多く食べている果物はバナナです。総務省の家計調査によると、1世帯あたりの果実の購入量(重量換算)では、2004年、2005年ともに、バナナがみかん・りんごを抜いて1位でした。かつて、バナナは大変な高級品でした。1950年頃、平均月収が1万円の時代に、バナナは卸値で1キロ約1000円もしたそうです。しかし、値段の低下とともに、今ではすっかり日本人に親しまれる果物となりました。
ここまで日本人に愛され続けるバナナの本質とは、対立する構造のどちらにも属さない、あるいはどちらにも属す、その融通無碍なところにあるのではないでしょうか。バナナは、諸行無常、万物流転という思考を、形にしたものなのです。
「XはAだ」という文章は我々の思考の根幹をなす、と言っていいでしょう。ところが、バナナは「Aでもあるし、Bでもある。Aでもないし、Bでもない」と、二項対立の境界を軽々に越えていきます。そのトリックスターぶりが我々の共感を呼ぶのではないか。
あの雨の夜から14年後の元禄7年(1694年)。芭蕉は死の床にあって、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と詠みました。旅とは、まさに境界を越えることです。旅に生き、旅に死んだ芭蕉の名に、その夢に、バナナほどふさわしい植物は、実はなかったのかもしれません。
でも、バナナはお説にあるように、別の世界へのつなぎ目みたいです。
コントでなぜ「バナナの皮」を常用するのか。
トリックスターでいけば、文脈をつるんと滑る根源的笑いとか(笑)。
「フルーツから身を守る方法」(モンティ・パイソン第一ep第四話)で、
ジョン・クリーズ(≒いかりや長介)はメンバーをいじめています。
このコント、いろいろなフルーツからの護身術をあげておいて、結局、
最初にやるのは、やっぱりバナナから!おそるべし、バナナパワー!
セサミストリートでは耳に刺さっています。何も聞こえないので、
コミュニケーションの外に出られます!
「古池や蛙飛び込む水の音」で芭蕉は実際には蛙の水の音を聞いていない
って説を読みましたけど、バナナを耳に刺していたのかも知れません。
駄文で申し訳ありません。
☆中国語でバナナは「香蕉」。しかしバナナの香りってあんまり印象ありませんなあ。と思ったら日本語の漢字では「甘蕉」なんですね。
☆黄色人種なのに白人のつもりでいる、という意味で日本人を揶揄する表現がバナナ。そういわれるとあんまり気分よくありませんが、ちょっと「うまいこというなー」とも思ったり。
☆故中島らもの「ガダラの豚」に登場する最強の呪具がバナナのキジーツ。その正体は……あ、ちょっと前項にかぶった。
☆携行食として持ち歩くには微妙に柔らかくて不安がよぎりますが「これがあれば安心」というグッズが……http://www.bananaguard.com/。腐敗を加速するエチレンガスがこもらないように通気穴まである優れもの。
☆そういえばほとんどの果物が女性器イメージなのにバナナだけは男性器イメージですな。
以上、エントリの内容と関係ない断片をとりとめなく
まず、kohekoさんが「クラスの悪ガキ」と書いた通り、この質問には先生を困らせようという意図があるのでしょう。そこで、「バナナ」という、おやつだか何だかよく分からない、答えの出しにくい果物を例に挙げたのだ、というのが通常の解釈になりそうです。
しかし、カテゴリー分けにまつわる質問で答えの出しにくい問いは他にもあるわけです。例えば、「雨天中止」だったら、「1滴でも降ったら中止なんですかー?」などと聞いてもいいはずですが、こんなつまらぬ質問をする子供はまずいません。
「バナナがおやつに入るのか」が魅力ある問いとして機能するのは、「おやつは300円まで」という規則があるからではないか、と私は思います。この規則が、その成立も運用も極めて恣意的である、という点にバナナ質問が生まれてくる下地がありそうです。
恣意的に成立した法制度に論駁しようとする場合、我々はその法の想定する境界線ギリギリなものを例に挙げます。例えば、4年前に茨城県知事が会見で(http://www.pref.ibaraki.jp/press/02press/p020619.html)、食品安全基本法の試案において食品100g中のアセトアルデヒド含有量が1000μgに制限されていることを批判するために、アルコール100g中に最低9300μgのアセトアルデヒドが含まれていることを指摘しています。これは「アルコールは規制対象食品ですか?」と問うているわけで、「バナナはおやつに入りますか?」という質問と、同一の構造をもっていると言えます。
というわけで、「バナナはおやつに入るんですか?」と問う子供は、腐り切った既存の体制への反逆を企てているのであり、あらぶるロック魂の持ち主だったのです!
痛風に吹かれてさん、↓このナンセンスっぷりには爆笑しました。
>「古池や蛙飛び込む水の音」で芭蕉は実際には蛙の水の音を聞いていない
>って説を読みましたけど、バナナを耳に刺していたのかも知れません。
確かに御指摘のとおり、松尾芭蕉の『奥の細道』という書物が、さまざまな嘘や創り話に満ちていることはよく知られています。芭蕉という男は、現実と虚構の境界線を絶妙なバランスで渡っていたのであって、それは、バナナを通して世界を見ていた、というふうに言ってもいいのかもしれません。
バナナの皮でトリップする、というのは一応ガセという情報をキャッチしていますが(http://mitibatamatome.fc2web.com/banana.html)、しかし、バナナなら、バナナならきっとやってくれるに違いない、と思う自分がどこかにいます。
ところで、「バナナを耳に」で思い出しましたが、道交法が改正され、運転中の携帯電話の使用が禁じられたとき、「じゃあバナナを耳にあてて運転するのはいいのか」ということを議論していた人がいたのを思い出しました。バナナの底の深さ実感します。
Fummyさん、そういや、バナナには、サルの好物っていうイメージもありましたね。一応、御約束なので調べてみると、別にガセネタってわけでもなさそうですが、特にサルがバナナだけが好きということもなく、微妙な感じです。きっと、サルという生き物は人間と動物の境界線上にあって……と、無理にこじつけなくてもいいか。
ちなみに、その「サル、パンダ、バナナ」の話を聞くたびに、私は「パンダ」と「バナナ」をくっつける文化圏がないものか、想像してしまいます。いや、別に共通点がそもそもなさそうですが。えーと、どっちも絶滅寸前とか?
バナナの香りというと酢酸イソアミルの合成実験を思い出します。このエステルは、バナナの香りの成分ですが、棚からもってきた酢酸とイソアミルアルコールをちょいと混ぜるだけで「あのバナナの香り」がするので、けっこうインパクトがありました。鼻って頼りになんないですよねえ。
『ガダラの豚』は最高でした。
私は、フランス語のbanane(バナナ)が女性名詞だと聞いたときは、「責任者出てこーい!」って気分でしたけどね。まあ、フランス語の名詞の男女の区別を考えたやつは気が狂っているので(例 http://lepain.main.jp/chef/recette/recette_04.htm)、私ももういい大人ですし、許してやろうと思ってますけど。
ちなみに、私はバナナを朝食の一部にしています。
iireiさん、こんにちは。お褒めいただき感謝です。もっと面白い文章を書く人はいくらでもいらっしゃるので、ちと恐縮しておりますが。文系・理系という区別は、今の日本では受験制度とほとんど癒着していると思いますが、「面白い文章」というのは一般に入試で評価される文章とは違うので、おっしゃる通り文系・理系の別と文章力は相関が薄いかもしれません。突然思い出しましたが、木下是雄『理科系の作文技術』は名著でした。
kohekoさん、私の無茶苦茶なコメントでも思考の引き金ぐらいにはなれたようで、よかったです。バナナが栄養食、というのはありそうですね。もちろん、リンゴにもペクチン、みかんにもビタミンCなどの健康イメージはあるわけですが、バナナの場合、含有水分量が果物の中ではトップクラスの低さであるため、100gあたりのカロリーが高く(みかんの倍)、腹にたまる、というのも、遠足というイベントと絡んでくる理由になっているかもしれません。
で気付きましたが、というか、あまりに自明すぎて誰も触れていないだけなのか。「バナナはおやつに入るのか」は、「おやつは三百円まで」があってこその問いでしたね。この制約こそが、「バナナはおやつに入るのか」の魅力だった気もします。ああ、そういえば、これは先生と生徒のゲームでした。普段は勝てそうにない先生を困らせることが出来る魅惑のゲーム。あるいは、そんな小賢しい小学生をやりこめる快感。そのゲームの主題に、いつの間にかバナナがすっぽりとはまったのでしょうね。
ためしに、値段のところを100→200→…→1000円に変えて、「おやつは*円」という文字列をGoogleでフレーズ検索してみたところ、ヒット数は126→353→49600→45→9770→12→0→10→0→32と推移したので、やはり日本人の平均的感覚としては「おやつは300円まで」なのでしょう。
で、今度は100円刻みで100000円まで検索させてみたところ、1200,1500,1800,3000,5000,30000円がヒットします。5000円を除いて、すべて300の倍数ですね。3という数字には不思議な力があるようです。
「おやつは300円」の「3」のところを「8」に書き変えたプリントを親に見せ、500円をせしめるという、保健証偽造して借金するがごときテクニックを紹介しているサイトがあって感心しましたが、たぶん不自然だ、と思われてしまうのでしょうね。
ちなみに、検索にひっかかる最大金額は、たぶん「”おやつは30億円”」です。
受験シーズンですね。
http://www.geostationarybananaovertexas.com/en.html
http://www.boingboing.net/2007/01/03/geostationary_banana.html
バナナ型の人工衛星(実は高高度気球)です。ついにバナナは
大気圏を突破する?
恐ろしいですね。
ジョン・クリーズ(≒いかりや長介)はメンバーをいじめています。
このコント、いろいろなフルーツからの護身術をあげておいて、結局、
最初にやるのは、やっぱりバナナからなんですね。
勉強になりました。
しかし深いですね、何でもそうかもしれませんが。
あとは語る人の抽象力と想像力の問題なんでしょうねb
勉強になりました。
面白い考察です。
http://jutakuloan-sos.jp/m_arrangement/
それについては、言われてみてはじめて納得しましたから。
指摘されるまで気がつきませんでした。
向きはあるでしょう。
なかなか気づきませんが。
そうですよね。
モリモリっと行ってみよう