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Danas je lep dan.

2008-11-27 「ストパン 二期」で検索してきた奴出てこいw

[][]確かにこれは言葉にできない

 もう兄さんはこういうキャラって事でいいよ。

 神調教なのに2番が台無しwww

[]ネイションナショナリズムをめぐる会話

 この前ゲルナーを読んだと書いたけれど,それについて,東欧史の先生とちょっと話した。このエントリはそれをなるべく再現してみようという要するに手抜きエントリ。

 近代とナショナリズムの相関について - Danas je lep dan.

 ぼくがその先生と話をしたのは,ぼくが上の記事で書いた,

 ぼくは何度か,東欧における「民族国家」の建設は過ちだったと述べ,それを相対化するモデルとしてのユーゴスラヴィアオスマン帝国に言及してきた。しかし,それらは産業社会への移行に伴う歴史のある種の必然だったというのなら,われわれは前提である民族国家を批判する視座を失うのではないだろうか? 民族国家において試みられた個別の政策の暴力性を問う事はできても,民族国家そのものが胚胎する暴力性を批判する事が――少なくとも産業社会に胡座をかいたわれわれには――できなくなってしまうのではないか。ハプスブルク帝国の連邦化構想や「オスマン人」意識は,散る事が予め定められていた徒花だったのだろうか。

 という疑問がまだ頭に残ってたから。

 ※以下の会話は,完全にぼくの記憶のみに基づいて再構成したものです。すべての誤りの責任はぼくにあります。

 「かくかくしかじか,という事を考えた訳ですがどうでしょうか?」

 「そりゃあ,国民国家は否定できないよ。ネイションが出てくるというのはある意味での必然であって,それ自体を否定する事はできない。ただゲルナーの論理には物凄い飛躍があって,彼は『何故ネイションが必要とされたか』を論じてる筈なのに,いつのまにか話が『産業社会は何故ネイションを創出したか』になっちゃってる」

 「えっ,それ飛躍だったんですか……何の疑問も感じずに読んでました。ただぼくが思うのは,国民国家の否定,というのは言い過ぎたかもしれませんが,たとえばネイション創出が必然であったとしても,ブルガリアにおけるトルコ人への同化政策とか,民族浄化とか住民交換とか,そういった個々の事象は必然だったのか? と。ゲルナーの論を肯定するのなら,そういうのも『仕方なかった』の無限後退に陥ってしまうような気がして。ぼくは今まで『「民族国家」としての国民国家建設』に,そこまでする理由がないじゃないか,と否定的だったのですが,もしネイション創出がある種の必然なら,残る態度は『仕方ない』とするか,『たとえ仕方ない事だったとしても非難すべき』という代替案なき過去の断罪に走るか……になってしまう訳で。歴史というよりも政治の話になっちゃいますが」

 「近現代史を論じる時にはそれぐらいの覇気がないと面白くないよ。そもそも,複数言語のネイションも有り得る訳だよね」

 「でも,カナダですら紛争が絶えませんでしたよ」

 「ベルギーもそうだね。ただ,ネイションの指標というのは恣意的なものだから,言語を唯一の指標とする事はできない訳でしょう? その辺りで,ゲルナーはちょっと単純化しちゃってる」

 「成る程……となると,ぼくは,バルカンでの国民国家建設運動は『やりすぎ』だったんじゃないか,もっと緩やかな性質のネイションを作り出すべきだった,という風に批判した方がいい訳ですね」

 「それが正道だろうね。そもそも何故あの地域でああいう考えが蔓延ったか,という話にも成り得るけど。ネイションを創出する主体は何なのか。それに結論が出れば君の中である程度結論が見えてくると思う。難題だけど」

 「それについてはアンダーソンの説明に魅力を感じます。『世俗の巡礼』とか」

 「うーん,そもそも『世俗の巡礼』とか統一的経済圏の創出とかってネイション創出の後だからなぁ,フランスでは。アンダーソンやA・D・スミスの論の欠点は,『ネイション』がある条件さえ整えば自然発生すると主張している事。これは原初主義的」

 「ああ,自然に多くの人に想像されるようになる,という……」

 「そう。十分条件必要条件を取り違えてるよね。ゲルナーが偉大なのは,そこで,それらが揃っていてもネイションが創出されるとは限らず,産業社会の要請がネイションを創出するんだ,という結論を出した事だよね。ゲルナーの誤謬はそこで創出の主体に産業社会を置いた事なんだけど」

 「むしろぼくはそこで自然発生説だったから,ゲルナーに熱中して論理の飛躍に気付かなかったんです。ただ自然発生するという方が,ぼくは本源主義に与するものではないですが,説明しやすいしわかりやすいんですよね。ゲルナーが批判したように,そこまで深遠な計画をどっかの王様が考えついた,なんて訳もなく,自然とそういう流れができていった,とかの方が納得できます」

 「まあその辺りはもっと勉強してくれ。少なくとも私は私なりに結論を出した。フランス革命後,革命指導者たちがどういう行動を取ったのか,というのを掘り下げてみると面白いと思うよ」

 「勉強になりました」

[]麻生首相の冷たい方程式(改題)

 俺はこの男が総裁をやっている限り自民党に票は入れない。仮に俺の住んでいる選挙区に自民党と九条ネットしか候補者がいなかったとしたら躊躇なく九条ネットに票を入れるだろう。

 首相、何もしない人の分なぜ払う 医療費で発言 - 共同通信

 麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していたことが26日に公開された議事要旨で分かった。

 20日の諮問会議では、社会保障制度と税財政の抜本改革などを議論した。首相は同窓会に出席した経験を引き合いに出し「(学生時代は元気だったが)よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘した。


 その上で「今になるとこちら(麻生首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからだ。私の方が税金は払っている」と述べ、努力して健康を維持している人が払っている税金が、努力しないで病気になった人の医療費に回っているとの見方を示した。


 さらに「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブ(動機づけ)がないといけない」と話した。

 ここで俺の病歴書いても単なる自分語りになるだろうからやめておくが,ガキの頃病気がちだった俺としては義憤を感じるより先に私憤を感じる。

 麻生が言っているのは「命の算術」をやれ,という事だ。病気になんてなる奴は社会のお荷物だ。お荷物はお荷物らしく分をわきまえておとなしくしていればいい。反吐が出るね。突き詰めていけばそれは「社会のお荷物である精神障害者や遺伝病の患者は家に閉じ込めて焼き殺せ」になるだろう*1。何その劣悪遺伝子排除法。

 「ただ生きている」のではなく,「何かを産出する」と判定される限りでしか人間としてカウントされないのが強制収容所の空間であったとしたら,ますます強制収容所とその外部の,そして現在の空間との区別は難しくなる。その空間の内部と外部が同じメカニズムで作動しているなら,二つの空間の接続は,ますます容易となるだろう。第二次世界大戦において,真に勝利したのはナチの側だった,とさえ言いたくならないだろうか。*2

 どうして病気になった人がそんな配慮しないといけないの? 病気はいつやってくるかわからない。若い頃鍛えてて小学校の教員になって毎日低学年のガキどもの面倒見てる人だって癌になるんだよ? そして癌になったら抗癌剤とか手術とかで保険がなかったら凄い額の借金背負いかねない治療をしないといけなくなるんだよ? 別に上の例以外にも,いくらでも,不摂生とは何らの関係もなしに病気になってしまう例は思いつけるだろう。遺伝病は? アトピーは? 喘息は? そして仮に病気の原因が患者本人にのみ由来するとしても,だからといってそれを「自己責任」で切り捨ててもいい道理があろう筈もない*3

 健康帝国日本 - 過ぎ去ろうとしない過去

社会福祉とは簡単に言えば、「ある人が病気になった場合それはその人の不幸であり、したがって社会はその不幸をなるべく軽減しなければならない」であるべきですが、麻生某やその追随者たちはこれを反転させています。すなわち「ある人が病気になった場合それは(その人にコストをかけなければいけない)社会の不幸であり、したがって個人は社会の不幸をなるべく軽減しなければならない(健康に生きる義務!)」。

 俺は上記の見解に賛同する。病気になる事,保険の世話になる事を恥じねばならない社会なんて狂ってる。頼っていいんだよ,その為に福祉があって,その為に国があるんだから。むしろ頼るべきなんだよ。でないと,病気はいとも簡単にわれわれを追い詰めてしまうのだから――身体的にも金銭的にも。

 人間が人間である以上病気の根絶は不可能で,そして誰もが病気や怪我で巨大な不幸を背負う可能性がある訳で,ただでさえ病気や怪我に怯えなければいけないというのに,どうしてこれ以上患者を怯えさせないとならないのか俺にはまったく理解できないし,したいとも思えない。誰もが安心して病気できる社会が一番ストレス溜まらないに決まってんじゃねえか。

 にしても麻生がこれ程みみっちい事を言うとは思わなかった。一国の首相だろ,仮にも。「自分が健康でいる事で不幸にも病気や怪我で苦しまれている方々のお役に立てるのなら幸いです」くらい言ってみせろよ。

*1:突飛な発想? とんでもない! これと同じ事がなされたのは20世紀だ。われわれは20世紀から進歩したのかもしれない。けれどそれでもわれわれは未だに多くの負の遺産を20世紀から引き摺っている。これと全く同じ事がいつか起こる,とはいえないにせよ,それと同じ原理で(俺やあなたを含めた)誰かの人権が蹂躙される可能性というのは否定できない。まして一国の首相たる人間がこんな発言をしでかすご時世だ。

*2:柿本昭人『アウシュヴィッツの〈回教徒〉――現代社会とナチズムの反復』春秋社,2005,p.474。感想っぽいものは以下のエントリを。「生きるに値しない命」の選別と,その反復 - Danas je lep dan.

*3:そもそもさ,不摂生を云々ぬかすなら,まずはこの国の労働条件何とかしろよ。時間と金の都合で,望めばもっと健康に生きられる筈なのにそうできてない,って人は結構いると思うぞ。