2010-03-29 電波浴で体力消耗orz
■[バルカン][歴史修正主義]あまりにも偏向した悪書,ベヴェリー・アレン『ユーゴスラヴィア 民族浄化のためのレイプ』
前々から酷そうだと思ってはいたが,実際に読んでみたらなるほど酷かったでござるよの巻。というわけで,だいぶ古くてもう色々指摘がなされていそうだけど書いてみる。
- 作者: ベヴェリーアレン,Beverly Allen,鳥居千代香
- 出版社/メーカー: 柘植書房新社
- 発売日: 2001/05
- メディア: 単行本
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原著は,Beverly Allen, Rape Warfare: The Hidden Genocide in Bosnia-Herzegovina and Croatia, Minneapolis: University of Minnesota Press, 1996。
最初に述べておくと,ユーゴスラヴィア内戦において「民族浄化」の手段として集団レイプが行われたことは史実である。問題は,どの民族もそれを行った,ということだ。どの民族も,それぞれの支配地域を民族的に「純化」するために,異民族を排斥した。そしてその際に行われたのがレイプなどの残酷な犯罪だ。
無論,民族によって被害者の数字に多寡はあるだろう。たとえば,ボスニア内戦におけるムスリム人の被害者は相対的に多い。何故ならば彼らはボスニア全土に分布しており,またムスリム人主導の政党である民主行動党が,ボスニアの統一を保つため彼らに故地への残留を呼びかけたからだ。反対に,セルビア人の場合,スルプスカ共和国側が「セルビア人のものじゃない地域からはさっさと逃げてセルビア人の地域においで」と言っていたため,被害は相対的に少なかった。だが彼らの犯した罪の質はまったく同じである。
さて,本書の検討に移ろう。著者は「はじめに」の時点から偏っている。彼女はクリントンのボスニア不介入政策を批判し,「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国やクロアチア共和国の人命に大きな犠牲を強いることになった。侵略者であるセルビア人の人命についてもいうまでもない」(p.12)と言う。まるでセルビア人だけが「侵略者」のような書きぶりだ。冗談ではない。ボスニアのセルビア人は数百年来の居住者だ。セルビア共和国がボスニア内戦に介入したというなら,クロアチア共和国も同罪だ。彼女は,クロアチア共和国が後にボスニアを「侵略」したことを認めている(pp.33-34)。だがそれは注釈の中に押し込められ,「セルビアの侵略」を言い立てる文章の間に埋没してしまっている。
また彼女は,レイプ被害者の証言が軽んじられていることをこう言って嘆く。
(……)その[1993年の――引用者註]夏スタンフォード大学で博士号をとったザグレブ出身の若い女性ゴルダナ・リンコヴッチ[原文ママ――引用者註]は数ヶ月間残虐行為について公けに話をしていた。サンフランシスコの世界問題審議会のような団体にでも話して理解してもらうのが大変に難しいと彼女は私に話した。そうした団体に苦悩に満ちた報告をし終わると,一般的な答えは「はい,わかりました。それでは今度はセルビア人側のことを聞きましょう」であった。「ジェノサイド」した側の意見をである! ゴルダナの報告を聞いた人たちの明らかに民主的な善意によって虐殺された人びとの叫び声を聞こえなくする。(pp.15-16)
各民族が被害者にも加害者にもなった紛争なのだから,双方の意見を聞くことは当然である。レイプされ殺されたセルビア人はいないとでも言うつもりだろうか。この一文は彼女のユーゴスラヴィア紛争への耐え難い無知の証左である。
彼女は更に無知をひけらかす。彼女によれば,「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国やクロアチア共和国の戦争は言語に絶するほど恐ろしいものであった」(p.18)のだそうだ。そう思うのなら,何故セルビア人のみを一方的に「ジェノサイドした側」と決めつけるのか。クロアチア共和国で戦われたのは,権利削減に憤るセルビア人と彼らを「浄化」しようとする政府軍との内戦である。民族浄化の危機に晒されていたのはセルビア人の方だったというのに。
彼女はこうも述べる。このくだりは実に吐き気がする文章だ。
それはまた民族虐殺でもある。民族虐殺について話す際に正確にはセルビア人の政策について私が話しているのだということを強調したい。私ははっきり一方に味方している。ユーゴスラヴィア軍,ボスニアのセルビア人,「チェトニク」,ベオグラード政府は,明らかに,二つの国際的に認められた独立国であるボスニア・ヘルツェゴヴィナやクロアチアに属する領土を取ろうとしている不法な国際的侵略の侵略者たちである。レイプや他の残虐行為[の実行者――引用者註]がクロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナや国連軍でもあることを知っている。しかし私の知る限りではこのいずれの軍隊も軍事的・政治的目標を促進するために,すなわちクロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナに属する領土に,(……)ある種の嘘や歴史的間違いにより正当化された偉大なセルビアの領土に国家を設立する手段として犯される民族虐殺レイプをはじめ暴虐を許すだけでなく,奨励したり命令する公的な政策を持たない。(……)(pp.68-69)
嘘だ! と叫ぶことも虚しい。どうやればこんなデタラメだらけの文章を書けるのだろう。クロアチアやボスニアがユーゴスラヴィアから独立しようとするのは「国際的に認められ」ているからアリで,それらの国々からセルビア人が独立しようとするのは領土を削ろうとする「侵略」になるのか。馬鹿げている。彼女は別の箇所ではクロアチアの民族主義がクロアチアのセルビア人を怯えさせたことを書いているのに(pp.83-84),何故このような書き方ができるのか。そもそも,ユーゴスラヴィア人民軍がセルビアの味方についたのは,スロヴェニア人やクロアチア人,ムスリム人が軍から脱走,あるいは独立して自前の軍事力を構築したことによって,軍の民族構成が「セルビア化」された帰結でもある。彼らが,平和的に交渉によって徐々に独立を獲得しようとしたならば,そのようなことは起こらなかっただろう。また,最初の人民軍によるスロヴェニア出兵の目的が,まず第一に国境の確保であったことは明記されてよい(連邦政府の主要な財源は関税であった)。そもそも,当時のクロアチア大統領フラニョ・トゥジマンが,ヤセノヴァツ否定論者であり過激なクロアチア民族主義者であることを知らないのか! 著者はヤセノヴァツ(クロアチアのアウシュヴィッツに当たる強制収容所)について言及しているのに(p.50),何故その虐殺を否定し,その民族主義的偏向ゆえにユーゴ人民軍を逐われ,ミロシェヴィチと「ボスニア分割」について密談するような男の行為を「大クロアチア樹立を目指す侵略」と呼ばないのだ。著者は別の箇所で,ミロシェヴィチに「超民族主義者」との形容詞を冠していながら,並べて書いたトゥジマンについては何も述べていない(p.83)。最初に「クロアチアの側に立つ」と明言しておけば,どんな偏ったことを書いても構わないとでも思っているのだろうか。
また,彼女は,セルビア科学・芸術アカデミーが1986年に作成した,民族主義的な秘密文書「覚書」について,こう述べる。
この主張で「自治権」についてあれこれ論じて後に[原文ママ――引用者註]セルビア人の侵略や民族虐殺が行われたことから,民主的で公平に地域を同等とみなす,あるいはイタリアの北部連盟のようなものにあるような自己利益に奉仕する連邦主義の片鱗も私には見えない。「国家の利益」をになう「消極的な立場」をとるべきでないセルビアの「国民」という概念を絶えず拡張して,実際にはひどく不法な軍事的侵略を正当化するさいにいつか使えるようにと紙に書いた一つの痕跡である。(pp.78-79)
のちのミロシェヴィチの政策に,セルビア民族主義者の主張が沿っていたのは事実だ。ミロシェヴィチは権力獲得のために民族主義を利用した。だがそれを言うなら,トゥジマンはどうなのだ? 『イスラーム宣言』と題する著書で民族主義的見解を披瀝し,社会主義体制下では糾弾された当時のボスニア大統領アリヤ・イゼトベゴヴィチは? 彼らの政策が民族主義的ではなかったとでも言うのか? それにしても北部同盟を持ち出すとはね。彼らが「南イタリアなんかに俺たちの税金を使うな!」と言っていたように,スロヴェニアやクロアチアも「南の連中に俺たちの税金を(ry」と主張していた。「自己利益に奉仕する連邦主義」,ねぇ(失笑)
……以上のような記述から,本書がいかに偏った目線から書かれたものであるかおわかりいただけたかと思う。内戦の一方に肩入れするのは別に構わないが,まるでセルビア人だけが周到な計画を持った侵略者・虐殺者で,他の民族は「偶発的な戦争犯罪を犯しただけ」であるかのように描かれているのには愕然とした。周到な侵略計画なんて,んなもんねぇよw そもそもユーゴ人民軍は国軍として連邦全土に展開していた。彼らが一方的な「独立宣言」後も引き揚げずセルビア側に立って戦ったことを「侵略」とは,随分とおめでたい思考回路をしているようだ。
さて,どうして彼女はこのような偏りに満ちた文章を垂れ流してしまったのだろうか? ユーゴ研究者の岩田昌征は,このような西側メディアの反セルビア的バイアスの背後に,文明を支えるコードの違いゆえにクロアチア人やスロヴェニア人の言葉の方が彼らに届きやすかった,という「文明の衝突」的な構図を見出す。
- 作者: 岩田昌征
- 出版社/メーカー: 御茶の水書房
- 発売日: 1999/08
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僕はこの説明に賛同するものではないが(話が大きすぎて実証できない),何故ああも反セルビア・バイアスが生じてしまったのか,という問いはどうしても心に残る。スロヴェニア,クロアチアの掲げる大義が冷戦終結後のユーフォリアの中で浮かれる西側の人間の心を捉え,反対にセルビアが「社会主義の亡霊」と見なされたからだろうか?
だが彼女ひとりに関しては,そもそも根本的に,彼女の情報収集があまりにも偏っていたことが挙げられるだろう。彼女はサライェヴォ,ザグレブ,カルロヴァツではインタヴューを行ったが(pp.28-29),ベオグラードでは行った形跡がない。彼女は「ムスリム人,クロアチア人,イスラム教徒,カトリック教徒」(p.27)からの情報提供を受けたが,正教徒からはほとんど受けていない。せいぜい,ボスニアのムスリムと正教徒から構成された団体からの情報提供を仰いだ程度だ(p.28)。そしておそらくはこのような偏りの積み重なりがバイアスを作ったのだ。サライェヴォには,政府軍サイドにばかり入り浸り,セルビア人側の取材にも行かずに彼らを「悪魔みたいな連中」と呼ぶ西側ジャーナリストもいたという。いったいどこで,われわれはボタンを掛け違えてしまったのだろうか。
残念なのは,バルカンを「野蛮」として切り捨てるような「バルカニズム」を,彼女が持ち合わせていないことだ。彼女はバルカンを「野蛮」として切り捨ててはいけないのだと言う(pp.29-30)。だがそのような認識を持ち合わせていてもなお彼女は安っぽい修正主義に囚われてしまい,すっかりクロアチアやボスニア政府の代弁者と成り果てている。バルカンに対してある程度マシな識見を持っているひとでこの有様なのだから,他の「太古からの憎悪」を唱えるような連中は推して知るべしである。本書はユーゴスラヴィアに関心を持つひとにとっては怒りと嘆きなしには読めない,まさに悪書と言っていい。このような差別的な本をのさばらせてはいけない。
最後に。これはまったく著者の責任ではないが,翻訳が杜撰すぎる。特に固有名詞の。「〜ヴィチ(-vić)」という苗字を全部「〜ヴッチ」で訳してるのなんかはご愛敬として(-vućなんて苗字聞いたことないなぁ),男性名ミハイロ(Mihajlo)をミハジロ(p.92),ポーランド元首相のタデウシュ・マゾヴィエツキ(Tadeusz Mazowiecki)をタデウスズ・マゾウエチ(p.106)やタデウスズ・マゾウイスキィ(p.144),民兵の頭目ジェリコ・ラジュナトヴィチ(Željko Ražnatović)やヴォイスラヴ・シェシェリ(Vojislav Šešelj)をゼリコ・ラズンジャトヴッチやヴォジスラヴ・シェシェリ(p.90),虐殺の起こったスレブレニツァ(Srebrenica)をスレベニカ,安全区ジェパ(Žepa)をゼパ(p.60),コソヴォの指導者ファトミル・セイディウ(Fatmir Sejdiu)をファトミル・セジュウ(p.46),そして何よりも,何度も繰り返し新聞報道されたはずの地名,クロアチアのセルビア人多数派地域クライナ(Krajna)をクラジナと表記している。そりゃあ,僕だって,フランス語の読み方がわからず適当な読み方をでっち上げてしまって指摘されることはある。でもさぁ,商業出版物がその程度の倫理でいいわけ? そもそも2001年ならもう『ユーゴスラヴィア現代史』が出てるし,必要なら柴宜弘にでも聞きにいけばいいじゃん。この訳者の本は二度と読まんことにした。
- 66 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Mukke/20100329/1269871884
- 36 http://labs.ceek.jp/hbnews/
- 27 http://pipes.yahoo.com/pipes/pipe.info?_id=faa858a20082ef6d25ad27557e37e011
- 23 http://b.hatena.ne.jp/hotentry/social
- 21 http://mltr.ganriki.net/index02.html
- 20 http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/index02.html
- 19 http://norevisionism.ring.hatena.ne.jp/
- 14 http://twtr.jp/user/three_sparrows/status
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