2010-04-25 さて,ではわたできに行くとするか
■[虹]美琴はどこでフラグを立てたのか?――能力と友情,あるいは『とある科学の超電磁砲』の分岐点について
前に書いた,
アニメ『とある科学の超電磁砲』の射程――妹達編に続く未来? - Danas je lep dan.
の続きのようなもの。ネタバレに注意してね!
僕としてはあの展開はやはりパラレルワールド,もしくはギャルゲーの別ルート――すなわち,上条ルートとは違った分岐点に入り込んで成立した佐天&初春ルート――であると解釈したいところだ。id:Yauchiさんには批判されたが(無論,きちんと整合の取れたストーリーを展開して欲しいというやうちさんの希望は僕にも理解できるし,むしろなるべく作品中の矛盾を上手く解消する手法を考えるというのは僕の好きなことでもあるのだが,それでもやはりこの場合はパラレルとでもしないと説明がつかないと思う。安易に投げ出しすぎかもしれないが)*1,この考えに変わりはない。
無論,両者の間の接続を窺わせるエピソードもある。アニメ『とある科学の超電磁砲』第23話「いま,あなたの目には何が見えてますか?」で,美琴はテレスティーナ*2の企図を挫くべくひとりで病室から出ようとする。だが最終的に彼女は佐天さんに阻まれ,仲間という存在を思い出すのだ。そして最終話「Dear My Friends」で,彼女はテレスティーナを倒すために黒子に頼る。「黒子ぉぉぉぉぉ!」という,全幅の信頼をこめた叫びで*3。
それに比べて,原作の美琴はどうだろうか。漫画『とある科学の超電磁砲』第19話「八月十日(2)」では,彼女はひとりで研究施設に忍び込む。アニメ第22話「レベル6」でそうしたように。ふとここで疑問が湧く。時系列についてだ*4。原作に依拠するならば,幻想御手事件は7月下旬に終熄している。そして,アニメにおけるテレスティーナ事件に際して,美琴には妹達の存在を知っている様子がない。彼女が妹達の存在を知るのは,8月15日のことである(ちなみにその日まで,初春は「風紀委員の夏期公募」に時間をとられていたらしい*5。となると,もっと細かくテレスティーナ事件の展開時期を知ることができるだろう)。そして上条が「実験」の存在を知り,一方通行事件を引き起こすのが8月21日だ。すなわち,時系列としては,
アニメ22話→アニメ23話→漫画19話
ということになるはずなのだ。だが,第23話で,彼女は彼女の単独行動癖を佐天さんから批判されていたのではなかったのだろうか。長年にわたって染みついた癖はそう簡単には治らなかったということだろうか? そう考えることもできよう(実際,中学生という年齢を考えれば,それも不思議なことではない)。より実際的な問題として,彼女が佐天さんと別れてから布束砥信について調べ,関連施設に侵入するまでの間,彼女には黒子たちに行動を共にするよう呼びかける時間がなかった,ということもあるかもしれない。だが,こう考えるのが一番スッキリしないだろうか?――彼女は,佐天さんからの注意を受けてはいなかったのだ。
とある科学の超電磁砲 4―とある魔術の禁書目録外伝 (電撃コミックス)
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そして漫画第23話「八月十五日(3)」において,美琴は一方通行にひとりで立ち向かう。これについても,目の前の9982号が虐殺されたことによる衝動的な行動であって,黒子たちを呼ぶ暇はなかっただろう。だが,その後,彼女は入手したデータを同室の黒子から隠し,そして,こう心の中で呟く。
できうる事なら,助けて,と叫びたかった。
だけど,それは絶対に許されないと思った。
美琴の脳裏には,一人の少年の顔が浮かぶ。(……)*6
美琴にできない事も,あの少年ならできるような気がした。
だけど,自分一人が助けを求めるのは卑怯だと思った。*7
結果として美琴が黒子たちに助けを求めなかったことについては,彼女たちが深く傷つくことを気遣ったのだろう,という解釈も可能だ(実際,僕は前掲のエントリでそのような可能性を指摘した。美琴の直面させられた現実――2万人もの妹達の虐殺――は,幻想御手事件やテレスティーナ事件を凌駕する残酷さを有するがゆえに,このような解釈も不当とはいえまい)。だが,現実には彼女は黒子たちに助けを求めるという考えを抱かなかった――少なくとも,黒子たちへの信頼よりも喧嘩相手である上条への信頼が遥かに優越した状態にあったのだ。
これは,テレスティーナ事件で佐天さんたちとの絆を確認した後の美琴の行動ではない。どうしても,繋がらないのだ。
では,この2つのルートはどこで分岐したのだろうか? 彼女はどこでフラグを立てたのか? 僕はそれを,木山春生との喫茶店での対話後であると推測する。
7月20日,幻想御手について話を聞くために,美琴と黒子は招聘されたばかりの木山と喫茶店に入る。そこに佐天さんと初春が合流し,佐天さんは幻想御手を所有していることを言い出せずに終わる。そして店を出た後,佐天さんはどこかに行ってしまう。これは原作とアニメに共通した動きだ。そして美琴もいなくなる。ここも同じだ。だが,その理由は大きく異なる。原作では,彼女は上条を追いかけている。だがアニメ第9話「マジョリティ・レポート」では,彼女は佐天さんを追いかけるのだ。そして,「能力があろうがなかろうが」と佐天さんに語りかける。彼女の苦悩に,できるだけ寄り添おうとして。
ここで上条を追いかけたか佐天さんを追いかけたか――これこそが漫画版とアニメ版を分かつ分岐点だったのではないだろうか?
上条を追いかけた美琴は,いつも通り彼に勝負を要求する。だが,
「マジメにやってもいいんかよ?」*8
と凄む彼の姿に,
私の攻撃を受け続けて今まで全くの無傷
コレが攻めに転じたら…
もしアレの本質が相手の能力を無効にしてしまうチカラだとするなら最悪の場合…
今後一切永久に能力を封じられたり……*9
と恐怖を憶える。そして,心理的敗北を味わうのだ。
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原作は,強者である美琴の物語だ。彼女の力をもってしてもかなわない相手――一方通行と対決することで,彼女は絶望する。最終的に彼女が縋ることができるのは,自分の「力」に頼った解決――彼女の「力」を低く見積もらせることで妹達を救う――でしかなかった。
そして「強者」である美琴の物語である原作において,佐天さんは救われない。アニメ最終話は,「無能力者だからこそできること」によって,テレスティーナを倒す物語だった。あの物語において,佐天さんは救われた。能力者ゆえにテレスティーナの前に膝を突く美琴や初春を,能力を有さないがゆえにテレスティーナの罠に嵌らなかった彼女が救うことによって。だが原作においては,佐天さんは確かにみずからの葛藤を「つまんない事にこだわって」「バカだよあたし」*10と振り捨ててはいるが,学園都市において彼女が何の価値も持たない無能力者であるという現実に,変わりはないのだ。
このような「力」の物語であるからこそ,AIMバーストに向けて放たれる美琴の台詞は,
「悪いけど『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を他人に委ねるような人達には負ける気がしないわ
こんなとこで苦しんでないでとっとと帰んなさい」*11
でしか有り得なかったのだろう。これに比べて,アニメ第12話における美琴の台詞は,
「ごめんね,気付いてあげられなくて……。がんばりたかったんだよね。うん,でもさ。だったらもう一度がんばってみよ。こんな所でくよくよしないで,自分で自分に嘘吐かないで……もう一度!」
と,共感を表明する内容になっている。これは,あの時佐天さんを追いかけた美琴の台詞としてしか考えられない。ここでは彼女は「力」の物語から脱している。
この傾向は,幻想御手事件の事後処理にもみられる。ここで少し美琴から離れてみよう。幻想御手を使った生徒たちはどうなったのか。アニメ第14話「特別講習」において,彼らは特別講習を受けさせられる。そして,仲間や教師と接触することで内省する機会を得るのだ。そして高みへと向かう手掛かりを掴む。
では原作ではどうだったろうか。原作においても,彼らのために1話が割り当てられている。そのエピソードである「とある学徒の後日談集」において描かれるのも,内省と「真っ当な」向上心の芽生えだ。だがアニメ版との最大の相違は,彼らは自分の力でそれをやってのけている,という点にある。いや,実際には講習は開かれたのかもしれない。学園都市が教育機関としての機能をも持つ以上,そう考えても何らも不自然ではない。しかしそれは動機としては描かれない。漫画では彼ら自身の思いが描かれるだけだ。無論,アニメ版においても,内省と向上心はそれぞれのキャラクターによって勝ち取られている。だがそこに第三者が介在しているか否かということが,大きな違いなのだ。そしてそれは,挿入された言葉によっても表現される。
この街の学生(こども)達は
いつまでも折れている程ヤワじゃない*12
ここに僕は,「力」の物語である原作と,「友情」の物語であるアニメ版の差異を,象徴的な形で見出す*13。言葉を換えれば,自分の力を重んじるか,それとも仲間たちとの繋がりを重んじるか,ということだ。
たとえば,原作では,美琴・黒子・佐天・初春の4人で揃って行動することは意外に少ない。原作では彼女たちの個別のエピソードが語られている。それに比べて,アニメではそれらが統合され「彼女たち」の物語になっているように思える。たとえば,AIMバースト時,原作では初春はひとりで木山と向かい合い信頼の台詞を発した。だがアニメではそこに美琴も同席している。また,病院の屋上で佐天さんは初春を抱き締めて日常に復帰するが*14,アニメではその場に美琴と黒子もいた。原作では個別の物語であった黒子と初春の出逢い(新人研修について話を聞いたのは原作では佐天さんのみである)や美琴と黒子のプール掃除などが,アニメでは主要キャラによる「みんなの物語」として――無論そこに頻出する組合せはあるわけだが――展開されている。
ここに,僕が漫画『とある科学の超電磁砲』とアニメ『とある科学の超電磁砲』とは別物だと考える理由がある。おそらくアニメでの美琴は,妹達の虐殺に衝撃を受けながらも,その苦しみを仲間と分かち合おうとするのだろう。
さて僕がどちらの美琴を好きかと問われれば,それは原作の方だ,と答えざるを得ない。女友達と仲良くする美琴も悪くないが,あくまで,能力の壁に打ちのめされてそれでもひとりで戦おうとするその悲壮で気高い姿に焦がれたからだ。
*1:運命は絶望、それとも希望。 - やうちさん、ニュースだよ!。「……,分かってる」俺はそれを否定しなかった。
*2:ぶっちゃけアニメ版での彼女の造形には不満があるんだよね。あまりにも陳腐な悪役過ぎて途中から萎えた(さぁやは頑張ったよ……)。アレを学園都市の論理に絡め取られてしまったある意味被害者的なキャラとして理解するのなら(前方のヴェントのように。彼女の動機付けの小ささもアレだったが),あの造形にも納得が……いくわけないだろ常考。
*3:むっちゃ熱かった。ああいうのホント大好き。『Fate/stay night』の「『―――――来てくれ』/祈るように呟く。/俺の命なんてどうでもいい。/ただ,今はこの凶行を止める為に/『いや―――来い,セイバァァァアアア!!!!』/渾身の力を込めて,自らの剣を呼んだ」のシーンとか,『ストライクウィッチーズ』の「飛べぇ,宮藤ぃ!」とか。
*4:この辺,アニメで日時が明示されていたら崩壊する危うすぎる議論なわけで,もしもアニメで明示されているのなら教えてほしいです。俺は憶えてないのでorz
*5:鎌池和馬原作,冬川基作画『とある科学の超電磁砲』4,電撃コミックス,2009,p.155。
*6:鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』3,電撃文庫,2004,p.172。
*7:同,p.173。
*8:鎌池和馬原作,冬川基作画『とある科学の超電磁砲』2,電撃コミックス,2008,p.32。
*9:同,pp.32-33。
*10:鎌池和馬原作,冬川基作画『とある科学の超電磁砲』3,電撃コミックス,2009,p.102。
*11:同,pp.88-89。
*12:同,p.114。個人的にこの回は大好きだったのでアニメでの処理の仕方は残念と言うほかなかった……
*13:無論ここで言う「力」「友情」というのは二者択一ではなく,どちらがより重視されているか,という問題である。
*15:かまちー風にルビを。二度目は寒いとか言うの禁止!
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