2010-06-12 The Seventh Hope
■[バルカン]癒えぬ罪,赦されざる罪――引き裂かれたボスナ
ひとりの日本人が,自分のユーゴスラヴィア内戦体験を綴っている。
「戦争の体験談を語るわ」目次 - BI@K accelerated hatena annex, bewaad.com
その真偽については何も言わない。僕にそれを検証するだけの能力がないからというのもあるが,仮にこれが創作だったところで,嘘になるのは苦しんで傷ついたひとりの日本人の少年だけだからだ。
id:ken-tak [2ch][これはすごい][foreign][history] 仮に釣りだとしても、世界にゃ名前や細かい経歴は違ってもソニアもサニャもメルヴィナもカミーユもドラガンも、影は薄かったけどメフメットもカマルもミルコみたいな人間がいて、これからもいるんだろ。
はてなブックマーク - 戦争の体験談を語るわ その1 無題のドキュメント
実際にここで描写されたことは,ユーゴスラヴィアで起きたことをそのままなぞっている。ユーゴスラヴィア各地に,このような体験をした少年少女たちはいたはずなのだ*1。
「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))
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大まかな流れは読んでもらえばいいとして,細かなところにコメントをつける。
103 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:03:47.22 ID:60HAO/620
その後、セルビア王国だったかな。当然、スルツキ(セルビア人)を優越して、他の
フルヴァツキ(クロアチア人)やらボシュニャチ(ボスニア人)は長年不満を抱いていたんだ。
特に、フルヴァツキの人々は民族意識が高くてね。
そして各民族の民族意識の高さが、第一次世界大戦へと繋がっていくんだ。
この事は、皆知っていると思うので書かないけどね。
戦争の体験談を語るわ その1 - 無題のドキュメント
第一次大戦前のセルビア王国の領域は,トルコ人を追放した結果殆どがセルビア人(教科書的な発音ではスルプスキ)で占められており,クロアチア人やボスニア人(教科書的な発音ではボシュニャツィ)を冷遇するなどということはできなかった。彼らはむしろ南スラヴ(ユーゴスラヴ)人解放の旗手としてセルビア王国に期待をかけていた*2。
クロアチア人が冷遇されるのは,第一次大戦後に成立したセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国(SHS王国と略すことも。その後,ユーゴスラヴィア王国と改称)において。ボスニア人*3は,クロアチア人への牽制という意味もあってか,比較的優遇されていたのではないかと思う。ちなみにSHS王国において,非セルビア人の首相はひとりが,数ヶ月在任したに過ぎない(スロヴェニア人のコロシェツ)。
SHS王国の成立史については,
セルブ=クロアート=スロヴェーン王国の建国(前編) - Danas je lep dan.
セルブ=クロアート=スロヴェーン王国の建国(後編) - Danas je lep dan.
を参照のこと。
123 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 15:35:04.44 ID:60HAO/620
12月に入るとスルツキやフルヴァツキの人々が慌しくクリスマスの準備をして、
小さい街ではあるけれど、少し華やかになったのを覚えている。
ボシュニャチの人たちは基本的にムスリムだから、普段と変わらない生活だったんだけどね。
戦争の体験談を語るわ その1 - 無題のドキュメント
カトリックのクリスマスは,われわれがよく知るように12月25日だが,正教のクリスマスは1月7日だ(彼らがいつから準備を始めるのかは,寡聞にして知らない)。紛争下において,敵味方を識別するために,「十字の切り方」と並んで「クリスマスはいつか?」という質問が用いられたことはよく知られている。そんな,多様性の象徴とも思える差異が,戦場においては味方と敵を分けるために利用されてしまったのだ。
146 :祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage]:2010/05/19(水) 16:06:44.06 ID:60HAO/620
ごめん。言い忘れてたけど、
俺は日本人で、
ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミーユ、メフメット、カマルはボシュニャチでムスリム
ミルコはフルヴァツキでローマ・カトリック
ドラガンはスルツキでスルプスカ・プラボスラニナ
戦争の体験談を語るわ その1 - 無題のドキュメント
彼らの名前には,それぞれの民族に特有の名と,どの民族においても通用するような名がある。「ドラガン」という名は,セルビア人に多い。「メフメト」は,ボスニア人に多い。「サーニャ」は,どの民族にも通用する名だ。名前で敵味方が識別されることもあった。
読み進めていって,フォチャやゴラジュデといった地名が出てきて,もうそれだけで先が予想できて辛くなった。虐殺が繰り広げられた街。安全区に指定された街。それらの街の名が呪いのように谺する。
132 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 00:36:43.72 ID:YjM.1pYo
日にちは経って、4月22日になった。
この日も、ここ数日のように過ぎていくと思っていたんだ。
だけど、違った。スルプスカ軍か、民兵か、警察かはわからないけれど、
フォーチャにある歴史あるモスクが次々に破壊され、爆破されたんだ。
戦争の体験談を語るわ その2 - 無題のドキュメント
フォチャ陥落後,スルプスカ共和国(RS)の女性幹部ビリャナ・プラヴシッチ(Biljana Plavšić)が街を視察し,こう不満をもらした。
「トルコのモスクが残ってるなんて,これではフォチャがセルビア人の街にならないわ」
11のモスクが破壊された。その他にも,スーフィズム教団の道場,メドレセ,図書館,ムスリムの墓地が破壊された。ボスニア人たちはモンテネグロやゴラジュデに移送され,十数人しか残らなかった。1995年,フォチャは「スルビニェ」(セルビア人の土地)と改称された。
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プラヴシッチは,紛争前は大学で生物学を教えていた。どの陣営にも,大学で高度な教育を受けたインテリたちの姿が見出せる。文学,哲学,そして歴史学……学問や教育は何のためにあるのだろうか?*4
ここでは地域的な事情もあって主にセルビア人側の残虐行為が語られているが,残虐行為は全土で,すべての民族によって担われた。スレブレニツァに立て籠もったボスニア人勢力は,国連によって安全区に指定された後もそこから出撃しセルビア人勢力や近郊の村を襲った。この時のボスニア人指揮官が,のちに戦争犯罪に問われることになるナセル・オリッチ(Naser Orić)である。
関連エントリ:
あまりにも偏向した悪書,ベヴェリー・アレン『ユーゴスラヴィア 民族浄化のためのレイプ』 - Danas je lep dan.
現在,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BiHと略す)は,2つの構成体(エンティティ)――スルプスカ共和国とボスニア連邦――にわかれている。連邦側はさらに,それぞれの政府と憲法を持つ10の州に分割され*5,それぞれの州はクロアチア人,ボスニア人,混合のどれかだ。
現在,状況は手詰まりだ。上級代表事務所(OHR)は,BiHに「法の支配」を確立することを目標に掲げている。だが彼らは一方で,民族間憎悪を煽るような言説や遅々として進まない改革に強権をもって介入し,RS大統領の罷免すら厭わない――問題は,その強権には何らの国内法的裏付けがないことにある。「法の支配」確立のために,超法規的な手法で君臨せねばならないというディレンマに苛まれながらも,しかし一向に和解が進まない状況では撤退もできない。
RSは独立を望んでいる。だがヨーロッパ(と,アメリカ)はそれを許さない。現在のRSと連邦の「境界」は,停戦時の両勢力の前線を固定したものだ。つまり,それを許すことは「民族浄化」を追認することになってしまう。そして,多民族国家の解体を無制限に認めるわけにはいかない。独立が許されるのはかつての「共和国」までだ。一理ある。ソ連もそうやって解体したのだから。しかし――RSは反駁する――それならば何故あなたたちは,解体時に一自治州に過ぎなかったコソヴォを独立させたのか。コンディは言う,「コソヴォはunique caseだ」。
チェコとスロヴァキアのように,「連邦解体」で3民族のコンセンサスが取れていれば,RSは独立できたかもしれない。だが,ボスニア人,ボスナの地名を冠しBiHをひとつの領域として捉える彼らは,絶対にその「分割」を認めないだろう。
どこかを動かそうとすれば別のところが反撥する。現在のBiHはそんな袋小路に陥ってしまっている。唯一の3民族の一致点である「EU加盟」という夢が,辛うじてボスナの一体性を維持している。主権を制限され,事実上占領下に置かれているBiH。どうみても,未来はお先真っ暗だ。だが――それが人間の作った状況である限り,人間の手でどうにかできるはずだ。僕はそう信じている。……というか,そうでも思わんとあの地域に関わっていられん。
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*1:勿論,嘘は――時と場合によるが,基本的に――良くない。その意味で,「論理的な真偽の検証はどんな時でも為されるべきではなかろうか。『事実であろうとなかろうと本質が大事』と言ってしまったらデマの拡散は防げない。/この記事を釣りと断言する気も無いけどね」というid:summer-forestのブクマコメには深く共感する。
*2:ここら辺から「ユーゴスラヴィア主義」というものが生まれてくることになる。とはいえ,権利主義のようにクロアチアの独立を主張する一派もあったし,多くのひとはハプスブルク帝国を必要悪として許容していた。
*3:当時は「ムスリム」。彼らはまだ宗教的共同体として扱われ,独立した民族と見なされていなかった。彼らが独立した民族と見なされるのは1960年代以降のこと。
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