何か繋がるように感じるのだけれど。


ミニマル・ミュージック?というらしい。
これはスティーブ・ライヒの”Drumming”。
こんな音楽が世の中にあるのか!と最近知る。
動画はパフォーマンスも素晴らしく、
コンテポラリーダンスの舞台劇のよう。



若いクラシックの音楽家の集う札幌での音楽のイベント、
PMFは興味深く、今年はオケーストラを初めオープンドアの
コンサートに行く。知人から聞き、本当はリハーサルに
行きたかったのだけれど、それは叶わなかった。
流石に平日昼間は厳しい・・・
既に譜面は頭にあり練習をされただろう若い音楽家が、
指揮者の元でどのような調和された音を築くのか?
その過程がみられる公開リハーサルは来年、挑戦したい。


しかしながら自分にはオープンドアのコンサートも面白かった。
三部構成で、少数の音楽家が思い思いに舞台を作るようだ。
その一つにあったのがパーカッション奏者6人によるもの。
そこで奏でられた一つが”SEXTET”、Reichの曲であった。


ミニマル・ミュージックの四天王の一人らしいライヒ
興味を覚え、ネットで調べてみたり、CDを何枚か手にした。
聞き出すと、妙に引き込まれる不思議さ。
単純な、又は簡素な?限られた音の繰り返しに、
僅かに変化を加えて行き、それが止まらなくなる。





以前に訪ねた、モンドリアンの傑作の並ぶオランダの美術館で
出会った興味深い一枚はフィルモス・フサールのもの。


繰り返しと僅かな変化が止まらなくなる様、
どこか似てる気がする。


絵は、区分すれば私好みの”ディ・スティール”となる。
モンドリアンを初めモホリ・ナギなどもコレクションする
オランダの近代美術館であれば、展示は当然の事だろうか。
大作の並ぶ中で私はどうにも気になりスケッチをしていた。


抽象芸術とミニマルとは一概にイコールにはならないけれど、
時期的もズレはあるのだけれど、感じるのは、止まらない様。
そこには何か楽しさが潜んでいるように思えている。


単純に、建築の規則的に整う構造を寡黙なリズムに見立て、
そこに変化を?などと答えを焦りたくさせてくれる。
しかし焦っては恣意的となり、たぶん、答えにならない。
禁欲的に何かを、むしろ意味のない一打を加えてまた繰り返し、
時にその一打を引き、また加えしているうちに・・・


音楽の素養のない私には、ライヒの音楽は、雑音?
に聞こえたかもしれない。若き6人のパーカッショニスト
勇気を持って取り組まれたステージが私を指南してくれた。
そして、若かりし頃に出会った絵画を思い出させ、
何か通じるのでは?と考える切欠を与えてくれた。


木造建築の構造、自由度は高く、構造の規則とプランの整合を
保つのは容易ではないものの、これまで取り組んでいる。
そういう自分には、この出会いや再会に意味があると信じたい。



Drumming・・・子供の悪戯のような展開だ。
鏡の像のように真似しろよ! 間違ったなら罰ね!的なゲームで、
何人かで何かを叩いている内に夢中になり、盛り上がり、
何時しか勢いがつき、上手く揃って出来上がってしまったような
そんな達成感・・・実に楽しそうだ。