20年前に初めて見た40年前の建築。
成果は微妙なのだけれど、東京日帰り出張にて、
やや早めに着いた打合せ場所の渋谷にて、
思いつき、訪ねたのは松涛美術館。
学生の時、眩い様々な建築が数多く在る中で、
気になり興味を抱き訪ねた建築の一つ。
当時既に古い建築であり、同輩に響く者もなく、
けれど訪ね、抱いた興味を確信にした経験。
写真では伝わる事のない、実際の空間に驚く。
むしろ、驚かされた。
建築とは、こんな事ができるのか!と。
デザインは多様としても空間はそうでもなく、
体言出来る建築は実は多くはない。
こういう空間は、デザインの表層を真似ても
無意味だ。実際、この建築を模したものは
少なくないのだけれど、本質たる空間性を
模倣する事は、オリジナルを創るに等しい。
周囲の町並みと揃う建築規模にも関わらず、
この建築は、もう山とか岩山とか言う存在。
例えようが無く、畏怖すら覚えてしまう。
建築って凄い。改めて訪ね実感させられる。
重々しい、重厚とは言えるのだけれど、
それだけではなく、実際、切れ味が強烈に鋭い。
スケール感覚は感覚が研ぎ澄まされ、
ものの大きさが如何に大切かを知る。
建築を始めた最初に気づけた事、
今も大切にしている。
例えば東京の、この近辺の建築は可愛らしい
大きさだと思えた。昨今の北海道の町並みは、
比べるととても大きい。
人が在る風景を考える。どうあれば適当、
心地よく感じられるだろうか。
大きな事は立派な事かもしれないけれど、
より心地よい風景の方が大切に思う。
大きな家の前に立つ人は小さく見えてしまい、
寂しく見えてしまうかもしれないし。
そう意識するので図面では常に人を置き、
模型でも人を並べ、適切を考えている。
見た目の、表層をなぞるデザインも楽しい
けれど、実空間の在る建築であればこそ。
大きい⇔小さい、重い⇔軽い・・・
相反する様に見えて技術理解は同じと思う。
この建築家はどちらも出来る。
欲する質に対し、反する要素を用い対比を強め、
より大きな効果を得ている。
40年前に竣工した建築が今も輝いている事実は、
とても勇気を与えてくれる。
建築のサイクルは所謂流行よりも遥かに長い。
例えばそれが住宅でも、30年で建替えは考えない。
100年後にもと期待したく、そうすると尚一層、
問題は大きくなる分、楽しさもあると信じよう。
【写真追加】
敷地は一区画分一杯の、周囲の建築と同等の高さ
一杯までの全てが壁面。石積みに見えて実は、
目地が太く積み上がる印象がない。
実際、貼っているだけの軽さ感がある。
ナイフの刃一枚の隙間も無いのではなく、
ただ、概観視で重厚さが増してみるのは、
石一つ一つが良く見え、その重さを感じるからか。
結果的には重厚さではなく、壁面全体の重さが
際立って見える。使った素材の個性を際だ出せ、
全体としては寧ろ軽快さが際立ち、全体として、
大きな壁が作られていて、そして大きな庇の下、
中央に細く長く出入り口が穿たれている。
この設計者ならではの解なのだけれど、
何か間違ったようなバランスとしか言えなず、
真似出来るものとも思われない。
ある種出来損ないなのに、今も印象的で見惚れる、
人間の出来る上限を示した建築の一つと思う。
・・・でも、写真では伝わらないな。
私自身、写真では伝わらないと訪ねた建築、
結局は誰も写真ではその迫力を伝えられていない。