無理を言う。

先週初めに現場を訪ねた。
既存建築は間も無く解体される。
今は、お寺の設計に携わる。
昨年始から始まる設計は長期、
今は確認申請の最中でもある。
審査機関から一昨日届いた質疑、
やや意地悪な問いがあり難儀する。


確認審査機関の人達が、
今後の際に言い訳できるだけ
十分な返答をする必要がある。
十分出ない場合、彼らは冒険しない。
進んで新たな解釈はしない。
この週末は、どうストーリーを
作るべきかと悩んで過ごす。






これまで、納骨堂を見守っていた
写真の阿弥陀様は、実は最も人に近く、
これからのお寺を観て頂く存在になる。
これまでは、手作りの須弥壇空殿に在り、
ここまで近くで接する事がなかった。


引越し準備のために様々、庫裡は変わり、
訪ねた日には庫裡の居間中央に鎮座する。
とても誇らしげで、清々しい光景。


午前中はいつものように昼も用意頂き、
あれこれお話をして過ごし、
午後からは施工会社を訪ね、
その後に振興局に省エネの届出を果たす。


早い時間に予定を終えられたので、
考えていた通り、日勝峠を越えてみようか?
と思っていたものの、でも、思い直した。
最後かもしれない庫裡で過ごす時間、
今行かなければ、最初に感じた、
それを大切に想っていた設計の要、
最後に感じておかなければという想い。


で、電話をする。


施主への電話で、お茶を要求した。
初めてかもしれない。無礼極まりない。


でも、どうぞどうぞと言って下さり、
訪ねては坊守までも迎えて下さり、感謝。


夕暮れ時、低い西日が差す頃にはやはり、
写真の阿弥陀様が神々しく輝きだす。
神々しいは「神」だけれど・・・



薄暗い内陣で、ローソクの炎で金が輝くのは良い。
正に御浄土の世界が広がる。
空殿の鎧を脱ぎ去り、手の触れられる場所で
あからさまにも身近に居て下さる阿弥陀様が、
ただの西日に輝き、見て下さる感覚は印象的。



設計する者として、一部始終を確認した。
今ある庫裡のスタイルはやはり、ともて良い。
素敵なものに思える。
少なからず事例を見学してきたけれど、
人と人が縁を取り成す基本を実感出来る。


・・・知れば知るほど全てがプレッシャー、
なのだけれど。
確認申請が思いやられる。
懸念の部位について、NGを宣言される。
けれど、法には『類する部分』とある。
かなり特異なケースの緩和となる規定、
過去事例が少なく、安全側に判断したい為、
知らぬものは否定とする判断なのだけれど、
実は直近で他機関ではOKを得ている。
今年初めに竣工した事例を持っている。
月曜には、答えを用意したいのだけれど、
恐らくは協議に持ち込まれる事になる。
法の精神を考えるなら順当と出来ると思う。
問題は今後も山積みのまま。




ただ、この日の光景は忘れ難く、
静かに観る阿弥陀様に見透かされる。