日本統治時代の海外神社の写真を見ると、シーンと静まりかえっていて、やけに真面目そうに見えます。
しかし実際のところ、その周辺部には東京の縁日に負けないほどのナマナマしいエネルギーがうずまいていたこともあったようです。
昭和3年の「日本巡り」という本から樺太(サハリン)の芸者と、樺太の亜庭神社のエピソードをご紹介します。そう。昭和3年は、「日本巡り」という本に樺太や台湾、朝鮮が載っている時代…
「大泊(※現・サハリン州コルサコフ)の夜を歩く。商家と青楼と軒を並べるも植民地の情調だ。紅燈の下に朝鮮服の遊女が人待ち顔に街路を眺めているのは哀れを誘う。
亜庭神社祭礼で高い石段は人で埋まっている、拝殿のあたりから街を見下ろすと東京の縁日に負けないほど賑やかだ。
岡野屋という料理屋では芸者が20人もいる。入る時、半玉を叱りとばしていた手拭い浴衣の女中が紋付きに着替えて座敷に出た。ここに於いて知る女中兼芸者なるを。」
女中の時は手ぬぐい浴衣。座敷では紋付きで芸者に早変わりするのですね。TPO!ちなみに、樺太の夏は寒いので盆踊りにはドテラ、袷羽織・足袋が必要だったそうですよ。
↓亜庭神社。上のイラストと同じですね。(海外神社データベースより)
■樺太にゆかりのある(とWikiに書いてある…)芸能人といえばせんだみつお氏。父親が樺太の王子製紙勤務とのこと。せんだ氏は戦後に樺太で生まれ、1948年(昭和23年)に岩手県に引き揚げたそうです。