NATROMのブログ

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HPVワクチンの「相当規模」の薬害が存在するのなら、WHOやCDCがなぜ無視しているのか、合理的な理由を説明して欲しい

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。平岡さんは「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在していると推測」しておられます。具体的にはワクチン接種者の「数千人に1人」が「POTS, CRPS, ME/CFS, 繊維筋痛症などの症状が入れかわり立ちかわり現れ、認知障害なども絡む」症状を呈するとしています。

一方で、HPVワクチンは十分に安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスです。平岡さんの主張は主に有害事象報告に基づいたものですが、■有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできません。有害事象報告ベースとは異なるバイアスの小さい研究では、ワクチンを接種していない集団と比べて、ワクチンを接種した集団において、有害事象として報告されたさまざまな疾患、たとえばPOTS(体位性頻脈症候群)、ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)、CRPS(複合性局所疼痛症候群)といった疾患が増加したという証拠は得られていません*1

平岡さんとの対話において、いくつかの疑問が生じました。その一つが、相当規模の薬害が存在すると仮定すると、世界において日本の何十倍も生じているはずの薬害被害について、WHOや米CDCをはじめとした世界中の公的保健当局が無視しているのはなぜか?という疑問です。ご存知の通り日本ではHPVワクチンの積極的勧奨が中止され、長い間、HPVワクチンの接種率は低迷していました。しかしながら海外ではHPVワクチン接種が続けられており、早期に導入した国においてはすでに10年以上もの実績があります。女子だけではなく男子に対するHPVワクチン接種が開始された国もあります。平岡さんがHPVワクチン「薬害」に効果があるとみなしている免疫吸着やステロイド投与は、海外ではほとんど行われていません。平岡さんの主張が正しければ、海外では(平岡さんが有効であるとみなしている)治療も行われないまま、「薬害被害者」はどんどん増加しているはずです*2

よくいる反ワクチン主義者なら、この疑問に「WHOは巨大製薬会社に買収されて奴隷化している」*3などと答えるであろうと、容易に推測できます。典型的な陰謀論であり、こうした主張をする論者とは建設的な議論は望めません。しかし、平岡さんはこうした凡庸な陰謀論者とは一線を画しており、建設的な議論が可能あると私は期待していましたし、いまも期待しています。しかし、平岡さんには何度もお尋ねしましたが*4、いまだ十分なお返事をいただいていないと私は認識しています。

お返事らしきものとして、「海外では、『HPVワクチンは安全である』という命題が正しいということが実質的に確定しており、反対意見は相手にされないのではないか」というご意見をいただきました*5。「少数の反対派がこれを覆す成果を挙げるには予算不足で必要な研究体制を取れない」、「WHOの指導部も『パブリッシュバイアス』*6のような現象の影響下にあるため、HPVワクチンの問題点を無視・軽視することになっているように見える」とのご主張です。

しかし、平岡さんの「パブリッシュバイアス」理論を用いれば、どのようなニセ医学的な主張も可能です。やってみましょうか。


「【B型肝炎ワクチン】は安全である」という命題が正しいということが実質的に確定しており、反対意見は相手にされないのではないか、と推察しています。原因は、多くのそれなりの量と質を備えた諸論文(統計処理に問題はあっても)の存在であり、そのために「パブリッシュバイアス」のような現象が起きているのではないかと思います。少数の反対派がこれを覆す成果を挙げるには、それなりの研究体制が必要ですが、一番のネックは予算不足であろうと思います。WHOの指導部も当該「パブリッシュバイアス」の影響下にあるので、【B型肝炎ワクチン】の問題点を無視・軽視することになっているように見えます。

【B型肝炎ワクチン】の部分に、自分の気に入らない医療介入を挿入すれば任意のニセ医学のできあがりです。「(いまは証明されていないけれども)将来、正当性の証明がなされることが可能である」などといった主張*7。と組み合わせると、どのような証拠によっても反証不可能な主張ができあがります。こうしたニセ医学とどう違うのかを何度も質問していますが*8、いまのところ平岡さんから納得できる返答はありません。

そもそも予算不足のせいで反対意見が無視されているのではありません。確かに大規模な疫学研究は予算の制約があって難しいでしょう(そうした研究はHPVワクチンの安全性を示しています)。しかしながら、撤回されたHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)のモデルマウスの論文の再投稿や、あるいは、HANS仮説についてPubMedで検索可能な論文として発表することもできないのですか。平岡さんは「ニセ科学的な主張は、然るべき学術誌における、主張→反論→答弁→ーーの流れを形成できないであろうので、その外で何を言われても逐一対応する必要はない」と述べています*9。その主張に則れば、HANS仮説こそがニセ科学的な主張であり逐一対応する必要はない、ということになります。

HPVワクチンが定期接種になってわずかな間に、然るべき学術誌に論文をほとんど投稿していない日本のごく一部の「専門家」でもすぐに何十例もの症例を集められる「薬害」について、WHOや米CDCやNIHやそのほか多くの公的機関の専門家がそろいもそろって10年間以上も見落としているのはなぜですか?これは質問と同時に説得でもあります。B型肝炎ワクチンが十分に安全であることについては、平岡さんと共通の認識を得られています。「パブリッシュバイアス」理論をはじめとしたご自身の論法を使えばB型肝炎ワクチンによる薬害も否定できなくなってしまうことを平山さんにご理解していただくことで、ご自身の論法の妥当性に疑問を持ち、自説を撤回することを期待しています。科学ではよくあることです。私と平岡さんの対話が建設的な科学的議論であると示されることを望みます。


*1:そうした研究のごく一部を■有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできないの参考文献で紹介した

*2:平岡さんは採用していないが、人種・民族差があるのでは、という反論が想定できる。しかしながら、人種・民族多様性のある国においてもアジア人種でHPVワクチンの重篤副作用が多いという報告がないこと、台湾や韓国における大規模な観察研究でもHPVワクチン接種と重篤な有害事象との関連を裏付ける証拠が見つからないなどことから、人種・民族差を理由にする反論には無理がある

*3:https://twitter.com/sawataishi/status/1340997553957965825

*4: https://twitter.com/NATROM/status/1701390120803614818 https://twitter.com/NATROM/status/1701872444213272930 https://twitter.com/NATROM/status/1702558996476080229 https://twitter.com/NATROM/status/1704062446074524012 https://twitter.com/NATROM/status/1705069306068001068 https://twitter.com/NATROM/status/1708734627589046779 https://twitter.com/NATROM/status/1709012613638816111

*5: https://twitter.com/pinggangho44374/status/1709086014206267738

*6:「出版バイアス」とは少し意味が違うが平岡さんの用語に従う

*7: https://twitter.com/pinggangho44374/status/1707698907948671086

*8: https://twitter.com/NATROM/status/1719368432330944611 https://twitter.com/NATROM/status/1724277981978505447 https://twitter.com/NATROM/status/1749647687333687644 https://twitter.com/NATROM/status/1759230046869533140

*9:https://twitter.com/pinggangho44374/status/1712291620887105772

撤回された論文は根拠にならない

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。HPVワクチンは安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスですが、平岡さんはHPVワクチンの深刻な副反応・薬害が相当規模で存在すると主張しています。


HPVワクチン接種の有無にかかわらず血液脳関門の異常で害が起きるのは当然

平岡さんが提示する仮説の一つは「日常的に抗体値を高くさせられている人は、血液脳関門に異常が生じた場合、通常なら中枢神経系に入らない物質が侵入して悪さをするのでは」というものです*1。しかし、私のみるところでは平岡仮説はとくに根拠がない思い付きに過ぎないように思われました。

「日常的に抗体値を高く」するのはHPVワクチンだけでなく、他のワクチンだって同じです。B型肝炎ワクチンはHBs抗体価を高くしますし、麻疹ワクチンは麻疹ウイルス抗体価を高くします。なんならワクチンを接種しなくても免疫系は常に外来抗原にさらされていますので、正常なBリンパ球は24時間365日、抗体を産生し続けています。とくにHPVワクチンが危険だと主張するためには別の根拠が必要です。

平岡仮説を支持する根拠の提示を求められて平岡さんが提示した論文がMatsunoらによる2022年の論文です*2



■Association between vascular endothelial growth factor-mediated blood-brain barrier dysfunction and stress-induced depression - PubMed



しかしながら、Matsuno論文はストレスによって誘発された血液脳関門の透過性の増加に関与する因子をうつ病モデル動物で検証した研究であり、HPVワクチンにはなんら言及はされていません。Matsuno論文からはHPVワクチンの危険性については何も言えません。血液から有害物質の侵入を防ぐバリアである血液脳関門に異常が起きるとさまざまな障害が起きることは既知の事実です。HPVワクチンを接種しようと接種しまいと、血液脳関門に異常が生じると、通常なら中枢神経系に入らない物質が侵入して悪さするのは当たり前です。


HPVワクチンに特異的に害がある根拠の提示を求められると平岡氏は撤回された論文を提示した

平岡仮説に必要なのは、他の抗体と比べてHPVワクチンに誘導された抗体に特異的に害があるという根拠を提示することでした*3。重ねて質問すると別の根拠を提示してくださいました。



ですが、科学的な議論において、撤回された論文は根拠として使えません。倫理的な問題や不正や重大な誤りがあるときに論文は撤回されます。平岡さんは、撤回されたことを知らずにうっかり撤回論文を提示したのではなく、撤回されたことを承知の上で提示しました。

HPVワクチンについてまったく言及されていないMatsuno論文以外には、平岡仮説を支持する証拠は撤回されたAratani論文ぐらいだと平岡さんもお認めになりました*4。つまり、血液脳関門に異常が生じることでHPVワクチンにより特異的に害が生じるという平岡仮説には科学的根拠はなかったのです。平岡さんが、誤りを認め、仮説を取り下げたのならよかったのですが、平岡さんは仮説を繰り返します*5。これでは論点が同じところをグルグル回って、建設的な議論になりません。

Aratani論文の撤回をめぐる問題点

科学的議論における基本的なルールについて、平岡さんと私との間で重大な認識の差異があることを示したところで今回の記事を終わらせてもいいのですが、撤回されたAratani(2016)の経緯についても興味深いのでご紹介します。

著者らはHPVワクチンに特有の副作用に対し「HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)」という疾患概念を提唱し、そのメカニズム解明を目的に、モデルマウスに対しHPVワクチン(Gardasil)および百日咳毒素を同時に投与した群と対照群を比較しました*6。この論文はいったんはScientific Reports誌に掲載されたものの、1年半後に撤回されました*7。理由は投与されたHPVワクチンの濃度が高すぎることおよび百日咳毒素の同時投与が適切ではないと判断されたからです。不正や倫理的問題ではなく、方法論に重大な誤りがあったとみなされたのです。

撤回に著者らは同意していません。掲載誌の編集部と論文著者の意見の相違はたまにあることです。そういう場合、たいていは論文著者は医学雑誌を変えて論文を再投稿します。実際、論文著者の一人が「向こうに撤回の権利がある以上、抗議しても意味がないので別の論文誌に再投稿して日の目を見るようにしたい」と話したと報じられています*8

Aratani論文は撤回から5年経っても再掲載されていない

撤回された当時、HPVワクチン支持者から「Arataniらの実験方法は適正であり、論文撤回決定は間違い」という意見もありましたが、もしその意見が正しいのであれば医学雑誌を変えれば論文は掲載されるはずです。しかし、2024年1月の時点で、該当する論文はPubMedでは見つかりません。そのような論文があるなら、平岡さんはわざわざ撤回された論文ではなく、その論文を提示すればいいはずです。Aratani論文は再投稿されていないか、あるいは再投稿されても掲載されるだけの水準に達しておらずリジェクトされたかです。

医学論文誌は数多くあり、多少の欠陥がある論文でも掲載してもらえる、レベルがあまり高くない雑誌もあるので、掲載誌を選ばなければ論文にはなるはずです。あるいは指摘された方法論の欠陥を踏まえて実験をやり直して、あらためてレベルの高い雑誌に挑戦することもできます。平岡さんは「彼等が百日咳毒素を用いない別な系で再実験したらどうか」と言いました。「百日咳毒素を用いない別な系」とは限りませんが、少しでもよい雑誌を狙って条件を変えた再実験が行われても不思議はありません。再実験でHPVワクチンの危険性を示す結果が出たならば、論文にしているはずです。

あるいは実験をやり直したところ当初の仮説に否定的な結果が出たとしても、それを公表することには意味があります。科学的議論よりも面子を保ったり裁判に勝ったりすることを優先し、患者さん・ワクチン接種者の命や健康はどうでもよいと考える研究者であれば自分の不利になる情報をお蔵入りさせて知らんぷりするかもしれませんが、真摯にHPVワクチンの副作用の問題を解明したいと願う研究者であれば、実験の結果をいずれは発表することでしょう。


そもそも動物実験のエビデンスレベルは低い

そもそもの話をしますと、Matsuno論文もAratani論文も動物実験レベルの話です。エビデンスレベルや健康情報の信頼性を評価するためのフローチャートについて知っていれば、たとえAratani論文が撤回されていないとしても、HPVワクチンの危険性を示す根拠としては心もとないことがわかるでしょう。HPVワクチンの安全性を示すランダム化比較試験のメタ解析や複数の大規模な観察研究による結論は、一つや二つの動物実験で覆すことはできません。

「日常的に抗体値を高くさせられている人は、血液脳関門に異常が生じた場合、通常なら中枢神経系に入らない物質が侵入して悪さをするのでは」という平岡仮説を支持する根拠は、動物実験レベルですら、現在のところありません。科学的議論では、新たな証拠が出てくるまでそのような仮説を引っ込めます。反論がなかったかのように仮説を主張し続けるのは科学的とは言えません。以上のような指摘を踏まえて今後は平岡さんと科学的議論ができることを望みます。


適切な比較がなくては因果関係の推論はできない

2023年8月からX(旧Twitter)にて、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんと対話を続けています。HPVワクチンは安全で効果的というのが世界中の専門家のコンセンサスですが、平岡さんは「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在していると推測」しておられます。

HPVワクチンが原因で自己免疫性脳症が相当規模で生じているとしたら、HPVワクチンを接種した集団では、ワクチンを接種していない集団と比較して、自己免疫性脳症の増加が観察できるはずです。しかし、平岡さんはそのような証拠を提示していません。その代わりに、免疫吸着やステロイドで副作用疑い患者の症状が改善したことや、髄液中の自己抗体の出現が根拠になると主張しています。しかし、いずれもHPVワクチンと諸症状の因果関係の証拠にはなりません。

免疫吸着やステロイドで副作用疑い患者の症状が改善したことは証拠にならない

副作用を疑う患者に対し、自己免疫が関与しているとの推測から免疫吸着やステロイド投与が試みられ、一定の症状の改善が得られたことは事実です。ですが、副作用が疑われる症状の原因がHPVワクチンだとする証拠にはなりません。免疫吸着やステロイドに特異的効果があるかどうかも不明ですし、仮に特異的効果があったとして症状がHPVワクチンが原因であるとは言えません。

現在、薬の効果を評価するのは二重盲検法による比較がスタンダードです。なぜなら、何も特異的効果のない治療であっても治療を受けただけで症状が改善したり、あるいは観察者が「症状が改善した」と評価したりするからです。とくに自覚症状をエンドポイントとして評価する場合はそうです。さまざまな理由で盲検化が困難な場合は、自覚症状のような主観的な指標ではなく、死亡のような主観が入らないエンドポイントにすることが望ましいです。

HPVワクチンの副作用が疑われる患者に対し、免疫吸着やステロイド投与といった治療を行った後に自覚症状が改善したとして、治療の特異的効果なのか、それともプラセボ効果や自然経過による変動なのか、区別できません。科学的懐疑主義の立場に立つのならば、特異的効果によるものなのかもしれないし、そうではないかもしれないと判断を保留すべきです。

しかしながら、平岡さんは、「公平に見て、重篤な症状を呈する患者に対する治療で最も効果を挙げているのは(中枢神経系に器質性傷害をもたらす薬害が起きている)立場の医師らによるステロイド(抗炎症剤)の投与や免疫吸着療法である」と書いています*1どの治療法が最も効果があるのかを評価するには比較が必要です。実際には、二重盲検法どころか、非盲検による比較すらされていません。公平どころか単なる平岡さんの私見に過ぎません。適正な査読が行われた論文にはこのような文章は載りません。

HPVワクチンの副作用疑い患者に対しては、認知行動療法による改善例が報告されています*2。代替医療であるカイロプラクティックによる改善例すらあります。もちろん、だからといって、副作用疑いが自己免疫性疾患ではないとか、HPVワクチンとの因果関係がないとかは言えません。とは言え、免疫吸着やステロイド投与による改善が特異的効果によるものとは限らないことを示唆しています。

また、免疫吸着やステロイド投与に特異的効果があったと仮定しても、HPVワクチンとの因果関係はわかりません。自己免疫の関与の示唆ぐらいは言えるかもしれませんが、自己免疫疾患はHPVワクチンの接種とは無関係に生じます。HPVワクチンと無関係の紛れ込み症例が免疫吸着やステロイド投与に反応しているだけかもしれません。

平岡さんがすべきだったのは、免疫吸着やステロイド投与が最も効果を挙げているという私見を披露することではなく、自己免疫性疾患をはじめとしたワクチンの副作用とされる疾患がHPVワクチンによって増加が観察されていない多くの研究に言及した上で、それでもなお薬害としての自己免疫性脳症が相当規模で存在すると推測できる理由について述べることでした。


髄液中の自己抗体は証拠にならない

副作用疑い患者における髄液所見がHPVワクチンがBBB(血液脳関門)損傷を引き起こす状況証拠である*3と平岡さんは主張していますが、誤りです。一つは髄液所見の意義が不明であることと、もう一つは髄液所見がBBB損傷を示しているとしてもHPVワクチンとの因果関係については何とも言えないからです。

副作用疑い患者における髄液所見を示した研究の例として平岡さんはTakahashi Yを挙げます*4。HPVワクチン後に中枢神経症状が長期間継続した32人の髄液所見を疾患対照(非炎症性の病因をもつ女性のてんかん患者)と比較しています。髄液所見のデータを得るのは難しいので疾患対照と比較するのはやむを得ませんが、副作用疑い群と対照の差をどう評価するのか判断が難しいです。たとえばCD4陽性T細胞は副作用疑い群で有意に多いですが、もしかすると対照となったてんかん患者で少ないだけかもしれません。

髄液中のインターロイキンや自己抗体の差についても、仮に何らかの自己免疫の関与を示しているとして、HPVワクチンとの因果関係はわかりません。なぜなら、自己免疫疾患はHPVワクチンの接種とは無関係に生じるからです。

BBB損傷の有無もわかりませんが、よしんば副作用疑い患者におけるこれらの髄液所見によってBBBの損傷が示されたと仮定したとしても、BBB損傷やHPVワクチンとの因果関係についてはわかりません。BBB損傷は非HPVワクチン接種者にも起きるからです。当の平岡さん自身が「器質性異常がなくてもストレスでBBBに異常を生じることが報告されて」いると述べています。HPVワクチンと無関係におきたBBB損傷の紛れ込みを観察しているだけかもしれません。

Takahashiらの研究では高橋自身が述べるように「因果関係は確定」できません*5。とはいえ、意味がないわけではありません。研究には何らかの限界があるのは当然です。HPVワクチンとの因果関係の有無にかかわらず、副作用疑い患者の特性を知ることは、病態解明や治療法に役立つかもしれません。あるいは、Takahashiらの研究は「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在している」という平岡さんの仮説を否定する強力な証拠になります。というのも、自己免疫性脳症/脳炎では一般的に、髄液中の細胞数は上昇するのにもかかわらず、32人中32人全例に髄液細胞増加がないからです。


「髄液細胞増加がないのに自己免疫性脳炎の可能性が大、と平岡さんが考えるにいたった理由」について平岡さんに質問*6しましたが、いまのところお返事をもらっていません。ニセ科学の信奉者はしばしば質問に対して「まともに応える姿勢がない」一方で、科学的懐疑主義者は証拠に基づいて仮説を撤回することを厭わないでしょう。平岡さんが科学的懐疑主義の立場に立っていることを期待しています。

過去の教訓に学べ

平岡さんは重要視していませんが、HLA(ヒト白血球抗原)とHPVワクチンと副作用疑いの関係についても、一部の人たちに誤解が散見されます。2015から2016年にかけて、特定のHLAの対立遺伝子頻度(DPB1*05:01)が副作用疑い患者集団において対照集団と比較して高い、という信州大学医学部池田修一教授(当時)の研究班の報告および報道がありました。結局のところ、サンプルサイズを増やした追加の研究においては有意差が確認されませんでしたが、もし仮に、HLAと副作用疑いに何らかの相関があったとしても、HPVワクチンとの因果関係はわかりません。ワクチンと無関係のHLAと相関する何らかの疾患の紛れ込みかもしれないからです。

HPVワクチン以外のワクチンの安全性については平岡さんとは一定の合意が得られています。■有害事象報告ベースでは因果関係の推論はできないでも述べましたが、フランスではB型肝炎ワクチンと多発性硬化症の関連が疑われ、青少年に対するワクチン接種が中止になったことがあります。フランスの反ワクチン論者は、B型肝炎ワクチン接種後の重篤副作用疑い患者における、ステロイド治療の有効性や髄液所見やHLAとの相関について述べるかもしれません。いずれもワクチンとは無関係の紛れ込みで説明可能であって、ワクチンとの因果関係については何も言えません。

同様のことはミトコンドリアの異常や脳血流量の低下や「POTS,CRPS,CFSの患者とHPVワクチン接種後adverse effects(AE)を発症した患者の血中に共通の自己抗体」が存在することや「自己免疫が関与した脳内の慢性炎症にもとづく中枢神経障害」にも言えます*7。いずれも、ワクチンとの因果関係の証拠にはなりません。

脚気と食事の関係について大きな業績を残した高木兼寛の教訓を思い出します。現在では脚気はビタミンB1欠乏が原因だとわかっていますが、高木の時代には原因がわかっていませんでした。脚気患者の集団をいくら調べても原因はわかりません。副反応疑い患者集団の髄液や自己抗体やHLAを調べても原因がわからないのと同様です。

高木は比較実験を行い、脚気の原因が食事であることをつきとめました。練習艦の兵士に改善食(主として洋食)を与えた群と、与えなかった従来の群において、脚気の発生数を比較したのです(■やる夫で学ぶ脚気論争 )。1884年、いまから140年ほど前のことです。

問題になっているような重篤副作用疑いがHPVワクチン接種と因果関係があるかどうかは、科学的命題であり、科学的・医学的論議の対象です。高木と同じように、HPVワクチン接種群と非接種群において、重篤副作用の発生数を比較することで検証できます。そして、複数のそうした研究でHPVワクチンと重篤副作用の関係は示されませんでした。こうした証拠から目を背けるのは、平岡さんが自分の見解を「表向きは科学的命題であっても実際には価値的命題と認識している」からではないでしょうか。


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