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2009-01-19 「水からの伝言」は科学を自称していないから疑似科学ではない?

[][]「水からの伝言」は科学を自称していないから疑似科学ではない? 「水からの伝言」は科学を自称していないから疑似科学ではない?を含むブックマーク

疑似科学(ニセ科学)は「科学であるように見せかけていながら、科学ではないもの」をいう。血液型性格診断、マイナスイオン、水からの伝言、ゲーム脳、EM菌などが、疑似科学の例として挙げられることが多い。疑似科学に対してさまざまな批判がなされているが、この疑似科学批判に対してさらに批判がなされることがある。いわゆる疑似科学批判批判である。疑似科学批判の中に不適切なものや行き過ぎたものもあるだろう。そういうものに対する批判は別にかまわない。ただ、疑似科学批判批判には的外れなものが多いように私には思われる。たとえば、こんな具合。


■詭弁者(Interdisciplinary)のコメント欄のtittonさんの発言より

> 「なぜ水伝は擬似科学では無いか」もよろしく。


だから水伝は(少なくとも最近の水伝は)科学を自称していない。科学でないと明言さえしている。科学を自称していないものを疑似科学と呼ぶなら宗教だって疑似科学になってしまう。疑似科学も宗教も人心を惑わすという似たような面を持っているが、同じ方法では対抗できない。科学は科学でないものを批判できない。(有害な)思想は思想として批判すべきこと。


昨今の疑似科学批判者は科学の名を騙って思想を批判することが多い。それは科学を科学以外の目的に使っているわけで、疑似科学論者がやっていることと同じ。科学が批判できるのは提示された事柄が科学として見た場合妥当か否かだけであり、思想までは判断できない。


また「科学を装っている」という人もいるが、装っているかどうかは多分に主観的なものであり、文章をどう解釈するかとか社会通念に照らしてどうか等は科学が扱う問題ではない。もちろん科学とは別個に、有害思想や詐欺行為として批判するならそれは自由だ。しかしそれを科学の名の下に行うのは科学を逸脱した行為。


少なくとも最近の水伝は科学を自称していない、だから水伝は疑似科学ではないそうだ。水伝が科学を自称していないって、本当かな?「水からの伝言」を出版している株式会社アイ・エイチ・エムのサイトを見に行ってみたよ*1


f:id:NATROM:20090119153126j:image

波動と水を科学する 株式会社 I.H.M.


トップページに「波動と水を科学する」って書いてある。波動機器の歴史というページはもっとすごいよ*2。たとえばこんな具合。


もう一人は、アメリカでも有数の超心理学者であるディーン・ラディン博士です。博士は様々な意思のサイエンスに関わる実験を行ったことで紹介されていましたが、中でも江本勝 IHM総合研究所所長との合同実験である2,000人の祈りが水に与える影響の公開実験を行ったことで、その内容が紹介されていました。ここでも科学的な手順を守った実験を行い、水の氷結形状の評価については、一般人の投票によって評価するという客観性を持たせました。結果は、祈りの力が水の結晶構造を変える証明となったのです。


明らかに科学を自称してるよね。おそらく、「水伝は科学を自称していない。科学でないと明言さえしている」というtittonさんの発言は、AERAのインタビュー記事からだろうけど*3、「水からの伝言」への批判に対する言い訳であり、その言い訳ですら「今後、周りの研究者によって科学的に証明されていくと思う」などと答えている*4。本当に江本勝氏が、「水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない」のであれば、自ら代表を務める株式会社アイ・エイチ・エムのサイトの不適切な記述を訂正すべきだ。

要するに、江本氏は二枚舌なだけ。疑似科学だと批判されたら、「いやいやこれはポエムですから。科学なんて自称していませんよ」と逃げつつ、一方では「科学的な手順を守った実験で証明されましたよ」と宣伝している。「水伝は科学を自称していないから疑似科学ではない」などという主張は、二枚舌の江本氏を利することになる。江本氏は「波動機器」と称する怪しげな機械を高値で販売しており、「機器」である以上、ポエムやファンタジーでは宣伝にならないことは、「水からの伝言」問題を追いかけている人なら知っている。疑似科学批判批判もいいが、「水伝は疑似科学ではない」などと主張する前に、そういう背景を知る努力を行って欲しいものだ。



追記(1月19日17時45分):いま気づいたけど、id:tittonさんから、「↑natrom 自分と意見が違うのは相手が無知だからメソッド発動」というブクマコメントをいただいていました*5。このエントリーを読んでもtittonさんは同じ意見でしょうか?少なくとも、tittonさんは、江本勝氏が代表を務め、「水からの伝言」を出版した会社が、「波動と水を科学する」と自称していることについて無知だったのではないでしょうか。

*1:URL:http://www.hado.com/

*2:URL:http://www.hado.com/hadokiki/hadokiki-history.html

*3:違うというのなら、情報元を明らかにするように要求する

*4:詳しくは、■「水からの伝言」江本氏の主張(2005/12/28)(水商売ウォッチング)を参照のこと

*5:URL:http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11722375

bamboobamboo 2009/01/19 17:07 トンチンカンなコメントする人って、どうして「ごめん」が言えないんだろう。
そういえば「ごめんも言えないろくでなし」と言うカルタの文句があった。

lets_skepticlets_skeptic 2009/01/19 17:21  「疑似科学批判批判(ニセ科学批判批判)」の人は、疑似科学信奉者のアドホックな言い訳(これまでの歴史で頻繁に使われてきたもの)を真に受けたような主張をする人が多いなと感じたりします。真に受けてるわけではなくて、発想しちゃったのかもしれませんが。

TAKESANTAKESAN 2009/01/19 17:33 今日は。

ここに面白いものがあります⇒http://www.masaru-emoto.net/newemoto2/index200711.html

「2007年11月21日(水) 読者からの質問20」という所の回答なのですが、
▼▼▼引用▼▼▼
私どもは小さな民間の研究所であり、その設備は科学的とは言えません。ですから、いわゆる科学論文成るものは、今のところは書いても認められないでしょう。
もちろん将来は、そのようなことが出来る設備や、スタッフを揃えたいとは思いますが、この種の水の研究を科学的な条件をそろえて行うのには、巨額な資金が必要で、どなたも投資や援助をしてくれている訳ではありません。
ですから、私は今のところ私がやってきた事、やっている事を科学とは言っていません。まあ、こんな事をやったら、こんな写真が撮れた。私はそれについてこう思いますが、皆さんはどう思いますか?という問いかけを、一般の市民に伝え歩いている、という役割に徹しています。
科学者の中には、素直にそれに反応してくれて、研究論文を書いてくれている方もいらっしゃいます。例えば、ノエティックサイエンスのディーン・ラディン博士のようにです。
http://www.explorejournal.com/article/PIIS1550830706003272/abstract
私としては、13年に及ぶ過去の全てのデータはお見せしますので、科学的に不足している所を是非、大学の研究機関なりで補い検証してくれればと思っています。
▲▲引用終了▲▲
要するに、「”文字通り”に”科学的”とは言っていない」から科学では無い、という主張ですね。ここでも二枚舌が見事に発揮されています。原典をちゃんと読まなかったりする人には尤もらしく見えるのかも知れません。巧みといえば巧みです。狡猾という意味ですが。

水伝は科学では無い、と本当に思っているのならば、アストレアに科学的根拠は無いと明言し、トップページの記述も替えるべきでしょうね。「波動カウンセリング」なる紛らわしい説明体系のものも、ちゃんと「科学とは関係無い」と書くべきですよね⇒http://www.hado.com/LABO/kaunsering.htm

tittontitton 2009/01/19 20:48 コメント欄に来いというから来たよ。グッズの件はスペースがなくてああいう書き方になったけど、一応俺の考え方の説明になってるつもりなのだけどね。オチョクリではない。

疑似科学なのかただの宗教なのかはその主張の中核部分がどこにあるかを見て判断しなければならない。たとえば多くの信者がフリーエネルギーの装置に惹かれてその主張を支持しているならそれはその装置の科学的な側面を評価しているのだから、科学として(つまり疑似科学として批判するのが妥当。

一方信者が宗教的側面を支持しているのであれば、それは宗教的要素の部分が主なのだから、疑似科学として批判したところで意味はない。現に教祖様が「水伝は科学ではない」と公言しても水伝を支持する人間は動揺しないわけだよね。それは支持者にとって水伝が科学かどうかはどうでもいいことだからだ。

両者を一括りにして扱うと本質を見失うといっている。

tittontitton 2009/01/19 21:09 フリーエネルギーの装置ならそれは科学的に検証できる。少なくとも検証する手段を示せる。だから科学が批判することは可能だ。一方宗教的なものいいかえれば心理的なメリットを目的に信者が支持しているものに対して、そのメリットを科学じゃ否定できない。苦し紛れにちょっとでも科学的側面を見つけて批判を加えたところで、誰にも何の効果ももたらさないだろう。むしろ的外れな批判をしていると思われるだけだ。信者からはもちろんそうでない人たちからもね(実際的外れの批判なんだから)。そんなことをしても疑似科学批判自体の信用を落とすだけのこと。どうしても批判したいなら不健全な宗教や思想として批判すべき。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/19 21:28 よし!
フリーエネルギーを取り入れた信仰を取り入れて新しい宗教を作ろう!
教義案
1)水は言葉がわかる
2)フリーエネルギーは波動エネルギー
3)水伝やフリーエネルギーが認められないのは陰謀論
4)NATROMはダークサイド

メンチメンチ 2009/01/19 21:33 tittonさんに質問があります。
科学の威を借りて信者を獲得しようとする宗教は
疑似科学として批判すれるべきなのですか?
それとも、不健全な思想信条として批判すれるべきなのですか?

あなたの意見だとこの二つを同時に行ってはいけないように読み取れます。

メンチメンチ 2009/01/19 21:34 すれるべき⇒するべき

NATROMNATROM 2009/01/19 22:36 tittonさん、ようこそ。まずはブクマコメに返事を。

>聖杯とかを騙ったグッズを売っている会社があればキリスト教信者も疑似科学信者になるの?

id:sunagimo2さんのコメント「バチカン(江本)が聖杯工業(株)を設立して、そこのサイトに「主と聖杯を科学する」と書いていて、なおかつ信者がこぞって聖杯グッズ(なんか適当な科学っぽい説明つきの)を買い求めればそうなる」の通りです。というか、tittonさんは、創造科学をご存じない?


>一方信者が宗教的側面を支持しているのであれば、それは宗教的要素の部分が主なのだから、疑似科学として批判したところで意味はない。現に教祖様が「水伝は科学ではない」と公言しても水伝を支持する人間は動揺しないわけだよね。それは支持者にとって水伝が科学かどうかはどうでもいいことだからだ。

「疑似科学として批判したところで意味はない」かどうかは、何を目的にしているかによりますね。支持者を”転向”させたいのであれば、確かに疑似科学として批判したところで意味はありません。けれども、支持しようかどうしようか迷っている人に示唆を与えたり、教育や政治の場に入ってこようとするのを防いだりするのが目的であれば、意味があります。


>フリーエネルギーの装置ならそれは科学的に検証できる。少なくとも検証する手段を示せる。だから科学が批判することは可能だ。

「ありがとう」という言葉をかけると氷の結晶の形が変わる、という主張は科学的に検証できますので、科学が水伝を批判することは可能ですね。というか、フリーエネルギーの支持者の多くも「宗教的側面を支持」しているのだろうと思いますが。


>一方宗教的なものいいかえれば心理的なメリットを目的に信者が支持しているものに対して、そのメリットを科学じゃ否定できない。

もちろん、その通り。たとえば、代替医療については「心理的なメリット」は無視できません。私のサイトの愛読者であれば、私がこの問題について論じてきたことをご存知でしょうに。それに、「不健全な宗教や思想として批判」したところでやっぱりそのメリットを否定できないと思いますが。


>苦し紛れにちょっとでも科学的側面を見つけて批判を加えたところで、誰にも何の効果ももたらさないだろう。むしろ的外れな批判をしていると思われるだけだ。信者からはもちろんそうでない人たちからもね(実際的外れの批判なんだから)。そんなことをしても疑似科学批判自体の信用を落とすだけのこと。

「苦し紛れにちょっとでも科学的側面を見つけて」いるんじゃないんです。科学は、科学的側面しか批判できないからそうしているだけです。「誰にも何の効果ももたらさないだろう」というのは根拠がありませんよね。私の不案内な分野で行われている疑似科学批判については、少なくとも私にとっては役に立っています。私のサイトが役に立ったというメールをもらうこともあります。現在の疑似科学批判で、必ずしもすべての人に役立つとはとても言えないし、今のやり方が必ずしも最善であるとも言えませんが、少なくとも「誰にも何の効果ももたらさない」というのは誤りでしょう。


>どうしても批判したいなら不健全な宗教や思想として批判すべき。

宗教批判、思想批判も別にかまいませんが、科学的見地からみた批判だって行っていいでしょう、というのが私の見解。私はたまたま科学の分野が得意なので、「○○は自称科学的だと主張しているが、××という理由で科学的には間違っている」という情報を発信できます。宗教や思想の部分まではあまり否定したくはありません。

「水伝は明らかに科学を自称している。よって、『科学を自称していないので水伝は疑似科学ではない』という主張は誤りだ」というエントリーの主題にも反論があればよろしくお願いします。株式会社アイ・エイチ・エムのようにあからさまに科学を自称していても疑似科学とは言えないのであれば、この世には疑似科学などないことになってしまいませんか?tittonさんのお考えを聞きたいのですが、「世の中には疑似科学など存在しない」と主張しておられるのですか、それとも、「疑似科学と呼ばれるべきものはあるが、水伝は疑似科学には相当しない」とお考えなのか、教えてください。後者の場合には、疑似科学と呼ばれるべきものの例を教えてくだされば幸いです。こと、創造科学が疑似科学に相当するのかどうか、ご意見を伺いたいです。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/19 23:22 4)NATROMはデビルサイダー 
と訂正

momomomo 2009/01/19 23:54 横からすみません。tittonさんのブクマコメントとこのエントリでのコメントの趣旨が変わってらっしゃるようなので、方針転換するならそう宣言された方が良いと思います。黙って方針転換すると論点すり替えをしているように見えてしまうかも知れません。

個人的にはtittonさんがなぜ水伝を「不健全な宗教として...」と仰ったのかが気になります。科学的言説で自らを権威付けしようとしたり、科学的発見を都合良く取り入れるという点ではだいたいどの宗教も似たようなものですよね。

tittontitton 2009/01/20 16:42 NATROMNATROM さんへ

> バチカン(江本)が聖杯工業(株)を設立して、

俺はそうは考えない。上にも書いたけれど聖杯工業に興味を持ちその製品を購入したりその支持者になる人は聖杯グッズのメカニズムや効能に興味を持っているのであり、もしそのメカニズムの説明がインチキだったり、期待された効果が発揮されなければ信者にとっては重大な問題。

一方キリスト教そのものを信じている人にとっては聖杯工業の製品などどうでもいいこと。聖書に書かれたキリストの奇跡が科学的に否定されたところで、キリストが奇跡を起こすからその教えを正しいと考えてキリスト教を信仰しているわけではないだろう。

両者を支持する人も動機も異なるわけで、それらは別々なものとして区別して考えるべき。そしてたとえバチカンが聖杯工業を直営していたとしても、この構図自体にはなんら影響がないことに気づくべき。バチカンがオカルトグッズを売っていて、しかもそのインチキ性が暴露された場合、オカルトグッズの購入者はそっぽを向くかもしれないが、キリスト教信者はキリスト教を信仰し続けると思うよ。両者は別物と考えるべき。疑似科学などは支持者の傾向を主軸に分類した方がその性質をとらえやすい、俺はそう思っている。

また同一人物が両者を主催しているなら、インチキグッズが暴露されたら教祖としての信頼もダメージを受けるだろうという考え方をする人もいるだろう。もちろんそういう考え方をする人はいるだろうけれど、当然しない人もいる。個人の社会的信頼性によってその言動の信憑性を推測するのは便宜的手段としては有効性を認めるが、基本的にはそういう判断方法は適切ではないと考えている。少なくとも科学的な姿勢ではない。

> 創造科学をご存じない?

ご存じないわけないじゃん。創造科学は創造科学が疑似科学なのであって、キリスト教が疑似科学なのではない。なんでなにもかも一緒にして考えたがるのか。妙な物理学者がいたら物理学全体をその物理学者と同一視する、というような乱暴なものの見方だと思うよ、それは。疑似科学批判者は疑似科学に対しては、物事の見方が疑似科学っぽくなる傾向があるね。強引に意図した方向に結論づけてしまう。

> 支持しようかどうしようか迷っている人に示唆を与えたり、教育や政治の場に入ってこようとするのを防いだりするのが目的であれば、意味があります。

いや、意味ないと思うよ。少なくとも合理的な意味はない。たとえば振り込め詐欺防止キャンペーンをやれば犯罪抑止に一定の効果がある。しかしそれは人々の警戒心や恐怖心を煽ることが効果の主成分なのであって、詐欺か詐欺でないかの判断能力を人々に授けるものではない。

「カルトやマルチ商法にハマるとこんな悲惨な事になります」と訴えるように「疑似科学にハマるとこんな悲惨な事になります」と訴える方がよほど効果があるだろう。科学的に疑似科学を批判したところで、実は科学的な論述が効果を発揮しているのではなく、警戒心や恐怖心を喚起する部分が効果を発揮しいてる。

教育や政治への浸食を防止する政治的なキャンペーンをやるのは賛成だが、それは思想(イデオロギー)の戦い(「水伝を信仰した方がよい社会になる」と「そういうものを排除した方がよい社会になる」と)、科学とは関係がない。科学はどちらのイデオロギーが社会にとってプラスになるかについて何の示唆も与えない。資本主義と共産主義のどちらが優れているか科学では判断できないように。反水伝側は自分には科学の後ろ盾があると思うのは錯覚。

> 科学が水伝を批判することは可能ですね。

だからそれは水伝の本質的な部分ではないのだから、的外れの批判に(水伝信者はもちろん第3者からも)見られるという話をしてるのだけど。的外れの批判を続けていたら評価が落ちるのは批判をしている側だ。

> フリーエネルギーの支持者の多くも「宗教的側面を支持」しているのだろうと思いますが。

それは「宗教的側面」を広義に設定しすぎだと思うよ。UFO信者であっても明らかに宗教化しているものと、(疑似)科学よりのものがあるわけで、そういうものを荒っぽく一緒くたに扱って論じても有意義な結論にはたどり着けないだろうね。

> 私がこの問題について論じてきた

あのね、疑似科学批判批判者が疑似科学批判のマイナス面を指摘すると、疑似科学批判者は「そんなことはちゃんと考えている」とよくいうけれど、実際の言動にそれが反映されているように見えないから「考えていない」批判されるわけなんだけどね。「考えている」「論じてきている」で止めちゃったら話がそこから先に進まないじゃん。「考えた結果どうなのか」「論じてきた結果どうなのか」を語らなければ。なぜ疑似科学批判者の多くがそこで立ち止まってしまうかといえば、それはそこから先は「確定的な答えが出ない」問題だからだ。

疑似科学批判者というのはその活動の目的が政治的なもの(「よい社会にするにはどうすべきか」)であるにもかかわらず、科学的な側面を中心に語りたがる。それは「科学的に見て間違い」は言い切ることが比較的容易だが、「社会にとって有害」かどうかはそれに比べて白黒つけにくいテーマだからだ。そこで妥協の産物として「(科学を)詐称しているからダメ」とか「主催者がウソつきだからダメ」などを持ち出し、とにかく白黒は明らかである、と方向の主張をしようとする。しかしそれは理由のこじつけでしかない。そういう小細工のような方法をとることが批判されているのだとしるべき。

> それに、「不健全な宗教や思想として批判」したところでやっぱりそのメリットを否定できないと思いますが。

たとえば「水伝の思想は○○という不健全さがあるから教育現場から排除しよう」という主張の場合、「たしかに水伝の○○の部分は有害だ。しかし一方で水伝には××というメリットがある」「では、○○と××のどちらを重視すべきか。また水伝からデメリットの部分だけを取り除くことはできないか」という方向の議論に発展する余地がある。

一方「水伝は疑似科学で教祖がウソつきで会社が詐欺ビジネスなんだから社会から排除すべき」という主張の場合、これはもう互いに1か0か、完全勝利か完全敗北かしかないわけで、上述のような議論の発展性がない。前者と後者なら前者のような批判の仕方の方が望ましい批判の仕方だといっている。

> 科学は、科学的側面しか批判できないからそうしているだけです。

だから科学は水伝が社会にとって有害だとか批判できないはずだよね。たとえば「水伝の実験には再現性がない」というのは科学的な批判だ。一方「再現性がないことをあるかのように語るのはけしからん」というのは科学的な批判ではない。科学は科学のルールを守るもの同士の間でジャッジを行うのであって、科学のルールを守るべきかとか、科学を装うことが悪いことなのか、についてはなにも判断できない。

水伝の実験が科学的でないという批判までは「科学的な疑似科学批判」だから科学の名の下に行っていいが、その勢いのまま「科学を騙るのはけしからん」と政治的な批判に持ち込むのは、科学の威を借りて政治的主張をしているように見える。科学を装って政治的な主張をしているわけだ。水伝をあれこれ「科学だと誤解される恐れがある」と批判するなら、自分たちのこういう「科学と誤解させる行為」も省みるべき。

> 少なくとも私にとっては役に立っています。

あなたが言っているのは知識の収集という面で役に立つと言うことで、俺が言っているのは人の考えを変えさせる(疑似科学にハマろうとしている人を引き留める)という面で役に立つかどうかを言っている。

> 科学的見地からみた批判だって行っていいでしょう、というのが私の見解。

ある事柄について科学的見地から見た批判が正鵠を射るものになるかどうかという点は検討しないのか、行った上での判断が現状のようなものなのか。いずれにせよ俺から見れば適切なものになっていない。

> 宗教や思想の部分まではあまり否定したくはありません。

あなたは教育や政治の分野への浸食を防ぐことを意識して水伝批判を行っているといった。ある事柄が疑似科学の側面と宗教や思想の側面を持っている場合、疑似科学の面を理由に社会から排除するということは必然的にそれがもつ宗教や思想の面も排除することになるわけだが、それらについては関心がないとか排除するつもりはないというのはおかしな話だろう。そういう部分の価値も評価した上でなおデメリットの方が大きいと考えるから排除するというならわかるが。

社会にとって有益か有害かという政治的な批判に踏み込まず、実験方法が不適切云々のように純粋に科学的な側面だけの批判に留まるのであれば、「自分は科学の面だけを論じる」というのも許されるだろうが、政治的批判に踏み込んでおいてそれは通用しないと思うよ。

「水伝は明らかに科学を自称している。よって、『科学を自称していないので水伝は疑似科学ではない』という主張は誤りだ」という

> エントリーの主題にも反論があればよろしくお願いします

だから「自称している」か否かは信者の支持の動機を見て判断すべきであって、ほんのわずかでも「科学的な主張だ」と言いがかりをつけられる部分が存在していれば「科学を自称している」のだというのは、科学が神を冒涜するつもりはないのに地動説は神への冒涜だというのに通じるものがあるからダメだ、と言っているのだが。

> 株式会社アイ・エイチ・エムのようにあからさまに科学を自称していても疑似科学とは言えないのであれば、

最初にブコメで述べたように宗教とオカルトグッズが組み合わさっている場合、オカルトグッズの会社が疑似科学であることと宗教本体が疑似科学であることは区別すべきだと言っているのだけどね。水伝の場合、水伝(という宗教)があってオカルトグッズがあるのであって、逆ではない。オカルトグッズの会社が全部なくなっても水伝はなくならないわけで。オカルトグッズの方を疑似科学だと批判するのはいいと思うよ。

> この世には疑似科学などないことになってしまいませんか?

俺は逆にあなたの理屈を推し進めていくと、この世に疑似科学でないものなどなくなってしまうと危惧しているのだけどね。疑似科学批判者は疑似科学の範囲をどの辺りに収めるかという事に無頓着だと思うね。

> 「世の中には疑似科学など存在しない」と主張しておられるのですか、

こんなことは主張してない。

> それとも、「疑似科学と呼ばれるべきものはあるが、水伝は疑似科学には相当しない」とお考えなのか、

こちらだね。少なくとも区別をつける必要があると思っているよ。

> 後者の場合には、疑似科学と呼ばれるべきものの例を教えてくだされば幸いです。こと、創造科学が疑似科学に相当するのかどうか、ご意見を伺いたいです。

創造科学は疑似科学だと思っているよ。だってその存在意義・活動目的はそれ(進化論を創造科学で置き換える)がすべてであり、それをとったらなにも残らないのだから。創造科学が持つ唯一の側面が疑似科学なのだから、それは疑似科学そのものといっていい。

俺は疑似科学を主張することを直ちにけしからんとは考えない。しかし学校の科学の授業時間を浸食するとなると看過できない。学校はより価値のある知識を優先して教えるべきであり、疑似科学を教えることによるメリットは非常に小さい。

BrittyBritty 2009/01/20 16:52 tittonというひとがキリスト教を理解していないことはよくわかりました。
奇跡とは被造世界への神の超自然的介入です。
科学法則で説明できないが事実としてそこにあると信じられるものを奇跡と呼ぶ。いわば科学法則の例外事項です。科学的に説明できたらそれは奇跡ではない。

あとヴァティカンはキリスト教最大の教派ですがあくまでも一部分にしか過ぎません。それをごっちゃにするのはみなさまいささか論が粗雑かと思います。これは少しはずれる話題ですが、あえて。

moorhenmoorhen 2009/01/20 17:24 > 「自称している」か否かは信者の支持の動機を見て判断すべき

創造科学信者の支持の動機として、キリスト教根本主義以外のものがあるとは思えませんが。

> その存在意義・活動目的はそれ(進化論を創造科学で置き換える)がすべてであり、それをとったらなにも残らない

そんなものは表面的動機に過ぎません。創造科学の本質は水伝よりもはるかに宗教的。だから、創造科学が擬似科学だが水伝がそうでないというのは、ダブルスタンダード。

NATROMNATROM 2009/01/20 18:15 >> バチカン(江本)が聖杯工業(株)を設立して、
>俺はそうは考えない。

tittonさんがどうお考えになるかは自由ですが、だいたい読者のみなさま方は納得されたようです。tittonさん以外で、どなたか「バチカンが聖杯を科学的だと自称して売り始めたら疑似科学とみなされる」点について疑問の方はいらっしゃいますか?すでにコメント欄で指摘されていますが、「信者が宗教的側面を支持しているのであれば、それは宗教的要素の部分が主なのだから、疑似科学として批判したところで意味はない」というtittonさんの主張が正しいとしたら、創造科学を疑似科学として批判したところで意味がないことになります。「創造科学の本質は水伝よりもはるかに宗教的」でしょ。


>だからそれは水伝の本質的な部分ではないのだから、的外れの批判に(水伝信者はもちろん第3者からも)見られるという話をしてるのだけど。

「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という主張は、水伝の本質的な部分だと私は思います。仮に「氷の結晶とは本質的ではなくて、感謝のキモチが大事なのだ」としたら、別にその部分は批判しません。そう信じるのはご自由に、というだけです。


>それは「宗教的側面」を広義に設定しすぎだと思うよ。

ブーメランですなあ。水伝および創造科学の「宗教的側面」について、ダブルスタンダードにならないように説明してくださいな。


>俺が言っているのは人の考えを変えさせる(疑似科学にハマろうとしている人を引き留める)という面で役に立つかどうかを言っている。

最善かどうかはともかくとして、疑似科学批判が、疑似科学にハマろうとしている人を引き留めることに役に立っていると述べましたが?不適切にならない範囲で、私がもらったメールを公開しましょうか?それにしても、「人の考えを変えさせるという面で役に立つかどうか」をtittonさんが論じるのは、やっぱりブーメランですなあ。tittonさんによる疑似科学批判批判は、何か意味があるんですか?何のためにやっているんですか?いったい、何と戦っているのですか?「的外れの批判を続けていたら評価が落ちる」って、ご自分がなさっている疑似科学批判批判がどのように評価されているのか、ご存じですか?「はてなの連中は例外」とでもお考えで?


>だから科学は水伝が社会にとって有害だとか批判できないはずだよね。

できませんよ。tittonさんは、どうも、「疑似科学批判は100%科学によってなされるべき」、あるいは、「疑似科学批判者は自らの主張は100%科学であると考えている」、と思いこんでおられるようです。たとえば、A「水伝の実験は科学的ではない」、B「だから教育の場で水伝を教えるのは不適切である」という主張があるとして、Aは科学の範疇ですが、Bは科学の範囲外です。「教育の場で疑似科学を教えるのは不適切であると科学的に証明された」などと主張が仮にあれば、疑似科学だと批判してくださいな。tittonさんは藁人形を攻撃しているだけ。


>「自称している」か否かは信者の支持の動機を見て判断すべき
>創造科学は疑似科学だと思っているよ。

創造科学の信者の支持の動機は、宗教的なものだとばかり私は考えていました。創造科学者は、確かに「進化論を創造科学で置き換える」ことを望んでいますが、その動機は宗教的なものでしょう?tittonさんの意見を聞かせてくださいな。

TAKESANTAKESAN 2009/01/20 18:32 今晩は。

NATROMさん
▼▼▼引用▼▼▼
不適切にならない範囲で、私がもらったメールを公開しましょうか?
▲▲引用終了▲▲
この部分、大変興味があります。どういった例があるか、というのはなるべく知っておきたいので、ご紹介頂ければ、読者としてもありがたいです。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/20 21:09 デビルサイダーとして簡単に。
【動機】に着目して宗教(あるいは呪術)と科学を分離するのは無理だろにゃ。実は動機としてはこれらは同じものからきているでしょうからにゃ。
とにかく、【動機】で宗教と科学を分けるのは無理だってば>titton

【結果あるいはプロセス】、それも検証可能な【結果あるいはプロセス】に基づいて、ある主張が疑似科学「的」かどうかが判断されるのではにゃーだろうか。もしデタラメな主張が科学を名乗っていたら、真っ黒の疑似科学(ニセ科学)ですにゃ。

kozimakozima 2009/01/21 02:37 はじめまして。
私はtittonさんの主張はそんなにおかしくないと思うのですが。
横やりの上に長くなるので自分のブログにっと思ったんですが、自分のブログ無いので、匿名ダイアリーに書きました。http://anond.hatelabo.jp/20090121023411
おそらくtittonさんはこういう事が言いたいのではないかと。

TAKESANTAKESAN 2009/01/21 04:08 >kozimaさん

せっかく言及頂いたのに恐縮ですが、書かれた事、間違っています(間違っている部分があります)。
増田の方にブクマしたので、よろしければ参考にして下さい。

私が書いた、
▼▼▼引用▼▼▼
上で自ら水伝話と絡めているので
▲▲引用終了▲▲
の部分、「自ら絡めている」と書いてありますよね?
これ、そもそも私はエントリーで「ゲーム有害論」について語っていたが、tittonさんがなぜか疑似科学の話と絡めたので、せっかくだから以前にした質問の答えを求めた、という流れです。

後、煽られてもしょうがない、って、私はtittonさんの煽るような書き方については、特に何も言ってないような。いや、全部憶えてはいないので、断言は出来ませんけれど。ああ、私以外の方に向けている、というのもあるのかな。

他の部分についてはまあ、水伝は自然科学の観点のみから批判されてはいない、と私は思っているのですが、そこら辺については、色々お調べ下さい、としか言いようが無いです。もしかして、私が水伝を自然科学の観点だけから批判している、と感じておられますか?

別所の話をして申し訳ありません>NATROMさん
kozimaさんが書かれた増田への感想は、これきりにします。

エディエディ 2009/01/21 04:35 >kozimaさん

「tittonさんは水伝が疑似科学じゃないなんて一言も言ってない」
という主張されていますが、tittonさんご本人がはてブで
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://hado.exblog.jp/10105764/
【titton 水伝は疑似科学ではなくカルト 2008/12/29】
と書かれていますよ。

NATROMNATROM 2009/01/21 09:09 kozimaさんにお返事しておきました↓
http://anond.hatelabo.jp/20090121090548

ぱくぱく 2009/01/21 13:05 自分自身しか知らないルールでしか物を言えない人と論議をしても、そりゃかみ合うはずがない。
説明するだけ無駄!!
相手はこちらのルールどころか言葉さえも理解できないのだから。
特に疑似科学の話になると必ず持ち出してくるのが決まって宗教です。
その時点で話はおしまいでしょう。それ以上は議論にもなりません。

サルガッソーサルガッソー 2009/01/21 15:37 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/mizuden_doutoku2.html

サルガッソーサルガッソー 2009/01/21 15:44 すみません↑はミスタイプです。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/mizuden_doutoku2.html
これなんかは科学者がなるべく科学のフレームワークを使わずに水伝を批判した文章なんだけど id:titton は読んだことあるのでしょうか?
これを読んだ後でも
>昨今の疑似科学批判者は科学の名を騙って思想を批判することが多い。それは科学を科学以外の目的に使っているわけで、疑似科学論者がやっていることと同じ。科学が批判できるのは提示された事柄が科学として見た場合妥当か否かだけであり、思想までは判断できない。
なんてことが言えるのなら本物だとは思いますが。

tittontitton 2009/01/21 23:11 NATROM さんへ

> だいたい読者のみなさま方は納得されたようです

あなたのブログを読んでいる人間はあなたの考えに近い人が多いのだから、当たり前で、そんなことで満足するならそもそも議論など始める必要ないだろう。多数派工作をしているわけではないのだ。あなたは疑似科学のセミナーで主催者が同じ事を言ったりやったりしたらどう考えるのか。

> 創造科学を疑似科学として批判したところで意味がないことになります。「創造科学の本質は水伝よりもはるかに宗教的」でしょ。

創造科学の宗教的側面とはキリスト教そのものだろう。それとは別に創造科学なるものを生み出す必要があったのは科学の分野である進化論を置き換えるためであり、それが存在意義のすべてなのだから、いくら創造科学が宗教をベースにしていても、宗教的側面が創造科学の本質ではない。同様のことは水伝関連のオカルトグッズにも言えること。オカルトグッズの方は疑似科学だが、水伝本体は宗教のカテゴリに入れるべき。


> 「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という主張は、水伝の本質的な部分だと私は思います。

これは同意するよ。

> 仮に「氷の結晶とは本質的ではなくて、感謝のキモチが大事なのだ」としたら、

「感謝の気持ちが大事」という部分も水伝の本質だと思うよ。キリスト教がキリストという存在や初期に起こした奇跡などのエピソード必要なように、宗教や思想には媒体(水の結晶だったりキリストだったり)が必要。重要なのは目的の方であり、非科学的な部分が宗教や思想を普及するための道具として用いられているのか、それとも科学に食い込む(フリーエネルギーや相対論は間違っているとか)ために用いられているのか、によって疑似科学なのか思想・宗教なのかカテゴリ分けすべきだと言っている。

> 別にその部分は批判しません。そう信じるのはご自由に、というだけです。

疑似科学批判は「科学的な疑似科学批判」と「政治的な疑似科学批判」の2つの側面がある。

a)科学的な疑似科学批判
その疑似科学について科学的に見た場合どのような点に誤りや不備があるかのみを指摘する。実験方法に問題があるとか、検証が不十分だとか、再現性がないとか、見落としている点があるとか、理論の組み立てに誤りがあるとか。あくまで不備の指摘のみでありそれらについて価値判断は一切行わない。デタラメな実験や未検証な段階で一般大衆に公表するのは「よくない」とか、まっとうな科学にとって「迷惑だ」とか、そういう価値判断の伴う批判は避ける。

b)政治的な疑似科学批判
社会にとって有益か有害かという価値判断を行い、有害なものを排除するための批判。このような疑似科学が社会にはびこると社会にとってマイナスであるとか、人々が科学的な考え方ができなくなって科学の衰退を招くとか、創造科学に授業時間を取られると科学教育に当てられる時間が減り教育水準が下がるとか。こういった「どうすればよりよい社会になるか」と言う視点からの批判。

どちらも必要な批判なのだが、多くの疑似科学批判者はそのやり方が間違っている。政治的な批判であれば「科学的に間違っている説を流布するのはけしからん」「科学を装っているのはけしからん」という単純な判断ではダメだ。「ウソをつくのはなにがなんでもダメだ」と言うのでは幼稚園や小学校のレベル。必要なウソもあるだろう。釈迦に説法だろうが病名の告知などは事実を告げればいいという問題ではないはず。社会をよくするための批判であれば、「間違いはダメ」「詐称はダメ」という単純な思考で行うべきではない。

ところが疑似科学批判者はそういう問題を避けている。思考停止していると言ってもいい。その言い訳が自分たちは科学的な疑似科学批判をしているのだから、そういう複雑でなかなか答えのでない問題については関わらないんだ、というものだ。しかし実態はあなたが自分でも「人々が疑似科学にハマるのを防ぐ」と述べているように、政治的な目的で行われている。疑似科学に人々がハマるのは社会にとって望ましくない、という価値観があるからそれを防ごうとしているわけだ。

実態が政治的な批判であるにも関わらず、これは科学的な批判なのだと言い訳することで、その価値判断の正当性(疑似科学を排除した方が世の中のためになるのか、それとも逆なのか)に関する議論を避けている。それが疑似科学批判が批判される理由。あなたは自分は思想や宗教の部分はあまり否定したくないと述べた。それは他人の思想を否定したり排除したりすることの危険性を一応分かっているのだろう。しかしあなたは既に自分の思想「疑似科学がはびこるのは社会にとってマイナスである」を喧伝し、それに基づいて自分とは異なる思想「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」を弾圧し社会から排除しようとしているのだよ。それに気づいていない。

思想(イデオロギー)同士が戦い合い互いに相手を排除しようとし合うのは世の常だからそれは存分にやればいいと思うが、議論を戦わせずにただの宣伝合戦になっているのが問題。相反する意見が対立することで互いに気づかなかった自説の欠点が明らかになるのは科学を擁護している人間なら承知のことだろう。相手のイデオロギーを社会から排除しようという大それた事をしているのだから、もし欠陥があるまま運良く(運悪く)成功してしまったら、後で後悔してもし切れない事態になるやも知れない。「疑似科学を排除することは間違っていない」という思想は常に検証され続けるべきもの。ところが昨今の疑似科学批判者にはそういう謙虚さが感じられない。あなたの「の部分は批判しません、自由です」というような乱暴な考えがそれを示している。

> 「宗教的側面」について、ダブルスタンダードにならないように説明してくださいな。
今回の投稿も含めて、どのような視点からどの辺りを基準に判断を行うべきかは、既に述べている。それで不足なら俺が述べたカテゴリ分けだと、このような場合両方が同じカテゴリに入ってしまう、という点を指摘してくれないと、あなたがなにを持って俺の基準がダブルスタンダードと感じるのか俺には分からない。

> 疑似科学批判が、疑似科学にハマろうとしている人を引き留めることに役に立っていると述べましたが?

だからそれについては他の箇所で述べているつもりなんだけどね。不足だというならそれなりの文章量を費やして説明しよう。先ず自己申告で「役に立った」というのがどれほど当てになるのか。疑似科学の信者も同じように「この疑似科学に出会ったおかげで幸せになれた」というだろう。本質的でない言いがかりのような批判によって疑似科学にハマることを防ぐのが方法として正しいのか?と言っている。そんなまやかしのような方法でお手軽に考え方を変える人は、同じ理由で別な機会にやっぱり疑似科学にハマることだろう。引き留めるのであれば、正攻法で引き留めるべき。

正攻法には2つある。

1)本当にその人に科学的な考え方を身につけさせる方法。
2)得体の知れないオカルトグッズを買わされると損得勘定の方向から説得する方法。

ほとんど揚げ足取りのような安っぽい疑似科学批判が科学的な考え方を身につけさせることに貢献するのか。あなたのサイトはこの点マシな方ではあるけれどね。そもそもまとも度が上がるほど敷居が高くなり、受け入れられにくくなると言うジレンマがある。生真面目に筋道立てて丁寧に説明している疑似科学批判本よりも、センセーショナルに「こいつら馬鹿だ」という感じで疑似科学を叩く本の方が人気が出る。しかしだからといってそういう方向に流れてしまったらますます科学的な考えを身につけさせる機会は減るだろう。
そもそも多くの人間が科学的な考えを身につける必要があるのか疑問だ。俺は必要ないと思う。その場合損得勘定面から説得すべきだろう。金銭を巻き上げられる等の実害があるとか、そうでなくてもその宗教が思考停止を推奨するなど不健全であるとか。

上記のセンセーショナルなおもしろおかしい宣伝合戦を3)とすれば、1)を選ぶか、それが宇可能なら2)で対応すべきで、3)の方法は選択すべきではない。3)の方法ではその時は防げてもそういう人は逆の宣伝(疑似科学側の宣伝)にさらされればコロッと疑似科学にハマってしまう。宣伝で判断を返る人間はどっちにも転ぶ。

> tittonさんによる疑似科学批判批判は、何か意味があるんですか?

上記のように、健全な疑似科学批判が行われることを目的としているのだけどね。純粋に科学的な疑似科学批判であれば価値観に言及せずに純粋に科学として批判すべきだし、よい社会を目指すために批判を行っているのであれば、科学的に正しいかどうかのみではなく、社会にどのような影響を与えるのか、落とし穴はないのか、暴走して排除すべきでないものまで排除してしまう危険はないのかなど、様々な点を考慮しながら批判を行うべきだ。特に現状の疑似科学批判はどこまで・どのようなものまでを排除すべきなのかという歯止めが設定されていないように思うよ。これは非常に危険。

> ご自分がなさっている疑似科学批判批判がどのように評価されているのか、ご存じですか?

もちろん最終的には俺の意見の賛同者が増えることを願っているが、現状少ないから主張するのを辞めるべきだというのはおかしいだろう。自分の意見を理解させ広めていく努力こそが主張のプロセスなのだから。あなたは随所にこういう妙な、自分に都合のいい、ものの言い方をするよね。科学の新しい仮説だって当初は賛同者は少数だろう。だからといってその仮説が間違いだと言うことにはならない。

> 「教育の場で疑似科学を教えるのは不適切であると科学的に証明された」などと主張が仮にあれば、

そんな主張はないから、科学以外に根拠を求める必要があるにもかかわらず、それを疎かにしているのが問題なのだ、といってるのだが。もちろん散発的には疑似科学批判者側もその都度理由を挙げているだろう。創造論であれば学校の授業ではより有益な進化論の方を教えるべきでそれが社会にとっての利益である、とかね。俺はこの理由で創造論は批判している。

では水伝はどうなのか?よく聞く「水伝は科学を装っているから」と言う理由は水伝を社会から排除する行為に見合うほど罪深いことなのか?今のところ俺はそうは思っていない。俺と同じように思う人もいるだろう。そういう人たちに水伝を社会から排除しようとする運動をどう納得させるのか。納得する根拠を示せないから疑似科学批判批判が沸き起こる。納得させるには「自分は宗教や思想はあまり否定したくない」という甘っちょろい逃げのスタンスでは無理だろう。それらと正面から対峙しないとね。

> 創造科学の信者の支持の動機は、宗教的なものだとばかり私は考えていました。

これはこの記事の冒頭で説明したとおり。創造科学は特定の目的のために生み出されたものだ。その特定の目的とは科学を自分たちの宗教で置き換えることだ。その目的の達成が行動の動機のすべてであり、宗教本体(キリスト教的価値観など)とは一括りにすべきではないと思うけどね。

もちろん水伝と水伝関連のオカルトグッズ、キリスト教と創造科学は、括り方を変えれば「同じもの」であるとも「違うもの」であるとも言うことができる。その点をあなたは俺がダブルスタンダードだというかも知れない。一応俺なりにこれまで括り方の基準を示してきたつもりだが、カテゴリ分けというのはたいていの場合手探りからスタートするものだ。だからあなたが現状の俺のカテゴリ分けの方法に文句をつけようと思えば当然いろいろ付けられるだろう。しかし重要なのはこうした見方をすること。それによって今迄見えてこなかったものが見えるであろう、と俺はそう考えている。

sakimisakimi 2009/01/22 00:40 なんだか、自己矛盾を誤魔化すために長文を書く人がいるな

>創造科学の宗教的側面とはキリスト教そのものだろう。それとは別に創造科学なるものを生み出す必要があったのは科学の分野である進化論を置き換えるためであり、それが存在意義のすべてなのだから、いくら創造科学が宗教をベースにしていても、宗教的側面が創造科学の本質ではない。

進化論を無視した創造科学は実は成り立っている
宇宙は、3秒前に今の形で産まれた
物理学的には矛盾は全く無い
観測者がいなければ誰も証明出来ない定理だったりする

moorhenmoorhen 2009/01/22 00:48 > 多くの疑似科学批判者はそのやり方が間違っている。
(中略)
>「ウソをつくのはなにがなんでもダメだ」と言うのでは幼稚園や小学校のレベル。必要なウソもあるだろう。

サルガッソーさんと被りますが、
疑似科学批判者を批判するのなら、たぶんkikulogくらいは目を通しているはずですよね?
それでも「多くの疑似科学批判者」が水伝批判で「ウソをつくのはなにがなんでもダメだ」というレベルで頑張ってると思い込んでいるのだったら、よほど読解力がないとしか。

> 現状少ないから主張するのを辞めるべきだというのはおかしいだろう。

何でNATROMさんが「主張するのを辞めるべき」と言っているという理解になるのでしょうか。NATROMさんはtittonさんの主張がブーメランだということを指摘しているだけに過ぎないのに。
したがって

> あなたは随所にこういう妙な、自分に都合のいい、ものの言い方をするよね。

こういうのも傍目にはブーメランにしか見えません。ご自分で気がついていないのなら不幸なことですが。

tittontitton 2009/01/22 01:53 追記

創造科学の件。こういう説明の方がいいかな。キリスト教本体が存在せずに創造科学だけがあったとして、創造科学を支持する人がどれだけいるか?を考えればいい。創造科学の宗教的側面に引かれてそれを支持する人は少ないと思うよ。創造科学を支持している人は、あくまでキリスト教の領土を科学の方面に拡大するという目的で創造科学を支持しているのだろう。それはキリスト教の宗教的思想や価値観を支持しているのであって、創造科学のそれらを支持しているのではない。

sakimisakimi 2009/01/22 02:05 進化論を提唱したダーウィンの生涯や苦悩を知らんのだな
彼は神学校出身のエリートで、名声を得ようと思ったら教会での出世を選んだ方が早い人間なんだけど
唯一神が創造を行ったって説を証明しようと研究した結果が進化論だってのに
そして発表までに至った時間を考えると、敬虔なカソリックとしてはどこまで葛藤したんだかね
ファンダメンタリストよりは信徒としてまともだとは個人的に思う

金に関してはウェッジウッド家からの支援があったから不自由無かったんで金が欲しかったってのはありえない

kajikaji 2009/01/22 02:40 (携帯からなので見にくかったらすいません)
宗教についての話しをする場合よくあるのですが、双方の宗教に対する定義がズレている場合がありまして、『不合理なもの全般』を指す方から、教儀や教祖一定の社会認識が必要と考える方までかなり幅があります。
なので、定義付けが明確でないと、当然話が噛み合わないということが起こります。
また、共通認識としての宗教についての定義付けは意外に繁雑で、ここで論じ合うべきではないかと。( もちろん宗教全般ではなく、キリスト教にかぎっても同様な部分が多いので)
個人的には宗教「的」なものの定義として『受け入れ難い事実を(あくまで)「形式上」合理的に説明し受け入れやすくする装置全般』と考えるているので、占いから風水、擬似科学まで含まれるという、けったいなことになります。(^_^;)

NATROMNATROM 2009/01/22 09:07 >あなたは疑似科学のセミナーで主催者が同じ事を言ったりやったりしたらどう考えるのか。

参加自由・反論自由の疑似科学のセミナーがあったら教えてください。コメント・トラックバック自由の場で「私の考えに近い人が多い」というのが重要なのです。


>創造科学の宗教的側面とはキリスト教そのものだろう。それとは別に創造科学なるものを生み出す必要があったのは科学の分野である進化論を置き換えるためであり、それが存在意義のすべてなのだから、いくら創造科学が宗教をベースにしていても、宗教的側面が創造科学の本質ではない。

「宗教的側面が水伝の本質ではない」と主張すれば、水伝を疑似科学と呼んでもよいの?いったいtittonさんは、どういう基準で「本質」が宗教的なのかそうでないのか判断しているのですか?ものすごく恣意的に見えるんですが。


>> 「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という主張は、水伝の本質的な部分だと私は思います。
>これは同意するよ。

水伝の本質的な部分であるところの、「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という主張は科学的に検証できますので、科学が水伝を批判することは可能ですね。フリーエネルギーだって、「宗教や思想を普及するための道具」の側面もあると思いますが。tittonさんの分類はとても恣意的。


>社会をよくするための批判であれば、「間違いはダメ」「詐称はダメ」という単純な思考で行うべきではない。

じゃあ、単純な思考で行われた疑似科学批判の例を個別に具体的に挙げて批判してはいかが?「必要なウソもあるだろう」というのは事実ですが、ゲーム脳や水伝は「必要なウソ」ですか?


>しかしあなたは既に自分の思想「疑似科学がはびこるのは社会にとってマイナスである」を喧伝し、それに基づいて自分とは異なる思想「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」を弾圧し社会から排除しようとしているのだよ。それに気づいていない。

「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」という思想をお持ちの方がどこかにいらっしゃるので?あまりにも自明なことについては、いちいち述べないのも当然でしょう。もちろん、個別の事例(たとえば、ホメオパシーは疑似科学ではあっても、軽症患者の不安を取り、あるいは医療費抑制に役立つという面もあるという点など)については、別途メリットも考察しています。「思考停止している疑似科学批判者」は、架空のわら人形じゃないんですか?あるいは、実際に存在するのかもしれませんが、個別に批判してくださいな。


>先ず自己申告で「役に立った」というのがどれほど当てになるのか。

もともとは、「誰にも何の効果ももたらさないだろう」というtittonさんの主張がはじまりでしたよね。少なくともメールをくれた人にとっては、「何の効果ももたらさない」とは言えません。なるほど、お手軽に考えを変えた人は別な機会にやっぱり疑似科学にハマってしまう人もいるかもしれません。でも、一部の人は、これを機会に少しは科学についてものを考えるでしょう。そういうメールも受け取っています。


>ほとんど揚げ足取りのような安っぽい疑似科学批判が科学的な考え方を身につけさせることに貢献するのか。

「本質的でない言いがかりのような批判」「安っぽい疑似科学批判」があるのなら、個別に批判してくださいな。揚げ足取りにもなっていないような安っぽい疑似科学批判批判は役に立つの?


>その場合損得勘定面から説得すべきだろう。金銭を巻き上げられる等の実害があるとか、そうでなくてもその宗教が思考停止を推奨するなど不健全であるとか。

損得勘定面からの説得は、たとえば、「○○で癌が治るのなら、損得勘定面から考えてもお得」という思い込みに対しては無力ですな。血液型性格診断のような差別と結びつく疑似科学については、差別する側はなんら損しないこともありえます。


>もちろん最終的には俺の意見の賛同者が増えることを願っているが、現状少ないから主張するのを辞めるべきだというのはおかしいだろう。

どなたか、「現状少ないから主張するのを辞めるべき」と仰っておられるので?「健全な疑似科学批判批判が行われることを目的としているのだけどね」とか言ってみたり。「疑似科学批判者のやっていることは何の効果ももたらさないし、かえってマイナスだ」というtittonさんの主張は、何か効果をもたらしているのかなあ、と思いまして。損得勘定面からでも、イデオロギーの面からでもいいから、何か有効な批判をしてみたらいかがですか?アドバイスして差し上げます。「様々な点を考慮しながら批判を行うべき」ですよ。


>科学以外に根拠を求める必要があるにもかかわらず、それを疎かにしているのが問題なのだ

少なくとも水伝に関しては疎かになっていません(サルガッソーさんから指摘あり)。tittonさんが無知なだけでしょう。いやいや、無知だと指摘したら憤慨されますね。無知でないというのであれば、「水伝に関しては、批判者から○○という科学以外の根拠が提示されているが、××という理由で不十分である」と提示してくださいな。


>創造科学は特定の目的のために生み出されたものだ。その特定の目的とは科学を自分たちの宗教で置き換えることだ。その目的の達成が行動の動機のすべてであり、宗教本体(キリスト教的価値観など)とは一括りにすべきではないと思うけどね

水伝だって特定の目的のために生み出されたものだと思いますけどね。それはそれとして、「宗教本体(キリスト教的価値観など)とは一括りにすべきでない」とは、その通り。私は創造科学批判にあたって、宗教批判・キリスト教批判ではないことを強調しています。でも、「科学を自分たちの宗教で置き換えるという目的の達成が行動の動機のすべて」だとしたら、「創造科学の信者の支持の動機は宗教的なもの」じゃないんですか?水伝の目的のほうが、よっぽど宗教的でない。あれは商売目的でしょ。

と 2009/01/22 11:26 そういえば、通称ふま氏も水伝はニセ科学じゃないというようなことを主張していました。ニセ科学批判よりましな方法があるとも主張されていたので、そうであるならば、ご自身でその方法を実践されて実績を積まれればよいのではというような返事を書いた覚えがあります。結局、そのような実績は出てこなくて、かまって欲しいだけの迷惑な人という実績ばかり積み上げてしまったようですが。

AH1AH1 2009/01/22 12:50 「聖書に書かれた創造は事実である」が創造科学の基本なんだから、キリスト教のない創造科学は存在しようがないのだが・・・ まあ仮に神を名乗らず「何か偉大なるもの」と名乗ったとしても、やっぱり科学的根拠に著しく乏しいという批判は当然されますよね。で、それがID論なんだけど、御存知ない?

TAKESANTAKESAN 2009/01/22 17:43 今日は。

NATROMさん
▼▼▼引用▼▼▼
「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」という思想をお持ちの方がどこかにいらっしゃるので?
▲▲引用終了▲▲
ここら辺に間接的に関わる所ですが、tittonさんは私の所で、

▼▼▼引用▼▼▼
疑似科学批判もそうだけどやたら「誤解を招く」ということを言う人がいるけれど、誤解を真似かないような、馬鹿でも正しく判断できる情報だけでこの社会を埋めるのが正しいとは俺は思わない。馬鹿は騙されたり判断を誤ったりする社会の方が健全だと思っている。
▲▲引用終了▲▲(原文ママ)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4ad1.html

こういう事を書いておられますね(NATROMさんは既にお読みかも知れませんけれど)。

これは、根本の認識を端的に表している部分なんじゃないかな、と。

tittontitton 2009/01/22 17:57 NATROM さんへ

> 自由の場で「私の考えに近い人が多い」というのが重要なのです。

重要とは思えないけどね。多数の意見が正しいという考え方なら、話す前から結論は出ているわけで、俺と何か話す価値があるの?自分は正しい、その証拠に支持者がたくさんいる、納得しないのは相手が無知で馬鹿だからだ、そんな相手の言い分に聞く耳は持たないし、ましてそれに答える価値もない。そういってるわけだよね?疑似科学論者と全く同じだ。そういう姿勢が目に余るのが、疑似科学批判が批判されはじめた理由。


> 「宗教的側面が水伝の本質ではない」と主張すれば、水伝を疑似科学と呼んでもよいの?

その主張に妥当性があればそうなるだろうね。俺はそうは思っていないが。水伝教の教祖様が自ら「水伝は科学ではない」というのは、そう発言しても水伝にとってダメージにならないと考えるからだ。科学であろうがなかろうが水伝の支持者は水伝を支持するだろう。それは水伝の本質は「科学を装うこと」ではないことを意味する。一方創造科学の人が「創造科学はキリスト教とは何の関係もない」と発言したら大騒ぎになるんじゃない?

> という主張は科学的に検証できますので、科学が水伝を批判することは可能ですね。

科学としてみた場合に、その実験方法や結論が適切かどうかは、もちろん科学的に批判可能だし、最初からそういってるつもりなのだけどね。俺が問題視しているのは「科学としての批判」をそのまま安易に「社会悪としての批判」に結びつける部分。「科学的に間違いだ」と言う批判の正当性に根拠の不足はない。しかし「科学的に間違っていることを言ってはならない」という批判はあなたが思っているほどには確固たる根拠を持たない。

そのような批判に意義を感じ今後も続けようと思うなら、根拠の整備が必要。疑似科学批判は疑似科学よりも後発で、しかも初期の頃は少数派だったから、今迄はそういう点を大目に見られていた。「ウソをつくのはいけないことです」みたいな子供の理屈程度の根拠でもさして批判されなかった。しかし本気で勢力拡大をし、自分たちの信じる「(疑似科学を排除した)よい社会」を実現しようとするなら、そういう部分の論理武装がいまよりももっと必要。

> フリーエネルギーだって、「宗教や思想を普及するための道具」の側面もあると思いますが。

どちらが主体なのかと言う話をしているのだが…

> じゃあ、単純な思考で行われた疑似科学批判の例を個別に具体的に挙げて批判してはいかが?

「じゃあ○○しろよ」みたいなのは、八つ当たりというか逆ギレにしか見えないのだが。個別な例の批判はそれぞれするとして、それを一般論として語ってはいけないというようなニュアンスの主張はおかしいと思うが。

> 「必要なウソもあるだろう」というのは事実ですが、ゲーム脳や水伝は「必要なウソ」ですか?

ゲーム脳の件はそれをきっかけに「まじめに研究しましょう」という動きがあったと思うんだよね。その後成果が上がったのか知らないけれど。ゲーム脳がブームになったのは、人々がそういうことに重大な関心を抱いていると示したわけで、それまで注目されなかった研究分野に予算が付くならそれは良いことだと思うね。「環境問題のウソ」の武田邦彦教授なども、彼自身の主張はかなりむちゃくちゃな点が多いが、それをきっかけにそれまで無批判だった環境問題を批判的な目で見る流れが起きたのは、彼の功績といえる。社会を動かすには「必要なウソ」も必要だというのが俺の考え方。ウソによって社会を動かす事を肯定するのはリスクが高すぎるという人も当然いるだろうが、社会が健全に機能していればウソはいずれバレて訂正されるはずで、「きっかけ」としてのウソの価値はあると俺は考える。

水伝については俺は水伝の思想を支持していない(というか有害な思想だと思っている)ので、俺は「必要なウソ」とは思わないが、支持者にとっては必要なウソなのだろう。必要なウソというよりもそれが科学的な事実なのかなどどうでもいいものなのだろう。既に書いたがキリストの奇跡を科学的に否定したとしても、キリスト教を信仰している人がそれによって信仰を変えることはないだろう。奇跡が事実か否かとか科学的に正しいか否かは彼らにとってさほど重要な問題ではないのだから。

> 「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」という思想をお持ちの方がどこかにいらっしゃるので?

あなたは答えに詰まるとそういう書き方になるよね。俺はプラスになると思っているよ。少なくともプラス面があると思っている。すべての人間が科学的に正しい考え方だけしかすべきでないというのはおかしな話。あなただってこれまで疑似科学擁護者の意見を聞いたことがないわけがない。あなたの中では論破済みだったり、あまりにも馬鹿馬鹿しくて耳を傾けるに価値がないとなっていたりするのだろうけれどね。しかしそう考えない人がいるから疑似科学ははびこるわけだよ。

あなたは人々が無知だから疑似科学を信じるのだと考えているのかもしれないが、そうではない。実際あなたがいくら正しい知識を説明しても疑似科学を支持し続ける人はいるだろう?それが証拠だ。彼らは疑似科学を支持することが社会にとってプラスになると考えているから、あなたが説明する正しい科学的な知識よりも自分の信念を優先するわけだ。なぜ自分が彼らを説得できないか少しは自己分析すべき。「馬鹿だから」「無知だから」で片付けていてはなにもそれ以上分析は進まない。

>「思考停止している疑似科学批判者」は、架空のわら人形じゃないんですか?あるいは、実際に存在するのかもしれませんが、個別に批判してくださいな。

繰り返しになるが「個別に批判〜」という言い方に意味があるのかな?まあいい。個別の事例というなら、たとえば「疑似科学批判批判者はたいてい無知」みたいなブコメをつけた人がいるわけだけどこれは一種の思考停止なんじゃないの?あなたの理屈ならそれこそそんな総論で括らず個々の主張を批判すべきだろう。とはいえあなたの場合こうして一応対応しているのだから、いくぶんマシな方だと言えないこともないけどね。

しかし「俺はちゃんとやっている。ちゃんとやっていないヤツもいるかも知れないがそれは俺とは無関係だから勝手に個別に批判しろ」では、自浄作用は望めないよね。科学の優れた点は自浄作用を持つことだ。これは科学以外の分野でも尊重すべき事。疑似科学批判の立場を取るなら、疑似科学批判全体が健全な方向に成長することにも心を砕くべき。

> でも、一部の人は、これを機会に少しは科学についてものを考えるでしょう。そういうメールも受け取っています。

「誰にも」というのを「本当に一人も」と解釈してあれこれこだわるのは、小学生の喧嘩のようなもので辞めた方がいいと思うけどね。

> 揚げ足取りにもなっていないような安っぽい疑似科学批判批判は役に立つの?

これもただの煽りレベルの文章だよね…

> 損得勘定面からの説得は、たとえば、「○○で癌が治るのなら、損得勘定面から考えてもお得」という思い込みに対しては無力ですな。

「○○では癌が治らない」ことをは「権威」によって納得させればいいのであって、個々の人間が自力で科学や医学的知識によって判断できるようになる必要はない。患者は医者の説明を理解して納得しているのではなく、専門家の見解という権威によって納得しているわけだ。疑似科学批判も権威や威信が大事なのだから、やたらセンセーショナルな低俗な方向に疑似科学批判が向かえば、それ自体が安っぽく見られ権威もなにもなくなってしまう、という話。

> 何か効果をもたらしているのかなあ、と思いまして。

なんかますますあなたの発言には煽りの要素しかなくなってきたね。それって疑似科学論者が疑似科学を擁護するのにも使える方法だよね。そういう主張の真偽に関係なく成立するような論法を議論の中で多用すべきではない。


>科学以外に根拠を求める必要があるにもかかわらず、それを疎かにしているのが問題なのだ

> 「水伝に関しては、批判者から○○という科学以外の根拠が提示されているが、××という理由で不十分である」と提示してくださいな。

あの菊池さんの文章は動画でも本人が喋ってたと思うけれど、菊池さんを知っている人ならたいてい一度ぐらいは読んだことがあるんじゃないの?あなたは二言目には無知だなんだというけれど。あの文章について語れというなら語るよ?その前に一応言っておくけれど、その段階にもまったく到達していない安直な疑似科学批判が多いのが目に余ると俺は言っているのだけどね。

そしてなぜあれに類する他の意見がないのか。1)菊池さんの文章があまりにも完璧で非の打ち所がないから。2)誰もまじめに深く考えていないから。たぶん2)だろう。様々な考え方の人間がいるのだから、疑似科学批判の立ちに立つ人間であっても細部の考え方は違いが出るはず。実際科学的側面の批判は呆れるほど重箱の隅をつつくような微妙な部分までこだわる議論が展開されるよね。それがこちらの方面は非常に静かだ。

で、お待ちかねの俺の意見。

| * 結晶形の良し悪し(美醜)を言葉の良し悪しと関連づけることは、「人を見かけで判断してはならない」という道徳と矛盾するように思います。

これは菊池さんの道徳の観念であるし、そもそも道徳というのは至る所で矛盾するものだ。悪いことをすると地獄に堕ちるというのも考えようによっては罰則で無理矢理従わせようという発想につながると言えなくもない。水伝の説く道徳に彼が自分は同意できないと述べるのはよいけれど、これを持って「社会から排除する」正当な理由とするには弱いだろう。

| * 良し悪しの判断を結晶形に委ねてしまうことは、思考停止ではないでしょうか。良し悪しは自分の頭で考える(考えさせる)べきものだと思います。

この点に限っては全く同意だね。宗教というのは少なからず思考停止の要素があるものだが、水伝のは許容範囲を超えると俺は思う。そういう点で水伝はカルトという表現になる。だから彼が水伝の非科学的な部分などにこだわらず、思考停止を進める水伝の思想が学校教育的にふさわしくないと主張しそういう運動をするなら大賛成だ。

| * そもそも道徳を科学(この場合はニセ科学だが、仮に事実としても)で裏付けようとすることには問題がありそうです。

ここは彼のスタンスを踏襲して水伝は科学であるという仮定で話すけど(そうしないと話が始まらない)、科学の立場として科学を道徳教育に使うべきではないという彼の考えは分かるが、それは彼の(というか多くの科学者の)考えであって、科学を離れた立ち位置にいる人々からみれば、そう決まったものではないと思うよ。ならば道徳教育に利用できるのはどういうものなのか。

森のクマさんなどメルヘンチックな寓話や故事だけを使うべきなのか。道徳は心の問題というのはその通りだが、ならば森のクマさんだって人間の心とは関係がない。俺も自分では科学を道徳の根拠にしようとは思わないが、他人がそれを試みるのをなにがなんでもダメだと止めようとは思わない。そもそも科学的姿勢というのも一種の道徳だよね。謙虚さとか客観性とか先入観の排除とか。

| * 人間の気持ちを水のせいにしてしまうのは、人間の尊厳を傷つけるように思えます。
これも彼個人の価値観の披露でしかない。宇宙が地球を中心に回っていないのは神の創造物である人間の尊厳を傷つけるものだということもできるし、人間は宇宙ではそのようにちっぽけな存在なのだから、人間同士がむやみに地球上で争うのはやめるべきという道徳にも使える。要は道具の使い方によって良い方向にも悪い方向にも使えるということ。

そもそも道徳とは合理性だけでは語れないのだから、非合理な部分が生じるのは当たり前のこと。それを「科学を使って道徳を語るとこういう非合理な部分が生じる」と並べたところで、そうすべきでない理由にはならない。

| * 「ありがとう」はよくて、「ばかやろう」は悪いという安直な二分法でよいのでしょうか。

これは意味のない批判だと思うね。道徳を教える場合多くは単純な例を用いて説明するものだ。そういう部分を取り上げて「この道徳教育方法は不適切だ」と言うのと同じ。もちろん実際に改善すべきケースもあるだろうけれど、それは水伝だって改良されていくんじゃないかな。キリスト教が長い時間かけて完成度を増していったように。

| 言葉はそれだけで切り出すべきではなく、「場面」と合わせて初めて意味を持つはずです。

「ありがとう」に対応する結晶の形が確定すれば、どのような時に「ありがとう」を言うべきか結晶の形を見れば判断できると思うのだけどね。

| * 高学年ともなれば、結晶の形が言葉に影響されないことを知っている子供もいそうです。
| * その場で納得した子供が、あとで「事実ではない」と知ったとき、裏切られたと感じるのではないでしょうか
| * 親が「それは嘘だ」と言ったら、子供は教師と親の板挟みにあいそうです

これらは水伝に限らず学校教育全般で生じることだろう。学校で教えられたものが実際は正しくないというのは珍しいことではない。とくに道徳教育というのはその傾向が強い。そういうものを気にし過ぎれば、間違うまいと思うあまりなにも教育できなくなってしまう。

ま、こんなもんで。

> 水伝だって特定の目的のために生み出されたものだと思いますけどね。

特定の目的が水伝関係のオカルトグッズを売るためなら、俺の考えも違ったがそうではない。最近の水伝の教祖様はすっかり世間ずれしてしまったけど、最初の頃は純真で朴訥だったと思うけどね。水伝ビジネスがあって水伝があるのではなく、水伝が幸か不幸かヒットしてしまったがために水伝ビジネスが生まれたわけで。

> 「創造科学の信者の支持の動機は宗教的なもの」じゃないんですか?

何度か説明しているつもりなのだが、あなたと俺の言う「支持の動機」が微妙に違う。人々が創造科学を支持しているのは「キリスト教の宗教的部分」に対する支持であって、「創造科学の宗教的な部分」に対する支持ではない。これを「結局宗教的な支持だからどっちも同じだ」と括ってしまうと、キリスト教支持者と創造科学支持者の思考を区別することができなくなる。キリスト教が提供している人間の価値観やどのように考えどのように生きるべきかという経験則などのデータを、創造科学もまたその信者に提供しているのだろうか。していないだろう。そういうものを提供するものを宗教と呼ぶのであって、その意味で創造科学は宗教ではない。

NATROMNATROM 2009/01/22 19:31 >重要とは思えないけどね。多数の意見が正しいという考え方なら、話す前から結論は出ているわけで、俺と何か話す価値があるの?

オープンな場で議論することで聴衆の意見が変わることだってあるでしょう。「多数の意見」は、意見の正しさの根拠じゃなくて、結果です。tittonさんには「根拠の整備が必要」ですよ。疑似科学批判批判全体が健全な方向に成長することにも心を砕いたほうがいいですよ。


>> 「宗教的側面が水伝の本質ではない」と主張すれば、水伝を疑似科学と呼んでもよいの?
>その主張に妥当性があればそうなるだろうね。

「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という科学的に検証可能な主張が水伝の本質的な部分であることには同意いただけたはずですよね?


>一方創造科学の人が「創造科学はキリスト教とは何の関係もない」と発言したら大騒ぎになるんじゃない?

ID論は疑似科学ですか?


>俺が問題視しているのは「科学としての批判」をそのまま安易に「社会悪としての批判」に結びつける部分

ですので、『「科学としての批判」をそのまま安易に「社会悪としての批判」に結びつける疑似科学批判者』は、架空の藁人形だ、と指摘しています。


>> フリーエネルギーだって、「宗教や思想を普及するための道具」の側面もあると思いますが。
>どちらが主体なのかと言う話をしているのだが…

どの側面が主体なのかの判断の基準は?そういえば、『いったいtittonさんは、どういう基準で「本質」が宗教的なのかそうでないのか判断しているのですか?』という質問に答えがないですね。


>しかし本気で勢力拡大をし、自分たちの信じる「(疑似科学を排除した)よい社会」を実現しようとするなら、そういう部分の論理武装がいまよりももっと必要。

疑似科学がはびこらなければいいだけで、別に「排除」「根絶」は目指していませんが。それに、tittonさんの意見に賛同する人がほとんどいない現在では、「そういう部分の論理武装」は不要だと思いますけどね。疑似科学批判批判は、きわめて少数で、今後勢力を伸ばすことはないでしょうし。


>> じゃあ、単純な思考で行われた疑似科学批判の例を個別に具体的に挙げて批判してはいかが?
>「じゃあ○○しろよ」みたいなのは、八つ当たりというか逆ギレにしか見えないのだが。

私の意図が伝わっていないようなのではっきり言いましょう。「単純な思考で行われた疑似科学批判」って、架空の藁人形なんじゃないですか、と言ったんですよ。


>社会を動かすには「必要なウソ」も必要だというのが俺の考え方。ウソによって社会を動かす事を肯定するのはリスクが高すぎるという人も当然いるだろうが、社会が健全に機能していればウソはいずれバレて訂正されるはずで、「きっかけ」としてのウソの価値はあると俺は考える。

「ゲーム脳」のような稚拙なやり方でなくても社会を動かすことは可能だろうと思いますが。それに、「ウソはいずれバレて訂正されるはず」という健全な社会の機能を疑似科学批判者が行っているのですよ。健全な社会の機能を阻害しているのが、「馬鹿は騙されたり判断を誤ったりする社会の方が健全だ」という思想ですな。


>あなたは答えに詰まるとそういう書き方になるよね。俺はプラスになると思っているよ。少なくともプラス面があると思っている。すべての人間が科学的に正しい考え方だけしかすべきでないというのはおかしな話。

「すべての人間が科学的に正しい考え方だけしかすべきでない」というのが架空の藁人形。それはそれとして、「疑似科学が普及するのは社会にとってプラスである」というのは、かなり特殊な部類に入りますよね。程度問題です。少しでも多くの人が科学的に正しい考え方をできるようになればいいなあ、と思っていますが、すべてって無理でしょ。


>たとえば「疑似科学批判批判者はたいてい無知」みたいなブコメをつけた人がいるわけだけどこれは一種の思考停止なんじゃないの?

実際、「少なくとも最近の水伝は科学を自称していない」という主張は無知に由来するものでしたが。「少なくとも最近の水伝は科学を自称していない、だから水伝は疑似科学ではないそうだ」という主張が、いつのまにか、「水伝の支持者の動機が宗教的か否かで判断すべき」に変わっちゃいましたけど?動機が重要なら初めからそう言えばいいのに。後出しジャンケン。しかもそれでも負けてる。


>あなたは人々が無知だから疑似科学を信じるのだと考えているのかもしれないが、そうではない。実際あなたがいくら正しい知識を説明しても疑似科学を支持し続ける人はいるだろう?それが証拠だ。彼らは疑似科学を支持することが社会にとってプラスになると考えているから、あなたが説明する正しい科学的な知識よりも自分の信念を優先するわけだ。

個々の疑似科学を支持する人も、「疑似科学を支持することが社会にとってプラスになる」とは考えていませんよ。「疑似科学はケシカラン。排除すべき。でも、創造科学は科学だから学校で教えるべき」という具合。


>> でも、一部の人は、これを機会に少しは科学についてものを考えるでしょう。そういうメールも受け取っています。
>「誰にも」というのを「本当に一人も」と解釈してあれこれこだわるのは、小学生の喧嘩のようなもので辞めた方がいいと思うけどね。

それはそれとして、「誰にも何の効果ももたらさないだろう」というのは誤りですよね。ご自分の誤りを指摘されて、「小学生の喧嘩のようなもので辞めた方がいい」などと逃げるのは不誠実です。「マジレス希望ならコメント欄に来い」って言ったでしょう。だからマジレスしているのです。


>なんかますますあなたの発言には煽りの要素しかなくなってきたね。

それなんてブーメラン?


>水伝ビジネスがあって水伝があるのではなく、水伝が幸か不幸かヒットしてしまったがために水伝ビジネスが生まれたわけで。

由来によって、「疑似科学」かそうでないのか区別されるわけですか?たとえば「水伝の教祖様」が昔書いた本が「再発見」されて、水伝ビジネスが先だったことが明らかになったら、そのとたんに水伝は疑似科学になるのですか?その判断基準はおかしいですよ。


>人々が創造科学を支持しているのは「キリスト教の宗教的部分」に対する支持であって、「創造科学の宗教的な部分」に対する支持ではない。

しかし、キリスト教徒の宗教的部分を支持している人でも、創造科学を支持していない人はいくらでもいますよね。感謝の言葉の大切さを「信仰」している人でも、水伝を支持していない人がいくらでもいるのと構図は同じです。疑似科学批判者は感謝の言葉の大事さを批判していません。

genbgenb 2009/01/22 20:58 titton さんの意見をまとめてしました。

(1)「水からの伝言(以下水伝と記載)」は(少なくとも最近の水伝は)科学を自称していない。科学でないと明言さえしている。
(2)疑似科学なのかただの宗教なのかはその主張の中核部分がどこにあるかを見て判断しなければならない。(
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232365702 )
(3)Natromさんの発言『「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という主張は、水伝の本質的な部分だと私は思います。』には同意する。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082 )
(4)疑似科学批判は「科学的な疑似科学批判」と「政治的な疑似科学批判」の2つの側面がある。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082 )
(4−a)科学的な疑似科学批判
その疑似科学について科学的に見た場合どのような点に誤りや不備があるかのみを指摘する。実験方法に問題があるとか、検証が不十分だとか、再現性がないとか、見落としている点があるとか、理論の組み立てに誤りがあるとか。あくまで不備の指摘のみでありそれらについて価値判断は一切行わない。デタラメな実験や未検証な段階で一般大衆に公表するのは「よくない」とか、まっとうな科学にとって「迷惑だ」とか、そういう価値判断の伴う批判は避ける。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082 )
(4−b)政治的な疑似科学批判
社会にとって有益か有害かという価値判断を行い、有害なものを排除するための批判。このような疑似科学が社会にはびこると社会にとってマイナスであるとか、人々が科学的な考え方ができなくなって科学の衰退を招くとか、創造科学に授業時間を取られると科学教育に当てられる時間が減り教育水準が下がるとか。こういった「どうすればよりよい社会になるか」と言う視点からの批判。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082 )
(5)政治的な批判であれば「科学的に間違っている説を流布するのはけしからん」「科学を装っているのはけしからん」という単純な判断ではダメ。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082 )
(6)疑似科学批判の実態は「人々が疑似科学にハマるのを防ぐ」と述べているように、政治的な目的で行われている。( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232547082 )

梨 2009/01/22 21:35 おそらく揚げ足取りととるでしょうが一言。
>「環境問題のウソ」の武田邦彦教授なども、彼自身の主張はかなりむちゃくちゃな点が多いが、それをきっかけにそれまで無批判だった環境問題を批判的な目で見る流れが起きたのは、彼の功績といえる。社会を動かすには「必要なウソ」も必要だというのが俺の考え方。

「環境問題のウソ」は池田清彦氏の著作ですよ。それと結果的に批判的な目で見る流れができてよかったとおっしゃいますが、ただ批判的であるだけではなく事実に基づき論理的でなければ批判として無意味ですよね。そういった批判を知っておいででしたら教えていただけないでしょうか。

genbgenb 2009/01/22 22:19 titton さん、質問をしてもよろしいでしょうか。
いかに書く括弧書きの数字は「http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090119#c1232625517」で書かせていただいた内容に対応しています。

【質問1】
titton さんの意見(1)に関してはすでに反論がNatromさんからあがっております。確かに「科学ではない」という言説も著者が行っていますが、本の内容が書き換えられたわけでも関連会社のサイトでも記載も変わっていません。科学を標榜していると言えるのではないかと思えます。
「水伝は科学を自称していない」はまだ持論としてお持ちでしょうか。それとも撤回されますでしょうか。

【質問2】
titton さんの意見(2)と(3)に関して。「氷の結晶が変わる」の主張は水伝の本質的な部分であり「間違っているかどうか」を科学的に検証可能な命題です。この命題に関して(水伝全般ではなくこの命題に関して)科学的手法や理論で成否を判断する事に関してはどのように判断されますでしょうか。

【質問3】
科学的に検証可能な命題を本質に持ち、またその命題が間違っていると科学的な検証の結果判断された場合。間違っていることが指摘されてもなお訂正する事無く同じ主張を続けるものは「疑似科学」でしょうか。ただの宗教なのでしょうか。

【質問4】
疑似科学を批判する場合に(4−a)だけではなく(4−b)も行う必要がありますか? またそれはどういった理由ですか。
(「必要か?」が質問内容です。ベターかどうかじゃなくてマストかどうか。)

【質問5】
疑似科学批判の実態が「人々が疑似科学にハマるのを防ぐ」ためだったとして(4−a)だけではなく(4−b)も行う必要がありますか? またそれはどういった理由ですか。
(「必要か?」が質問内容です。ベターかどうかじゃなくてマストかどうか。)

【質問6】
水伝の批判は様々な確度から行われており、「水伝が嘘である事により社会においてどのように有害か」ということも指摘されています( http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/class.html#2 )。このような科学的な面からも社会的な面からも指摘があれば問題ないとお考えですか。

【質問7】
(5)に関してですが「科学的に間違っている説を科学的に正しいと偽って流布すること」は騙される人を作ることになります。刑事罰を与えるほどの罪ではないかもしれませんが、一般的にこの社会で多くの人が共有している倫理観としてはそのような詐称は悪とされます。また科学者に対しての冒涜でもあります。それでもそのような批判は「ダメ」なのでしょうか。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/23 00:14 宗教と科学を動機(あるいは目的)でわけるのは無理だという指摘はtittonにとってやっぱりクリティカルだったかにゃ?
ああ、それと、自然科学は自由民主主義政体における意思決定の原理として公的な性格があるので、疑似科学の跋扈そのものが市民社会における理性的な合意形成を阻害する要因だにゃ。疑似科学は科学の寄生者なのよ。
このあたりについて詳しくは
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081126/1227653451

サルガッソーサルガッソー 2009/01/23 11:33 俺にはid:tittonは「目的が正しければ間違った手段を使っても許される。」と言っているようにしか思えなくて、結局はそこの部分が決定的にかみ合っていないだけだと思う。

ナナシーナナシー 2009/01/23 16:42 一番の対立点は「水伝は科学を語っているかいないか?」ではないでしょうか?
titton氏は「科学とは言っていないと言っていますが、江本氏は「水は心の鏡だという。撮影者の意識が働いてきれいなものになるということはある。それは別に非科学的ではないと思う。」と言っているのだから、水伝の本質的な部分である「水は言葉を理解する」と言うのは科学的検討が可能な命題でしょう。そしてそれは否定されていますね。

ちょちょんまげちょちょんまげ 2009/01/23 17:04 NATROMさん、場所をお借りいたします。

>titton さん
横から失礼いたします。

>水伝ビジネスがあって水伝があるのではなく、水伝が幸か不幸かヒットしてしまったがために水伝ビジネスが生まれたわけで。

以下、Wikiからの記述ですが、

1986年に株式会社I.H.M.を設立1986年に株式会社I.H.M.を設立。アメリカで鳴磁場分析器や磁場共鳴分析装置といった波動測定器に出会い、そこから彼の現在の水の研究が始まった。
『波動時代への序幕 秘められた数値への挑戦』 サンロード、1992年
『波動の人間学』 ビジネス社、1994年
『波動の真理 人間・地球・自然の未来のために』 PHP研究所、1994年
『波動と水と生命と 意識革命で未来が見える』  PHP研究所、1995年
『波動革命 "新たな科学思考"が人類と地球を救う』 PHP研究所、1995年
『波動の幸福論 最先端科学が生み出す新しい哲学』 PHP研究所、1996年
『波動学のすすめ 新世紀思考への意識革命』 PHP研究所、1996年
『波動とは何か 科学と心の共鳴エネルギー』 PHP研究所、1996年
#『甦る潜在記憶 新しい自分を求めて』 PHP研究所、1997年
『水からの伝言 世界初!!水の氷結結晶写真集 今日も水にありがとう』 波動教育社、1999年

確かに「水伝ビジネス」は「水伝後」かもしれませんが、どう見ても、そもそも「水伝」自体が江本氏の「波動ビジネス」の一環です。
ですから、「波動ビジネス」があって、「水伝」があるのですよ。

それから、「水伝」を信じている人は江本が言う「結晶の再現性」をある程度信用しているから「水伝」を信じているのであって、「感謝の言葉が大事」という教義だけではそもそも「宗教」にならないでしょう?

tittontitton 2009/01/24 00:32 NATROM さんへ

> tittonさんには「根拠の整備が必要」ですよ。

不備に見える部分は個別に指摘すればんじゃないの?それをせずにおおざっぱに根拠が不足だ、というのでは議論にならないだろう。

> 「ありがとうという言葉で氷の結晶の形が変わる」という科学的に検証可能な主張が水伝の本質的な部分であることには同意いただけたはずですよね?

同意しているのは水伝が「ありがとうという言葉で結晶の形が変わる」と言う部分であって、その主張が「科学的に検証可能なもの」だとは言っていないのだが。それを"科学としてみた場合に"どうなのかを科学が批判するのは自由だといっている。しかし水伝の主張が科学ではないのだから、宗教的な主張としてみた場合については科学は何も語れないといっている。前回も同じようなことを説明したつもりなのだけどね。

たとえば神社の境内にいたずら書きをしたら帰り道に石につまずいて転んだとする。それを科学として検証すれば両者に何の因果関係もない偶然の出来事ということになる。しかし人はそれを「罰があったのだ、神様はちゃんと見ているのだから悪いことをしてはいけない、正しく生きなければならない」と考える。それが宗教や道徳なわけだよ。


> ID論は疑似科学ですか?

質問の意図がよく分からないが、疑似科学じゃないの?宗教的要素の強弱のことをいってるのかな?もちろん宗教的な要素が弱い疑似科学も当然だろうだろうし、強い疑似科学もあるだろう。そして強い疑似科学はそれ自体が宗教的思想を持つものと、他の宗教に間借りしているものがあり、それ自体が宗教的思想を持つならそれはもはや宗教であって疑似科学に分類すべきものではないだろう。他の宗教に間借りしているものはそれ自体は宗教的思想を持たないのだから宗教ではなく疑似科学だろう。そういう話をしてるのだが。

人が宗教に求めるのは価値観や生き方の示唆であり、そういうものを求めて人々が疑似科学を支持しているのならそれは宗教として支持している。それについて科学的にどうこういったところで信者は意に介さないだろう。

一方そうでない場合は他の目的で人々はその疑似科学を支持しているわけだ。創造科学ならそれは自分が信じる宗教(キリスト教)をバックアップしてくれるというメリットでそれを支持しているのだと思うよ。創造科学が提供する価値観や人の生き方に感銘を受けて支持しているわけではない。だからもしそのメリットがなくなり役立たずだと分かれば人々は離反するだろう。もちろん宗教が提供する価値観や生き方の示唆が役立たずだと証明されれば、それはそれで人々はそれを支持するメリットがなくなり離反するだろうけれど、その証明は難しいから無理だろう。

宗教とは何の関係もない疑似科学も、あたりまえだが、存在する。それを支持する理由は様々だろうけれど、たとえば学問的な面白さとかがあるだろう。そういう理由で支持している人々は「理屈」の組み立てに興味があるのだから、科学の視点でその欠点などを指摘すれば興味を示すことは期待できる。疑似科学を放棄するに至るかは定かではないが、聞く耳ぐらいは持ってくれるだろう。

またその人があまりにも疑似科学に多くのエネルギーを注いできたために、その人の人生の多くの部分を疑似科学が占める状態になっている場合、疑似科学を否定することはその人の人生を否定することに等しいわけで、理屈を説くことで転向させることが難しい。あなたのいう「ハマってしまった人を救い出すのは難しい」というのはこれに当たる。このタイプの人たちを本当に足を洗わせるためには疑似科学を取り上げるだけではダメで、その穴埋めとなる生き甲斐を提供してあげなければならない。

疑似科学よりももっと夢中になる事を見つければ疑似科学などどうでもよくなるだろう。しかしそんな他人の人生の面倒まで赤の他人がみることは無理だから、結果的にそういう人を言葉だけ説得するのは不可能だということになる。ハマってしまった人が考え方を変えないのは「馬鹿だから」ではない(取り返しのつかない判断をしたという意味では馬鹿かもしれないけれど)。

このように人々が疑似科学を支持するにはそれぞれ理由があるのだから、一括りにして疑似科学信者という見方をしていてはその本質にたどり着くことができず的確な対処をすることができない。

> ですので、『「科学としての批判」をそのまま安易に「社会悪としての批判」に結びつける疑似科学批判者』は、架空の藁人形だ、と指摘しています。

ではあなた自身がどういう根拠で疑似科学を「社会悪として批判」しているのか、示して見せてよ。あなたは安易に結びつけていないというのだから、それなりに説得力のある根拠を持っているんだよね?

> どういう基準で「本質」が宗教的なのかそうでないのか判断しているのですか?』という質問に答えがないですね。

何度も答えていると思うが。その思想自体が宗教的な価値観や人の生き方の示唆を提供し、人々がそういうものを理由にその思想を支持しているならば、それは宗教的面が本質だと。それに対してあなたはどうやら反論として創造科学を出しているようだけど、(キリスト教のものではなく)創造科学それ自体がそういうものを支持者に提供してるの?愛とか争いごととか突然襲ってきた不幸とかそういうものをどう受け入れるべきか、正しく生きるとはどういうことなのか、道徳観はどうなのか、これはらを創造科学はどのように説いているのか。

もしそれなりのものがあり、人々が創造科学のそういう思想部分に引かれて支持をしているのであれば、創造科学も宗教に分類されるべきだろうね。それはそれでいいと思うよ。もちろん宗教である創造科学が科学と学校の授業時間を取り合っていいかは別な問題だが。あなたは疑似科学だと悪で疑似科学ではないと悪ではない(少なくとも簡単には悪と断罪できない)と考えているから、その思想の本質部分が疑似科学なのか宗教なのか見極められない。というか見極めようとしない。疑似科学ではなくて宗教や思想に分類すると簡単には批判できないと考えているからだ。自分でも言っているよね、思想批判には立ち入りたくない、と。

しかしそのために返って物事の本質から目を背ける事になってしまっている。宗教でも思想でも疑似科学でも、社会にとって有害なら批判し排除しなければならない。特定の宗教や思想を社会から排除するという重大な行為をするのだから、それは正攻法で行わなければならない。本質的でない疑似科学の側面を誇張し疑似科学として排除するのは正攻法ではない。

> 疑似科学がはびこらなければいいだけで、別に「排除」「根絶」は目指していませんが。

はびこるのを防止するというのは排除することだろうに。ちんけな言葉遊びにしか見えない。それともこれらに本質的な違いがあるというの?それならあなたはどのように考えているのか説明してくれ。

> 「そういう部分の論理武装」は不要だと思いますけどね。

それは暗に論理武装ができてないことを認めているわけだね?安易に社会悪と結びつけてはいないというあなたのこれまでの主張と矛盾するじゃないか。語るに落ちるとはこのこと。安易に結びつけているが、それを改める必要性を今のところ感じていない、というのが本音なわけだ。

> 私の意図が伝わっていないようなのではっきり言いましょう。

あなたの意図は了解しているつもりだよ。ただしそれを正しいと思ってないだけだ。安易な批判などこの世にない。tittonは幻と戦っているというならば、まずあなたが安易でないところを見せてもらいたいものだ。あなたはどうして疑似科学は社会から排除されなければならないと考えるのか。

> 「ゲーム脳」のような稚拙なやり方でなくても社会を動かすことは可能だろうと思いますが。

結果としてゲーム脳が社会を動かすきっかけになったし、それ以前はあまり注目されなかった。これは多くのことに当てはまると思うよ。怪しげな説、デマや俗説がはびこり、それによって社会不安が生じるから、きちんとした信頼性の高い研究が求められるようになる。

> それに、「ウソはいずれバレて訂正されるはず」という健全な社会の機能を疑似科学批判者が行っているのですよ。

だから純粋に科学的な批判はどんどんすべきだと言ってるつもりだが。たとえばある人が科学的に間違いだととっくに証明されている事柄について、そういう経緯を知らずに独自に再発見して疑問を口にしたとする。血液型でも占星術でもいい。あるいは満月の時は事故が多いとかでもいい。それについて既に検証済みの科学的事実を示し間違いだと指摘するのは良いことだ。大いにやるべき。

しかし最近の疑似科学批判はそういう方向ではない。そんなとっくに否定済みのことをろくに調べもせずに口にするな、と言う乱暴な批判が多い。つまり無知な人間は無知でなくなるまで発言するなと言う方向だ。他ならぬあなたも俺に対して「無知だ」から始まっているよね。この議論の中でも何度となくあなたはそういっている。ちゃんと勉強してから来い、と。そういう批判の仕方は疑問を持つこと自体を否定するもので健全な批判ではない。したがって健全性を阻害しているのはあなたの方だ。

> 「馬鹿は騙されたり判断を誤ったりする社会の方が健全だ」という思想ですな。

騙されなければ、どうすれば騙されなくなるかを学ぶことはできないだろうに。馬鹿でも騙されない社会を作ると言うことは、賢くなる機会を奪っているわけで、それこそが不健全だと思うね。

水伝についても、たとえば生徒が夏休みの研究の材料として水伝を選び、水伝の主張を支持する実験結果を提出した出来事があったと思う。それをそのまま放置するのは教育上好ましくないのはいうまでもないが、学校で水伝を教えないようにすればそれで問題は解決するのか?科学的な論証とはどういうものなのかをその生徒が理解していない点が問題の本質なのであって、水伝を教えなければその生徒が正しい科学的な考え方が身につくものではない。むしろその実験のどこに問題があったかを指導すべきだろう。

科学として本当に大事なのは科学的なものの考え方であって、科学的知識の方ではないはず。知識ならば暗記させればいいが、考え方というのは試行錯誤させなければ身につかない。そういう意味で騙されることは必要だといっている。

> 「すべての人間が科学的に正しい考え方だけしかすべきでない」というのが架空の藁人形。

ならば「科学的でない」という理由で他人の言動を叩くのはおかしいだろう。科学的な知識がないと言う理由も同じ。あなたは二言目には俺に対して「無知だ」と言っているよね。無知かどうかは別として、俺が無知だったらどうなのさ?もっと勉強して出直してこいということなのだろう?それは科学に無知な人間はネットで発言をするなと言うことではないの?それはネットで発言する人間はすべて科学の知識を身につけるべきだ、と言っていることと同じに聞こえるのだけどね。違うの?

> 程度問題です。少しでも多くの人が科学的に正しい考え方をできるようになればいいなあ、と思っていますが、すべてって無理でしょ。

あなたはそういう表現の話問題にするのが好きだね。まるで2chで煽り合いをしているようなものだ。「すべて〜べきだ」でも「なるべく〜なればいいな」でも質的にも結果的にも変わらないと思うよ。限界点が示されてないのだからね。限りなく続けていけば最終的には完全な排除に到達する。あなたはそれでもいいと考えているのだろう?俺はそう考えない。これまで述べてきたような理由から疑似科学は社会に一定の割合存在すべきだと積極的に考えている。

その割合とは科学の発展の足を引っ張るまでにならない範囲でその最大の点だ。これは実際にやってみなければ分からないわけで、その意味で現在よりも疑似科学は増えた方がいいとさえ思っている。よく疑似科学をがはびこると科学的なものの考え方ができなくなる人が増えて、科学の進歩の妨げになるという話をする人がいるけれど、少なくとも現状程度ではそうなっているとは思えない。むしろ疑似科学は科学にとってプラスになるとさえ思う。科学的に物を考えられない人は疑似科学があろうがなかろうが考えられないのであって、疑似科学の責任ではない。さすがに科学の授業時間を削ってその分創造科学を教えろというのは、反対しなければならないが。

> 「少なくとも最近の水伝は科学を自称していない、だから水伝は疑似科学ではないそうだ」という主張が、いつのまにか、「水伝の支持者の動機が宗教的か否かで判断すべき」に変わっちゃいましたけど?

それはあなたの考えの底が浅く言葉の表面だけしか見ていないから、そういう早とちりをするのだろう。あなた側に問題がある。ずいぶん前に説明したと思うけどね。水伝の教祖様が水伝は科学をでないと発言したのは事実でなわけで、それは水伝にとって「水伝は科学である」と主張する必要がなくなった事を意味する。それは水伝の宗教的な魅力だけで支持者を引きつけられるということ。

教祖様がいつどこで何回「科学である」と言ったとか「科学でない」と言ったとかを論じることに意味があるのか?言質をとったり個々の言葉尻にこだわっても不毛なだけで何も得るものはないと思うよ。人はそれほど一貫した言動はしないものだ。科学の世界ではそれは困るが、ここは科学の世界ではないのだから。

一貫した言動を期待できないのであれば何を重視すべきか。それはその発言の意図や背景であり、それは個々の言葉ほどはブレないものだ。上述のように「科学でない」という発言は科学としてみられることを水伝は重視していないということ。枝葉末節よりもそういうものを読み取るべき。

> 動機が重要なら初めからそう言えばいいのに。後出しジャンケン。しかもそれでも負けてる。

上述のように「科学的でない」発言と「動機が重要」はちゃんとつながっていることだ。話の途中であなたは狭い範囲の事だけを見て、それだけがすべてだと早とちりしたわけだよ。話の途中で割り込むことを悪いとは言わない。そういうことは必要だと思うからね。しかしそれで早とちりをしたにもかかわらず自分を省みず、なお相手が途中で話をすり替えていると強弁するのはいかがなものかと。

それはそれとして、あなたは他にも「無知」と言うことを連発しているよね。それらについてはどうなのかな。「少なくとも〜」で全部帳消しにするつもりなのだろうか。これも個別の「無知」発言がどうこうというよりも、むしろこれだけ連発する傾向がある点の方が重要な気がするけどね。何でもかんでも相手を無知呼ばわりして手っ取り早く安直に処理しようとする傾向を読み取るべきだろう。あなたは自分で思っているよりも遙かに安直に物事を処理しようとする傾向があると思うよ。

> 「疑似科学はケシカラン。排除すべき。でも、創造科学は科学だから学校で教えるべき」という具合。

それは呼び方の問題に過ぎない。批判者が疑似科学と呼んでいる同じものを創造科学は科学と呼んでいるだけのことだ。モノは同じ。それにしてもどうしてこう表現とか呼び方とか表面的な部分だけの反論するのだろうか。馬鹿な疑似科学論者とばかり議論してたから馬鹿な議論のスタイルが感染しちゃったんじゃない?(笑)。

> 「小学生の喧嘩のようなもので辞めた方がいい」などと逃げるのは不誠実です。

あのね、多くの人はあなたが考えるような、あなたにとっての正確な意味では日本語の言葉を使わないわけだよ。あなた自身が正確な表現に努めるのは自由だけれど、他人の言葉にもそれを勝手に適用して、その都度「不正確な表現だ」と突っかかることに意味があるのか。それともあなたは(あなたの考える)正しい日本語の普及も推進しているのだろうか。疑似科学の話と正しい日本語の推進運動を同時にやったら、どちらも中途半端になると思うけどね。

それともあなたルールの日本語の作法を受け入れない人とは、あなたは議論できないのだろうか。それは常識に欠けると思うよ。言葉というのは使う人によって微妙に違うのだ。それゆえ文章の前後や全体をと考えて、この人はこの言葉をこういう意味で使っているのだと推測しながら理解事が必要になる。それが読解力だ。ちょっとでも自分の使い方と違うからといって「誤りだ」とするのはそういう能力が欠如していると思われても仕方ない。

> 由来によって、「疑似科学」かそうでないのか区別されるわけですか?

由来ではなくどちらが中心なのかという話の傍証として水伝の成長がどういう経緯をたどったか話をしているのだが。あくまでも現状がどうか?という話であって、由来で区別すべきだという主張ではない。その短絡的な思考は何とかならないものだろうか。

> たとえば「水伝の教祖様」が昔書いた本が「再発見」されて、水伝ビジネスが先だったことが明らかになったら

その場合、間に断絶があるのだから判断に変化はないと思うけどね。もちろん断絶などないとか、いやそのほかにも断絶があるとかは、それはそれで研究のテーマになるかもしれないが。

> しかし、キリスト教徒の宗教的部分を支持している人でも、創造科学を支持していない人はいくらでもいますよね。

ものわかりが悪いな〜。だからこそ創造科学を支持している人は(キリスト教の)宗教的部分を支持しているのではなくて、他の目的(キリスト教の勢力拡大とか)のために支持しているのだ、と言う話をしているのだが。

> 感謝の言葉の大切さを「信仰」している人でも、水伝を支持していない人がいくらでもいるのと構図は同じです。

なんという乱暴な理屈。キリスト教を支持していない人(たとえばイスラム教徒)の存在をもってキリスト教は疑似科学だというような粗雑な組み立てだと思うよ。

A_lie_sunA_lie_sun 2009/01/24 03:01 こんばんは、皆様。
突っ込みを入れさせて頂きに来ました。

・不足ではなく整備なのだが、日本語が読めないようだ。tittonさんの論理展開が破綻しているので根拠を整理して論理を組み立てなおした方が良いですよという忠告の理解からして破綻しているのでは当然か。

・「ありがとうという言葉で結晶の形が変わる」をやってみるのが科学的な検証。実行可能。

・「水伝の主張が科学ではない」の根拠は既に破綻している。

・「神社の境内にいたずら書きをして帰ると必ず石に躓いて転ぶ。転びたくなければお賽銭を投げなければならない」がニセ科学。「必ずは転ばないけど、そもそもいたずら書きは駄目だね。お賽銭は必ずしも必要なく、素直に神主さんに謝るのが本筋だよね」がニセ科学批判。

・「神社にいたずら書きをして帰ると、神様が罰を当てて転ぶからやめよう教」は、神道に間借りしているから疑似科学になるんじゃないの? この辺が『根拠を整理した方が良い』と指摘される所以。

・「信者は意に介さないだろう」ってかつてガリレオはキリスト教から排斥されてしまいましたがな。

・キリスト教の提供する価値観や人の生き方を絶対視する原理主義(=感銘を受け過ぎ、熱烈に支持し過ぎ状態)だから想像科学を支持している。
・創造科学のメリットが無くなる=キリスト教原理のメリットが無くなる=原理主義だから認めないし離反もしないし離反したら原理主義ではない

・「当たり前に存在する宗教とは何の関係もないニセ科学」って何だろう? tittonさんは知ってるみたいだがきっと他には誰も知らないんだろうなあ。

・「学問的な面白さとかがある疑似科学」という自説に有利な虚像を用意して話を進めるのは詭弁。
・詭弁を基点に長々と書いてもそれはtittonさんの妄想・脳内世界の事でしかない。

・『詐欺の被害実態を生み出しているから』等の「科学としての批判以外の根拠」は何度も示されている。今更「科学以外の批判根拠を示せ」というのはtittonさんの理解力か記憶力の乏しさを示す。

> どういう基準で「本質」が宗教的なのかそうでないのか判断しているのですか?』という質問に答えがないですね。

・宗教的な原理主義が本質である創造科学を宗教とは無関係だと言ってしまうtittonさんが有する『「本質」が宗教的なのかそうでないのかの判断基準』の妥当性には疑問符を付けざるを得ない。

・疑似科学はSFを含む概念なので、疑似科学=悪だと言っている人間はまずいない。NATROMさんも同じ。
・『疑似科学ではないなら悪ではない』なんて誰が語っただろうか? 少なくとも現実には存在しなさそう。

・創造科学がキリスト教原理主義であるという明白過ぎる本質が見えないtittonさんが本質を語るのを見ていると臍が茶を沸かすので是非止めて頂きたい。

・カビがはびこるのを防止する≠カビ菌の完全滅菌。清潔でカビがはびこらない状態を保てばそれでよし。
・カビがはびこらない状態を保つのを排除というならそれはそうかもしれないが、少なくとも根絶ではない。
・tittonさんは排除を根絶の意味で使っているとしか思えないので、ここらではっきりして欲しい。

・『【tittonさんの意見に賛同する人がほとんどいない現在では】、そういう部分の論理武装」は不要だと思いますけどね』の【tittonさんの意見に賛同する人がほとんどいない現在では】が読めずに、『それは暗に論理武装ができてないことを認めているわけだね?』等とするのは為にする反論以外の何物でもない。

・tittonさんは『勢力を拡大する為の論理武装』の話がが何故『安易に社会悪と結びつけてはいないというあなたのこれまでの主張と矛盾する』のか、論理武装した方が良いのではないかと思う。

・『「単純な思考で行われた疑似科学批判」って、架空の藁人形なんじゃないですか』という意図をはっきりさせた部分に対して、
『安易な批判などこの世にない。tittonは幻と戦っているというならば、まずあなたが安易でないところを見せてもらいたいものだ。』って、全く話が噛み合ってない。

・『結果としてゲーム脳が社会を動かすきっかけになった』って、ゲーム脳はゲームに対する偏見を生んだだけだからtittonさんの言う「社会を良くするきっかけになるウソ」とは確実に違うし、それ以前は何に注目されていなかったのかがさっぱり不明な分。

・『ゲーム脳が社会を動かす前にはそれ以前はあまり注目されていなかったもの』って何だろう? 日本語が不足していてさっぱり分からない。

・『怪しげな説、デマや俗説がはびこり、それによって社会不安が生じるから、きちんとした信頼性の高い研究が求められるようになる。』って続いてるから、多分脳に関する研究の事なんだろうけど、それならゲーム脳以前にきちんとした信頼性の高い研究は成されているし、社会不安の要請で信頼性の高い脳に関する研究が始まったなんて話も聞かない。誰かご存知?

・最近の疑似科学批判批判は、科学もニセ科学も調べもせずに批判するなという乱暴な批判批判批判なのは、実際にそれをやっている私が認めるが、類似の事をニセ科学批判でやった事は私は無いし、そんな事例も知らない。
tittonさんは自分のニセ科学批判批判への批判批判批判と、ニセ科学批判を区別できてないんじゃないだろうか?
・上記の混同を元に、だから最近のニセ科学批判は健全ではない、と言っても前提が混同により破綻しているのでtittonさんの『どうだ批判してやったぞ』という自己満足にしかならない。

・騙されなくても、過去事例や想像力を元に学ぶ事は出来る。tittonさんがKYとかヒヤリハットとかリスクアセスメント等に出会ったら相当なカルチャーショックを受けるに違いない。それともそんな物は無意味だと批判して回るのだろうか。

・水伝が発生する前は水伝を知らなかったのに、水伝を教えられずとも批判できている科学者の存在から考えると、教えるべきは水伝ではなく科学である事は自明なのだが、tittonさんには分からないらしい。

・tittonさんの理屈で言えば、この世に存在する科学者は軒並みニセ科学に騙された事が有るという事になる。彼は一体何を批判しに来たのであったろうか? 実に笑える話である。

……これだけ突っ込み居れてもまだ途中で、さらに突っ込み所が満載という凄まじさ。
そろそろ正面から相手をする必要も無いのではないかなと思います。

totsuantotsuan 2009/01/24 08:22 コメントの一部始終を拝見しておりますが、正直、途中からきちんと読むのに辟易しております(※”それは御前の勝手”と言うツッコミは甘んじてお受けします)。どう考えてもこれは”議論”といえるものじゃないと考えます。

特にtittonさんの文章内容や話の方向性が全体的に無茶苦茶に感じます。それにお付き合いしている方々は皆さんすごいと思いますが、その意見すらもはや私には読解困難です。そんな気がしているのは私だけですか?そもそもこのエントリについて議論するのに宗教なんか殆ど関係ないと思うんですけど。
ただあるのは、”「水伝」が「まだ科学的に証明していない現象」を「科学的に再現可能」と偽って(=関連グッズの量産販売等がその証拠)、自分達の主張に「架空の権威付け」と「神秘性」を付加させようとしている”と言う一点だけで、それを「似非科学」というこれまた曖昧な概念の枠にはめようとするから混乱するのではないでしょうか?単純に「当現象が再現可能か否か」を実際に突き詰めれば、後は詐欺罪で訴えるなりすればそれで済むように思われますがいかがでしょうか?それに、彼らがHPや著書などで用いている「科学する」と言う表現が”科学した”という事実ではなく”現在行っている途中”という意味だという主張なのであれば、関連グッズの説明書に注意書きをつけることは法律上必須です。

>あなたルールの日本語の作法を受け入れない人とは、あなたは議論できないのだろうか。
tittonさんが終始”議論”していらっしゃるつもりだったとは意外でした。これまでの文章はどう読んでみても、上から目線での一方的な物言いにしか受け取れません。そもそも議論で使う各単語および表現の定義を統一することは、最低限のルールでしょう?それにブログ主が使っている”作法”は少なくともローカルルールでありません。それすら守らないのであれば相手との意思の疎通はできていないはずですし、そんな状態で議論をしている気になっているtittonさんは”議論”というものを誤解なさっているように思います。

”作法”の存在を知っているのにわざと無視しているtittonさんの方が常識に欠けていると思いますよ。そもそも文体そのものが失礼ですよね?それをあえて「個性」と主張なさるかも知れませんが、少なくともブログ主他の皆様と対等の立場で議論しようと考えている人がとる姿勢ではないし、そうしようとも思ってないように受け取れます。
人に常識云々を語る前に、自分の姿勢を見直すべきでしょう。

>言葉というのは使う人によって微妙に違うのだ。
>それゆえ文章の前後や全体をと考えて、・・・それが読解力だ。
>ちょっとでも自分の使い方と違うからといって「誤りだ」とするのはそういう能力が欠如していると思われても仕方ない。
>それは常識に欠けると思うよ。
そもそも自分の発言内容と相手の発言内容に齟齬を感じた時にお互いが調整を行うのが議論なのではないのですか?議論において相手に読解力を要求するような表現を用いるのは間違っていますし、そういった表現は更なる無駄な誤解を招いて議論を不毛にするだけです。しかも自分の不適当な表現を謝らずに一方的に相手のせいにするのはそれこそ”常識に欠ける”行為だと思います。
それと、”作法”の存在を知っているのにわざと無視しているtittonさんの方が常識に欠けていると思いますよ。第一、文体が相手に失礼ですよね?それをあえて「個性」と主張なさるかも知れませんが、少なくともブログ主他の皆様と対等の立場で議論しようと考えている人がとる姿勢ではないし、そうしようとも思ってないように受け取れます。
人に常識云々を語る前に、自分の姿勢を見直すべきでしょう。

tittonさんは”批判すること”そのものが高尚な行為(=だから”批判”を批判することはもっと高尚だ)だと勘違いなさっていらっしゃるようですが、文章が冗長で表現も込み入っている割には具体的に何をおっしゃりたいのかが一般人の私には分かりません。本気で自分の主張を相手に理解させたいのであれば、小中学生が読んでも分かるような簡潔な文章にすべきです。少なくともtittonさんの文章にはそういった配慮が無いように感じます。もしそういった努力もせずに”分かる人だけ分かればいい”と主張なさるのであれば、まずは己のコミュニケーション能力の拙さを反省なるべきでしょう。

乱筆乱文にて失礼致しました。

NATROMNATROM 2009/01/24 09:22 だいたいtittonさんがどういう考えを持っているのかは示せました。もういいよね?tittonさん以外に、「tittonさんの考えには一理ある」とお考えの方は、別途コメントください。kozimaさんからはお返事がないようだけど、ご納得されたのかな?

TAKESANTAKESAN 2009/01/24 12:53 今日は。

NATROMさんには、お疲れ様でした、としか申し上げようがありませんね・・。一連のやり取りで、色んな事が示されたと思います。

個人的には、kozimaさんのご意見は伺いたいですね。私も言及されたんで。

エディエディ 2009/01/24 16:21 卒論で忙しいんじゃないですか?<kozimaさん

>さて、現実逃避はこれくらいにして卒論やろ。

とありますから。逃げるのに上手い言い訳になりますね。

tittontitton 2009/01/25 11:33 もういいって、自分から文句があるなら来いといっておいて、そういう言い方はどうなのかな。まあ、あなたがもう十分だというなら俺はそれでいいけどね。

あなたは自分に賛同する人間の方が多い、と繰り返し言っているようだけどそんな考え方でいいのかね。たとえば疑似科学支持の意見の方が多数ならあなたは自分の意見の方が間違っていると考えて取り下げるのだろうか。そもそも疑似科学批判の方が多数だと思うならわざわざ疑似科学批判などしてないんじゃないの?少なくとも十分に多数だとは思わないから一生懸命疑似科学を批判しているのだろう。どちらの意見が多いとか少ないとか言い出せば待っているのは自己矛盾でしかない。

うさぎうさぎ 2009/01/25 18:27 totsuanさんの言ってる事理解できなかったのかな、titton氏。そもそも議論になってないのですよ、「多い少ない」ってのは議論以前の問題。用語法とか、理屈の建て方とか。
 その部分で殆ど誰もが顧みないような独自の方法とられたら「多数」の人間としては「こちらの用語法、こちらの文化が多数派ですよ」と言わざるを得ない。勿論、少数派から新たな思想が生まれたことはかつても多々あるが、少なくとも私はtitton氏から何かが得られる、学べるとはほんの少しも思えないな。

NATROMNATROM 2009/01/25 19:03 賛同する人間の方が多いから正しいって言っているんじゃないんですよ。tittonさんによる疑似科学批判批判が間違っていても、多くの人が賛同したなら、tittonさん批判も必要でしょう。でも、現状では不要ですよね。少なくともここのコメント欄で続ける意味はありません。tittonさんの「現状の疑似科学批判のやり方は有効でない」ってのは、ブーメランです。tittonさんが有効な疑似科学批判批判をできるようになったら、相手してあげます。

と 2009/01/26 00:24 なんだか、キクリさんを思い出します。医師は国民から支持されていない、と無条件に前提化して、その原因は医師の傲慢さのせいであるという論調で堂々巡りをしていた人。やっぱり話が通じず、荒らし扱いになってしまったようですけど。

ゆんゆん探偵ゆんゆん探偵 2009/01/26 15:58 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1232850068#CID1232950350 そして江本氏は水伝が科学であると証明するための論文を提出した。さて、ちゃんとした再現実験の可能な内容の「科学的論文」になっているのか、お手並み拝見といったところですね。論文の内容が閲覧できるようになるのが楽しみです。

tittontitton 2009/01/26 17:08 NATROM さんへ
あなたは俺の疑似科学批判が間違っているということを多数決を使わずに示せたの?あなたは自分の方が多数だとばかりいってて、何も示せてなかったと思うけどね。示せたのなら要点をまとめたらいい。1問1答形式とかでね。そうすればあなただって何度も同じ事を言う必要がないから手間が省けるだろう。待ってるよ(笑

tittontitton 2009/01/26 17:15 もう一つ。反論者がいないから反論を考えるのは不要だという考え方がおかしい。誰もいなくても思索を深め正しい考えにたどり着くために、自分の中で常に自問自答しなければならない。今自分が考えている以外のものの見方はないのか?そちらの方がもしかしたら妥当ではないのか?とね。

野生動物から反論が来ないからといって、人間の身勝手な考えの方が正しいということにはならない。人間は野生動物の立場でも考える必要がある。あなたの「不要だ」という言葉があなたの姿勢のすべてを表していると思うよ。あなたは正しい考えにたどり着こうとはしていない。単に今進んでいる方向の邪魔になるモノがあるか無いかだけを考えている。

NATROMNATROM 2009/01/26 18:05 tittonさんの疑似科学批判批判が間違っているということは既に何度も示しました。tittonさんが理解できたかどうかは別問題ですが。反論の必要性についてですが、なるほど、自問自答が有効なこともあるでしょう。でもコメント欄でやる必要はありません。さらに言うなら、考える時間だって有限なのだから、時間を費やす価値があるものを考えたいのです。tittonさんの主張にそれだけの価値があることは示されましたか?価値があると思う人はもしかしたらいるかもしれませんが、そういう人が考えるのは自由にやってください。「今進んでいる方向の邪魔になる主張」だとしても、それなりの根拠があれば、きちんと考えます。

それに、tittonさんのほうにこそ、自問自答が必要だろうと思います。孤立無援が好きらしいですが、なぜ孤立無援なのか考えてみたほうがよいと思います。もしかして、疑似科学批判をしている連中すべてより、ご自分のほうが頭がいいとでもお考えなのでしょうか?自分は凡庸ではないと思い込みたい人には受け入れがたいことでしょうが、世の中、めったに「ユニークかつ正しい」主張はありません。

studentstudent 2009/01/27 22:18 コメント失礼します。上の議論について質問というか確認をしたいのですが、よろしいでしょうか?不要と思われましたら無視していただいて構いません。

tittonさんの主張は

1、科学それ自体は「水伝が科学的に正しくない」ことは言えるが、そのことが「社会的に悪である」ことは言えない。
2、水伝の主張は必ずしも科学的であることを必要としない主張である。
3、世の中に非科学的主張があってもいい。
4、1〜3より、科学的に誤りだという批判は水伝への部分的な批判にしかならない。
5、疑似科学批判は水伝が科学的に誤りだということのみを根拠に水伝を社会的に悪だとして排除しようとしていて、これは危険である。

ということだと思うのですが、NATROMさんご自身は上のどの部分が間違いとお考えでしょうか?(genbさんは2と5を否定としているように思いましたが。)番号だけでもよいので、お答えいただければ幸いです。

NATROMNATROM 2009/01/28 08:54 5ですね。「水伝が科学的に誤りだということのみを根拠に水伝を社会的に悪だとして排除しようとしている」というのは藁人形です。他に、疑似科学批判の効果についても間違った主張をしています。

studentstudent 2009/01/28 18:43 わかりました。お返事ありがとうございました。

genbgenb 2009/01/30 22:09 ハテナの自動トラックバックでこのエントリにすごい数のトラックバックを送ってしまいました。申し訳ありません。

torisugaritorisugari 2009/02/05 06:36 科学を“信じて”いない者たちに対して、水の伝言は科学的に云々だから〜とか言っても意味は無いですよね。それでもなお、水の伝言に関して科学的に云々〜と疑似科学批判者が言い続けるのは、科学を信じない者たちを吊るし上げる行為であって、「科学信者」による異教徒狩り的な面があるんじゃないだろーかと思いました。
小さい頃から理科を教わってきた僕らにとっては、教科書に載っている自然法則こそが神であって、それを否定するような邪教を見逃すわけには行かないんですよね。
みな表立って口には出しませんが、そういう部分が疑似科学批判の際には出てきやすいのだと思います。

全くもって通りすがりの意味の無い亀レスですが、いろいろ考えさせていただくきっかけになったのでコメントさせていただきました。
一通り読んだうえで、tittonさんの主張は決して間違ってはいないと思いました。ただ、NATROMさんとの議論の中の反論としては、少し的を外れた主張になってしまったんじゃあないでしょうか。

Pz-4Pz-4 2009/02/05 09:22 ↑周回遅れにも程がある。
使い方を知らないばかりに、結果的に科学を信じ過ぎなのは水伝信者のほうだっちゅーに。

NATROMNATROM 2009/02/05 10:34 科学を信じないのは自由です。それが批判されているんじゃないんです。科学じゃないものを科学だと詐称することを批判されているんです。tittonさんは、torisugariさんのような人に(だけ)支持されるようですね。

AH1AH1 2009/02/06 12:44 科学を信じないなら(もちろんそれは自由だが)、その科学を装おうのは如何なものでしょうかね。それとも哀れな科学教徒にも「科学でコーティングした糖衣錠」を飲ませてやろうという博愛の心?

tektek 2009/07/24 17:40 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89

第150回国会の参議院文教・科学委員会にて、質問に立った松は、江本の著書『水は語る――Water, it tells us precious things』の実験内容を詳細に語り、持参した水の結晶の写真を委員会室で回覧させ、「やはり水も言葉がわかる」……
松はさらに科学技術庁に対し「ぜひ実験してみてください」[6]と要請した。

NATROMNATROM 2009/07/24 18:04 公明党にも痛い議員がいるんですね。