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2009-12-01 インフル除けお守りから「許せない度」を考察してみる
■[科学][ウェブ]インフル除けお守りから「許せない度」考察してみる

ニセ科学批判批判の典型例として「お守りは批判しなくていいのかよ」というものがある。これまた典型的な反論は「お守りを売る側は科学を自称してないだろ」である。ニセ科学は「科学を装っているが科学でないもの」と定義され、お守りは別に科学を装っていないのでニセ科学批判の対象外である。実際にお守りが批判の対象になることはほとんどないのだが、以下の事例は少し考えさせられた。
■新型にも御利益、インフル除けお守り登場(読売新聞)
お守りは縦7センチ、横4センチ。白地に黒色で「長浜八幡宮御守護 インフルエンザ病除け」と書かれている。財布やかばんに入れて肌身離さず持ち歩けるよう、プラスチック板でカバーし、お札のように仕上げている。
このほか、「高血圧」「糖尿病」など9種類の病の平癒を祈願するお守りもある。いずれも1個500円。当面、マスクも無料配布する。
別に批判しようとして引用したわけではない。ニセ科学ではないし、容認できる範囲内だと思われる。しかし、単なる「病気平癒」のお守りと比較すれば、心に引っかかるものがある。「許せない」の端と「許せる」の端をもった直線を仮想するとして、科学的根拠のない健康器具を癌に効くと偽って高価で売りつけるのは「許せない」の端に、お守りやおまじないの類は「許せる」の端に配置できるだろう。「良心的な」ホメオパシーは両端の間のどこかに位置する。もちろん、人によって「許せない」側に近いか、「許せる」側に近いかの違いはある。「許せる」「許せない」というのは主観的な判断であるが、その判断の根拠がどの辺にあるのかを考察してみたい。私の感覚では、インフル除けお守りは、確かに「許せる」側にずいぶん近いが、若干は「許せない」よりにあると思うのだ。
お守り ホメオパシー バイオラバー
↓ ↓ ↓
許せる 普通 許せない
┝━━━━━┿━━━━━┥
∩___∩ /)
| ノ ヽ ( i )))
/ ● ● | / /
| ( _●_) |ノ / インフル除けお守り
彡、 |∪| ,/ はこの辺
/__ ヽノ /´
(___) /
なぜ、「インフル除けお守り」を、若干とはいえ許せないように感じるのだろう。たとえば、お守りをさらに細分化し、「癌」「ポリープ」「炎症」「潰瘍」などの疾患別や「肝臓」「膵臓」「胃」「大腸」などと臓器別にして、大腸癌の肝転移の患者さんに、「大腸、肝臓、癌に加えて、さらに『免疫力アップ』のお守りをお勧めします」などとやったらどうだろう。これはかなり「許せない」側に位置すると感じる。なんでだろう?お守り1個1万円を取ったら、もうアウトだと思える。別に、科学を自称していなくてもだ。
細分化お守り商売を許せないと感じる理由の一つは、たとえ明示的に科学を装っていないとはいえ、「癌」「肝臓」といった科学の用語を転用している点があるだろう。結晶やら波動やら科学っぽい用語を並べて商品を販売していれば、いくら「ポエムだ」と言い逃れたところで、実質的に科学を装っているとみなされるのと同様である。ニセ科学かどうかは「許せる」「許せない」の判断基準の一つに過ぎず、別のファクターも関与している。金額が高くなると「許せない」度が上がるように感じるのは、明らかに「ニセ科学かどうか」とは異なる基準による。「水からの伝言」が批判された理由も、それがニセ科学であるからという他に、たとえば、言葉の善し悪しを水の結晶の美しさで判断するのは思考停止である、といった別の理由もあった。ポエムとしても質が悪いというわけだ。言語化するのは難しいのだが、「インフル除けお守り」も、「お守りとしても質が悪い」と言えるような違和感を感じるのだが、皆さんはどう思うか。










なんつか、デジタル機器っつー最もお守りが効きそうもないもののお守りって点が逆におかしかったし、最もお守りと縁がなさそうに見えて、HDDクラッシュなんて運だのみ以外の何者でもないよなァとか思ったし。
でも、目玉のシールとかは買う気も起きないし、かなーり許せない感じ。
というか、「許す」「絶対に許さない」に分けて欲しかった。
2.間違った理屈をもっともらしく見せようとしている
どちらにも当てはまらなければ私は許します。
騙される方も悪い詐欺ってのは確実に存在するし、
イワシの頭に100万円払うのも個人の自由かなと。
”インフルエンザお守り”はちょっと引っかかります。
マイクロプロセッサ遊びは趣味なのに対しインフルエンザは仕事に近いせい
かもしれませんが、やっぱりHDDクラッシュは被害が大きくても命に別状は
ないのに対して、インフルエンザは現実に身の危険を感じるというのが
大きいと思います。
”人の弱みにつけこむ度合い”というのも判断基準のひとつかと思います。
実際、IT系といえなくもない仕事で、職場には神棚があったりします。それは、できることは最大限やった上での最後の神頼みという認識ですし、職場関係の人を見てもその認識にブレはないので、まあそんなのもありかなと。
”インフルエンザお守り”も、ワクチン等の防疫の努力を最大限した上での最後の神頼みという認識での使われ方であれば問題に感じないと思いますが、ここでのコメント欄への書き込みを見ていると、そういう人ばっかりでも無いと思ったので。
歯痛とか安産とか、目的に特化した神様は珍しくないと思われます。
いわんやお守り。
そうでなければ、ポエムだという「水伝」は許されることになってしまいます。
言葉だけでなく、態度や行為といった全てを含めたものから人は判断するのだと思います。
二重盲検法の必要性とどことなく符合するものがあります。
おまじないといっても許せたりそうでなかったりするのはそういうことかなと。
> というか、「許す」「絶対に許さない」に分けて欲しかった。
「そういう単純二分法的線引きは結局無理なんだよね、その中間の微妙なところは各人の主観なんだけど、それでも何らかの順序付けはできるのではないか、そしてそれは、ある程度共有できるのではないか」というのがこのエントリーの主旨なんですよ。
新型インフルエンザお守りは科学としては許せますが、商売としては少し品がないなぁと思います。がんとかポリープとか品揃え豊富になると、かなり品がないなぁと思います。
せっかくの機会なので良ければ教えてほしいのですが、
こういう話題の時にちょいちょい登場する「思えば良いのでは」発言の真意ってのが良く分からんのですよ。
今回のことでいうと、NATROMさんがインフル除けお守りのことで心の平穏を乱しているようにでも見えてるんでしょうか?それとも全人類がそういう風に思えば何の問題もなくなるのにって意味?
Q:誰が一番高慢でしょう?
A:メタゲームはほどほどに。健康のために適切な服用量を守りましょう。
それから「精神疾患者」はNGです。挙げ足を取られないうちに削除しておきますのでご了承ください。
ポリープだろうと潰瘍だろうと同じスタンスであるならやっぱり僕は全然OKです(個別に祈祷して貰うならやっぱ病名くらい言うでしょし)ねえ。観光地の名前入りマグカップみたいな感じで「糖尿守り」とか「痛風守り」とか100種類あったら受けますw 粘膜層に念動が干渉して学会が注目してどうとか、妙なこと言い出したら当然その時点でNGですけど。
http://tencoo.fc2web.com/jinja/goriyaku.htm
「代金回収」「資産運用」「染物業繁盛」「和菓子業繁盛」「倉庫業繁盛」「ジャンボ宝くじ当選祈願」「サッカー必勝祈願」「ペットの安寧」とか、細分化の具合が素晴らしいです。健康系も目とか皮膚とか腰とか色々あるようで。そういえば「ボケ封じ」とか「ポックリ」なら昔から有名だし、「がん治癒」とか「メタボの女神様」くらいなら『かわいいなあ』くらいに思えてきました(^-^;)
あんまり高いのはカルト一歩手前という感じもするので宗教サイドも批判しろと思いますが…
それはごもっとも。
もう一つ、本人の怒りっぽさも比例します。
なお、読売のリンク抜けていますよ。
と仰っているので、臨床試験におけるプラセボの投与のことを行っているのだと思いますが、この場合、実薬の方も効くか効かないかは確定していません。プラセボと比較して効くか効かないかを今から検証しようとしているのですから。
そもそもプラセボが効かない薬と決まっているわけでもありませんし。疾患によってはプラセボで症状が改善することもよくあります。実際、実薬の副作用が強すぎて、結果としてプラセボの方が良く効いたなんてこともありえます。
それに、今は事前お知らせしますよ。「半数の人はプラセボに当たる可能性があります」ってね。プラセボは何なのかという説明もすると思います。
>利くという嘘をついて、利かない薬を飲ませるなんて。そのせいで治療効果が悪化することもあるし。
臨床においてまっとーな医者が薬理的には効果の期待できない薬をプラセボ的に処方することはあるよーですが、心理的な効果は間違いなく期待してるので、「効かない」つもりでなんか処方しないはずですよ。「気休めになる」ってのは決して軽視していいものじゃないと思います。それは十分「効果」です。「薬効」か?と問われたら違うのかも知んないけど。
こんばんは、桜子です。
読売のリンクが抜けていたのですね。
リンクされないのでどうしたのかしらと、まだここのブログに慣れておりませんので、そのせいかとも思っておりました。
で、リンク先をクリックしましたら、「許可されていません」と出まして、再度クリック致しましたら読むことが出来ました。
で、写真を見て驚きました。
お守りの持ち方があまりにもぞんざいです。
カメラマンの方の言いなりでそうなったのかも知れませんが。
神道のお作法には手の使い方のお作法があります。
たとえばご神饌を運ぶときは、両手で、目の高さで、掌を上に向けた捧げ持ちにします。
お守りですから、捧げ持ちと添え手が相応しいと思います。
つまり、片方の掌を上にして捧げ持ちのようにして、もう片方の手を添えるわけです。
商品ではないのですから、もう少し丁寧に扱って頂きたいですね。
なお、捧げ持ちというのは、上腕内側を使います。
ふつうの持ち方は「授け持ち」といいまして、掌が下を向きまして、これは上腕外側の筋肉を使います。
これは別に神道のお作法というわけではなく古来から日本人の生活の中に溶け込んでいまして、生活の中に筋肉のトレーニングが自然に出来るようになっています。
捧げ持ちをしない人は、年をとると上腕内側がたるんで、袖無しの服を着るとみっともなくなります。(o ̄∇ ̄)o
>本屋さんでの座り読みなのです。(o ̄∇ ̄)o
>飛ばし読みですからね。(o ̄∇ ̄)o
が根拠なのですね。(o ̄∇ ̄)o
お作法については『神社祭式行事作法』を根拠にしています。
この本は本屋さんには多分ありません。(o ̄∇ ̄)o
他は桜子の考えです。
『神社祭式行事作法』
↓
『神社祭式同行事作法』
「財布やかばんに入れて肌身離さず持ち歩」
くことを神社側が想定してるんだから、神棚に上げるような扱いをする必要もないかと……。
まあ、本筋とそれますけど。
私としては、「IT情報安全守護」が役所にあったりしたら許せない。
「肺機能お守り」が炭鉱にあったりしたらまた別の意味で許せない。
……本筋とそれてますかね。
開発した製品にちょくちょく不具合が出るものだから、「なんか祟られてるんじゃね?お札でも貼っとく?」みたいなノリで。
つまりは「祟り」のような、自分ではどうにもならないものへの対策(気休め)としてのお守りなのです。
自分では手を打てない事に対しての対策ですから、自分で手を打てる事に対してまでお守りに頼るようだと、ちょっと許せない度が上がる気がします。
# これはお守りを販売する(授与する)側ではなく、もらおうとする側への「許せない」ですね
例えば「商売繁盛」は許せるけど、「原価低減」「客単価向上」だと許せない度が上がります。やる事わかってるならやれよ、と。
それと同じように「疫病除け」だと許せるけど、「インフル除け」まで具体的に祈願するくらいなら、手洗いやらマスクやら自分ですることがあるだろう、となるのではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。
私は,自社製の「バグ退散」「プログラム安産」の御札シールをパソコンに張り付けています。人事を尽くして天命を待つ…苦しい時の神頼みの心境で。テストを1か月繰り返したソフトでも,販売時には統計上5%の隠れバグを内包しているからです。
エクスキューズ御札は「バグではありません。仕様です。」というのも(以下略。
新型インフルに対するお守りも、願いが真摯なものならいいですが、これをつけないと...という弱みにつけこむ場合は許しません。
あと、相手が頭下げているのに、罵倒したり、蹴りいれたりするような売り方というか態度に出ている場合も。
まあ、要は人間と同じです。
ちなみに、変な宗教団体とか、偽善な団体、人、ってのは、何故か高慢だったり、弱みにつけこんでたり、妙に人を罵倒してたりするのは、なぜなんでしょうかね。
それが目的だから、なのかな?
個人的に、人智を尽くせない部分を祈るというニュアンスが感じられると、ありだなぁと思うんですよね。バグとかどう頑張っても出る物は出るから、祈りたくなるのは分かるww
インフルが微妙に許し難い感があるのは、人智の及ばない範囲を祈るという印象が薄いせいかなと。人智を否定して祈るようなイメージがどこか沸いてしまう。
なんでこんなイメージ沸いちゃうのかっていうと、多分IT御守りを買うのは、ITに詳しい人だからだろうな、と想像できるからだと思う。(御守りが欲しいくらいITが生活に影響するのは、IT技術者だろうから)当然知識はありまくりの、人智尽くしまくりの上で「なんとかしてくれー(苦笑)」と買う姿が思い浮かぶんだけど、インフルは詳しくない人が買うイメージがあるから、人智尽くす前に買ってしまっているんじゃないかと邪推してしまうわけで。
「無病息災」のお守りも「インフルエンザ除け」のお守りもそれにあわせて祈祷してくれているのだろうし、金額も割高じゃないからです。
通常のお守りが細分化されていないのは大量販売するのに便利なだけで、依頼があれば別途オリジナルを作ってくれるんじゃないでしょうか?
インフルお守りが「高価な一点もの」から需要があって「大量生産品」で間に合わせるという流れなら、むしろ"許せる"のではないかと思えます。記事を信じるなら需要にこたえる形で作ったということですし。
こんにちは、桜子です。
■2009/12/05 13:32
> まあ、あまり褒められた持ち方ではない気はしますが、
> 「財布やかばんに入れて肌身離さず持ち歩」
> くことを神社側が想定してるんだから、神棚に上げるような扱いをする必要もないかと……。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
おっしゃるとおりですね。
びっくりしまして、コメントを致しましてから、仕方がないとも思いました。
お守りなどは、何かに頼りたいという人間の智恵だと思います。
神道は長い年月を経ているだけありまして、いろいろと人間に都合が良くできています。
おばあさんがインフルのお守りを受験生の孫にあげれば、おばあちゃんも僕の体を心配して応援してくれていると励みになりますし、おばあさん側も受験の手助けをした気分になります。
お菓子をあげるよりも良いでしょう。
インフルエンザで熱が高くて辛いときにも、お守りを握っていれば我慢もしやすいかもしれません。
インフルエンザワクチンとインフルお守りと、どちらが重症化予防効果があるのか、興味がありますね。(o ̄∇ ̄)o
民俗宗教と言われます神道は、自分の都合が良いように「利用」すればよいと思います。
困ったときの弱みにつけ込む商売がたくさんありますから、そういうものにひっかからないように、神道に頼っておけばよいのではないでしょうか。
お金がかかりませんから。
ただし信じる気持ちの程度が問題ですが。(o ̄∇ ̄)o
正式参拝の時は別ですが、桜子はお詣りの時に、お賽銭を投げるということは致しません。
手水で清めた手で小銭を触りたくありません。
それに、清めた手を合わせるのが基本だと思っておりますから。
そして、お詣りに通うこと自体が運動療法や気分転換になります。
歩けないときや行きたくないときは、「遙拝」すれば良いのですから、本当に好都合です。
前に、近くの消防署か警察署(同じ日に行ったので忘れました)の署長室に、ものすごく大きい神棚がありまして驚きました。
トヨタ自動車は新車を発売するときは毎回、伊勢神宮でお祓いを受けるそうで、あるときの新車は、鳥居をくぐることが出なくてヘリコプターを使ったと伊勢で、聞きましたときも、驚きました。