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cover ■「ニセ医学」に騙されないために

 ホメオパシー、デトックス、千島学説、血液型ダイエット、ワクチン有害論、酵素栄養学、オーリングテストなどなど、「ニセ医学」についての本を書きました。あらかじめニセ医学の手口を知ることで被害防止を。

2010-01-15 体験談は証拠にならない〜浄霊による体験〜

[]体験談は証拠にならない〜浄霊による体験〜 体験談は証拠にならない〜浄霊による体験〜を含むブックマーク

子に必要な医療を受けさせない「医療ネグレクト」のニュース。亡くなった赤ちゃんに哀悼の意を表します。


■時事ドットコム:7カ月長男死なせる=病院行かずに「手かざし」−両親を殺人容疑で逮捕・福岡県警

 生後7カ月の長男が細菌に感染して衰弱しているのに、宗教上の理由から病院に連れて行かずに死なせたとして、福岡県警捜査1課などは13日、殺人容疑で、福岡市東区の宗教法人「新健康協会総本部」職員高月秀雄容疑者(32)と妻で同職員の邦子容疑者(30)=いずれも同区唐原=を逮捕した。同課は医療放棄による殺人事件として東署に捜査本部を設置し、全容解明を進める。

 捜査本部によると、2人は教義に従って手をかざすことで病気やけがを治すとされる「浄霊」をしただけで、定期健診なども受けさせていなかった。いずれも容疑を認め、秀雄容疑者は「病院に行こうと思った時期もあったが、結果的に子供を見殺しにした」と供述、邦子容疑者は「自分もそう育ててもらったので、きっと良くなると信じていた」などと述べているという。


子がどのような医療を受けるかは、親権者が判断する。しかし、あまりにも常識から外れた判断に対しては、公権力が介入して子の生命を守ることが必要になる場合もあるだろう。この問題については、■B型肝炎ワクチンとホメオパシー■輸血拒否した両親・親権停止が男児の命を救った■ホメオパシーと医療ネグレクトなどで論じた。ただ、介入がいつもうまくいくとは限らないし、基本は個人の決定は尊重されるべきなので、介入なしでもこうした痛ましい事例が起こらないのが望ましい。

宗教だけでなく、現代医学を否定するタイプの代替療法は、医療ネグレクトの原因になりうる。代替療法を支持するきっかけの多くが、体験談にあるようだ。○○療法を行って良くなったという体験談が、代替療法を支持する大きな根拠となっている。代替療法の支持者には、代替療法の是非はともかくとして、「体験談は証拠にならない」ことすら理解してもらえないことが多い。おそらくは代替療法を支持する人たちであっても、「浄霊」に効果があると信じる人はそうは多くはないだろう。しかし、「浄霊」にだって、良くなったという体験談がある。「新健康協会」のサイトにあった、「健康新聞 Vol 645 2010年1月号」には、「浄霊とは、目に見えない光のエネルギーで心身を健康に導く方法です。浄霊による体験を御紹介します」とある。支部名、個人名、写真は引用者が隠した。


f:id:NATROM:20100115163536j:image

浄霊による体験


以降、その日の夜に発熱するも翌日には平熱となった。他にも、膀胱炎や歯槽膿漏、原因不明の下腹部痛が治ったという体験談が紹介されている。さて、体験談から代替療法の効果を信じる人は、同様に「浄霊」の効果も信じるのであろうか。多くの場合、「体験談は証拠にならない」ことを認めていただけるものと願う。体験談の数も証拠とならない。「健康新聞」のバックナンバーをさかのぼれば、「浄霊」の体験談はいくらでもある。「浄霊」の支持者は、どのような証拠にも説得されることはなく、ただ「中にはとても改善した人もいる」と言い続けるだろうが。



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■我々は迷信行動を行うハトになっていないか?

inoue04inoue04 2010/01/15 17:57 自然治癒することはないと考えられている病気が、医療的介入なしで治ったのであれば、一例報告であっても、証拠になると思います。

NATROMNATROM 2010/01/15 18:11 症例報告は証拠になりますよね。

hdprogrehdprogre 2010/01/15 21:12 自然治癒することはないと考えられている病気が、医療的介入なし、「浄霊」介入ありで治ったときに症例報告はすべきですか?
してもいいけど、「証拠」として認知される場には掲載されないですよね。
inoue04さんの指摘は一般論としては正解とおもいますが....

桜子桜子 2010/01/15 22:27 NATROMさま
こんばんは、桜子です。
インフルエンザの話は、申し上げたいことはありますが、少し飽きてきてしまいまして、今は折り紙に興味がうつっています。
NATROMさまも連鶴を折ってごらんになりませんか?


> 多くの場合、「体験談は証拠にならない」ことを認めていただけるものと願う。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それは無理だと思います。
でも、お示しの例は、経験のない桜子が致しましても、そうなると思います。(o ̄∇ ̄)o

ころんで、あちらこちらが痛くて、寝返りも出来ない寝たきりの人に、手かざしの実験をしてみようと思いまして、痛いところを探していましたら、手かざしをしないうちに、痛いところがなくて手足が動くようになってしまいました。(o ̄∇ ̄)o
あと、気功が自律神経に作用することを、体験したことがあります。

杉山真大杉山真大 2010/01/15 23:11 そう言えば、戦前から終戦直後にかけて手かざしによる医療ネグレクトで死亡というニュースは結構新聞ネタになってましたね。

oku1oku1 2010/01/16 01:22 初めてコメントします。いつも楽しく読んでいます。読んでいると、つい時間を忘れてしまいますね。
「体験談は証拠にならない」ことを患者自身が理解することは、なかなか難しいと思います。ある病気に関する正しく系統だった知識を持ってその病気にかかる患者って、ほとんどいませんよね。そういう患者にとっては、ネットで集める「体験談」がほとんど知識のすべてになりかねない。とにかく「良い話」を知りたいのです。その病気が難しいものであればあるほど、「まことしやかな体験談」を信じてしまう、と言うか、信じたくなります。(あ、これも「体験談」か)

nn 2010/01/16 04:29 >hdprogreさん
>自然治癒することはないと考えられている病気が、医療的介入なし、「浄霊」介入ありで治ったときに症例報告はすべきですか?

すべきですし、実際されてますよ。浄霊で調べたことがないですが、気功とかその辺で、そういった症例報告は見たことがあります。「浄霊で治った一例」として報告するのが憚られるなら、「医学的介入なしに自然経過で治癒した○○病の一例」とでもして、要約に「民間療法として浄霊のみ受けていた」と但し書き付けて報告しておけば、それでも世界中の医師が後で検索して見つける事くらいはできます。僕だって、目の前の患者が浄霊で信じられない経過で改善したら、大喜びで症例報告の論文書いて発表しますよ。そんな経験ないけど。

「10万人に1人」「世界に1000人だけ」とかの、医師が一生に一度見ることもないような稀な症例の場合、最初、ある医師が、過去に類似の症例がないか検索したうえで「もの凄く珍しい経過なんだけど」という感じで症例報告します。証拠(エビデンス)として依然最低レベルですが、論文として報告されていれば、証拠の一種としては扱われます(詳しくは「エビデンスレベル」で検索)。その後、他の人が「これが同種の報告の世界15例目です」と連続し、まとまったところで他の人がそれらの特徴をまとめ……という感じで新たな概念が成立し、疫学的調査や臨床試験がなされ、証拠としての質が上がり、いずれは教科書にも載る一般知識となります。だから「医学知識のある人が、珍しいと思った経過をまとめ、とりあえず発表」というのは一般的だし、むしろ医師の義務です。浄霊に限らず、薬の珍しい副作用等だって、まずはそういう報告のシステムから、本格的に疑われてるんですから。

これは、医師が事実上、世の中のほぼ全ての病人を観察しているからこそ言えることです。浄霊頼みの患者であっても、少なくとも医師が採血とかCTとか傍観くらいはしてます。最初から医師の関与が全くなく、霊能力者が癌を診断してそのまま治してしまったような例は、確かに何千例あろうと症例報告されないでしょうが、まあ考えなくていいでしょうね。

琴子の母琴子の母 2010/01/16 10:23 いつも読ませて頂いています。
今回の記事もとっても興味深く、また、助産院や自宅出産の問題との関連性も強く感じまして、ブログで紹介させて頂きましたし、トラックバックも頂きました。

体験談から影響を受ける経験をしていますので、知識の無さがいかに怖いことかとおもいます。
また、無事に済んだ体験談しか得られない(あっても、「搬送されて無事に済んだ」というようなもの)ことの不思議さに早く気がついて欲しいとおもいます。

民間療法と浄霊(宗教)を同じと考えている方は少ないかとおもいますが、思考回路はとっても似ているので、民間療法を信じやすい方が、その奥にあるかもしれない宗教に知らぬ間にはまってしまうということは十分に有り得るとおもいます。

神保町のネコ神保町のネコ 2010/01/17 19:54 桜子 さん

>■
>> 多くの場合、「体験談は証拠にならない」ことを認めていただけるものと願う。
>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>それは無理だと思います。
>でも、お示しの例は、経験のない桜子が致しましても、そうなると思います。(o ̄∇ ̄)o

いや、流石に。
ほかの国はどうかわからないですが(たとえばシャーマニズムの息づく国もあるだろうし)、
日本で言うなら、このエントリーの内容を読んだ後の大半の人は「体験談は証拠にならない」と考えると思うのですが。

何か特定の体験談単体を提示されて、それだけなら信じる人も居るのでしょうが、
このエントリーの様に筋道立ててあれば判断できるのでは?
別に難しかったり、モンティ・ホール問題のような勘違いしやすい構造になってるわけでもないですし。

「UFOは実在する、何故なら子供のころ見たことがあるからだ」って言われても何とも言えない訳で。

酔 2010/01/19 04:30 うーん、意味がよく分からないです。なんの意味かというと、
「体験談は証拠にならない」の証拠が「なんの」証拠にならないのかという部分です。

証拠という言葉は、普通単体では使われず、○○の証拠、ということで意味を持ちます。
しかし、エントリーではそこが微妙に曖昧になっている気がします。

「その療法が効果あるものと私が信じる証拠」ですか?
「その療法が有意義な治療法であると医学的に認められる証拠」ですか?

桜子さんと、この事件の当事者は前者を言い、神保町のネコさんは後者を言っているように思います。


この事件の当事者は、その団体の職員でした。これはなにを意味するかというと、その療法で実際に治ったという体験を、伝聞ではなく、実際に治った当人を目の当たりにする機会が多かったであろうことを意味します。

そもそも、もしその団体がインチキであるならば、まず職員がその団体の実情を知っており、職員こそが率先してその力を信じていないはずでしょう。

(以前、円天という電子マネーを使ったねずみ講がありましたが、そこの職員の給料は、円天ではなく通常のお金で支払われていました。これは、職員がそのシステムをインチキであると知っていたことを意味します。)

目の前に、その方法で助かった人がいた。だからそれを信じた。そこには、医学的にどうか、科学的にどうかということよりも、その人にとって大きなインパクトが有ります。

その人にとって、「信じうる証拠」というのは十分すぎるほどあった、ということになるでしょう。

この話は、この事件について「だから医療に見せなくて良い」というようなことを言っているのではありません。あくまで、このエントリーの「証拠にならない」の論点がよく分からないという話をしています。

tmtm 2010/01/19 12:12 一般的には、客観的にその事象の真偽なり存否なりを証明する根拠となるものを「証拠」と呼ぶんではないでしょうか。
「〇〇と私が信じる証拠」というのは、その方個人における信念とか主義とかの根拠であって、第三者からみて「証拠」と呼べるとは限らないものなのではないかと私は思います。
雑な例ですが、私の知人に、親類や友人が病院で亡くなるとほぼ例外なく医療事故、あるいは医療ミスとみなす人物が居ます。なぜそのようにみなすのか根拠を尋ねると、
「だって、前日に(あるいは数日前に)見舞いに行ったらピンピンしてたんだぜ。急に死ぬようには全く見えなかった。それが証拠さ」というのです。彼にとってはそれは明確な「証拠」らしいのですが、私には「個人的にそのように考えるようになったきっかけ」程度にしか思えません(それですらただの「勘違い」「思いこみ」ですが)。「証拠」という言葉で表現するべきことでは無い、と考えます。

このエントリでいえば、私個人としては「その療法が効果あるものと私が信じる証拠」という酔さんの文における「証拠」という言葉は、「根拠」とか「理由」とかいった言葉に言いかえるべきではないか、と思えます。

と自分で書きつつ言葉足らずだなと思いましたな…うまく説明できずすいません。

酔 2010/01/19 19:24 tmさん

> このエントリでいえば、私個人としては「その療法が効果あるものと私が信じる証拠」
> という酔さんの文における「証拠」という言葉は、
> 「根拠」とか「理由」とかいった言葉に言いかえるべきではないか、と思えます。

なるほど、ところで、辞書には次のように書かれています。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%A8%BC%E6%8B%A0&enc=UTF-8&stype=0&dtype=0

しょう‐こ【証拠】
大辞泉
1 事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。「―を残す」「動かぬ―」「論より―」
2 要証事実の存否について裁判官が判断を下す根拠となる資料。

大辞林
[1] 事実・真実であることを明らかにするよりどころとなる事や物。あかし。しるし。
・ 昨晩雨の降った―
・ 確かな―
[2] 訴訟法上、判決の基礎たる事実の存否につき裁判官の判断の根拠となるような資料。
・ ―不十分

大辞泉には、1の意味の場合、証拠=事実に対する根拠であると書かれています。
そういう「事実」がそこにあったという根拠があれば、それは証拠と呼んでよいということです。

そういう視点で「体験談」というものを見直すと、体験談は、「そういう事実がそこにあった証拠」には十分なっていると思います。
(第三者の証言、って、裁判でも「証拠」になりえますよね。証拠として強い弱いはありますが。)

ということは、「私が○○を信じる証拠」という言葉は、辞書を見る限りは間違っていないように思います。
tmさんの発言は、2の意味に近いと思うのですが、でも内容を読むと裁判の事を仰っているようには見えませんね。

ここにも、エントリーの論旨の曖昧さの理由が存在します。
そもそも証拠という言葉自体が、2つの意味(根拠、もしくは裁判の資料)を持っているからです。

ですから、前に書いたことを、辞書を参考に書き直すと次のようになります。

> 「その療法が効果あるものと私が信じる証拠」ですか?
> 「その療法が有意義な治療法であると医学的に認められる証拠」ですか?

     ↓

A. 「その療法が効果あるものとその人が信じる証拠(=根拠、辞書の1の意味)」ですか?
B. 「その療法が有意義な治療法であると裁判上認められる証拠(辞書の2の意味)」ですか?
C. 「その療法が有意義な治療法であると医学的に認められる証拠」ですか?

辞書を参考にしたら、選択肢が増えてしまいました。

エントリーは「体験談は証拠にならない」という題名ですが、
これは裁判の話をしているのでしょうか?医学の話をしているのでしょうか?本人がなぜ信じたのかという話をしているのでしょうか?

このブログ主は内科医ということで、タイトル横にも[医学]と書かれているので、医学の話をしているのかもしれませんが
読み返してみても、そういう話なのかどうなのか、やっぱりよく分からない。

やはり、「なにに対する」証拠なのか、ということは、文章を書く上で省略してはいけないものなのだと思います。


体験談は、その人が信じうるだけの証拠(=根拠 辞書の1の意味)にはなりうるが、
体験談だけでは、医学者を普遍的に納得させるだけの証拠にはなっていない、というのが、
善い悪いではなく、そこにある現実のあるがままの姿でしょう。
(裁判は、その裁判の争点によって有意義な証拠が変わり、それは裁判官が判断するので現時点で言及できることではない)

エントリーは、後者だけを論じて、前者を論じていない(または、前者は今回の話題の対象外であると明示していない)ので、
疑問を呈する人が現れる、という状況だと思います。

※ 前回も書いた通り、このコメントは医療ネグレクトを肯定する目的で書いているのではありません。

tmtm 2010/01/19 20:24 うーん、私の言葉足らずな説明でより誤解を招いたかもしれませんね。

私には少なくとも酔さんのお感じになったような曖昧さは、全く感じられません。
エントリにおける体験談は、どれも第三者的な検証に耐えうる証拠としての
価値は全く持たないものです。
少なくとも医学的な事柄を語るにおいてはこれを証拠とは云えません。
法廷用語でも何でもなく、一般論としても「証拠」とは言い難いと思います。
「そういう事実がそこにあった証拠」にもならないわけですから。
第三者的な検証が不能な状態なんですよ、その体験談でのは。
それが「証拠」と呼べるのであれば、例えば私が
「うちゅうじんみたよマジマジ」と言ったら、それは地球外生命体の存在の
証拠となる、ということです。
この私の「体験談」を聞いて地球外生命体の存在を信じるようになった人にとって、私の体験談が「地球外生命体の存在の証拠」になってるとしたら、その人はものの考え方が根本的に間違ってるだけ。

ああ、釣られてる感まんてん…

何分かの一何分かの一 2010/01/19 20:39 いや、酔さんが引いた用法で言えば、ここでは 2. の意味では使われていないと思いますよ。裁判やってるんじゃないんだから。

「浄霊」が有効な治療法たり得ない、という事実は、まぁ多くの方が認めるところと思います(そうじゃない人もいるから、このエントリで紹介されてるような悲劇が起こるわけですが…)。にも関わらず、「浄霊」で良くなったという体験談が多くある。つまり体験談がいくらあっても「浄霊」に効果があるという証拠にはならない。きわめて明快で、あえていちゃもんをつけようとしてるのでもない限り、誤読しようのない文章だと思いますけど。
辞書にあてはめるのなら、「「浄霊」に効果がある」が証拠によってあきらかにされるべき「事実・真実」ということになりますね。もちろん、そのような事実はないと私は考えます。

ところで、「体験談は、「そういう事実がそこにあった証拠」には十分なっている」とは言えると思います、一応。ですが仮に「そういう事実」、「浄霊」を受けた方の容態が良くなったという事実があったとしても、その方が「浄霊」によってよくなったという証拠にはならないわけで、これが「浄霊」でなく「ホメオパシー」でも「マクロビオテック」でも話は同じだよ、というのがエントリの主旨ですよね。

わざわざ私ごときがこんな解説付け加えなくても、読み間違える人なんてそうそういないと思いますけど。

突然、横から失礼しました。
ん? 釣りなの? 釣られてるの?

横槍横槍 2010/01/19 21:18 酔さん

>そういう「事実」がそこにあったという根拠があれば、それは証拠と呼んでよいということです。

証拠というのは当該事実の存否を客観的に証明するために使用される資料をいいます。「〇〇を信じる証拠」というのは用法としておかしい。「私は〇〇だと信じる」それ自体は主観的な問題であって証拠でどうにかする話ではありません。信じたければどうぞ、という話です。

>ということは、「私が○○を信じる証拠」という言葉は、辞書を見る限りは間違っていないように思います。そもそも証拠という言葉自体が、2つの意味(根拠、もしくは裁判の資料)を持っているからです。

二つの意味があるのではないですね。それぞれ具体的事実の存否について「客観的に」証明するための資料という意味があります。訴訟における証拠は、特に刑事訴訟において証拠禁止にあたらない資料を「証拠」ということがありますからお調べになられた辞書においてそのように峻別した表記がされているのでしょう。

前提がおかしいから、よくわからないことになるという典型かと。

nn 2010/01/20 00:32 酔さんの指摘は個人的には面白いなと思いました。「証拠」という単語は、確かに国語辞書的には「理由」「論拠」の同義語として、安易に使ってもおかしくない単語ですよね。ただ医学の文脈で「証拠」という単語を使う場合、国語辞典以上の強い意味があり、「第三者の検証に耐える証明の可能な、客観的根拠」という、酔さんが挙げられたCパターンの意味でのみ使います。誤解や混用を避けるために、敢えて『エビデンス』というカタカナ語で表現することもある程の、半分専門用語みたいなものです。自分もこのブログエントリに曖昧さとか違和感とかを別段感じなかったうちの1人ですが、医師は(そういう教育をされているので)ほとんど無意識に『証拠』という意味に色を付けてしまっているかも、とは思いました。

電気屋電気屋 2010/01/20 01:52  コレは純粋に国語の問題だね。
 さて、「証拠」ってのは証(あか)しの拠(よりどころ)って書くワケだけど、「あかし」ってのは自身に対してじゃなく、主に他者に対してする行為だよね?自身に対する「あかし」ってのもありはするけど、ドッチかってェと例外の部類だと思う。また、自己に対して用いるときでも客観を意識して使われていると思う。
 また、よく似た言葉に「確信」と「確証」ってのがあって、似てはいるけど前者は自分自身だけの確からしさなのに対して、後者は他社に対しても有効、つまりあかしだての可能なな確からしさのコト。ココでもやっぱり「あかし」は客体に対して使われてます。
 明確な輪郭を持って定義を与えられた専門用語ではないから、一般的に用いられる「証拠」って言葉は、裁判で用いられるソレ(コッチは完全に専門用語として明確な輪郭を与えられています)とは違ってあいまいさを含んではいるけれど、それでも多分に客観を意識した言葉であることは間違いないように思う。
 そして、NATROMさんが本エントリで用いている「証拠」ってのも不特定の他者への「あかしだてのよりどころ」として用いているのは、そうした体験談を目にする人に対する言及があることから明らかでしょう。
 今回いつものように「エビデンス」って用語を用いず、あえてあいまいさをより多く含む「証拠」という一般的な言葉を用いたのは、NATROMさんが意識している体験談の読者が用語とは無縁の人々を含むより多くの限定されざる人々、つまり、本blogの読者よりもさらに広い層を意識してのことだと思います。

 ただ、今回のエントリがなんらかの影響を与えられる層は限られてそーだなー、とは思う。
 そもそもそんなヤツぁココ見ないじゃん!てのもモチロンあるケド、それ以前にこーした体験談鵜呑みにしちゃう人は、それが代替医療でもオカルトでも区別しない、もしくは出来ないと思うのだ。
 本エントリが意図された効果を示しうるのは代替医療は態度保留だけど、オカルトは即アウトって人だろー。でも、琴子の母さんもおっしゃってるよーに、代替医療にハマる人とオカルトにハマる人とは感性がとても近いと考えられます。ホメオパシーなんて提案された200年前ならともかく、今となってはオカルト以外の何者でもないしネ。現に桜子さんには全く通じてませんし。ソレ一般化しないでー!と言われれば、ウン、そーだね、ホントにね、て思うけど。

酔 2010/01/20 02:39 yahoo知恵袋ではないけど、私にとってのベストアンサーはnさんのコメントになります。

なるほど、エントリーのタイトルが、「体験談はエビデンスにならない」というならば、全く問題はありません。これは、エビデンスという言葉自体に、問題領域のありかを含んでいるからです。

そしてnさんによると、医学者は、無意識に証拠=エビデンスであると思っているかもしれないというわけですが、例えば一般人である私は、「○○の証拠」と書かない限り、問題領域がどこにあるかが曖昧であると見えてしまいます。

別のコメントで、証拠という限り他者を納得させられる普遍的なものであるという必要があるとありますが、私はそうは思わず、問題領域を「私にとって」の証拠とするならば、その用例は問題ないと考えるものです。(これは、そういう一般人が最低ひとりはいるという『証拠』になります(笑))

エビデンスならば誤解は少ないが、一般向けに証拠という言葉を使ってしまったため、筆者の想定外の解釈をする一般人がいる、いうのが、良くも悪くもそれがあるがままの事実であると思います。

うん、私はすっきりした。他の人はモヤモヤしているかもしれませんが。

横槍横槍 2010/01/20 13:24 証拠というのは議論をするための共通の土台を形成するために用いられるものであるわけですが、その土台についての認識がここまで違う人がいるとは思わなかった。
そりゃ噛みあわんわ…。

Y.TY.T 2010/01/20 20:40 否定的な証拠がないからといって、その事象を肯定的に受け止めてしまう場合があるという好例ですね。

酔 2010/01/20 22:56 私の論旨に関係あるものとして、もう一つ面白いものを見つけました。
いま、ちょうどテレビを見ていたら、「今年ブレイクするオネエキャラ」ってのをやっていたんです。

その中で、「徳光和夫の甥のオネエ」という人が出てきまして、出演者はびっくりしていたんですが、その中で、「これが証拠です」といって、その人が徳光和夫と一緒に写っている写真を表示していたのです。

これ、「第三者が必ず納得する客観的論拠」ではないですよね。単に一緒に写っているってだけの写真ですから。

こんな写真をだして、「これが証拠だ」って、テレビがいうんです。
テレビで言うところの「証拠」とは、そういうようなものなのです。

しかし、テレビの影響力というのは、とても大きいものです。
子供の頃から、テレビをずっと見ている人は、証拠と言う言葉をそういうものと捉えるように育っても不思議ではないわけです。そういう「一般人」は、とても多いように思います。

一般人は、「医学者」ではないし、みんながみんな、論理的な議論をする人ではないからです。

こういう個人個人の認識の差異からくる誤解を防ぐために、医学、科学、学問、議論を生業とする人は、nさんがおっしゃるように、証拠と言う言葉を、あえて辞書的には同じような意味である「エビデンス」と言い換えるようになったのではないでしょうか。

電気屋さんという方が

>今回いつものように「エビデンス」って用語を用いず、あえてあいまいさをより多く含む「証拠」という一般的な言葉を用いたのは、NATROMさんが意識している体験談の読者が用語とは無縁の人々を含むより多くの限定されざる人々、つまり、本blogの読者よりもさらに広い層を意識してのことだと思います。

と書いておりましたが、この通り、一般人の認識は、医学者の思う「証拠≒エビデンス」ではなく、テレビなどが言う「証拠=その程度のもの」で生成されていることも多いのですから(しかも辞書を見てもさほど間違っているようでもないし)、一般人のために「証拠」という言葉を選択して使ったのなら、それは誤解を招きやすい、ちょっとだけ不適切な選択だったように思うわけです。

酔 2010/01/20 23:05 追記ですが、単語の選択としてちょっとだけ不適切などと書きましたが、「一般人に訴えるものが多い題名」という意味では、これはとても良い選択だったかもしれません。

一般人が「体験談は証拠にならない」というタイトルを読んで、それまでの一般的な人の考え方とちょっと違う論旨に触れ、「え?」って言ってそのエントリーを読みに来る、という効果が、結果としてあるからです。

AikAik 2010/01/20 23:24
言い出した本人(だけ)がスッキリした話を蒸し返しては不毛かもしれませんが、気になったので。

>nさん
「証拠」という言葉の解釈について議論されていましたが、今回のように医師とそうでない人との間に相違がある時、安易に「医師の感覚は一般人と違うから」と言ってしまうのいかがなものでしょうか。
 今回の例で言えば、やはり個人が日本語の定義に通じていなかったために起こった勘違いであり、natromさんや他の方々が一般人の感覚から外れているわけではないと思うのです。

 「医者の感覚が一般人と違う」というのは昔から言われていることですが、最近は特に「一般人と感覚がズレた世間知らず」であることを強調するときや、「根本的な相互理解なんて無理」と議論を投げるときに使われています。nさんがそういう意味で使われているわけではないのでしょうが、医療者の方が自分から「感覚が違うんで」と宣言されることにはやはり違和感があります。

迂闊に宣言してしまうと、今回のように相手の誤解を深めてしまうだけではないでしょうか。

nn 2010/01/21 00:30 「証拠」という単語そのものの議論は、もうだいたい決着してるようなのでいいですよね。

>Aikさん
前回の自分のコメントは、酔さんのような解釈があり得ることを思いつかない自分に対する戒めとして書いたことであり、一応「医者はこうだから他の人も従え」的な印象を与えないよう、配慮したつもりではあるのですが…伝わってなければすみません。
専門家でない人に、如何に平易な言葉で、正確かつ簡潔に要点を伝えるか、というのは、実地の医師が日々悩んでいる重要な問題です。患者と医師で基本的(と医師が思っている)用語の解釈に相違があり、しかも医師がそれに気づいてすらない、というのは、度々指摘されるところです(代表的なのだと「ショック」とか「食間」とか)。もちろんそこで齟齬が起きないよう工夫すべきなのは、主に医療従事者側の方だと思っています。ていうかNATROMさんはその辺が非常に上手いからこそ人気ブログなわけです(笑)。そういう場で起きたからこそ、この件は小さなズレとはいえ意外に思ったよ、ということでした。

nn 2010/01/21 01:12 ついでだから述べますが、自分がよくこのサイトに来るのも、NATROMさんの文章が、医療者とそれ以外(あるいは科学者とそれ以外)との間に残念ながら厳然と存在する「認識の違い」に凄く敏感で、「根本的な相互理解なんて無理」的なそぶりを決して見せないところが、格好いいな〜勉強になるな〜、と…そんな理由が大きい気がします。インチキ商法や疑似科学ウォッチが楽しいのも、その「違い」をモロに炙り出してくれる理想の教材だからなんだろうな、と(今思いついただけですがw)。
去年の『国民皆保険制度がわりとうまくいっていた理由』の記事とか凄い反響でしたが、自分にはああいう文はとても書けないのです。どこに痒い所があるのか分かってないから。

杉山真大杉山真大 2010/01/21 17:15 以前挙げていた大昔の似た事件ですが、ヨミダス文書館を引っ張り出してようやく見つけました(名前が出ているとこは仮名にしています)。

狂信、坊や見殺し
1952年11月26日 読売新聞夕刊

怪我をしたこどもを霊波でなおすと医者にも見せず殺してしまった布教師を目黒署で調べている。22日朝、目黒区中延2の535世界メシア教(旧観音教)布教師N(31)四男Aちゃん(四つ)は近所の八幡神社の境内で遊んでいるうち高さ4メートルのガケから転落。頭に重傷を負ったが、父親のNは医者にも見せずメシア教お得意の霊波でなおすと手をかざして祈ったが悪くなる一方。25日昼ごろききつけた目黒署員が忠告におもむいたところNは留守でAちゃんは四十度の高熱で苦しんでいたので付近の病院に入れたが同五時頃頭内出血と肺炎で死亡。
同署では過失致死の疑いで調べているがNは「教義が悪いんじゃなく私の力が足りなかった」と言っている。

ROCKY 江藤ROCKY 江藤 2010/01/21 22:04 「もうすこしで直るところだったのに、むりやり病院に連れて行ったせいで死んでしまったんだ」
と開き直らないだけ素直な布教師ですね。

Med_LawMed_Law 2010/01/21 22:12 >自然治癒することはないと考えられている病気が、医療的介入なしで治ったのであれば、一例報告であっても、証拠になると思います。

報告する人達に信頼性がなければ、病気の存在、治療の方法、結果、経緯なにをとっても疑問符だらけで、検証可能性が低過ぎます。
科学的とは、批判を受けられるだけの検証ができるかどうかということでもありますから、inoue04さん的な発想は、悪の集団、インチキ集団に対しては単にNaiveとしか言いようがありませんね。
その発想じゃ、マジシャンが全て霊能力者になってしまいそうな悪寒がします。

門前の小僧門前の小僧 2010/01/22 01:45 どうでも良い気もしますが、

>その中で、「徳光和夫の甥のオネエ」という人が出てきまして、出演者はびっくりしていたんですが、その中で、「これが証拠です」といって、その人が徳光和夫と一緒に写っている写真を表示していたのです。
>子供の頃から、テレビをずっと見ている人は、証拠と言う言葉をそういうものと捉えるように育っても不思議ではないわけです。そういう「一般人」は、とても多いように思います。
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「一般人」という無意味なカテゴライズは一旦置いとくとして、私は、テレビを見て「証拠と言う言葉をそういうものと捉える」ような人よりも、写真を見てその人が「徳光和夫の甥のオネエ」であると信じる人のほうが多いと思います。
テレビで使われた言葉が日本語的に正しいとそのまま信じてしまう人は、その前にテレビで言っている内容そのものを信じるでしょう。
酔さんのような物の見方をする人はかなり少ないのではないかと。