NATROMのブログ

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神奈川歯科大学大学院「統合医療学講座」の問題点について

神奈川歯科大学大学院の「統合医療学講座」のシラバスに、ホメオパシーをはじめとして疑似科学とされる療法が含まれていることを、毎日新聞が報じた。大学がニセ医学にお墨付きを与える構図や、科学的根拠に乏しい施術を手がけるクリニックの増加への懸念も示されており、良記事である。



■大学院講座で「疑似科学」の指摘 運営者が信奉する「見えない力」 | 毎日新聞



この講座は「テレビにも多数出演する医師の川嶋朗氏が大学に持ちかけて始まった」という。川嶋氏は「統合医療は玉石混交。西洋医学を修めたうえで、患者から相談を受けた時に(その施術が)まがいものか見抜ける医療従事者を育てないといけない」と語っている。確かに主張としてはもっともに聞こえるが、だからといって講座の内容が正当化されるわけではない。というのも、川嶋氏自身が推奨する医療こそが、まさに「まがいもの」であり「玉石混交の中の石」であるからだ。

川嶋朗氏の推奨するホメオパシーこそ「まがいもの」だろう

いわゆる代替医療の中にも、将来的に有効性が科学的に確認され、やがて標準医療の一部となる可能性を秘めたものもあるだろう。しかしながら、川嶋氏が推奨するホメオパシーは、そうではない。元の物質を希釈し続け、一分子も残らなくなっても特異的効果を発揮するという主張は、現代科学とまったく相いれない。もちろん、質のよい臨床試験でも効果は証明されていない。

ホメオパシーを実践していた助産師がビタミンKを投与せず、乳児がビタミンK欠乏性出血症で死亡するという痛ましい事件がかつて起きた。これは川嶋氏が関与する団体とは別のものである。川嶋氏はしばしば「医学教育を受けていない素人によるホメオパシー」を問題視しているが、そうした「素人のまがいもの」と、専門家が用いる「本物のホメオパシー」とを、科学的根拠なしにどう見分けるというのだろうか。そもそも医学教育をきちんと受けていればホメオパシーに特異的効果がないことを理解できるはずだ。


川嶋朗氏は標準医療である抗がん剤治療を否定している

ホメオパシーのレメディ自体は、単なる砂糖玉であり無害だ。標準治療を否定しなければ、プラセボ効果を期待して代替医療を利用するのは容認できる、という考え方もあるかもしれない。しかし、「標準治療を否定しない」という点についても、川嶋氏には大きな問題がある。「医師はがんになっても抗がん剤を使わない」という有名な誤情報の発信源の一つが、川嶋氏の著作である*1。川嶋氏の著書*2には、『「あなたやあなたの家族ががんになった場合、抗がん剤を使用しますか?」と尋ねました。すると、271人中270人が「絶対に拒否する」と回答』したという記述がある。

この記述は、きわめて疑わしい。そもそも、一口にがんといっても、原発臓器、組織型、進行度(病期)、さらには患者自身の全身状態によって、治療方針は大きく異なる。治癒切除可能な早期胃がんなら抗がん剤治療はしないし、治癒が見込める悪性リンパ腫で抗がん剤治療を拒否するのはきわめて非合理だ。271人もの医師に尋ねて、誰一人として「がん腫や病期による」と聞き返さなかったのか。271人に聞いたというのはただのでっちあげか、もしくは、極端に偏っている集団(ホメオパシーを実践している医師の集まり、など)を対象にしていたかなのでは。

このような話を自著に書くとき、川嶋氏は疑問に思わなかったのだろうか。疑問に思わなかったとすれば、がんという疾患やその治療法に対する理解が著しく不足している。逆に、疑問に思ってもなお書いたとするならば、読者の健康や命よりも、印税や自分が勧める治療による経済的利益を優先したということだ。抗がん剤治療は科学的根拠に基づき標準医療として広く使われており、こうした誤情報は患者の命や生活の質を著しく損なう可能性がある。

がんという疾患が持つ多様性や個別性を軽視した記述を川嶋氏が行うのは興味深い。というのも、川嶋氏はしばしば、ガイドラインに基づく医療に対して「患者さんには一人一人個性があり体質も事情も異なるのにマニュアルに沿った治療ばかり行う」などと否定的な立場を取ってきたからだ。実際には標準医療も十分に個別的であり、患者さんの個性や体質や事情を勘案して行われているのだが、標準医療は画一的だという誤解はしばしばみられる(■標準医療は画一的で、代替医療は個別的という誤解)。一方で、川嶋氏は患者さんの個性や体質や事情など口先では言っているが、個人差どころかがんという疾患をぜんぶひとくくりにして「抗がん剤治療は絶対に拒否する」などという逸話を紹介してしまっている。



「節制していれば糖尿病にならない」「本人の心がけの問題」という川嶋朗氏の暴論

ここまでの内容からしても、川嶋朗氏が大学で統合医療を教える人物として適任かどうかは、だいたいお分かりいただけたと思う。だが、川嶋氏には、他の代替医療の実践者と比べてもなお看過できない問題点がある。とりわけ、糖尿病や腎不全の自己責任論について、川嶋氏は、「糖尿病性腎症から人工透析になるのは本人の心がけの問題」「自分の不摂生で招いたことなのに国が手厚く保護するというのはどうか」といった主張を行っている。2016年に長谷川豊氏が「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」とブログに書いて炎上したが、それより3年前の話だ。



■生活習慣病の自己責任論について



「節制していれば糖尿病にならないし、人工透析だって必要がない」という川嶋氏の主張は、医学的には明らかに間違っている。ここでも、患者の個別性に対する無理解が透けて見える。よい生活習慣を送れば、そうでない場合と比べて、糖尿病や人工透析導入のリスクが相対的に低くなるというのは事実だ。しかし、人間の体質はさまざまである。どんなに節制しても、糖尿病を発症する人はいるし、努力の甲斐なく人工透析を導入せざるを得なくなる人もいる。付け加えて、不節制が原因で糖尿病のコントロールが悪い患者さんを自己責任として切り捨てるのは大きな問題がある。低収入や低学歴といった社会経済学的な背景が糖尿病のリスク因子であることは広く知られている。運動や受診のための時間を十分に確保できる患者さんばかりではないのだ。「患者さんの個性や体質や事情」を無視しているのは川嶋氏のほうだ。統合医療とは本来、個々の患者さんの事情を深く知り、価値観を重視する医療ではなかったのか。川嶋氏が、糖尿病の臨床に携わっていないことを切に願う。糖尿病コントロールの悪化を患者の責任とみなす医師になりかねない。

「統合医療学講座」そのものは、大学にあってもよいと考える。また、公権力が介入して講座を止めるようなことはあってはならない。しかし、標準医療を否定し、患者の体質や事情を軽視して安易な自己責任論を主張する医師が講座に関与していると、学術機関としての信用を著しく損なうだろう。神奈川歯科大学大学院の「統合医療学講座」のシラバスを拝見したが、専門的な医療の知識がなくても、その内容に疑問を持つことは難しくない。また、川嶋氏以外にも、根拠の乏しい医療を自費診療で高額な対価を取って提供している医師が散見される。大学の上層部がこうした「まがいもの」を見抜くことができないのか、あるいは、見て見ぬふりをしているのかは私にはわからない。しかし、このような問題を抱えた講座が存在する大学であるという事実は、広く知られるべきであると私は考える。また、メディアにもお願いしたい。視聴者の命と健康よりも視聴率が大事なのであれば止めないが、川嶋氏を出演させるということは、まともな医学知識を持っている人からの信用を失わせることであることを理解してもらいたい。



*1:■ある本「99%の医者は自分に抗がん剤を使わない」→「そんなわけない」と医師ら反発 (BuzzFeed News)

*2:『医者は自分や家族ががんになったとき、どんな治療をするのか』川嶋朗著、アスコム、2015年

昇竜拳が出ない

息子がスト2をプレイしていた。正確にはNintendo Switch版「ストリートファイターIII 3rd Strike」。30周年記念のコレクションで、歴代シリーズが楽しめる。いい時代だ。

初代「ストリートファイターII」がゲームセンターに登場したのが、私が大学生のころ。対戦台ができ、ひたすら50円玉を投入した。トッププレイヤーというわけではないが、そこそこは勝つことができた。六本松のゲーセン*1は強者がそろっていたが、夜の中洲あたりのゲーセンで、酔っぱらった兄ちゃんが相手ならいくらでも勝つことができた。メイン使用キャラクターは春麗だったが、他のキャラクターも一通りプレイした。とうぜん「ゲーメスト」は毎号読んでいた。「ストリートファイターZERO」あたりまでは追っかけていたが、さすがにゲームに費やす時間が取れなくなってきて、以降は脱落した。

さて、息子に頼まれて昔の作品をプレイしてみせることになった。よーしパパいいとこみせちゃうぞ、と意気込んだが、コンピュータ相手に苦戦した。こんなはずじゃなかった。春麗でベガにぜんぜん勝てないのでリュウに変更したが昇竜拳が出ない。昇竜拳のないリュウはただのでくの坊だ。というか波動拳すら怪しい。なぜお前は意味もなく前ジャンプ小パンチを出すのだ。結局、どうにかこうにかガイルでクリアした。ガイル強いよね。

ゲームパッドのせいだと思い込んでいたが、後日、ゲームセンターでプレイしたところ、ゲーセンのコントローラでもぜんぜん昇竜拳が出ない。

ゲーセン行ってきた

これが加齢か。Switch版にはトレーニングモードがあるので、練習したら昇竜拳を打てるようになるのかもしれないが、そこまでする気力がない。もう反射神経を使うゲームは難しいのかもしれない。

というわけでファミコンウォーズをプレイしている。とても楽しい。

戦闘工兵がんばれ

*1:いまネットで調べたらキャビネット型対戦台の発祥の地だという説がある。

HPVワクチン推進は「優生思想」か?

HPVワクチンは世界的に安全とされている

HPVワクチンは安全だというのが世界の標準的な考え方である。

HPVワクチンはきわめて安全です。

「HPVワクチンは安全」とされるのは、副作用が一切ないという意味ではなく、他のワクチンと同様に、許容できる範囲に収まっているが一定の副作用は起こりうる。とはいえ、元杏林大学保健学部准教授の平岡厚さんが主張するように「HPVワクチンの深刻な副反応・薬害としての自己免疫性脳症が、相当規模で存在している」とは考えにくい。日本を含め、HPVワクチンの定期接種が中止された国は存在しない。積極的勧奨が差し控えられた日本以外の国ではHPVワクチン接種が継続されている。平岡さんの主張が正しければ、海外において日本の何十倍もの「薬害」が発生しているはずなのに、ほとんど問題になっていない。この点について、


■HPVワクチンの「相当規模」の薬害が存在するのなら、WHOやCDCがなぜ無視しているのか、合理的な理由を説明して欲しい


をはじめとして平岡さんに何度もお尋ねしているが、いまだに有効な回答をいただけていない。

「優生思想と功利主義の影響」という説明は根拠に乏しい

強いて言えば、「功利主義と結びついた優生思想の影響」があるという主張が回答なのかもしれない。功利主義とは「(ある程度の犠牲を伴う施策によってでも)最大多数の最大幸福が得られればよい」とする考えだ。平岡さんによれば、WHOの幹部を含むHPVワクチンを推進する少なくない人が「副反応を発症しやすい一群の人々が『淘汰』されても、全体として子宮頸癌の発症が減少すればよい」「極一部の人に重篤な副反応が生じても、それは無視してよい」と考えているのだそうだ*1

平岡さんの主張は、相手の立場を極端に単純化し、それを批判することで論を進める「わら人形論法」である。わら人形論法ではないというのであれば「副反応を発症しやすい人々が淘汰されてもいい」という主張を具体的に引用すべきである。

あらゆるワクチン推奨を「優生思想と功利主義の影響」のせいにしてしまえる

また、平岡さん自身が認めているように「どんなワクチンでも少数であれ、必ず副反応による被害が出てしまう」のであるから、「功利主義と結びついた優生思想の影響」という論法はあらゆるワクチンを否定する反ワクチン的な主張を可能にしてしまう。平岡さんは新型コロナワクチンを容認しているが、もし反ワクチン論者が以下のような主張を行ったら、平岡さんはどのように反論するのだろうか。



新型コロナワクチンを推進する人々の中に、優生思想と功利主義の影響を受けて「副反応を発症しやすい一群の人々が『淘汰』されても、全体として新型コロナの発症や重症化が減少すればよい」「極一部の人に重篤な副反応が生じても、それは無視してよい」という思考が潜在している。


平岡さんによれば、新型コロナウイルスは「空気感染により高齢者や持病持ちの人々に相対的に高い死亡率をもたらし、また感染者の一部をLongCovidで長く苦しめる非常に危険な病原体であり、また特効薬もワクチンと比較してさほど遜色がない代替手段も今はない」ことを理由にワクチン接種を容認するのだそうだ。つまり、空気感染する危険な病原体に対するワクチンであれば、平岡さんは「副反応を発症しやすい一群の人々が『淘汰』されてもよい」「極一部の人に重篤な副反応が生じても、それは無視してよい」とお考えなのか。

百歩譲って、空気感染する病原体に対するワクチンならば容認するとしても、空気感染しない病原体についてはどうか。B型肝炎ウイルスは空気感染しないが、B型肝炎ワクチンは国際的にも推奨され、日本でも定期接種の対象である。もし反ワクチン論者が以下のような主張を行ったら、平岡さんはどのように反論するのだろうか。



B型肝炎ワクチンを推進する人々の中に、優生思想と功利主義の影響を受けて「副反応を発症しやすい一群の人々が『淘汰』されても、全体としてB型肝炎が減少すればよい」「極一部の人に重篤な副反応が生じても、それは無視してよい」という思考が潜在している。


B型肝炎ワクチンを否定する「B型肝炎ワクチン接種慎重派」と、平岡さんの主張はいったいどこが違うのか、何度もお尋ねしているがいまだに有効な答えがない。B型肝炎ワクチンは安全で効果的であるが、副作用が一切ないというわけではない。平岡さんは、B型ワクチン推奨についても「功利主義と結びついた優生思想の影響」があると主張しなければ整合性が取れないはずだ。

実のところ、HPVワクチンを含むワクチンの推奨は、優生思想とはまったく異なるものである。むしろ、科学的に有効性が確認されたワクチンを否定する立場こそ、感染症に弱い人々が淘汰されても構わないという発想に通じかねないのではないか。

代替手段の考察も足りない

代替手段についての平岡さんの考察も、残念ながらきわめて底が浅いと言わざるを得ない。新型コロナに対しては「代替手段も今はない」ことを理由にワクチンを容認するが、ワクチンが開発される以前から、マスク着用や手洗いといった基本的な感染対策や、ロックダウンによる人流抑制という手段はあった。むろん、そういった代替手段だけでは効果不十分であったり、害が大きすぎたりするので、ワクチンを含めて総合的な対策が必要だというのが標準的な考え方である。

それなら、子宮頸がん対策だって同じことだ。子宮頸がん検診は浸潤子宮頸がんの発症や死亡を減らす有効な手段であるが、検診だけでは十分ではないし、偽陽性や過剰診断、前がん病変への治療的介入に伴う合併症といった害もある。B型肝炎についても、定期接種ではなく高リスク者への選択的接種という手段もあるし、効果的な抗ウイルス薬も利用可能である。

HPVワクチンだけ優生思想を結びつけるのは不当である

以上のように、HPVワクチンの推奨だけを「功利主義と結びついた優生思想の影響」があるとするのは妥当ではない。平岡さんの主張は一貫性を欠いている。首尾一貫という点だけを見れば、すべてのワクチンに反対している反ワクチン論者のほうが平岡さんよりもましである。

そもそも、ワクチンに限らず、あらゆる医療介入には一定の害が伴う。害よりも利益が十分に大きいと考えられたとき、その医療介入は推奨される。これは広い意味での功利主義と言えるかもしれないが、「害は無視していい」とか「害を被る人が『淘汰』されてもいい」とかいう主張とは同義ではない。

害と利益のバランスを適切に評価するには、科学的根拠と専門的知見に基づく検討が必要である。一方、自らの好みに合わない医療介入に対して、「推進している人たちは害を無視してよいと考えている」とレッテルを貼り、「功利主義と結びついた優生思想の影響だ」と断じ、「脆弱な一群が存在するかもしれないから中止すべきだ」などと主張するのには、専門的知見は要らない。害より利益が上回るという研究も無視できる。論文を読む必要も、誠実な議論をする必要もない。

HPVワクチンに反対するのなら、HPVワクチンの害が利益を上回ることを示せばいいだけなのだが、いまやHPVワクチンによる利益が害を上回るという圧倒的な証拠が積みあがったので、「功利主義と結びついた優生思想の影響」を持ち出すしかない、というのが平岡さんの立場なのだろうと私は考える。


*1:たとえば、平岡厚著、昨今の日本における疑似科学、オカルトおよびカルト集団の動向、社会主義理論研究、2024 年 4 巻 1 号 p. 74-97 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sost/4/1/4_74/_pdf/-char/jahttps://x.com/pinggangho44374/status/1790628530495332841