NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

吉村医院の哲学

以前、■信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産で言及した吉村医院が取り上げられると聞いて、2010年2月7日の「エチカの鏡」というテレビ番組を視聴した。吉村医院は自然分娩を行う産科医院で、番組内では好意的に取り上げられていた。自然分娩という選択肢があってもいいと私は考えている。ただし、妊婦および家族に対して自然分娩のリスクについて十分に説明されている必要がある。テレビ番組では、自然分娩のリスクの説明が不十分であるように感じられた。「動物には難産はない」「江戸時代にはツルツル生まれていた」と、あたかも自然なお産では難産はないかのように誤解させる内容だった。ただ、編集によってリスクの話が削られたのかもしれない。

死んだっていいって思やあ、それでいい

吉村医院院長の吉村正医師が、自然分娩のリスクをどのように考えているかについて、「きらきらねっと」というページに掲載されていたインタビュー記事*1が参考になるだろう。結論から言えば、吉村正医師は、自然分娩のリスクについては十分に認識している。「りーべる」氏はインタビュアーである。



りーべる:

今度ってあるかないか分かんない今度ですけど、

自宅分娩でもいいかなって思うんですよ。

吉村先生:

いいじゃないですか。

りーべる:

理解してくれる助産婦さんがいてくれたら…。

吉村先生:

だからね、

死んだっていいって思やあ、それでいいじゃないですか。

りーべる:

ああ、納得。なるほど、そうですね。

吉村先生:

子どもが死んでもね。

りーべる:

うんうん。

吉村先生:

死ぬのはだめ、死ぬのはイカンなんて医者が言っとるでしょ。

それは医者が儲けるために言っとる。


自然分娩に好意的な人たちは、しばしば、自然分娩は安全であり、陣痛誘発剤などを使う現代医学によるお産のほうが危険であると言う。しかし、吉村正医師は、そのような人たちとは一線を画しており、この点については評価に値する。きちんと、「死を覚悟して産むこと」と言っている。それならば医師は不要なのではないか、と思うが、実際、吉村正医師は、「医者なんて要らない」とはっきりと言っている。お産では、「死ぬなんてことはほとんどないんだから」。ほとんどない、というのは主観が入るが、吉村正医師は、具体的な数字もあげている。



それは元々だめだったんだもん。
母親は一万人にひとり、赤ちゃんは四、五百人にひとり。
それが、死ぬって、病気になるって言って大騒ぎしとる。

その間、めちゃくちゃ金使ってね。
めちゃくちゃ母親を脅かして。

いいお産ができなくなっちゃって、母親が本当の母親になる道を断っとるんだ。
めっちゃくちゃだよ、今の医者は。


「母親は一万人にひとり、赤ちゃんは四、五百人にひとり」というのは、現代医学が出産に介入するようになってからの数字であるので、自然分娩を擁護するために持ち出すのはアンフェアである。江戸時代の統計は見つけられなかったが、明治時代の1900年ごろの日本の妊産婦死亡率は、出産10万対で400人ぐらいである。だいたい250人に1人。周産期死亡率については、統計がある1950年ごろで出生1000対で40ぐらい。だいたい25人に1人。これを多いとみるか少ないとみるかは、それぞれ個人の考え方があってよいと思う。それに、いざとなったら現代医学に頼れる現代日本の自然分娩のリスクは、もっと小さい。

私は、現代医学の介入によって家族の死ぬ確率が減るのであれば、そちらを選択したい。安全なお産がいいお産であると考えるし、別に病院で産んだぐらいで母親が本当の母親になれないとは考えない。しかし、リスクを知らされた上で、自然分娩を選択したい人がいれば、それは自由だ。細かいことを言えば、母親がリスクを承知で自然分娩を行うのは問題はないが、胎児に選択の余地が無いのが問題である。エホバの証人の子の輸血拒否が妥当かどうかという問題と類似しているが、これ以上はこの問題についてはここでは触れない。

遺伝子が駄目だったから産めないんだよ

自然分娩はリスクがあるとは言え、比較的低いリスクである。なので、あえて自然分娩を選択する人もいるというところまでは私も理解できる。しかし、吉村正医師による、自然分娩で産めない人は産むべきでない、という主張には首肯できない。



自然のものを食べて、自然な心でおって、
自然に体を動かしておればツルツルに産まれますよ。

みんな、ちゃんと産んだんだ。
産むべき人じゃない人は死んだんだよね。

それは遺伝子がだめだったの。
遺伝子が駄目だったから産めないんだよ。

CPDっていってね、
赤ちゃんの頭と骨盤との形が合わないから出ないって言われる人がおるけど
こんなことはあり得ません、必ず出ます。

神に従って生活し江戸時代のように農耕社会で生きておれば、ちゃんと出ます。

それができないのは、妊娠中にゴロゴロして、パクパク食べて、ビクビクしてね、
神に従った生活してないからいいお産ができないんです。

でも、うちはツルツルに出るよ。



医者なんてくだらん大学なんていくとバカになって
勉強すればするほどバカになっちゃう。
お産なんてことが解らなくなっちゃう。

大体、生物学でお産が診れるなんてことは、
節穴から現象だけをちょっと見とる様なもんです。

私はそれを全部取りはらって、認識能力…そいつは神も認識するし、
科学的な認識もできるし、すべての認識能力でお産というものをみている。

それで正しいお産というものができるように指導してきたわけです。
それでツルツルですよ。

うまくいかん人は、もともと遺伝子的に駄目な人。それは仕方がない。

それは昔はみんな死んどった。
人間はね、いらん遺伝子を排除して
良い遺伝子だけでね、ずうっと太古以来、続いてきたんだよ。

それが、西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。
助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる。


自然分娩で産めない命は「助かっちゃいかん命」で、現代医学の介入によって死なずに生まれた人は、「悪い種」を撒いているのだそうだ。産科医療に限らず、医学によって助かったすべての人に対する侮辱ではないか。健康な人間の傲慢な見方である。しかも、吉村医院であれど、100%の妊婦が自然出産できるわけではない。数%であるが、他院に搬送され、帝王切開を受ける人もいる。「赤ちゃんの頭と骨盤との形が合わないから出ないって言われる人がおるけど/こんなことはあり得ません、必ず出ます」とあるが、■信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産の症例は、まさしくそのような症例であった。「必ず出る」はずが、3日間ねばった挙句、他院に搬送された。

おそらく帝王切開を受けて児は生まれたのだが、「神が選択してこりゃだめだっていうものをだよ、 むりやり出したなんてことは天に対する大罪」なのではなかったのか?現代医学によるお産を、「天に対する大罪」だなどと批判しておきながら、うまくいかないときには現代医学に頼るというのは都合が良すぎはしないか。自然分娩を行う施設であっても、なんらかの異常があれば、現代医学による出産が可能な施設に搬送してもよいし、搬送するべきである。現代医学に頼るな、と私は言っているわけではない。現代医学に頼ることもあるのだから、それなりに敬意を払うべきであろう。

一つ気がかりな点がある。妊婦や家族も、上記引用したような話を聞いているわけである。自然分娩で健康な子を産めた90%以上の妊婦は、それは幸せであろう。自分は、正しいお産ができた良い遺伝子を持っている人間であり、病院で産んだ他の母親と違って「本当の母親」になれるわけである。しかし、他院に搬送された妊婦はどう感じるであろう?自分は「遺伝子的に駄目な人」で、子は「神が選択してこりゃだめだっていうもの」を「天に対する大罪」を犯しつつ「むりやり出した」「助かっちゃいかん命」であることになる。それに、自然分娩で産めたとしても、遺伝病や先天性心疾患や染色体異常など、一定の確率で何らかの疾患を持つ子が生まれることは避けられない。「西洋医学」の介入がないと助からない子だっているのだ。そのような子の存在を知っていてもなお、吉村正医師は、「西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる」と言ったのであろうか。