2012-01-12 <現象生命体の挙動を追う>
https://twitter.com/#!/zofy_dokidokiP/status/156748583150944256
これは意外でもなくそうだと思ってた。いや、単純に社会人にしろ学生にしろ、帰宅して自由時間がとれるのってこのへんピークじゃないかなと。休日ならともかく平日朝昼は仕事なり学業なりがあるし、夜中になったら翌日のこと考えて寝ちゃうでしょ? 一番視聴者が多いと思われるのが夜の9〜11時くらいなんじゃないだろうか。ただ、あくまでも人が集中する時間というだけで、夜勤で昼空く人もいれば塾から帰って夜中に見る人も少なくないと思う。
【クリプトン伝説&セガProject DIVAチーム伝説】
http://d.hatena.ne.jp/colorred/20120112
ミクがニコニコで人気が盛り上がってきたころにニコニコ運営がミクの曲をカラオケで出すと言って作曲者から原盤権掠め取った上でジャスラック登録するって暴挙に出た。登録アーティスト名が初音ミクで。クリプトンがまず、初音ミクでの登録無効と原盤権の返還、ジャスラックの勝手な登録禁止でニワンゴとやりあって権利勝ち取ってくれた。MIDI以来のDTMの仇を取ってくれたようなものだ。以来ミク曲のネット利用問題無が保障されてミクが爆発的にネットで広がった。
・いろんなところで使ってもらえればいいかなとwatさんが高解像度な絵を勝手に公開(笑)
◆月に2枚程度ずつKEI氏に頼んで絵を公開する予定だったが上記事案をみて中止に
◆伊藤社長の「みんなの描いたいろんな絵をみたい」指令でpiaproの突貫開発
◆平行して初音ミクに関する二次創作のガイドラインを作成し公開(↓当時の規約の一部)
◆「当時の初音ミクはガラス細工みたいに僕らが下手に触ったら壊れてしまいそうでおっかなびっくりで慎重に整備した」
◆版権管理にフロンティアワークスと契約してたが抱き枕カバー事件で解消
◆「絶対指二本(二億)は行けますよ」と話を持ってきたアニメ会社を取り合わず。
◆ワンフェスに一日版権のため参加するが慎重に審査しすぎて(笑)不手際も多く猛省、それ以後ワンフェスはグッスマと協力体制をとる
◆TGSの会場からよくわからんテンションで勢いだけの電話をいきなりかけてきたSEGAと手を組む(笑)
◆ドワンゴがPと契約書を交わさず勝手に始めた着ウタ配信でYAMAHAと一緒に反論、原盤権等をPの手に取り返す
◆piapro出口の一つとしてKarenT開始
伊藤社長はジャスラック全否定ではないんだけどね。しかるべき報酬はあるべきと考えてる。ただ、当時のシステムはミク界隈にはそぐわなかった。その時の言葉で「ジャスラックはありがとうを届けない」ってのは深いと思う。紆余曲折あって部分信託を勝ち取ったのは大きな功績だと思う。
運営のやり方は気に喰わないけど当事の慣習の当然の振る舞いだったとは思う。要するに、音楽作るようなのは俺たちがCDなりを出してやる立場ってのが長く続いたからね。
ミク曲の場合、趣味で作ってた人が数多く居たので大問題になった。デビューしたいバンド連中の曲が受けたんだったら起こりえない問題だった。ミク界隈にだけは業界の論理が通用しなかっただけの話。それに異を唱えたクリプトンがさすがだと思う。
