欧米流と日本人


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 ちょっと面白い分析記事があったので紹介したい。以下は今年のW杯サッカー日本代表ザッケローニ監督の失敗に関して、記事抜粋。
ザッケローニ監督の誤算は、本田、香川、長友、内田らワールドクラスと評価された選手たちの「予想を超えた勤勉さ」だったのではないだろうか。監督は、日本人の戦術的指示を忠実に守る「勤勉さ」を愛していた。たが、まさかワールドクラスの選手が、ここまで「勤勉」であるとは、監督の常識を超えていたのだろう。
ザッケローニ監督の母国イタリアでは、監督が選手に戦術面のみならず、集団生活から厳しい規律を課している。それは、イタリア人が真面目な国民性だからではない。むしろ逆である。イタリアの選手たちは基本的に我儘で、勝手な事ばかりするから、厳しい規律なしではチームとして成り立たないからである。
しかし、どんなに厳しい規律を課しても、「10番」のエースプレーヤーの我儘は抑えることができない。むしろ、規律を逸脱した我儘さは、時に観る者を圧倒的に魅了する「ファンタジー」あるスーパープレーを生むとして、最終的には称賛されてきた。
 ザッケローニ監督は、日本人は「勤勉」な民族だと思っていたが、本田や香川らワールドクラスの選手は、究極的には我儘だろうと思いこんでいたに違いない。試合の状況によって適当に規律を逸脱し、決定的な仕事をしてくれるだろうと信じていたはずだ。ところが、彼らは監督の指示を愚直に守り、最後まで「勤勉」なだけで終わってしまった。
 端的に言えば、ザッケローニ監督の失敗は、我儘なイタリア人を躾けるための厳しい規律を、そのまま日本人に課してしまったことだ。それは、日本人に対して「やり過ぎ」となってしまったのだ。日本人選手は、イタリア人の監督からすれば、まさに理想的なほど規律ある組織を作った。しかし、次第にその規律でがんじがらめになっていき、最後は「思考停止状態」に陥った。それは、脇役のチームプレーならわかる。しかし、規律を逸脱したスーパープレーを期待したエースまでもが、ただ「自分たちのサッカー」を譫言のように繰り返したのは、監督にはまったく予想外だったに違いない。(2014年8月22日 ダイヤモンド・オンライン)』(http://diamond.jp/articles/-/57998?page=2
 この失敗、グローバルスタンダードを導入した日本企業にも当てはまると思う。
 欧米人は基本的に日本人ほど熱心に働かない。そもそも彼らは働くのが嫌いであり、苦痛と感じている。しかし、日本人は本質的に勤勉であり、もともと熱心に働くのである。
 従って、元々働かない欧米人を賞罰強調により無理矢理働かせるように設計したグローバルスタンダードの仕組みは、そのまま導入すると日本の組織では不具合が出る。
 競争を強化し、賞罰のコントラストも付け・・・そういうグローバルスタンダードな仕組みを導入すると、最初の半年か1年は劇的に効果が出る。日本人は、本当に必死に働くからだ。しかし、ある程度、期間が過ぎると、途端に効果が出なくなり、失敗ばかり目立つようになる。
 何故か?
 日本人は、欧米的な競争主義を導入すると、働き過ぎてしまうのである。その結果、エース級の人材が皆、うつ病になったり、疲弊して使い物にならなくなったりする。それでも会社がグローバルスタンダードをやめないと、会社に残って働くのは、嫌々働かされている様な人だけになる。
 丁度、日米戦争の時、半年間は無敵の強さだった日本軍が、それ以後は急に弱くなり、優秀な人達が戦死してボロ負けするようになったのと同じである。
 日本人は真面目で勤勉、無理に働かせればどこまでも働く。だけど、それをやり過ぎると、働き過ぎて死んでしまうのだ。
 だから、日本人には、グローバルスタンダードは合わないのである。飲食チェーン店のすき屋とか、あとユニクロとか、残酷なグローバルスタンダードを導入した企業は、最初は上手く行ったように見える。だけど長期的には上手く行かない。社員がダメになる。
 日本で長期的に伸びる企業は、グローバルスタンダードを捨て、日本的経営を実践し続ける会社であろう(http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20120616/1339818802)。



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