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2012-02-11

2値で結論を出したい人たち

放射能の影響について、ある/ないの2択で正解を知りたがる人が結構いるみたい。いや、放射能の問題に限らずだね。

実際には科学が出す答えって、多岐に渡るパラメーターにより動的に決定されたりする。みんな大好きダイエット効果なんてその典型で、その効果は非常に限定的(かつ大抵非現実的)な条件を伴っているんだけど、明快な答えが大好きな人は「効果がある」という答えに満足し、それ以上の説明を求めなかったりして。

もともとそういうのはある種のプロパガンダに近いもので、曖昧な答えをあえて明快な言葉に置き換えている。もとより誠実な話ではないけど、所詮、マーケティング戦略のレベルの話であるから許されているんだと思うんだよね。

そういうある種のマスコミによる洗脳にかかっちゃってる人たちは、今回の放射能の影響について非常に曖昧な答えしか出てこない状態は耐えられないんだろうかね。

本当は「その程度であるわけねーよバーカ」と言いたい専門家が山ほどいるんじゃないかと思っているんだけど、YES/NOを明快に言うこと自体が不誠実な態度であるからして、そうは言えない。だからこの仮説が正しいとしたらとかこのデータがどうとか今後何十年か影響分析をとか言うしかない部分があるんだよな。

もっとみんなが「YES/NOじゃないけど明快」なモノの考え方に慣れていたら、そういう混乱は起きづらいのだと思うんだけどな。

これなんか典型的なアレ

「よくわからない」んじゃなくて「よくわかろうとしてない」のだから幻想に怯えているというやつであるよ。お化け怖いってね。「50年黙ってろ」って思っちゃう人は本当に50年黙ってたほうが良いと思うなあ。

ブクマで罪のないところを巻き込むのはやめたほうが良いと思うんだけど

某M氏と某D氏の争いの結果、某M氏が公開した住所が入居者募集中の空き部屋だったらしいって話で、そこが載っている不動産屋のページがブクマされているんだけど…

そりゃ揉め事を起こした人にとってみればそれはある種の証拠だから確保したいのはわかるけど、騒いじゃうとそれが「曰くつきの」物件になっちゃうじゃない。不動産なんてただでさえそういうのセンシティブなものなのに、高級マンションときた日にゃ「ネットで悪い噂が」なんて話になったら最悪それなりの賠償を求められちゃうんじゃないのか?

少なくとも、この住所は「正体不明のネット民に襲撃されかかった過去」を持つことになりつつある。

不動産屋に責任がある話だったらもちろん違うけどさ、そうじゃないとしたら、たとえ真実そこに住んでいても、住んでなくても、これはネットに静止点として残す情報じゃないよ。

誰かの非をあきらかにするためなら、そういうことも辞さない(というか、そこに想像が至らないだけなのかも知れないけど)のであれば、そんなものはクソ食らえだ。

某M氏に問題があるのは十分わかったんだからさ、これ以上他者に火の粉を降らせるようなことをしないように願いたいなあ。

以下、これを書いた時点でコメントしている方々に注意喚起として。

id:kanose

id:dimitrygorodok

id:skeleton-lair

id:d-ff

id:SIVAPROD

id:tikani_nemuru_M

id:nt46

id:fut573

id:axel69

id:kowyoshi

id:y-mat2006

id:kyo_ju

id:fujiyama3

id:D_Amon

id:felis_azuri

id:Wallerstein

id:riksdybednmtuk

2012-02-10

そうは言っても搾取がやだという感覚はわかる

年金についての先行きとか、そういうのは正直なんとかならないかと思う。自分たちが将来的にできない可能性が高い物のために多大な投資を強いられる。

ワーキングプアなんて不公平の典型的なものだしね。

そしてアッパーミドルを維持できないのは誰のせいだよ、なんでこんなに金がないんだ。っていうときに、搾取構造の老人年金、自分よりバカなのに税金で養われてる生活保護者、そういうもの色々に矛先が向くわけですね

Harnyan726 2012/02/09 13:52:43

「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」 - Togetter

なんかちょっとアレなことを言っているようにも見えるけど、実際にこういう感覚を持っている人は多いんじゃないかなあ。

こういう不満を「社会的な考え方からみて間違っている」って否定してしまうのは簡単なんだけど、高貴な内面を磨くことで解決するんだ、と考えるのはやっぱりちょっと無理で、納得感のある解を提示しないと不満はくすぶるばかりだと思ったりします。

まあ、はっきり言ってしまうとこんな発言は社会に対する甘えだし、バカじゃないからこそ周りもひっくるめて社会を回すために活動して生きるのが人間ってもの。でも、日本という国が不況だ格差だと言われる中、国として今後どのような発展を目指すかのビジョンが示されて欲しいのも確か。バカじゃないなら自分でそれを考えてみるのもよいかもしれないね。嫌なら外国いけ、なのかもしれないけどね。

健常であることに甘えている人たちに

働かざるもの食うべからず、精神病は甘え、といってしまう人たちの気持ちはわからないでもない。「自分たちがこんだけ頑張っているというのにアイツらときたら」。社会っていうのはそんなものだと言われても、納得が行かない。ましてや、生活保護なのにパチンコ三昧とか、病気かどうかわからないような病気で手当の出る休職しまくる公務員とか、許しがたい罪悪である。

なんか、そんな話ってあまり昔は話題にならなかったような気がする。ネットである種の不正が暴かれたお陰で、一部の悪質な輩がクローズアップされて、それに十把一絡げの如く、生活保護世帯自体が不正とか精神病は仮病みたいな風潮が見られるのはネットの負の側面といってよいだろうか。

僕が子供の頃って、生活保護家庭は憐憫の対象でしかなかったような気がする。これは、社会が成長しているさなか、必要最低限の保障しか得られず細々と生活していたからだろうから、現在の、「働いてもそのレベル」という層があまりおらず、比較の対象にならなかったからかもしれないけれども。

精神病にしたってそう。正直、なぜそうなってしまうのかよくわからないから、怠けてる、ズルしてる、と見えなくもない。でもさ、病気であるという状態においてメリットなんて絶対ない。気の持ちようで簡単に治るならみんなそうしているよ。

その医療費は精神科系統も含まれてない? ちゃんと生きて、人と接して、甘えがなかったら精神系は治せるんだよw 親から色んなモノを与えられてきた為、社会で挫折するんだよ… だからそこを鍛えなくちゃいけないと思うんだww

pphiyoko 2012/02/09 02:49:09

生活保護は働け?!!  うつは甘えだ?!! というテンプレートの阿呆が居た。 - Togetter

いやいやしびれるよね。甘えがなかったら直せる!(ドヤッ

ここでのやり取りはもうどうしょうもなく無理解のなせるものだと思うけど、無知、偏見のレベルを超えて差別の域に入っているように思えますね。

よく、挫折を知らないから鬱病になるんだ的な発言も聞きますが、逆に問いたい。お前は真の挫折を経験したことがあるのか、と。

幸い、僕はどうも心のどこかが強靭にできている、あるいは何かが足りないみたいで、鬱病という症状を得たことがない。だから、鬱病の人の気持ちにどこまで同調できるかはわからないけれども、少なくとも甘えがなかったら治るなんてものじゃないのは知っている。

いずれにしても、こういう社会の弱者救済システムを批判する人は健常*1であることに甘えているのだと思う。自分はうつ病にはならない、自分は生活保護を受けるようなことにはならない。そう思うのは勝手なんだけれども、3.11を経験して、それでもなおそれを言うことができるというのが不思議でならない。

そのときがやってきたら自分がいかに健常であることに甘えていたことを痛感することだろう。

*1:誤解がないようにいっておくと、健常とは相対的に優れていることを意味しているわけではなく、単なる社会におけるテンポラリの状態を示すに過ぎない

2012-02-09

子供の目の輝きは大人の視線を写す鏡

途上国と日本とでそんなに違うのかな?

もし途上国に行かれて、ここの子どもたちの目は輝いているのに日本の子どもたちの目は死んでいる、日本の教育を何とかしなければ、と思われたなら、まずは子どもたちに高卒/大卒の収入の違い・失業率の違い・婚姻率の違い・医療コストの違い・犯罪率の違いや学校歴別の収益率の違いを調べて、身近な子どもたちに教えてあげてアメを見やすくしてあげる事は、日本の子どもたちの目を途上国の子どもたちの目のように輝かせるために手軽に出来る大事な事だと私は思います。

途上国の子ども達の目の輝きと、日本の子ども達の死んだような目

子供たちの目の輝きってそんな部分に左右されるものなんだろうか。

僕の子供の頃、物語に笑い、泣き、全力で遊んで笑って怪我をして泣いて、新しい製品にワクワクして、戦争の悲惨な姿に涙して。

そんなときに未来の自分が素晴らしい生活を送るかどうかなんて気にしてもいなかったな。

日本の子供の目が死んでいる、なんて僕はあまり思ったことがない。接する子供は街で出会う子供たち以外は知り合いの子供だけではあるけど、みんな子供なりに今を生きていて、未来に絶望して死んだ目をしているところは見たことがない。

大人の事情を子供に投影すると、確かに死んだ目をしていると評価したくなることはあるかもしれないけれども。

「夢」のシステムが実現しないわけ

身につまされるところがいくつかあった。

まず顧客には「本当に必要なもの」がある。金出してやるプロジェクトなんだから当然のことだ。ところが、そこにコンサルが入って次期システムのあるべき姿という「素晴しい夢」を説く。「夢」の話は楽しいし前向きだから、みんなそれに夢中になる。いつの間にか、「本当に必要なもの」は実現されて当然ということで、話から消えてしまい、「夢」の方ばかりになる。

もちろん冷静な人達は、そういった「夢」はあくまでも「夢」だと思う。それでも「現場」の多くはその「夢」が忘れられない。「夢」をベースとした要求が起きる。

プロジェクトが遅滞してヤバくなって来ると、「夢」を見ていた人達も冷静になって来る。それでもやっぱり「夢」は忘れられない。また、「夢」で浪費してしまった時間は取り返せない。

僕の知ってる「特許庁」の話 | おごちゃんの雑文

僕が今やっているシステム開発はこの「夢」に近い部分があると思う。もちろん、夢だけを追っているのではなく、現実な落とし所で作っているんだけど、正直言って、夢をきちんと形にできないと意味がなかったのではないかと思っている。

「夢のシステム」と「非現実的なシステム」ってのは別個の概念で、あるべき姿という夢を現実的な形に折り合いをつけていく…んだけど、その過程の中で「夢」が実現しようとしていた大切な部分まで削ぎ落とされてしまい、「夢」を全く無視してないよという形をつけるためだけにシステムとは無関係な部分で無用なプロセスが出来上がる、という最悪の形に着地することだってある。

その原因はいくつかあるけれども、特にシステムが大きいと、例えば単に共通モジュールつくろうぜ、と言った場合ですら「あの課が作ったものを使って変更が入ったらどうする」とか、そういうセクショナリズムの壁に阻まれてしまう。そういうのを何とかするためには、システムそのものではなくて、組織の有り様から見なおす必要があるんだけど、それができない。まあできないよな。

なので、夢が絵に描いた餅になってしまうのは、それがシステムとして実現可能かどうかの外にあることが多いと思うんだよね。夢がでかければでかいほど、システム屋の範疇を超えて広がっていってしまうから、僕達は夢のない「できませんよそんなこと」というセリフを吐かざるをえない。それは不幸なことだとは思う。

SIerなんてIT業界の中では賤業に近いと思うけど、それでも夢を形にする仕事だと思ってやっているわけで、それがシステムとは関係ないところの政治によって阻まれることはとても悲しいけど、もう諦めている部分もある。

2012-02-08

リアルとバーチャルに壁はあるのか

ここがきっかけかな。

FacebookのIPO申請書類を読めば佐々木俊尚氏が100%間違っていたことが確認できる ユートピア的な幻想の怖さ - Market Hack

なんか途中で逆恨みっぽい話が出てくるけど、まあそれはさておき。

元々、佐々木さんはこれを批判していたようだ。

SNSとは、「実際の友人・知人との関係をネット上に移したもの」です。つまり、リアルの友人・知人との交流の場です。これだけです。ね、シンプルでしょう?

あなととても仲の良い人はSNSの中でも仲は良いですし、あなたにとって苦手な人は相変わらず苦手な存在です。インターネットに移動したからといって、あなたの人間関係は変わりません。

蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】 : TechWave

蔓延する誤った定義、というくらいぶち上げた割には再定義きちんと出来ていないのは、用語があいまいだからかもしれないですね。「実際の」「リアル」が指す範囲が明確じゃないので、その友人知人関係がどこで構築されたかという大事な点についてまったく説明できてないわけですね。とはいえ、この定義と離れた後段でそれを説明してはいる。

佐々木さんも蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義 大学生が書いたTechWaveの記事への反応まとめ - Togetterで語っているとおり、これが個人のブログだったらへーそうですか、で済んだのが一応まともにメディアとして活動しているはずのTechWaveに採用された、ということがまたちょっと問題を大きくしている。

彼によると、バーチャルはソーシャルと呼べないそうだ。

厳密には、ソーシャルとは呼べません。そういったオンライン上で知らない人々との交流の場は、バーチャルと呼びます。オンラインゲームなど、インターネット上で知り合ったユーザーと協力していくゲームなどが、バーチャルの具体例です。

 インターネット上で出会う(バーチャル)を前提としたサービスでは、ソーシャルとは呼べません。新たな出会いを喚起するサービスは、飽きられてしまう傾向にあります。mixiのコミュニティやMySpaceが弱くなってきているのが証拠ではないでしょうか。

蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】 : TechWave

といっているけど、mixiは元々バーチャルな出会いなんてなかった。最近になってソーシャルゲームを通じて新しい人間関係が生まれた結果、mixi(や既存のSNSにおける)「リアル友人」であることの意味が薄らいでいったし、そのリアルでない関係に汚染されて要らない情報まで出てくるようになったという現実は感じているものの、mixi経由で「リアル」友達になった例なんて枚挙に暇がない(mixiでであってそりゃ結婚する人が居るくらいだし)。

佐々木さん曰くの「そもそもバーチャルの人間関係とリアルの人間関係が融解しつつある」はまさにその点を指していて、もはや関係性を示すのにバーチャルリアルの区別はいらないのではないか、というのが現状かと思います。ようは図書館で知り合おうがゲーセンで知り合おうが野球場で知り合おうが、SNSで知り合おうが、その後どういう関係になるかだけが「実際」の含有する意味であって、逆に言うと、「実際」がケース・バイ・ケースすぎて定義できないというのが現実じゃないでしょうか。

という話はきしださんの人間関係をリアルとバーチャルに区別する意味はあるだろうか - きしだのはてなに近いかな?

それと、匿名実名問題は実は別なんだよね。ようは、関係をどのようにコントロールするかという点において匿名実名問題が出てくる。実名で活動するというのは、バーチャルでない部分の強固な関係性の構築をある程度相手側にゆだねることであるし、匿名で活動することは、関係性の構築をある程度こちらでコントロールしたいということになる。

ようは、関係性自体はそれが手段によらず現実のものにしかなりえないとしても、それをどのような形、太さにするのかという点ではリアルとバーチャルの差は大きい。とはいえ、町でたまたま見かけた、という関係が実際に会っているから太い、とは言えない。実名だろうが匿名だろうが関係性の構築は何らかの形でなされるわけだから、情報をどれだけ相手に渡すかこそがその関係性の太さと見做してよいと思う。

コンビニの店員さんの名札と客の匿名は非対称的に見えるけど、その実客側も「覚えてない」わけで。でも、企業の責任としてコントロールできる範囲と何かあったら対処するための情報として見せているわけだよね。

僕のネットでの知り合いの何人かは僕の本名も勤め先も知らないけど、僕の「リアル」の友人とは違う情報を持っている。その人にとって僕はリアルか、というとまぎれもなくリアルだろう(まあ更に何人かは実際に会っているわけだし)。

だから最初にあげたエントリの「Facebookは裸」には「何をいまさら」と思うし、こういう自分の情報のコントロールについて無頓着な人がたくさん居ると思うとなかなかこの先大変であると思ったりする。

今のウェブ界の情報のコントロールは紳士協定で成り立っている部分があるし(もちろん個人情報保護法なんてものがありセンシティブには対応されているけど、それは責任のある立場の人はやりませんよ、ということであって、悪意を持った人々の行動をコントロールできるものではない)ね。

というわけで、最近の大学生は情報リテラシーが足りない、と結論づけたい。

2012-02-07

安穏とした実質奴隷生活を勧めること

これってそういうことだと思う。もちろん、頭を使わず幸せに生きていくことはできるし、それが人間の尊厳を失うことではないけれども、特別の理由がない限りはそうならないように生きていくのが現代人の務めである。度を越せば全体主義に早変わりだけど。

上の人間が下の人間に言う「自分のアタマで考えろ」というのは、あくまで上の人間が命令した業務内容の中で、ちょっとした改善を効率よくやれ、ということであり、そもそもこの仕事ってどういう意味があるのか、などということは決して考えてはいけないのである。

金融日記:自分のアタマで考えよう、ちきりん

というのは経営者として社員を奴隷のままでいさせるためには重要なことだろう。意味も考えずに仕事をすることを推奨するのは、下手に有能になって待遇の改善を要求されたり独立れたりすることを防ぐためだ。もちろん、それを抑止する会社は成長しないので、これは自爆的発想なんだけど、うまくいっているときはそんなことは考えたくもないんだろう。

以上のような人間社会の構造は、そのバックボーンの社会システムが資本主義か、あるいは共産主義かによらない。共産主義社会において、自分のアタマで考えた人間が、次々と絞首台に送られた現実を思い出せば、人間組織というものが、いかに自分のアタマで考える人間を嫌悪してきたのか、自明であろう。

自分のアタマで考えるとはそれほどの覚悟がいる所業である、ということはぜひ自覚しておいてもらいたい。

金融日記:自分のアタマで考えよう、ちきりん

ある意味真理ではあるけれども、そこから脱却するために人々は活動してきた。前から現代封建社会主義的発言が多い人ではあるけれども、その発言の底には自分がヒエラルキーの上にいるという状況があるし、そこから転落したときに社会が優しくなっていることは期待していないということだろう。まあいいんだけど。

言われたことをやってそこそこの待遇で飼殺される社会は居心地が良いよね。少なくともそれが不況というような悪い状況に置かれない限りは。そして、悪い状況で首にできない奴隷が沢山いるから彼の人は奴隷生活を勧めながら一方で解雇の自由を求めている。

ともあれ、フル回転して生きていくことはハードルが高いことである。それから自由になるには馬鹿になるしかないのかもしれないけれども、世の中弱者救済をうたう人たちがそれを許してくれなかったりして難しいものなのであった。