子供を過小評価していないか

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20060813.html#p01
RFIDが本来意図している使い方から逸脱して来ているのはコストの問題だろうと思ったりするのはさておき、これ。そもそも登下校管理を行うことからして安全を買ったつもりになっているだけであり、本当に得られるのは子供の安全ではなく、教師や親の(表面的な)安心だけであると思っていたが、ここまでするとは。しかし、そもそも一緒に行動するのが仲良しと言う発想そのものが幼稚な性善説であり、「普段から仲がよかった。いじめがあるとは思わなかった」などというコメントに発展する考えだと思わなくもない。
ところで、興味のある分野に特化した子供の知恵や熱意は往々にして大人の想像を遥かに上回る成果を上げるものである。こんな報道されたら当然「お前これってこんな使われ方してるんだぜ!」と知識を開陳すること請け合い。もう伝わってるんじゃ?そして、裏をかくことを一生懸命考えるわけです。結果として残るのは、目に見えるものと一致するあまり有効ではないデータと、目にも見えないデータにも残らない交友関係。完全に裏を書かれると安全な〜って部分まで無効になるかもしれない。登下校管理だけであればしぶしぶ従う可能性も高いと思いますが、あまり多くを求めすぎると全てを失うのではないか。
まあ、そもそも教師と親の(悪意のある言い方をすると)責任回避のためのシステムですからね。皮下にでも埋め込まないとだめだろ。