やっぱり自由なインターネットは廃止すべき

インターネットは商業利用または公的機関の利用に限るべきである。全てのサイトは銀行口座と同じく実在の人物を証明し登録することが必要で、トラブルの際には常に身柄の確保が可能であるべきだ。匿名掲示板などとんでもない。ツールも自由に使わせるべきではない。プロトコルを作る権利など一般人にはない。
と、僕が思っているわけではないのだけれども、昨今の匿名での活動を批判する人と言うのはこういうことを考えているのではないかと思ったりする。実名論者の実名であるべき理由が「匿名であることが起こすトラブルを未然に防ぐため」であるとき、その論が実際に言っているのは「実名で行動すべき」ではなく、「インターネットの利用形態を制限すべき」であるというのはちょっと考えればわかると思う。システムとしてトラブルを未然に防ぐということでの「抑止力としての」実名利用というのはあくまで掲示板やブログなど既存の文章ツールの範囲の議論であり、実際にはシステムが介在するものではない。システムと言ってしまうと未知のプロトコルも含め、あらかじめルールが無いといけないし、そのルールは法律になるだろう。システムはモラルとは関係ないところで生まれ、利用されるながらモラルが生まれるのであるから、未然にモラルでの縛りをくれることはできない。
ただ、技術屋から見ると暗黒の未来に見えるこういった考え方は実は必要なのかもしれない。インターネットはもはや一部のマニアの娯楽の世界ではなく、銀行や郵便のような必ずしも全員が使うわけではないけれども社会に欠かせないインフラになっている。それと同時に電波やライフラインに近い利用形態もある。このインフラを守ることが今の社会を混乱させないために必要なことであるならば、例えば動画垂れ流しによる回線の占有は社会の基盤を脅かすテロみたいなものと言えるのかも知れない。
大げさな話ではあるけれども、もし少しでもそういった点があるとしたら、きっと規制は必要なのだろう。規制があるというのは必ずしも悪いことではない。守られるべきものが守られるかもしれない。守られたインフラであるからこそ逆に親書の秘密を保持するような仕掛けがきちんと作られるかもしれない。
確かにインターネットは(最初が軍事・教育目的から出てきたといっても)自由なインフラとして世に登場し、またその自由さを保ったまま一般人に解放されてきた。しかし、電波だって最初から規制があったわけじゃない。海は誰のものでもないといっても領海はあるわけだ。何事にも社会に影響力を与える存在になり、リソースに限りがある以上はどこかで規制が行われないと成り立たなくなっていく部分もあるのだろう。
さて、匿名論者が匿名に拘る理由は果たしてこのような仕掛けの中では生き残れないのだろうか。
ある種の「違法行為の隠れ蓑のための匿名」を実現したい人たちにとってはそうかもしれない。しかし、抑止力としての匿名禁止は単なる程度問題であり、その程度というのはするしないを制御するのではなく覚悟を求めるというだけの話であり、実名で雑誌の記事で誹謗中傷レベルの文章を書く人だって居るわけである。覚悟は単に到達可能性が100%あるということさえ周知されていれば実名匿名に限らず必要なわけで、今のmixiなどで定期的に起こる問題を見ればわかるように、現状でも単にそのことが知られていないだけなのである。
であるならば、抑止力の点で実名匿名に拘る理由などあまりない。後は表現者としての人格を使い分けることを許すかどうかであり、そんなのは現実の世界で既に認められていることであり(新聞記事だって大抵匿名だ)、議論を待たないはずだ。
将来的に色々な規制が必要だ、というのはおかしな考えではないと思う。だけれども、決してそれは匿名であることの問題ではない。実名であれば解決するというのも短絡的というか、もっと全体としてのビジョンにおいて議論されないと意味はない。
ただ、インターネットのインフラの将来像が自由なものであると考えている人は、それを保つためには自浄作用が働くような仕組みになっていないと駄目だとは思ってほしい。しかし、そう思っていてもなんとなく無理そうだとも感じるだろう。人間の悪意というのは残念ながら計り知れないものがあり、制御不能である。であるならば、せめて我々の望む最大限自由なシステムになるように規制のあり方を考えていくのが得策なのではないだろうか。
それほど未来の話ではないと思う。