自己責任のアプローチ

id:REV氏に言及いただいた。

仮に、話をすると、屋根から大工が落ちるのは、昔であれば自己責任で、今は落ちるような環境で働かせた雇用主の責任、と設定されている。らしい。放課後、学校の校庭で子供が怪我をすると、昔は子供および親の自己責任であった、というかそれが当然なので、自己責任という言葉も無かったのだろう。今は、校庭を開放していれば、学校に管理義務があるので学校の責任。校庭を開放していなければ、子供が侵入したのは管理の不行き届きだから学校の責任。留保の無い生の校庭を!

自己責任雑感 - REV's blog

これは結構重要な示唆でありますな。正直言ってこれは自己責任ではなく本来、不幸や単なる過失に分類され、原因を求める類のものではなかった(当たり前なこととして)と思うのだけど、社会がそれに対しても責任を設定したことで「そんなん責任持てねーよ」⇒「自己責任」なんて話になっているものでしょう。むやみに責任を設定しすぎなんですな。
社会が責任を取るために基準を設定するものと、社会が責任を取らないために基準を設定するもの、どちらのアプローチも一律自己責任で片付けられてしまうのは個人の権利保護(と言うより拡張だな)とのトレードオフといいましょうか、しかたないことのようにも思えてしまいます。
でも、前者のほうの責任についてはしかるべき人が取るための設定なんだから取れよと。社会はそれを取る行為を肯定しろよ(いずれにせよ単に個人に被せるなよ)と思う次第。