書くことで固着する

頭の中の思考は、必ずしも言葉にはならなくて。論理も感情も、全てごっちゃになった何か混沌としたものを取り出していく。取り出していくスピードとは2桁は異なるだろうスピードで通り過ぎていく思考。何度も何度も考えながら、少しずつ取り出していく。書き始めたときの思考は消え去り、残ったものは思考の残滓。表現できるのは思考の残滓に過ぎないんだよ。
取り出していく過程で表現し切れなかったり、自分を納得させながらウソや虚構で固めていった言葉たちで何がわかると言うのだろうか。
それでも、何かを書いたことで自分がなにものかがわかることはある。言葉は偉大だ。
本当の自分なんて他人が完全に理解することはできないのだから、いや、理解できることが人との繋がりであるわけじゃないのだから、それでよい。そして、求めているのは言葉以外の場所でのつながり。
一度アウトプットした思考は、だから自分そのものとはいえないけれど、実体のある世界に固着した自分の思考の分身ではある。