ココログの携帯用ページに殺意

一番上にこれが出ないと下も表示されないというろくでもない広告が出るのはまだ我慢するとして、それをかなり短い間隔でぶった切った分割ページの頭で毎回毎回待たされるのは我慢ならない。
PC上の分割ページはデザイン上の問題もあるかもしれんけど、本当にたんなるテキストを表示するための携帯用ページでなんでそんなに短く分割せにゃならんのだ。
電波が常に良好ということもないから、ある程度の単位でまとめて受信できないと継続して読むこともままらないわけだが。
はてダの新しい携帯用ページはブクマに飛べなくなったけれど、ブクマの画像を出そうとして表示が遅かった前よりはだいぶいい。ブクマに飛べるともっとうれしいけど。

想像力の問題でもなく

変わり果てた彼女の姿を見ても、まだ飲酒運転が出来ますか? - A Successful Failureに対するブクマはわりと中立的な感じで、はてならしいっちゃあらしいような印象を受けた。
けれども、やっぱり現実として、このような活動が予防策になるということは全く無いわけではないけれども、いちばん問題のある層には届かないだろう。彼らは「俺がそんな目に合うわけがねえ」というのをモットーにしているだろうから。そして、いざことが起こったときは「運が悪かった」で片付いてしまう。想像力がないからではなく、自分は特別だと思っているだけだろう。
だからと行って、こういった活動が意味が無いかというとそうではなく、何が現実であるかを知らしめるということは多少なりとも必要なことである。戦略として本来のターゲットに届いているとは思えないし、善良な層が更に気をつかうことになるだけだとも思うけれども、そのことで少しでも人が救えるのであれば、無意味なことではない。
利己的な層には気持ちでダメージを与えるよりも、現物にダメージを与えた方が効果的だろう。そういう意味では、今の飲酒運転の過度とも思える罰金の額は、合理的なのかもしれない。

カードゲームじゃあんまりだろう

ゲームにたとえるにしても精々シミュレーションRPGなんじゃないかなあ。どっちにしろあまりよいたとえとも思えないけれども、少なくともコマが成長しないなんてことはありえないし、ダメージを受けないなんてこともありえないし、死んでしまうことだってあるし。最近のカードゲームはそういう感じなのか?
2007-04-29に対する話題が豊富なだけではコミュニケーションは覚束ない - シロクマの屑籠の応答はだからカードの運用の話に終始してしまっているけれども、コミュニケーションが相手を自分の思うとおりに動かすものだ、っていう考えがそこからは見えるような気がする。ゲームと言うたとえに乗っかるっているのは勝ち負けがあることを首肯すると言うことに思えてならないからだ。
つい最近、コミュニケーション能力の変遷 - novtan別館というエントリを書いたのは、本質的には自分は非コミュ…というとやっぱり語弊がありそうだからコミュニケーションが苦手…な部類に入ると思っているけれど、社会に出て、コミュニケーション能力を少しでも伸ばした要因は手持ちのカードが増えたことではなく、一歩前に出る心の方だということを自覚したから。ネタなんて増えなくても良い。砕けることを学んだ分だけコミュニケーション力は上がる。運用の力というのがそういうものかもしれない。だからそれほどシロクマさんの応答は外れてないと思うけれども。
思い通りにならないからこそコミュニケーションをとる価値があるわけで、みんながシナリオどおりに動くのであれば、そもそも口なんかきかなくても良いんだ。