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2007-05-05

コミュニケーションの目的

先のエントリ、人心掌握術 - novtan別館で何を書きたかったかというと、コミュニケーションをスキルと見做す人たちは、一体何を求めているんだろうかってこと。コミュニケーションのスキルと言っても目的に応じていろいろと使い分けなければならないものだから、これこそがスキル的な単純化というのは非常に危険な発想ですよね。人心掌握術ってのはコミュニケーションというよりは人間操縦のスキルだし、相手の勘違いを上手く利用するものだから、それに相手が気付いてしまったときには目も当てられない結果になるわけです。

じゃあコミュニケーションのスキルってのは何かって問われると、やっぱり色々ありすぎて答えに窮する。そもそもそこでコミュニケーションって言っているのは一体どこまでのことなんだろう。

前にコミュニケーション能力の変遷 - novtan別館として書いたものは、表面的にやりとりする部分は場数だよ、ということに過ぎないけれども、世の中の手続き的なことにコミットするためにはこの手のスキルが重要で、つまり、要求すべきことを適切に要求できる能力とも言っていいかな。すごく些細なことだけど、ファミレスでオーダーを取られるのは平気だけど、スタバで本当は追加でオプション付けたいんだけど、良くわからないから結局デフォルトで頼んじゃうみたいな。問われることに答える以上のことをするのが面倒だし、苦痛というパターン。こういうのは、自分が面倒だから相手も面倒だろうという誤解から来ている気はする。そう、こういった表面的なコミュニケーションが上手くできないのは、上手くできないことを自覚している自分と相手を重ね合わせてしまって、勝手に自分がこうされたら嫌だということを相手も嫌なことだろうと思い込んでいるからなんじゃないかな。要求することが苦手ということ。実は全然そんなことはなくて、向こうはそれが仕事だから嫌なんてことはめったにないわけ。お店にはいって品物を眺めていると、声をかけられて、そそくさと退散してしまったり。別に買えと強く言いに来ている訳じゃないのです。堂々と冷やかしなんです、今日は、と言っても良い。いいつつ、商品について説明させてもいいのです。

相手に要求を伝えることに慣れると、なんで今までこんな簡単な事ができなかったんだろうと思いますよ。これは経験上。もっと早くから身に付ければよかった。

で、こういう社交的な部分というのは、自分の内面を必要以上に出す必要が無いから、精神的な負担になることも無いですけれども、友達づきあい以上の部分になってくるとそうもいかないわけです。もちろん、この手のコミュニケーションで済んでしまうところもあるけれども、もう少し内面を相互理解したいじゃない。

ここに一つの壁があって、自分の内面を人に話すのが恥ずかしいとか、とても話せるようなものじゃないとか、衝突するのがわかっているから言わないとか、そういった部分になってくるわけですね。ここでまた登場するのが相手がどう思うかを勝手に思い込む自分。

結局、相手の反応なんてどんなに考えてもわかるもんじゃないわけです。人を操縦するレベルでの他人の考えの類推というのは類型化された行動パターンを当てはめるだけだから非常にやりやすい(と言っても自分を誠実に見せるスキルは必要)だけれども、内面対内面で立ち向かったときに相手がどう思うかなんてぶつかって見なければわからない。わからないし、ぶつかった後どのような展開を見せるかもわからない。

わからないんだけど、これもまた経験によってある程度類推できるようになりますよね。こればっかりは知識ではうまくいかない。だって自分の内面なんて他人と違うわけだから、そこで起きる反応も他人とは違うわけです。他人を類型化するのはある程度できるとしても、自分がどの他人と似ているかなんて事前にはわかりません。

こっちのスキルは、本当は家族とのコミュニケーションとかで身に付けるのが手っ取り早い気がするんだけど、優等生を演じたり、他の何でも良いけど、やっぱり内面に踏み込まれないようにコミュニケーションをとることに終始してしまうと身に付かないようにも思えます。僕なんかそうなんだけど。

最近わかったのは、自分を知られちゃうってのはそれほど怖いことじゃないってこと。

怖いことは怖いんだけど、それは大きくプラスに振れたり、逆にマイナスに振れたりすることがあるってことで、それによって変わることがあることかな。変化を求めないんであれば、踏み込み、踏み込まれたくないわけだけど、結局それだけだといつまで経ってもそれ以上の関係にはならないんだよね。そして、こっちが壁を作っているということは結構わかってしまうものです。ちょっと探りを入れれば跳ね返されるわけだから。

もし、自分という人間をわかってもらいたいという目的があるのであれば、とにかくその壁は取り払わなくてはならないよね。

ちょっと取り留めない話になっちゃいました。これは僕の苦手⇒普通になった経験の話だから、世間一般的にどうかはわかりませんけれども、やっぱりコミュニケーションは究極的には覚悟と経験だと思います。スキルってのは相手にそれを上手く伝えるやり方に過ぎないんじゃないかな。だから、スキルだけを身につけてもどうにもならないと僕は思うわけです。

おっしゃる通りですねおっしゃる通りですね 2007/05/05 13:55 人間関係はちょっとした勇気と「自分がされたら嫌なことはしない」、あとは「褒める」これだけで回ると思います。

史朗史朗 2007/05/14 22:17 技術系の転職情報にも「コミュニケーション能力の高い人」という条件は多いのですよ。私は、鬱病の治療で服薬中です。医師は、「『気付く』ことも回復の過程ですよ」と言ってくれますが、自分の人生を振り返ると恐くなりました。「ちょっとした勇気」を出して踏み込むと、泥沼に落ちる。「自分が嫌でないこと」を人にしたら、嫌われた。「褒める」つもりだったのに、余計なことを言って怒られた。なぜ、考えて行動するほど間違えるのだろう。精神病の各種の情報を調べ、最近、アスペルガー症候群というものを知りました(「最近」というのが、遅れています)。保育園児の頃から傾向があったことに気付き、愕然としました。いま、社会復帰の努力中です。

NOV1975NOV1975 2007/05/15 01:39 コメントありがとうございます。
僕は業務系技術者として、表面上のコミュニケーション能力は高いのですが、もう少し別のコミュニケーション能力が欲しいところではあります。
人それぞれで、なかなか難しいものです。

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