ポジティブ情報の行方

ポジティブ情報がネガティブ情報に対して相対的に少ないのは、いくつかの原因があると思うけど、まず、ポジティブ情報はニュースになりにくい、ということが大きそう。ニュースの大半って事件だものね。でも、日経とか読んでると、必ずしもニュース=事件ではない。でも、新聞の社会面なんかは事件や問題提起がほとんどだ。
ポジティブな情報のうち、情報そのものに有用性のあるものは、そもそもポジティブ/ネガティブの範疇におかれないことが多いのじゃないだろうか。技術情報みたいなのは、最大限のポジティブが「これはすごい」だとすると、そのすごいことを知っていれば良い。よしブクマ。以上。ところが、嘘っぽい技術情報は途端にツッコミが入る。追及だ追及。でも、これは最後ポジティブに繋がるかも知れない議論。その過程の中でいくつものネガティブな意見が出るわけで、相対的なポジネガ率はネガティブに軍配が上がる。でもこのことが議論がネガティブであることを意味するわけではない。
こういう情報においてのポジティブ情報ってのはだから「決定版」的なものになってしまい、単純な量としては多くならない。なるわけがない。
もう一つの要因として、他人のポジティブ状態には共感しづらく、ネガティブ状態には共感したり、反発したりという反応がしやすいんじゃないかということを挙げてみよう。例えば、スポーツ選手の活躍などをポジティブに捉えるのは、ある程度自分がその選手に同化している。ファンと言うのはそういうものだろう。だから、自分のことのように嬉しい。日本代表というレベルでもそうだし、日本人代表としての大リーガーの活躍を待ち望むのもそうだろう。反面、他人として境界線を引いたものの思いに対しては、肯定するよりも否定するほうが楽。無意味に批判してみたりする。あるいは嫉妬してみる。自他の区別をつけると世の中には圧倒的に他者の方が多い。だから、最も反応しやすいのは自分にとってネガティブな情報だ。そして、そのネガティブ感情は敵の敵は味方メソッドにより共有される。そりゃあ広まるよね。
ポジティブ情報は、そのある程度完結した形を持つことによって、展開を見せづらく、ネガティブ情報は無数の他者の意見を生み出す点で伝播力に優れる。これはもうインタラクティブなメディアの宿命なんじゃないかな。