人を信じること

信用と信頼の違いと言うことについての各人が考えているニュアンスと言うのは微妙に異なると思うけれど、この二つは似て非なるもので、どちらかがあれば良いものでも無いと思っています。ちょっと検索してみたけど、人によって解釈が全然違うね。と言っても言葉の意味が逆になるだけなのがほとんど。中にはどちらかからはじまり、どちらかへ昇華していくもの、ってのもあったけれど。
いずれにしても、信じるには2種類あって、大雑把に言うと、全部を信じることと、部分を信じることに分けられるみたい。
人を信じることは自己判断で、その判断が間違っていたからと言って「相手が自分を裏切った」と思うことは自分の判断が誤っていたことに対する言い訳にしか過ぎないのはわかっているけれども、その自分の判断を含めて「信じたい」から信じている。だから、裏切られるのことを想定しつつも、「それはないはず」としてその人の全部を信じる、と言うのが僕にとっての人を信じることであって、その気持ちが裏切られたときは、ものすごいショックを受けます。まあめったに無いけれども。
全てを信じることってのはだからあまりありません。これは以下のエントリのレスとして。

2007年07月15日 azumy azumy 心理, 人の間 ↓「裏切られることを想定した上で信じる」のは自己責任で信頼するということだと思う。万一裏切られた時、いの一番に相手が悪いとするのでなく、人を見る目がなかった自分に責任があると考えること。
2007年07月15日 NOV1975 人間 裏切られることを想定した上で信じるのって信じるって言えるのかなあ。僕は信用も信頼もしている人に裏切られたらダメージでかいよ。

はてなブックマーク - http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070714/1184412418

私はあまり人を疑わないのだけれど、まるごと信用しているということでもないですね。自分すら信用できないところもあるので…。
あまり疑わないワリに裏切られた体験というのが思い当たらないのだけれど、人間こんなもの(悪い意味じゃなく)だと初めから割り引いて見ているのかもしれない。
だから「裏切られることを想定して信じる」とか「人を見る目がなかった自分に責任があると考える」って、信じるということに含まれていて、「裏切られることを想定しないで信じる」というのは自分的には『妄信』と呼ぶものです。
azumyさんはNOV1975さんへのレスに書かれたようですが、引用して自説を展開させていただきました。

http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070715/1184476671

※僕のブクマコメントはもとのaozora21さんのエントリにはなかったので追記。
ブクマコメントではどうしても言葉足らずになってしまいますけれども、僕の信じると言う言葉に対する見解は先に記したとおりです。裏切られることを想定しないで信じるからと言って、相手が悪いとするわけではなく、なんでショックを受けるかと言うと、やっぱり自分の判断が誤っていたからなんじゃないかと思います。「裏切るかも知れない、でも自分の判断としてはこの人は裏切らないはず」ってのが信じるってことで、裏切りを織り込むってのはどこかで「ああやっぱりね」と言い訳するための予防線なんじゃないかなあ。後者って「全面的に信じなくて良かった」と思うのとイコールだと思うんだけど。だとしたら、やっぱり信じてないんじゃないかなあ。
前述の通り、大半の人のことは「部分的に」信じています。だから、そういう意味での信じる、を指して言われているんだったら僕も多分みなさんと同じなんじゃないかな。あえて信用も信頼も、って言っているのはそういう意味ですね。そこがそもそも違うんであれば単なる言葉の行き違いですね。