マナーの問題に還元する

原則論とマナーは違うし、マナーはわりと多くの人が合意したその場でのモラルなのですから、原則と違っていることはままあるし、それでいいと思うのですが、原則を全く無視してマナーを構築するというのも、なんだか「郷に入れば郷に従え」って普段から口癖のように言っている人が、ディナーの席でカチャカチャ大きな音を立てて食事をして同席者に注意されても「ここは日本なんだから良いんだよ」って反論してしまうような、居心地の悪さを感じるのです。
原則あるいは歴史的背景から成り立っているマナーに対して、ローカルなルールを「俺たちが合意したマナーだから」とか「ここでのもっと根本的な原則はこっちだから」という理由で無条件に適用するというのが果たして本当のマナーなのかどうか。
これはあくまで例ですが、「リンクは自由。それがウェブだから」という原則に対して、コミュニケーションの原則から来る現実世界のマナーを無条件に適用することは、他の文化に接するときには色々と配慮するというコミュニケーションのもっと根源的な原則を無視しているようにも思えます。まあ、こういった話ね。
僕らがスープを音を立ててすするのを良しとしない欧米の人たちが僕たちに向けるような目線をされているんじゃないかと思って欲しいという気持ちがあり、またその一方で、お互いの文化の違いをできるだけ理解しようという努力もしたいものですが、「マナーだから」という言葉に還元されてしまった時点で、冒頭に挙げたような、なんとも言えない気分になってしまうのです。