キモいとかキモくないとか

ベートーベンとかさ、ゴッホとか、キモいでしょ。キモすぎ。あんなの自己の肥大化の極みじゃん。あとさ、アーティストがインタビューで曲に対する想いとか語っちゃってるの。もう見てらんない。
何かを表現することって少なからずキモさをはらんでいる。そんなのに真正面から向き合っちゃったらキモくて何も表現できませんよ。極めて写実的なことしかできないわけで、まあもしかしたらそんな自己規制的なキモさの抑制によって形式美的な芸術が出来たのかも知れないけれど、そのキモさから脱却した自分偉い的な成果物を作り上げたことそのものがやっぱり少なからずキモいわけで。キモさスパイラルには終わりがありません。

あまりにもあからさまにそうした欲求の存在をWebというオープンな場に公開するというのは、人間の姿勢として恥知らずに過ぎるのではないかというようにも思えます。

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だから別にこういうブーメラン的な記述をしてしまうことも人間の性としては当然ですし、例外なくキモいわけですが、どっちかというと「オープンな場」の問題ではなくて、(何度か述べているように)到達力・伝達力の問題で、テレビでしゃべるアーティスト並みの広がりを期せずしてゲットしてしまったことによって、過剰なまでの「キモい」認定をされてしまう、と言う不幸な現実は脇の甘さとして片付けてしまうには既に日常に広がりすぎてしまったブログと言う存在とその書き手にとっては酷な要求でしょう。
でも、自己表現とは本質的にはキモいってことを考えたら無闇に他人に対してのキモさを表明することもないと思うのですけれどもね。だって表明していることが既にキモいわけで…何と言うブーメラン!
そんなわけで、みんな自分のキモさになんて向き合わずに自由に書けばよいと思うのです。

Wikipediaの「初音ミク」の揉め事について

初音ミク」の項で開発元のHPに載ってる宣伝文句が記載されていたことが著作権侵害に当たるから(引用元明示すれば明らかに引用だと思うけど)削除すべしということで一悶着も二悶着もしているうちに開発元の人が転載許可を出したらWikipediaGFDLだからどうとか言い出す人があって、とまあ色々と揉めている。その中で、企業サイトの文章を一部でもGFDL化するのは慎重になるべきだみたいな意見が結構あるんだけど、具体的な不利益があまり思い浮かばない。改変の自由あたりは確かに問題が生じる可能性をはらんで無いとは言えないけれど、宣伝文句がタダで転載されることの利益のほうが収支としてはプラスだと思われるし、むしろ企業だからこそそういった戦略をしてもよいのではないかな。
僕は陰謀論とかそういうのはこの件に関してはちょっとないかなと思いつつも、どうも主張されていることが正論に見せかけた難癖に見えて仕方がない。もっと言うと、GFDLってのはコピーレフトなんだろうけれども、決してwin-winの関係を志向するモノではなくて、フリーが正義として勝つためのライセンスで(ストールマンの思想ってそれだよね)、だから、本当は集合知的なものに適用するには思想が入りすぎている気がする。フリーだけどフリーじゃないんだよね。

コピーしちゃダメなら、メディアに対する最大限の保証をすればいい

と言うのはhttp://d.hatena.ne.jp/bn2islander/20071018/1192715967を読んで考えたことなのだけれども。
まず前提として、私的複製という権利自体は常に認められるべきであると思っている。しかし、それが違法コピーなんかに繋がるのも確かだ。ならば、その建前上の、「バックアップとして」の私的複製の代わりになる仕掛けを提示すれば良い訳だ。すなわち、見れなくなってしまった状態から回復する手段を用意せよ、ということ。でもこれは多分無理。コスト的に。大体、テレビの録画の扱いなんかはもうどうしようもないしね。
もちろん未来永劫再生が可能であることを保証せよ、と言うのはハナから無理難題だし、そんなことを求めているわけではないけれども。でも視聴手段の移送に関しては、業界としては何かを考えるべきだと思う。だってさ、僕は本を読むのは通勤の行き帰りだよ。同じように、映画やドラマを見るのが通勤時間って人もいるだろうし、ポータブルメディアへの移送を許さないことは機会損失だよ多分。だって通勤時間以外で本を読む時間少ないから。同じでしょ。
ポータブルメディア用の媒体やライセンスを買えって話かもしれないけど、気に入ったらいい画質で大きな画面で見たいわけで。
今の状況は、すごく近視眼的に見ると、著作者としての権利保護VS消費者としての権利確保であり、お互い建前と本音はある部分では乖離していると状態だと思う。「文化の発展のためVS消費者の保護のため」の裏側は「権利者の利益の最大化のためVS消費者の利益(ここでは私的複製の濫用によるタダでのコンテンツ入手可能性確保)」でも蓋を開けて満たないと実際にどっちに転ぶかはわからない。権利者側の保護が進んだときに、その分で値段が安くなるようなことがなければ、長い目で見れば利益確保と言う目的は失敗すると思っているけれども。
悪いことをする権利を守りたいって言うわけでもなんでもなく、得たはずのものを過失なくして失ったり、何の気なしに横断歩道を渡ったら「ここは女性専用横断歩道だ。ちゃんと注意書きが書いてあるだろう」と言われて逮捕されるような、そんな居心地の悪い世界にコンテンツがおかれるようなことにはなって欲しくないってだけなんですけどね。なんだかそうなりそうですね。
みんな潜在的には犯罪者予備軍なんですよ。理屈の上では。うっかり無灯火で逮捕とかね。悪いことをする意図があって犯罪が成立するわけでもない。けれど、娯楽において、それを生業としない人が、犯罪を意図しない行為で容易に犯罪者になりうるような、そんな法律はいらないんだけどなあ。