ミドリ十字の会見が酷すぎる

血液製剤問題のあれ。どうやらプライバシーの問題は人命に優先するようです。正直、「俺は悪くない」的な感情に満ち溢れていたように見えてしまいました。
厚生労働省も悪い。いずれにしても、今そこにいつ発症するかも知れない人たちがいて、しかも、血液製剤の薬害であることがもう既にわかっているから隠蔽することなど何もない、あるとすれば補償金の問題ぐらいだけれども、会社の規模から言っても社会的な責任から言っても、隠すことなど何もない、状態で、何がプライバシーに配慮するのが非常に難しい、だ。難しいのは隠してたのが発覚したときのお前の立場だろう。そして、案の定ばれるわけだ。ちゃんと初めから言っておけばよいものを。これで手遅れな人が見つかったら刺されてもおかしくない。
ずっと昔からそうだけれども、薬害を隠し通そうとする会社には暗い影が付きまとっている。もしかしたら霞ヶ関の呪いというか操り糸なのかもしれないけれども。
プライバシーへの配慮にしても、別に新聞に実名を公表しろってわけでもあるまい。厚生労働省に渡して、しかるべく、処理してもらえばよい。まあそのしかるべき処置が倉庫に放り込むではどうしようもないのだけれども、渡してはい終わりって思うメンタルが既にして当事者意識の欠如を物語っている。
結局のところ、人の命なんてものは、会社の経営にとっては瑣末なものにすぎないのだろう。500人にも満たないなら尚更だ。人の命の全てに責任を持ってやっていくのは難しい。製薬会社として。それはわかる。けれども、明らかに、原因がはっきりしていて、自分たちの責任でいくらかでも救いになることが目の前にあるのに、それを放棄して、しかたがない、と言うことが出来る会社が、人の命を救うためのものを作っていると言う倫理的矛盾。人の命が確率的な数値化をされている日常において、感覚が麻痺しているのかも知れないけれども、だからと言って、その重大性を軽視していいということにはならない。