悪意とは何か

少なくとも悪意の一つの形態は、嫉妬から来るものではないか、と僕は思う。

しかし、早い子は5〜6歳頃から、おおかた小学生以降になると、これは悪意である、と思われるものが見られるようになる。最もわかりやすい形は、いじめだ。

この萌芽がどこにあるのか、に興味がある。

悪意について。悪意とは。 - 深く考えないで捨てるように書く、また

これはいじめにあった側からするとなんとなく。でも、その嫉妬そのものは、単に相手が自分より優れたものを持っている、と言うことに対するものではなく、もうちょっともやもやしたものなんだろうな。本当にたまたまそのときだけ、例えば自分が好きな子が他の人と楽しそうにしている、とか。普段は気にも留めないことで。ある意味ではそれは怒りなのかも知れないけれども、とにかくそういう感情を単純な形で発露できなくなる…それは社会性の醸成とともに身に付けるある種の処世術なのでしょうけれども…ことによって、感情と理性の不協和状態が生まれ、そのことが結果として悪意に繋がっていくのではないか。つまり、悪意とは、ターゲットへの悪感情そのものではなくて、自分が溜め込んだ感情的負債の表出なのだろうと。
そして、その負債は複利で雪だるま式に膨れ上がり、一生かけても悪意では払いきれないものになったりもする。不幸にも、悪意でしか発散させてくれることのない人付き合いしか出来なければ、一生悪意のある人として生きていくしかないのではないか。あるいは、泣いて喚いて全てを発散することを許すことのできる人と出会うことができれば、清算されるのかも知れない。
かなり主観的な見方としてですが、なんとなくそんな側面もあるんじゃないかな、と思いました。