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2007-10-28

ミサイルマン 〜平山夢明短編集〜 / 平山夢明

ミサイルマン―平山夢明短編集

ミサイルマン―平山夢明短編集

死んだ。しっかりと別世界にいざなわれた。相変わらず生々しい描写で多分グロが苦手な人はそれだけでも引いてしまうのだろうけれども、なぜか手足にベタベタまとわり付く感がない。それは菊池秀行のエログロにも似ているのだろうけれども、それは行為そのものではなく、その意味にまで昇華された文章が登場人物の純粋として描かれているからかもしれない。頭のネジが一本抜けると、一つの愛嬌が開放されるのかもね。何篇かの感想。

  • テロルの創生
    • 限りなく絶望的なSF。未来があるようでないようであるような、そんな読後感
  • けだもの
    • 佳作。獣人の悲哀。人間でありたいことと人間であることと人間と。人間であるために人間を捨てる行為の非人間性。様々な矛盾。
    • コレクターとは因果なものである。枷を外すべきか否か迷ったときの行動は非コレクターには計り知れないかも知れない。このような究極の選択を迫れることもあるまいが。しかし、最初に出てきたタナカは一体なにもので何が目的だったのか…
  • ミサイルマン
    • 頭おかしいよ

描写だけ抜き出すと、多分抜きん出てグロいのだけれども、この読後の清清しさはなんなのだろう。こういうのは読んだことのない人にはどうにも説明しづらい。でもあんまり人に勧めると人格を疑われるような気がする(笑

ヒューリスティクスの適用と社会

このエントリを読んで、ある程度納得する部分はありつつも、差別や偏見をヒューリスティクスな手法を採用することと結び付けて考えることに抵抗があって、ブクマでも「差別のことを合理性と呼ばない」のはなぜかと言うことを自分に問いただしてみるも、イマイチ回答が思い浮かばない。そんなときに、以下のエントリを読んだ。

ヒューリスティクスと差別 - raurublock on Hatena

それで大体わかったんだけど、先のエントリで示されるヒューリスティクスによる合理性は、あくまで当事者の利益においてのみの合理性であって、あるいはそれは社会全体にも適用されるかも知れないけれど、そのことは、一部のもの(あるいは人)を明確に切り捨てると言う意思の元なされることであって、そのことは、正に差別そのものなんじゃないかと思いました。だって、差別ってのは社会にコストをかけないために採用された手法であり、それはコストをかける余裕がなかったことが背景にあるから、現代では徐々に採用されなくなっていく行為であるはずだから。

悲しいかな、利益至上主義の世の中において、全面的にヒューリスティクスを採用しない生き方をすることは難しい。採用するものと採用しないもので戦えば確率論的には採用するものが常に勝つことになるだろうし。だからこそ、声高に叫ばなければならない。差別はいけないと。少なくとも人を判断するのに(いわれ無き)*1偏見や差別は必要ない。

上の商売人の例だと、商売の業績は上がるし、それによって社会にも貢献するのでしょう。しかし、身なりの悪い人に迷惑をかけたという加害者的立場がそれで帳消しになるかと言うと、そんなこたあ無い。

ヒューリスティクスと差別 - raurublock on Hatena

こういう視点は常に持っていたいと思う。だからきっと僕は良い経営者にはなれない*2のだろうけれども。

ゴミである素人動画に価値があるのはなぜか

これはなかなか的確な分析かと思う。メディアの中の人がまあ見下しているわけではなくて、クリエーターとしてのプライドと言うことだろうし、プロとはそうあるべきだと思うから、そう考えること自体は首肯したいのだけど…

では、テレビ局は動画投稿サイトについてどう考えているのだろうか。テレビ関係者はこう言う、「素人動画はゴミだ」。

 この意見は2つの内容を含んでいる。一つはドラマなどは制作コストが作品の質に比較的比例しやすいということ。現状の日本では人、物、金すべては地上波キー局を中心とするピラミッド構造から構成されているという指摘である。これはかなり正しい。

BPニュースセレクト :テクノロジー :日本経済新聞

確かにここで言われていることは正しい。けれども、メディアの中の人は素人の動画をゴミだと思い、またそれと比較されること自体ナンセンスだと思っているのであれば、少し考え直した方が良いと思う。なぜなら

そこに登場してきたのが動画投稿サイトというロングテールだ。しかし勘違いしてはいけない。ロングテールになっても素人の個々の作品はその大部分がやはりゴミである。「チリも積もれば」的に積分値で比較するとヘッド部分に匹敵するから十分価値がある、のでは断じてない。ゴミがゴミとして価値を生むのである。ここがテレビ局的発想では理解されない部分だ。

〜中略〜

作品性の高さとは関係なく、集積自体がゴミを宝に変えるのだ。

BPニュースセレクト :テクノロジー :日本経済新聞

とあるけれど、ゴミに価値が出たのはそれだけが原因じゃない。どんなに制作コストをかけても、そのコストがキー局の人間の懐に入ったり、中抜きされたり、宣伝に金をかけたり、どうでもいい演出に費やされたり、タレントのわがままに費やされたりして結局番組自体の質に反映されたかったら。豪華なセットや、豪華なご褒美の料理や。そんなどうでもいいところにお金が回っていく。のであれば、結局のところ、テレビ局が作成している番組自体、グレードの高いゴミに過ぎない。つまり、ゴミに価値を創出したのはまずテレビ局であって、ウェブ上のゴミは見た目がみすぼらしくてもテレビ局の作ったものの本質とそれほど差がないし、その本質的な部分では勝っている場合もある。ゴミとゴミで戦っていることの自覚があれば、今の状態が如何にまずいかということに気付くだろうけれども、自分たちが作っているのが宝だと思い込んでいるのであれば、いつかその量に負けてしまうことだろう。テレビ局のやることは、ゴージャスなゴミを作ることではなくて、宝となるものを作るべきだ、と言うことだ。

そして、様々な技術の発展と、趣味趣向の多様化、過剰な演出への嫌悪などの要因が相まって、ウェブ上のゴミは宝に変化しつつある。一方で、細々と宝を創出しながらも、全体としてはゴミにばかり金をかけているテレビ局を見ていると、収益構造がゴミに依存しているように思えてくる。このままではあっさり倒れてしまうときが来るのではないか。

視聴者の側が、ゴミでも面白いって言ってくれている今はいい。でも、じゃあ、そのゴミを面白いって言っている人たちは、本当のターゲットなのだろうか。CMに踊らされるような人が割合として減ってくるとしたら、今の収益構造は崩壊を迎えることになる。その覚悟は果たしてあるのだろうか。

*1:いわれがあるのは偏見でも差別でもないとは思うけど

*2:別に今経営者って訳でもないけど