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2007-12-12

ネガポジは主観だと思うのでつけた人にとってのポジディブコメントがネガティブな議論を誘発することだってある

そもそもネガティブコメントを書かないなんて主張は書いた人が「俺はネガティブコメントのつもりで書いたんじゃない。だからお前は反応(反論)するな」と言っているだけにしか思えないんだけど。

ではなぜ私は「議論になるかどうか」にこだわるのか? 相手に反論の機会を与えるための平等主義で言ってるわけじゃない。単純な話だ。繰り返しになるが、私は議論が好きだからである。

SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

議論と言うのは必ずしもそれを誘発した人本人とすべきとも思っていないので、この理由についてはあまり同意できない。

【価値観A】 オレは言いたいことを言う。だけどお前はオレに反論するな。

SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

と言う価値観と、SBMでネガコメをすることは全くイコールではなく、たまたま手段としてそれを選ぶと言う人がいるだけ。例えば、

【価値観B】 オレは議論しにくいからSBMでは議論を誘発するコメントはしない。だからお前は反論するな。

としてみよう。

客観的に見て、AとBを区別する要素は本人の胸のうちにしかないような気がする。つまり、常に前置きしてからでないとそう思っていても無駄なんじゃないかと。

SBMが一方的な放言である、と言うのもツールとしての捉え方の問題に過ぎず、現にはてブにレスって議論を成立させている(コメント欄に呼び込んだりもする)人だって沢山いるし、声高に自分の価値観を叫ぶようなことでもないと思ったりするのですが。

労働者に贈る呪いの言葉

収入よりもやりがいを!

がむしゃらに働いて、高収入を得ても、それが一生の仕事でなければ、疲れるばかり。限りある人生の時間、つまらない仕事よりも、やりがいのある仕事をしたいと思いませんか?

毎日定時で帰れる職場です

毎日残業であくせく働いて、週末は家族の世話で遊ぶ元気も無い。そんな仕事はもうこりごり。ちょっとぐらい給料が安くても、残業なしの職場で働きたくないですか?

時代の最先端に触れてみませんか

常に業界の一歩先を行くビジョンを提示するわが社。こんな会社で働きたくありませんか?

バカな上司にウンザリしていませんか

(BGM:弦楽セレナーデ(チャイコフスキー))一生こんな上司と付き合いたくなければス○ッフ○ービスへ。

鶏頭になるも牛後になるなかれ

大会社のちょっとしたポストで終えるより、一国一城の主になりませんか?

時代はグローバル

旧態然の年功序列が依然として幅を利かせる日本の会社。成果を出せば出すほど評価してくれる外資系はあなたのようなやる気のある人材を求めていますよ

辛くなったら逃げ出せばいい

会社は君を守ってくれない。辛くなったらすぐ逃げ出すべきだ。壊れる前に

行動すれば道は開ける

バカな僕でも人と会って会って会いまくったら今や大物さ。行動こそ全て!

仕事は効率よく!

Excelマクロを書けば5分で終わる仕事を延々と1日かけてやっている職場なんてあほらしいよね。無駄は省こう

好きを貫け!

どんなに辛くても、自分の好きなことを一生懸命やることが成功の近道。好きでないものを仕事にしたってつまらない。いつか道は開けます。

世間体の抑止力と画一化

例えば、消防署の対応がまずかったから逃げ遅れたんだ、なんて言い草は、それが本当に特別怠慢な行為をしていた結果としてなされた明白な証拠がなければ非難される。(便利な言葉ではあるが)仕方が無いことに対して、いやそんなことは無かった、と言い張ることは、「してもらった」努力に対して、仕事だからと言って、自分にとっての最善の結果にならなかったことが不満だと言う話と「見做される」。通常、そんなことしたら肩身が狭くて生きていけない。白い目で見る周りは、言った人が自己利益を追求しているからそうしているわけでは(一部そういう気持ちはあるとしても)、ない。消防をやってくれる人がいなくなると困るからだ。

と、まあ、非常に単純化して語っているので社会学的に見て妥当な議論かはわからないけれど、世間体なんてものが弱体化していることが様々な自分勝手と見做される行為(モンスターペアレント然り)を生み出している背景のひとつではあろうし、ワーキングプアなんてのも昔から実はあったと思うけれど、救いの手を差し伸べてくれる下宿とか、そういう近所の人々的な世間が弱体化したのも目立ち始めた一因なんじゃないかと思ったりもする。

ところが、そんな世間体や世間話をするお付き合いが減ってきた変わりに、ウェブでの世間話が出来上がってきた。

こういう空気読めない訴訟をする人が糾弾される場は、その人が住んでいる世間から、ウェブ上へシフトする。全世界共通世間体が既に誕生しつつあるわけだ。これは怖い。何かをやらかしてしまっても引っ越せば済む世間だったのが、どこに言っても同じ世間。逃げ場なし。しかし、その世間の広がりを想像できないで、ついぽろっと漏らしてしまったり、やってしまったりする。それが世間の基準に照られて逸脱していると、つまはじき。

2ちゃんみたいなネオ共同体の登場は、それ自体が一つの世間と言っても良いのかも知れないけれど、世間の論調は常に参加者の多数派によって決められるわけだから、そのような一つの世間で留まっているうちはいいけれど、共通化が進み、引き返せないところまで来ると、画一化した全世界共通世間体の出来上がり。

かくして、ウェブは一つの世間として存在を確乎たるものにし、実名が当たり前になり、必要以上のバカなことをすることへの抑止力となる。当然、副作用として、画一的な価値観による抑圧が発生し、つまはじきにされたものたちが集う地下組織のレジスタンス活動が始まる…というのはSFの読みすぎか。とにかく、世知辛い世の中と言う言葉が復活するような。

これはこれで、ありだと思う。ただ、画一化された価値観と言うのは多分、常に保守的で、危機に弱くて、発展性に乏しい。そういう点で、ウェブの統一された世間化と言うのは怖い気もする。