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2007-12-22

ライブこそが音楽?そうではないよね

音楽のライブ至上主義と言うのは特に実際に音楽をやったり、足しげくコンサートやライブに通ったりする人が良く陥りやすい罠だと思ったりするのだけれども、必ずしも正しいとは思わない。

Jazz なんか特にそうですが、ライブこそが音楽です。

〜中略〜

その場で体験するということが、とても貴重な体験になるわけです。今はネットなどの通信手段もいろいろあるので、録音、録画でなくてもストリームなどでも見れる場合もありますが、やはりその場にいるというのは大事です。何度か言っていますが、多分録音された音楽というのは、ライブに足を運んでもらうための販促ツールになるような気がします。

no title

僕はJazzもClassicもやるし聴くので個人的にはこの意見には賛同し難い。ライブも音楽だし、レコーディングされたものも、同様に、あるいは別の意味で、音楽であるという見解を持っています。

例えば、ライブでエキサイトして、客の空気と一体化して、やりすぎちゃうってことなんてのは良くある。もちろんその空気は楽しいし、感情の喚起する力はレコーディングの非ではない。けれども、これ録音したらどうよ。場合によっては構成も何もない、単なる無秩序にしか過ぎなかったりする。だが、それがいい。それがいいのがライブであり、体験というものである。

だから、一方で、レコーディングされたもの、と言う世界も成立していい。無駄を排除し、あるいはライブではできない過剰な無駄を盛り込み、作品として完成する。録音そのものの技術や編集によってまた一つ別の面を見せたりもする。刹那発せられた、あまりにも美しいアドリブを、二度と再現されないそれを。記録することの出来るメディアの存在があってよかったと思う。

僕はどちらも楽しみ方としては良いものだと思うし、また、その空間からしか生み出されない何かがやっぱりどちらにもある。どちらが本当かなんて決め付けてしまうのは、とても寂しい。

こういう人もいる。

グレン・グールド - Wikipedia

実名晒し上げについて某所の通りすがりさんの意見と僕の見解

直接かかわりたくないのでここで。

  • ハンドルネームや作家名を使用している人物への実名曝しはプライバシーの侵害に当たる可能性が高い
  • 実名を書くに値する違法行為、一般社会への実害の有る行為を行ったと裁判官が認められる程の根拠と証拠があれば、削除勧告される程度で終わる
  • 不愉快に思う、気分を害する程度では社会的実害があるとは言えず、証拠にもならない
  • 実名を仄めかす行為もプライバシーの侵害が問われる可能性がありますが、大学関係者ならば分かると言う表現では仄めかしとは認められない可能性がある

とはいえ、問われる罪や請求できる損害賠償よりも実名を晒された人が受ける実害の方が大きい状態では、実名原理主義者の嫌がらせとしての晒し上げが実効性を持つことは言うまでもない。言論停止処分でも受ければ別だろうけれども。

もっともね、個人の社会的評価に関わるような情報を辿れるところにおいておく、と言うのはあまりに隙がある過ぎるわけで、そういうのは意識的にクローズドであるべきなのですが。人には言えない趣味を、(頑張っちゃえば実名が辿れる状態で)匿名でウェブに晒すのは露出狂。政治思想にしても、現実でもし隠さなきゃならないのであれば、その状態は異常であるけれども、その現実の異常を変えようとしないまま、ウェブだったら大丈夫と考えるのはどうかしている。と、いう部分については僕は匿名の必要性があるのはこのあたりだよなあと思うわけです。つまり、

  • 現実において、不条理である部分に対処するため
  • 悪意の第三者(関係者であれば自己防衛が足りない)からの嫌がらせ等からの防衛

の2点において、匿名での活動が許されない場合の不利益が多すぎる。

今回の実名晒し事件は、本人の社会的評価への影響は限定的(自らの情報をある程度コントロールできてるしね)だと思うけれども、嫌がらせには変わりない。実名原理主義者の嫌がらせが続けば続くほど、匿名の必要性がクローズアップされてしまう。これはある意味言論界へのテロだよ。ちゃんと実名で真っ当に活動しようとしている人に対して「実名は怖い」という先入観を与えてしまう。変な世界に。

反対側の話として、匿名での誹謗中傷が続けば続くほど、匿名へ対する風当たりは強まる。もっとも、ここにはトレーサビリティーや顕名という考え方が混じってきて、なんともかんとも。でも、某女史への個人攻撃はなんか捕まってた(とはいえ、言論そのものが原因ではなかった気もするが)し、相手に正義があるかどうかに関わらず、こっちが匿名か否かに関わらず、やっていいことと悪いことには明確な線があり、越えたら捕まる。のであれば、匿名であることの問題点なんてそれほどないと思うけれどね。

匿名の批判はどこまで許される?

自ら公表しているとはいえ、実名を晒すリスクとかそういうレベルじゃない誹謗中傷を喰らうことを覚悟せよというのはいささか酷だろう。匿名の理由が自らを守るためなのであれば、リスクの度合いを自ら高めているとはいえ、そのことを利用して攻撃するのは卑怯であるし、ある種の敗北である。

実名だから、公表しているから、出身や所属をあげつらうというのは不要な行為だ。もっとも、実名の論者が自らの経歴や現在の立場をもって権力となすのであれば、対抗言論としての裏側への傾斜は、あってしかるべきである。その場合に実名の論者が論敵のバックグラウンドを暴くのは、単なる報復行為だ。

ここの線引きは非常に難しいし、感情面でこじれたときに、その規範はあっさり破られる。結局、一人一人を議論に足るべき人であるか判断した上で行う必要がある。のであれば、どんな事故が起きるかわからないネット上のコミュニケーションにおいては、実質ノーリスクである実名原理主義者は避けるのが正しく、また、言及するのにはとことんまでやる覚悟が必要だ。が、実名のバカをのさばらせない為の議論や批判は必要なことであるとして、それを実施する際には何をどこまで踏み込むべきかはよく考えなければなるまい。

結局のところ、種々の面倒なことから自由だったときに、実名で批判できる範囲が、匿名においても適用されるのが、フェアな議論であり批判である。実名の方がその規範を守れないことがままある、というのは不思議なことではある。実名をある種の権力の源や保証であると認識していない限り、なかなかそういうことにはならない。