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2008-01-31

初心者は萎縮する必要ないけどTPOは大事

増田がいいことを言っている。

もう萎縮萎縮!初心者超萎縮ですよ。「あーセンコーうぜー。隠れてタバコ吸おう」って高校生の心境だよ。難しい顔して訳知り顔でかっこつけてるヤツばっかりじゃねーか。おれだって趣味でやるとはいえセキュリティの事はけっこう勉強したよ。XSSだのSQLインジェクションだのなんだかんだ。でもこの手の説明って本当に初心者には分かりにくい説明ばっかりで、高木浩光にしたって長い上に何言ってるのかさっぱり分からない。肝心の初心者に声が届いてなくて、わかってるもん同士で「うむうむ、セキュリティは大事ですなぁ」って仲間ごっこしてるだけじゃねーか。阿呆か。そんなに大事なら分かりやすく説明してみろっての。

初心者はPHPで脆弱なウェブアプリをどんどん量産すべし

これはね、すごくわかるんだよね。セキュリティー難しい。サニタイズいうなとかオレオレ証明書とか、こう、これをしておけば大丈夫ってのがイマイチない。ま、タバコは隠れて吸っておくべきだと思うんだ。

でも、まあ、そう単純でもないか。

プログラマってのは専門職(としておこう)の中では実にプロとアマの壁が低い、下手すりゃアマグラマーの方が優秀だったりもする、特殊な世界なんだけれど、かつては作ったものが不特定多数に影響を及ぼすこともなかったんだよね、環境がクローズドだったから。その代わりウイルスってのは今よりも恐怖の的だった気がする。フロッピードライブの制御を乗っ取って、過回転させて燃やす、みたいのなかったっけ?

Windows95が出たとき、世の中みんなパソコン使えるようになります!簡単です!なんていっていて、実際にそうなったんだけど、本当にパソコンじゃなきゃできないことをやっている人なんて一握りだよね。でも、パソコンがなんかインフラになっちゃった。インターネットのせいだ。こう、イマイチ電話イメージが抜けない人が多くて、メールも相手と一対一でやりとりしている気分だったりするし、攻撃されるってことがなんなのか良くわかってなかったから、IISが自動起動していたなんてマシンが踏み台になったり、変なワームに感染させられたり。ベンダーはできるだけその辺を潰していこうと努力して、まあ、最近のOSではそう簡単に変なことになったりはしない。初心者、というより単なる利用者にそれとなく制限をつけてもまあ使う分には困らないしね。

なので、その壁を越えて何かをやろうって言う人は以前の無法地帯よりやらなきゃいけないことが多くなっている。それでも医者とか弁護士みたいな、何年も勉強して資格を得ないと職務に付けない、というようなものでもなく、誰にも咎められず、ものづくりを楽しむことができる。これは、裏を返すと最低限のお作法を学習する責任が本人にゆだねられているってことだ。

PHPは初心者向けだからそんなこと気にしなくていいぜとにかく動くぜ」ってのが良くないのは、「初心者向けだから気にしなくていい」みたいなところだけで、いや、気にしろよ、と。Webに公開しないんであればよい(これも「公開しないからいいよね、って気にしていることになるし」)し、そうでないなら、最低限、やることをやっているかどうか、気にしてみるべきなんじゃないか。まあでもそのときにあんまり気にしなくていい言語だと楽だけどね。

世の中がセキュアな方向に移行していったときに、残された脆弱性天国があったら、それが何年も前から放置されてたりしたら、間違いなく狙われるよね。始末の付け方くらいまでは責任をもつってのがアプリを公開するってことだと思ったりする。

コメントスク…いやネットイナ…じゃなくてネット赤潮

  • 有名人が
  • その立場を利用して
  • あるいは売名として
  • 何かを褒めちぎったり
  • 何かをこき下ろしたり

することはある意味言葉の暴力でありますからして、防衛の為にゴリアテよろしく石を投げつけられることは予測してしかるべきだし、そのくらいの覚悟は義務としてあると思うのです。

ただ、必ずしも発言した人に非があるとも限らないのが難しいところで、本当に何もないところからイナゴがやってくるってことはあるし、ポジショントーカーたちがスクラム組んでやってくることもあるし、なんともいいがたい。

結局流行らなかったけど、ネット赤潮含めて、見た目は一緒だけど、全然違う出来事のことを一口にまとめて表現しちゃうってのが事の本質を見誤らせているのかも知れないよ。非難されるべき発言をした場合は実名だろうが匿名だろうが非難の嵐に襲われるわけで、非難するほうも自分が正しいと思ってたら匿名だろうが実名だろうが非難するだろうしね。実名化にしたらむしろ単なる低脳コメントが減って正論とかで追い込む理性的かつ強迫的なコメントが増えたりしてね。

なんかこう、レトリカルな部分を重視しすぎというか

婉曲話法に対して「そんなこと誰も言っていない」みたいな感じで返すと、ため息と共に「なら病気の子供はいなかったんだ!よかった!(苦笑」と返されて終わりになっちゃうわけで。

言葉の厳密性を要求してみるのもまあ一つの応対の仕方としてはありなんだろうけれども、そこで話題の本質から離れて揚げ足取り合戦になったり、言葉の定義を語りだしちゃったり、概念的な話題のはずなのに事実関係の確認に走っちゃったりするのは非常に意味がない。

どうしてもこうだ、って言い張らなければならないことがあって、それはもう議論じゃなくていいから、どんな理論にも屈しないから、みたいなのは特に非難のしようもないけれども、それによって他の人の考えを変えようとするんであれば、議論のルールに乗ってくるべきだし、目的をはっきりさせて、レトリカルな問題や誤認の問題で「ほらみろやっぱりお前が間違っている」みたいな反応をしても説得できないってことは知っておくべきなんじゃないかな。

裁判じゃないんだから、勝ち負けの問題ではない。何を納得させるか、あるいは納得させられないかが大事。

2008-01-30

原理主義者とポジショントーカーの違い

ちょっと判ってきた気がする。

  • 「〜は一理ある/ある意味正しい、けれども、こういう理由/背景から賛成できないし、こちらの方が理にかなっている/目的として妥当だから認められないよ」
  • 「俺の言うことが正しい。お前の言うことには価値を認めない」

実際に0か100で収まるような議論ってのは存在しづらいし、そういうときに相手の言うことを適切に評価しない/否定ばかりすることが原理主義への第一歩なのかと思った。実際には現実論に収めることのできる原理主義者もいるわけだけど、目的を見失って「原理命!」みたいになっちゃうと、敵の言うことは全否定、みたいになっちゃって客観的に見てもちょっとおかしいんじゃないその議論、みたいになって結局その原理を損ねてみたり。

単にポジションによって自由でない人は、結構留保付きの発言をするような気がする。そういうのは原理主義じゃないよね。

ネガコメを非難できるほど立派なこと書いてない

誤解を招くこともいっぱい書いたし、いろんな解釈ができることについても自分の考え方、見え方からのエントリを書いたりもしたし、感情的なことも書いてきたんだけど、ブクマコメント読んで、一瞬カチンと来ることなんて何度もあるけれども、「ふざけんなこのヤロー表へ出ろ」みたいな思いを抱いたことがない、というのは幸せなんだろうか。単に書いていることが無難なだけかも知れない。

僕は自分が間違うことも、全方位から見て正しくないことも、知っている。いや、僕がなんていうのもおかしいな。何事にも反対の意見、立場ってものはあるんだから、100%受け入れられるなんてことは人智を超えた何かが介在しない限りありえないんじゃないか。1+1が3であることはそうはいってもありえないかもしれないけれど、定義は意見じゃないし、3である異世界に思いを馳せることはきっと楽しかったりするだろう。

前にも書いたような気がするけれども、コメントをネガティブに受け取る人は自分の正しさに確信があることが多いし、どんな形であれ批判の内容が正しければ受け入れるべきだけどはなからそんな気もないのであれば、そもそもコメントなんて見なければよろしい。賛同されるのは求めるけど非難されることには怒るってのは、バランスが取れない。単に自己承認を求めているのであればさて、その議論の価値は。

別にコメント全部真摯に受け取る必要もないと思うんだけど、受け入れる度量も、打ち捨てる自信もない、ってのはどうすればよいのかなあ。「考え方が違って当然、でも僕はこう思う」っていう感じで書いている人と「自分は正しいはず、みんな賛同してくれるはず」って思って書いている人だとネガコメに対する反応も違うのだろうけど、後者みたいな自信もって書いている人っているんだろうか。いるんだろうなあ。

論争になったとき、相手を否定し尽くしたら勝ち、みたいに考えてたりすると人生損すると思うし、ネガコメをどうやって大事にしていくのか、消化していくのかって言うのが折角たどり着いたこっちの世界を楽しむための一つの方法だと思うんだけど、どうも勝ち負けにこだわっているような気もする。匿名で立場にこだわらず、議論のマッシュアップだ、みたいなのは実現しない夢なのかな。だったらみんな実名でもいいような。

昔のエントリ。近いのはこの辺かな。

雪合戦

いっぱい雪玉を浴びて泣いてる子を「やーいやーい」と囃しててた子に特製石入り雪玉を当てに行くようなことをする人から避難する事自体は責められる行為じゃないと思った。

初心者向けでない言語の見分け方

言語の仕様を全力でDISられた時に

  • 「ふーん、それで?」と鷹揚に構えているのは普通の言語
  • 「何言ってんだゴルァ、バカにしてんのかぁ?」と言ってDISり返す人が大勢湧くのが初心者向けでない言語

変な人がよってくるから

池田先生は自重した方が良いか、どっちも切り捨てるべき。

敵の敵は味方論法に引っかかるほどではないと思うのですが、ネット上では手段選ばない傾向があるような気もしますので心配です。

名前とそれに伴う評価の重要性

名誉毀損とか誹謗中傷とか、そういった言動が何故重要であるのか。例えば周りがみんな「あいつはそんな奴じゃない」と思っていても初めて会う人はそう思ってくれないかも。それが真実に基づくものでなければやるせない。

イヤな思いというのは極端な話をすると、本人の度量の問題で済ませることは出来るけれど社会的な評価はそうはいかない。これは相手の度量の問題になるから自分では制御出来ないしね。

冤罪逮捕なんてのもそうなんだけど、世間というのはわりと自分の目に自信がなくて、「みんなの」目に頼ろうとするからね。でも社会なんてそうやって回ってきているから。一部の悪人のために少なからずの善人が犠牲になっている。

名前からある程度自由になる、これは名前と自分が1対1、つまり単一の識別子しか持ちえない社会に対する反抗なのか、あるいは、別の自分が存在することを表明するものなのか、あるいは、本来の名前という社会的識別子から解き放たれたいのか。評価はそれぞれの名前につくけれど、それは自分の中で繋がっているのか。

この辺のバランスは、それぞれが天秤に掛けるものによって違ってくる。本当は違ってはいけないと思う。とはいえ、発言権を得るために努力してきた人と、にわかに発言権を得た人を同列に扱うのもどうかと思うことがある。

まあでもそれは単純に言えばシステムが変わることへの拒否反応だし、折り合いの付け方の一つなんだろう。

システムを現実に近づけようとする試みは、しかし、自爆かもしれないね。現実の評価軸に真実からなる本人の能力とか資質が含まれるとは限らない。権力や立場によって折れることを強要されるかもしれない。ウェブみたいなところだと中身で勝負できなくはない。誹謗中傷が誹謗中傷だと皆が認識できれば問題ない。

まあ、ウェブにも他のメディアにも本人の意思をもって露出していない人を中傷するのは究極のルール違反だとは思うけど、正しく誹謗中傷(なんだかおかしいけど)されるのはむしろ名誉なんじゃないかと思ったりもする。極端な話、実名が現実に危険をもたらさないってのはそういうことなんじゃないかなあ。

だからもう初心者にWeb開発させるのやめようぜ

まつもとゆきひろ氏が英語の記事でPHPを叩いてるやつを翻訳してコメント付きで載せたら「Matz酷すぎ」みたいな反応がわらわら出てきてお前らちゃんと読んでいるのかよ、と思ったわけです。

特に「PHPは初心者に学びやすい(と言われていることが問題である)」という部分に共感する。 PHPは初心者に簡単かもしれないが、初心者による手を抜いたWebアプリケーションは PHPが作られた当初はともかく、現代では害悪ではないだろうか。

no title

これは同感。というか、もはや社会インフラと化したWebの世界は初心者の手に負えるものではないはずだ。かつてPerl4でベタベタCGIを書いていた頃は想像もしなかったセキュリティーの脆弱性。未だに過去の遺産として残っているものは多い。

どの言語でもそうだけど、初心者向けの入門書にセキュリティーのことをちゃんと書いてあるものになかなかお目にかかれない。PHPは動的Web構築の敷居を下げるのに貢献したかも知れないけれども、あまり考えなくてもいいやって人にも開放した、とも言える。他の言語だって本質的には同様だけど、結局のところ、初心者がWebにアプリケーションを公開する、ということそのものがもはや間違っているのではないか、あるいは、脆弱性について、作りこんだ人に責任を取らせることを世間は期待している、ということを理解すべきではないか、と思う。

ただ、問題は、いわゆるIT業界の中に、Web開発の初心者(しかし自称プロ)が山ほどいること。セキュリティー的な問題点を理解している人に到ってはプロジェクトに何人かいれば優秀なほうだろう(これはいいすぎ?)。でも僕だってWeb開発者としてやってきたけど、新たな手口の登場を追うのも大変だし、実際はがちがちに固めてたり動いてないから起こりえないような脆弱性をお客さんが報道から拾ってきたりして説得するのが面倒だったり。セキュリティーの専門家でなくても最低限のことを知らないとやっていけないのがWeb開発。作って納品してはいあとはそちらでよろしく、なんて開発だったら尚更事前に検証しておかなければならないことは多い。

さっそくネタ帳の人が噛み付いている。

perlでもjavaでもrubyでも、どの言語で書いてもSQLインジェクションやらXSS脆弱性やらを作りこむ奴は作りこむ。ただそれだけの話というか、別な話だろう。

ywcafe.net

僕が引用したまつもと氏の言葉の部分を読んでない?まあいい。それだけの話でもない。

「言語は関係ない」って言葉は僕には「初心者はWeb開発やめろ」と言っているように聞こえるし、もしそうでないのであれば、弱点を認めた上で、言語仕様的な観点からできるだけ過ちを犯さないようになっているかを検証し、初心者でも脆弱性を作りこみにくい言語としていくべきなんじゃないか。PHPなんてWeb開発用言語として産まれたんだからその辺はもっともっと意識してしかるべきなんじゃないかな。とりあえず動いちゃう、ってのはおもちゃとしては楽しいけど、それで終わってしまったら危険だ。

PHPの良いところも沢山ある。仕掛け自体も良くできていると思う。でもね

no title

のコメントを見ているとなんだか暗澹たる気持ちがしてくるのは何故だろう。

2008-01-29

ポケットはてなのログイン画面が変わった

かんたんログイン(だっけ)が一番最初になった。これは妥当。今まで何でやらなかったのか(ちなみに僕はドコモユーザー)。

しかし、どうせ変えるなら何で301を返すリンク先を変えないのかと…

転送先を制御しているのはログイン画面そのものではなかろうが、ログイン時とカウンターからmyはてなが301なんだよね。他のサービスからは直で行くみたいなのに。毎回ダイアログが出てうざいです。

郵便の匿名脆弱性について

差出人がわからなくても、捏造されていても、トレーサビリティーが精々消印しかなくて都会じゃどうにもトレースできないとしても、郵便のその弱点が改善されないのは何故だろう。差出人確認をしないと出せないのは確かに面倒だけど、脆弱性を放置するのは公共サービスとしてはどうにも失格のように思えます。

もちろん、匿名の投書とか、告発のため、あるいはあしながおじさんの為に必要なサービスなのかも知れませんが、脅迫の手紙やカミソリ入りの手紙が稀に発生することによる被害のデメリットの方が大きいはずだし、本人確認をするべきじゃないのか。ペンネームもトレーサビリティーを損なうから禁止です。差出人欄には住所氏名だけじゃなく電話番号や所属、性別、年齢なども載っているべきだし、そうなって初めて郵便が匿名の暴力から自由になるのです。

以上、実名原理主義者の叫びでした。

(郵便がインターネットと比べるには非現実的なコストが掛かる点はあえてスルーしています)

一線の引き方について

先日したブクマのコメントについて、ご意見を頂いた。

2008年01月27日 NOV1975 人間 今まで問題になった言動上のあれとは一段階違う。不支持がありうるとしたら記載の真実性のみが焦点でしょ。/これで警察が動かないなら、実名制にすることはとても危険。もっとも、実名なら書く以前に襲撃されそう。

2008年01月28日 NATSU2007 いい脅迫・悪い脅迫 >id:NOV1975id:hashigotanが一条さんその他にした脅迫行為を軽く見積もりすぎ/何年も粘着・脅迫された一条さんが被害を訴えたら「無意味な正論。気持ち悪い」と叩いておいて、自分がサクッと音を上げるのはどーなの?

はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー

id:NATSU2007さんは「因果応報、悪滅すべし」なのでしょうか。脅迫にいいも悪いもないし、口だけじゃなくて、リアルでの行為に波及してきた時点で本気であることを感じて動くというのは自然な話でしょう。もちろん、id:Masao_hateさんがそれまで行ったことが原因であったとしても。そこは僕はよくわからないけれども。

この件で問題がありうるとしたら、事の真実性はMasao_hateさんにしかわからないことで、彼が嘘をついていたらどうしようもない。

id:watapocoさんからも私信を頂いたけど、僕が支持不支持というのは、Masao_hateさんの態度の問題ではなく、脅迫されたなら警察に行くべき、という記事に対するブクマの流れに対しての言葉であって(だからメタブクマなのです)、まあ、不支持という言葉がちょっと相応しくないのがわかりにくい原因かも知れないけど、記載が嘘でなければ、警察行けよ、ということですね。

僕は、そのMasao_hateさんの今までの行為の帰結としてこうなったことに対して、このようなエントリを書いた、ということそのものを支持しようとは思わないけど、それは、書く前に警察行けって事であって…まあ書いちゃったからそれ以上はそこについては言えないです。

2008-01-25

妄想して同情

ほら、某パイプクラブとやらがあまりに酷いのを僕も批判してたんだけど、なんとなく背景が見えてきたんだ。

きっと、彼らは、「家では吸わせてもらえない」ホタル族なんだ。家では臭いから吸うなと虐げられ、最近じゃベランダでも吸わせてもらえない。吸える場所を外に求めざるを得ない、自分の趣味趣向を楽しめる場所を自宅にすら確保できない、そういう人たちなんだって。

そりゃあ、共用スペースとか、公共機関で吸いたいよな。

外での喫煙は、マナーを守って適切な場所で、であれば文句も言われないけど、家で「壁が黄色くなるからやめて!」なんて言われたら自分の存在意義とかQOLに疑問をもってもおかしくないよね。

でも、家族にダメ出しされたものを他人にだったら浴びせていいってのはおかしい話だし、そのへん考えて嫌煙の人と共存の道を図っていかないとホントに吸えなくなっちゃうよね。

Milesを知って衝撃を受けたあの日

大学に入っても楽器を続けようと思った。Tromboneという楽器はわりとジャンルを問わなくて、選択肢は多い。とりあえず、吹奏楽サークルにいってみる。「3年もやってたんだ。じゃあ僕より上手いねえ」という2年生の談。なんだ、大学の1年間はそんなに密度が薄いのもなのか?高校の同期が先輩になるのもあって、ちょっと敬遠した。

中庭で、ビッグバンド(というらしい、程度の認識だった)が演奏をしている。こういうのもいいかなあ。

「君、こういうの興味あるの?」おいでなすった。「うちは、こことは違うサークルなんだけど、同じようなことをやってるんだよね。ちょっと説明でも聞いてかない?」

まんまと他サークルの演奏によって釣られる僕。

「どこ出身?あ、その高校ならこの人やこの人がOBだね。」知らない…けれど、きっとそうなんだろう(実際に後で正しいことはわかった)。

「うちに入ってちゃんとやると、上手くなれるよ」なんという自信!これは、入るしかないのか!

結局一度もそのサークルの演奏を聴かずにとりあえず入ることになった。我ながらなんと適当な。流されやすいタイプなのです。

語学のクラスで妙な匂いを感じた。あいつ、ボントロ(トロンボーンの業界用語)吹きだ。なぜかボントロ吹き人種みたいなものがあり、ピンと来ることが多い。楽器をやっている人はなんとなくわかる感覚だと思う。案の定、そうだった。しかも、同じサークルに入ろうとしているらしい…

後で知ったことだけど、僕の入ったサークルは、名うての「訳がわからない曲ばかりやる」バンドであったようだ。しかし、ここからしばらく、いわゆるスタンダード、グレンミラーとかカウントベイシーというやつに浸ることになる。後に、他のバンドの友人にその話をしたら嘘だと思われた。酷い。

とはいえ、Jazzをやったからにはビッグバンドだけじゃなくて色々聴かなきゃねってことで、定番のものを買いに走るわけだ。Jazzといえば帝王マイルス・デイビス。どの入門書でも進められる、Kind of Blueというアルバムを買った。しかし、何が良いのかさっぱりわからないのだ。一つには、僕がいわゆる「アンサンブル」というものをそれまでやってきたのが原因だろう。吹奏楽は大編成のアンサンブルで、譜面を演奏するものだ。ビッグバンドも、大枠でいえばそうだ。もっとも、吹奏楽の感覚を持ち込んだバンドのJazzでなさといったらフランス人にフランス語でしゃべったら英語で返されたくらいの恥ずかしさがあるものだが。

とにかく、わからないので、放置された。名盤といっても聴いて良さがわからないのでは価値がない。

平和なビッグバンドを聴きまくる。アメリカ西海岸のバンドは陽気で、ロスのスタジオミュージシャンが超絶テクでさらっと吹くので聴いていても気持ちが良い。曲の構成とか、ソロのフレーズのかっこよさが段々わかってくる。聴いているだけではダメで、実際に演奏していって、自分がJazzのイディオムを身につけていくことで、より理解が深まるわけ。このリズムのはずし方が何でカッコいいか。テンションノートがなぜ心に響くか。

夏に、コンテストがある。サークルが「わけわからない曲ばっかりやる」と評されるのは、こいつのせいだ。コンテンポラリー系を押し通すバンドであることをここで知る。選曲の際に延々と掛かる曲に段々洗脳される。今まで聴いたことのない音楽。

East Coast Blow Out

East Coast Blow Out

Comp/PianoのJim McNeelyを初めとしたリズム隊や、ドイツのビッグバンドであるWDR Big Bandにはこの後も大いにお世話になるわけだけど、それはまた別の話。とにかく、僕の抱いていたビッグバンドに対するイメージは打ち砕かれ、おかしい音楽をやるバンドに急速に同化していった。適当にやっているんだか考えているんだかわからないアウトフレーズ。Pianoもさることながら、GuitarのJohn Scofield(当時、僕の中でジョンスコはジミヘンと同じ4文字略語ギタリストとしての認識しかなかった)のフレーズに震えた。Big Bandでありながら管楽器のソロがまったくない音楽。なのに全力で音楽を支える管楽器たち。

少しずつ、色々なもののかっこよさがわかってくる。僕はクラシック畑の人間といってよい。親がプロ奏者で家では演歌とクラシックしか聴かないってのもあったと思う。正直ポップスやロックのよさは良くわからなかった。Jazzをはじめてから、そういうものを耳にする機会も増えた。クラシックの基準で音楽を聴く必要はないということがわかった。

そうこうしているうちに一年が過ぎ去った。何の気なしに、何の感銘も与えてくれなかった、Kind of Blueをプレイヤーにかけた。

Kind of Blue

Kind of Blue

あまりのカッコよさに、泣いた。僕はこのとき初めてMilesに出会った。

そういえば、素粒子がまともになった

朝日新聞夕刊の一面タイトル下にある小コラム、今年くらいから筆者が変わっているんだけど、以前のあまりに寒くて地球温暖化解消に貢献しそうな文章からだいぶマシな文章になったような気がする。

斯くの如く、別件逮捕に使われる著作権法を非親告化すべきではない

あれだ、カバンの中のハサミで書類送検と対して変わらん。

ましてや、私的複製が制限されると、従来は認められていたから何の気なしにした行為が別件逮捕の元に。ダウンロード違法化だってこじつけられるものはいくらでもあるだろうし。

コンピューターウイルスによる被害は後を絶たないが、国内では海外に比べ法整備が立ち遅れており、著作権法違反容疑という苦肉の策で摘発した。

no title

苦肉の策とは言わない。ウイルス配布について罪を問えないから、「著作権法に違反していなければウイルスの作成は合法」というお墨付きだよね、これは。しかし、権利者に告発してもらったのかね、これ。

府警は「生活に密着したインターネットは社会インフラの一部となっており、ウイルスの存在自体が大きな社会悪」と判断。作成者の摘発に乗り出した。

no title

それ言ったら人間の存在自体が大きな社会悪、みたいな話か。もっとも、感覚的にはわかる。

ただ、昔からずーっと言われてきたけど、ウイルスってなんなのって話をきちんとしないと、「存在自体が悪」ということが恐ろしい結果を呼ぶよね。「HDDを簡単にフォーマットするツール」は「パソコンのデータを破壊する」ツールであるだけだけど、それを間違って実行されるようにして頒布した場合、頒布者がウイルス作者なのか、ツールの作者がウイルス作者なのか。ITに携わっている人の常識としては辛うじて前者が犯罪者だ、って言えるって程度だと思うのだけど。

ただ、「テストツールとして作ったウイルスが流出した。ばら撒く意図はなかった」というのはそろそろ通用しないのは確かに「社会インフラの一部になっている」のが要因として大きい。ちゃんと隔離してなかったから「天然痘ウイルスが散布されちゃいました。えへ☆」なんて言い訳して許されないのとそろそろ一緒だろうね。

んで、確かに複雑な話ではあるんだけど、その別件逮捕のネタにされてしまう著作権法って…怪しい人を手当たり次第著作権法で別件逮捕してHDDの中身全部だせみたいな未来になったら目も当てられませんな。

2008-01-24

なんでリンクじゃダメなの?

どうも沈静化しないTumblrは無断転載なんじゃないか問題だけど、僕が一点わからないのは、プライベートモードでならともかく、なんでリンクじゃダメなのかなって言うこと。そりゃ、自分のサイトに画像が出たほうが便利かも知れないけど。

僕はあるリソースのURIは一意であるべきだと思うので、転載OKって書いてたってリンクにするだろう。ただ、負荷低減という目的においては消極的には認めたいものだけど。そういう考え方からすると、そもそも転載してもOKっていうこと自体がWebの本来あるべき形での正常な情報の流通を妨げていると感じる。CCだって目的は「利用」であって、クローンを大量発生させることではないと思うのだけど。

なんでリンクじゃダメなのかな。

池袋WAVEの思い出とあるバイヤーのこと

殺伐なエントリばっかり書いているのもなんなのでたまには。

はてなグループに触発されつつ。


僕が中学生の頃、池袋WAVEは、さながらサイバー百貨店だった。

当時の池袋はビックカメラもあんなに店舗はなく、さくらやもしょぼくて、今のGIGOのところにサンゴーカメラっていうマイナーなカメラ屋すなわち電気店があった。サントロペのところは何だったかな。もちろん、電気店としてはビックが一番。北口に入り浸ってX68000で源平倒魔伝ばかりやってた。迷惑なガキだ。

そんな中で、WAVEはパソコンも売ってたけど、なんだかおしゃれな感じで、ちょっと敷居の高い感じだった。そのときはそういう印象。その後WAVEとの接点はなかった。池袋は沿線に住んでいたので、街と言えば、というくらい親しんでいたけれども、高校が杉並の方だったのであまり行かなくはなったこともある。

高校に入って、吹奏楽を始めた。のめりこんであえなく浪人した。当時、日本で初めてプロのブラスバンド(英国式金管バンド。いわゆる吹奏楽を指すブラバンの名称の元ネタだけど、全然違う。ちなみに、商業的なバンドとしてのプロバンドが初めてで、それ以前にもプロプレイヤーのバンドはあったが)が出来て、そのCDを買った。衝撃を受けた。

これは本場のものを探さなければならないと思い、そこらじゅうのCD屋に出かけたが、そんなもの置いてあるもんじゃない。期待せずに入ったWAVEで、信じられないものを見た。見たことのないレーベルばかり大量に並んでいる。普段邪険に扱われている吹奏楽ジャンルのCDが丁寧なPOPに彩られている*1

数少ない予算で一生懸命買うものを吟味した。何しろ視聴ができないから。そして、本場の音を聞いて打ち震えたものだ。その後、定期的に通いつめ、何枚ものCDを入手した。もし、僕があの時社会人だったら、きっと全部のCDを買っていたことだろう。

今手元にあったり、後輩に貸したまま帰ってこないCDの何枚かは、今はもう手に入らない。そこで出会ったときだけのものだ。幸運に感謝する。

さて、そんなWAVEだったけれども、もしかしてないものがないかな、と思っていった六本木WAVEは、吹奏楽の陰も形もなかった。最近何かで読んで知ったんだけど、当時、文化的リーダーを目指していたセゾン&堤清二の戦略として、CDの買い付けは各店のバイヤーに任され、ムーブメントを作ることで競い合っていたらしい。しかし、マイナージャンルでマーケットも決まっているようなものを良くアレだけ仕入れたものだ。ニッチだけど需要は確かにあった。でも大ヒットはしない。

大学に入って、しばらく通っていたんだけど、あるとき急に品揃えが悪くなった。おかしいな、と思ったんだけど、理由がわからない。ところが、ふらっと立ち寄った、メトロポリタンプラザに新しく出来たHMV。妙に品揃えのよい吹奏楽コーナー。POP付き。まずありえない。きっと買い付けの人が移籍したんだ。そう思った。そして、それは多分正しかったのだろう。ところが程なくそこも様子が変わる。

渋谷にタワーレコードが出来て、うーん。たまたま立ち寄った吉祥寺(高校関連で集まりがあるとこの付近になることが多い)にできたタワーレコードでうーん。そして、止めの新宿タワーレコード。間違いない。あの人だ。

真偽はわからない。けれども、ずーっと追いかけてきた。今でこそ、こういったジャンルのCDはインターネットを通して買えるようになったし、輸入代理店的なウェブショップがいっぱいあるけれども、当時のWAVEが実現しようとしていた文化がなかったら、手に入れられなかったものも沢山ある。素晴らしいバイヤーの手によって紹介されなければ。

*1:このときのあるコンテストのCDでの「ドラゴンの年」という曲の超絶演奏を評して「鼻血ドラゴン」としたキャッチコピーは未だに伝説のコピーで、そこかしこで使われている。

2008-01-23

サムネイルは非合法な転載に当たらない?

たんぶらはサムネイルを使ったリンク集と同じだから無断転載じゃない、みたいな無茶理論を言っている人がいたのでさっくりと調べてみたら既にid:otsuneさんが昔書いてた。

アメリカのimages.google.comは公正利用だと法廷で認定されるように、イメージ検索から広告などを排除しているのだろう。

だけど日本だと、そもそも公正利用(フェアユース)という決まり事が無いので、法的にはNGだ。

画像サムネイルサイトはアメリカでは「フェアユース」という概念により著作権侵害にならない場合もあるが、日本では合法化は難しい - import otsune from Hatena

これはアメリカでサムネイルリンク集を訴えた結果退けられた事件(no title)を受けてのコメントだけど、日本にフェアユースがあれば様々な問題が解決することの一つではある。でも500pxってこんなよ。f:id:NOV1975:20080123221832j:image

とってもじゃないけどサムネイルとは言えないし、結構な確率でオリジナルに行かなくても普通に見れそうだから、そもそもフェアユース(リンク集)としても成立しないでしょう。ちょっと無理筋。

実名化によるインターネットの健全化とは

今のわりと不健全(その定義はひとまずおいておく)なインターネットに慣れ親しんでいる人にとっては、完全実名化で世間を気にしなければならないウェブにどれほどの価値があるんだ、と疑問を抱くのは自然な事です。一方で、ウェブが現実に対して持つ発言権がイマイチなのも、同じ理由であり、つまり、不健全さによって保たれている価値と毀損されている価値があること自体は否定しづらいものではあります。

しかし、実名化をすることはメディアとしてのウェブの発言権を増す結果にはなり得ないと考えています。何故なら、実名化は現実の権力を持ち込むことに他ならず、現実と同じ抑圧を受けたり、現実と同じような、権力を笠に着た物言いを許すことになるからです。今、現実で実名で発言している人の「個人」が重要なのか「肩書き」が重要なのかといったら前者であるケースがほとんどでしょう。

われわれ、特になんの力もない人間はしかし「市民の声」という匿名かつ多数であることのできる形態で何かをすることができるし、民主主義の基本である選挙が無記名であることがそれを象徴しています。ただ、従来市民の声はマスメディアなどのフィルターを通して歪められることが多かったわけです。

ウェブで直接発信できることはあまりに突然やってきた出来事過ぎて、ルールが整っていない面が多々あります。また、ウェブが権力の対立軸として見られすぎていることもあります。しかし、個対個になりえないのであれば、構図としての権力対市民という形を残せるようにした実名化が望まれます。まず実名化、では達成できないだろうことはわれわれが今まで経験してきたことに照らせば明らかでしょう。

つまり、ウェブの実名化とは、新たにできた市民のためのメディアを現実に合わせて矮小するということであり、ウェブの特性やグローバリゼーションを無視したものであるといえます。少なくとも現時点では。

匿名でしかできないこと

ここまでは長い前置き。ことメディアという観点では、ここであげた問題は必ずしも正しくはありません。市民運動を匿名でやるのは代表者というところではあり得ない話です。ウェブでの市民運動が、参加者という匿名の個(匿名というのはあくまで世間に対してであり、運動する人たちの間で匿名である必然性はありません)であるのか、運動の主体であるのかは判断しづらいところでもあります。

ところで匿名というか、不特定多数コミュニケーションでしかできないだろうことは沢山ありますが、ここでは一つだけ挙げることにします。それは「実名でやるには恥ずかしいこと」ですね。そんなことやらなければいい?そうでもありません。恥ずかしいと思う主体が本人であるとは限らないからです。

「〜に相応しくない」という主観で行動を制限されることは世の中では良くあることです。それは必ずしも社会的に正しくないものですが、逆らうと生活に関わることもあります。こういったことをできるメディアが折角登場したのに何故一部の馬鹿のために制限されなくてはならないのか。

すべてはトレードオフ

匿名であれ実名であれ、いい点も悪い点もあります。どちらかに致命的な欠陥があればともかく、現状は程度問題に過ぎません。匿名がなす悪行を庇うつもりはありませんが、実名が悪をなさない保証がない以上、犯罪抑止力があるという一点をもって実名制を導入施与というのは乱暴です*1

とはいえ、実名が担保する何かはあると思うので、欠点を克服する形で実名化ができないかを考えてはいきたいですね。

いいかげん論理が自家撞着になってきていますが

小倉先生は、どうしても今実名にしなければいけないという発想で様々な角度で議論を試みていますが、自家撞着の域を出ないように思われます。

そして、これらの犯罪のターゲットにするに相応しい人物の個人情報というのは他の制度により取得することが相当程度可能なのであって(ことの性質上、具体的には述べませんが。)、ネット上での発言者の匿名性を維持したところでその種の犯罪の発生確率を減少させる意味はほとんどありません。

la_causette 私たちは、いろいろな人に実名等の個人情報を知られているが、殺されてはいない。

と述べられていますが、

一定の行為を抑止するために現在採用されているほとんど全ての制度は、その行為がなされる頻度を相当程度減少させることはできても、その行為を完全に0にすることはできません。他方、その抑止策がなければ誰もがその行為を行うのかと言えば、それが抑止策がとられるほどに反倫理的であることに付き社会のコンセンサスがとられているものであればなおさら、そのようなことはありません。

「100じゃなければ0」という考え方を抑止論はそもそも採らない: la_causette

ということに対する批判が「これらの犯罪行為を行った人物の個人情報というのは現在の制度により取得することが相当程度可能」であるため、ネット上での発言者の匿名性を維持したところでその種の犯罪の検挙確率を低迷させる意味はないように思える、であることを思うと論理の恣意的な適用になっていると言わざるを得ません。

もっというと、このカッコ書き、「(ことの性質上、具体的には述べませんが。)」で具体的に述べない理由がものすごく大きいように思えます。実際には出来るけれども、そう簡単にできないように少しハードルが設けてあることと、それを取っ払ってカジュアルに可能である、ということの差は大きい。

タイトルで「殺されてはいない」というのは悪質な誘導であって、何かとのトレードオフを述べるときに「殺されないんだから(嫌がらせされても)いいじゃん」なんて言われても納得いかないですよね。

小倉先生は、実名化することで、メリットがあることだけではなく、デメリットがあることを示した上で、これとこれを比較したら明らかにこちらのほうが重要であるから、実名化すべきだ、という議論をされるべきかと思います。その際にデメリットの観点がこのような極端な事例ばかりにならないようにしないと。

もっとも、ポジショントークなのだろうなと最近は特に思います。が、一般に広く啓蒙する際にポジショントークを行われるのはあまりいい戦略ではないと思いますし、何故ブログで発信されるのかは疑問です。

*1:実名が発言の質を保証するかについては僕は否定的見解をもっているので、理由にはしません

2008-01-22

抑止力のために犠牲になるもの

携帯からなので後で引用するけど小倉先生が「誹謗中傷等の抑止力を「ネットの実名化」は相当程度もっていると想定されます」という結論のエントリを書かれています。

今までの実名匿名論において、その点は認められた上で誹謗中傷をしない人の実名ではかえって他人に迷惑な話も「ネットの実名化」で抑圧されるからトレードオフの問題、事件に際してはトレーサビリティが十分な現状では実名化のデメリットの方が大きすぎるのでは、ということは僕を含む何人もの人が言い続けてきたことです。

他人に迷惑ってのは、公共良俗に反しているって意味ではないですよ。自分の身の回りの話を実名ですると、登場人物は十分類推可能ですが、自分自身の話以外の部分では責任をもって話すことはできないし、単なる一時的感情が風評になることもあるし、他いろいろ。

だから、現状では実名化は誹謗中傷に対するアドホックな対応ですらなく、デメリットと相殺して安易に導入されえるものではありません。

あくまで現状ですが、実名化はネット制限論であり、小倉先生のたとえでいうと、ハサミの機内持ち込み制限ではなく、ハサミを日常的に使用許可が必要なものにすべきという話というレベル感です。

「AはダメなのになんでBは許されるの?どっちも同じじゃん」という論難の問題点

議論が煮詰まって敗色(議論に勝敗などないと思っているけど)が明らかになってくると、よく登場する論法ですが、これを発する人は「どちらも悪いのに一方は許容されている!おかしい」として、Aも許容されるべき、と繋ぎたがります。

しかし、どっちも悪いなら両者とも許容されるべきではない、というのが筋論。ここで当初の「一緒に許容される」ということは否定されます。残された道はともに滅ぶこと。

ところで、この論法に至る以前、何を議論してきたのでしょうか。Aが悪いかどうか、許容されるべきか否かを様々な角度、条件で検討した結果、(留保付きかどうかはあるとしても)許容に否定的な結論が出たわけです。

そこでいきなり他の対象を持ち出して理由としようとします。その対象はここでは許容されている理由が議論されていません。つまり条件の違いを全く無視しています。なので違うということを明らかにしなければなりません。これはずるい。面倒ですね。

しかし、この問いには欺瞞があります。はじめに「なんで」とあります。これは文字通りの問いかけではなく「理由がわからない!違いがわからない!ずるい!」という思考停止表現です。一般的に片方が社会的に許容され、片方が許容されることには理由がありますから、思考停止せず、理由を考えるのは問いを発した人の責任であり、それが出来ないのであればはじめの議論に参加する資格があったのかも危ぶまれるところです。

もっとも、この手の議論には明確な答えがないものも多いので妥当性の判断において異なる見解があるものも多々あります。そういったものを出来るだけ持ち込まないのも論者のセンスですし、その意味でもここで挙げた論法は極めて筋の悪いものであることが分かると思います。

未成年の携帯利用を制限すべきか

小倉先生がこんなことを書いています。

コンテンツ側が「有害サイトの撲滅」を行う場合、そのコンテンツは年齢を問わず誰にも見られなくなる可能性が高く、「表現の自由」を制約する度合いはより高くなることが予想されます。各都道府県の青少年保護育成条例等で有害図書等のゾーニングするにとどめている趣旨を少しは理解すべきでしょう。

未成年携帯フィルタリングは「愚作」なのか。: la_causette

これは、基本的には同意したい。ちゃんとキャリアでフィルタリングすればいいと思います。

これについては以前未成年者に携帯サイトを使わせないという「配慮」 - novtan別館、及び未成年者に携帯サイトを使わせないという「配慮」 - novtan別館で書いた通りなんだけれども、そのことが真に有害かどうかは別にして、有害と思われる情報から精神的に未熟である子供を守るのは大人の義務なのではないかと思うのです。

コンテンツを制限することによって、例えば社会的になんとなく有害と思われている情報に対する差別ではないか、悩んでいる子供もいるんだ、という話もあると思いますし、それはもっともなのですが、類型化しがちなお年頃の場合、逆に刷り込み的な影響を受けることもあるし、開けっぴろげに提示されていればよい、というわけでもないと思います。そういうものは主に未成年として責任を取れない行為に帰結しがちなのですから、親として、あるいは社会としては制限したいものです。

格差を減らす助けになるはずなのにというウェブの情報についても、本当にそういった目的で使用できている人は極わずかであり、前にも書いたけど、そういう子供は制限したって絶対利用できるパスを見つけてくるはずです。

ただ、セイフティーネット的に制限をかけるわけですから、もう一方のセイフティー、つまり子供達が自らの危険な状況を発信していることをしっかり受信する仕組みは必要です。昨今の「いじめはなかった」報道を聞くにつけ、そういった現場での人間力的な部分が失われてきつつあることに危惧を覚えますし、大人が子供を守る責任を果たすことが出来ないのであれば、制限をかけることとのデメリットの方が大きくなってしまうと思います。

そこまで考えて制限しようとしているとは到底思えないところが引っかかるところです。

2008-01-21

意外と文化は保護されているんじゃないかという話

ほら、図書館とか美術館とか、コンサートの協賛とか補助金とか、町おこしの一環とか、色々な名目で税金などが費やされているっていう事実。あと、メセナ活動として企業がイメージアップの為にやっている奴とか。中には本気で文化を愛してやっているのもあるけど。

そういう、「上から保護」ってのは、何が文化であるかという判断を、保護先に委ねているということでもありますよね。経済至上主義とは無縁の文化というのはそういうものなんじゃないかな。

というかさ、なんで「文化」なんだろう。「音楽」「映画」「小説」「マンガ」etc...と胸を張っていうべきなんじゃないかなあ。文化を気取るんなら金なんて最初から期待するなよ。そういえばノーブル気取りな「文化人」なんて人種もいるみたいだけど、そういう人が「文化的な」生活をするために必要なお金を集めるってのが「Culture First(笑)」の目的なんじゃないかなって思ったよ。

世間の風当たりの為に救急の受け入れをやめざるを得ないという不幸

誰にとっての不幸かは推して知るべし。

問題の書き込み。【大阪】2006年 救急搬送の16歳少女が死亡 7病院拒否スレッドより。

739 :名無しさん@八周年:2008/01/19(土) 17:04:46 ID:Q9WCX8Hq0

大阪の某病院勤めてるけど今度救急指定おろすことになったな、救急隊が続けてくれっていってるけど

人手不足でとても対応できないのが現状。

767 :名無しさん@八周年:2008/01/19(土) 17:19:20 ID:Q9WCX8Hq0

>>752

小さな病院だから夜中にレントゲンもとれないけど近隣に救急受け入れる施設少ないからやってたんだ、

でも最近の報道のせいで風当たりが強くなって撤退に。

実際救急で運ばれてくる救急疾患って消化器・心臓・脳が多いんだけどそこらを専門にしてる医者はほんとに減ってきてるし

専門にしてなきゃ受け入れたところで下手したら殺してしまう。

我が身を守るためってのもあるけど、結局下手に受け入れて適切な処置ができなかったら困るのは患者さんだからなぁ。

救急医療崩壊 報道被害 マスコミの「大阪焦土作戦」大成功「大阪の病院ですが、こんど救急指定の看板を下ろします」: 天漢日乗

天漢日乗さん経由ソースは2chなので100%本物と断定はできません。が、実際に「頑張っても評価されない」どころか「いかにも努力をしていないかのように報道される」ことに気力を奪われてしまうことは想像に難くありません。

悪いのはマスコミだけじゃないと思うのです。でも、我々一般の利用者が蚊帳の外の状態で事態だけが進んでいっているようにも思えます。何かの陰謀としか思えません。

いつから病気や怪我は100%治るのが当たり前で、老人が老衰で死なないことが当たり前になったのでしょうか。運不運があることを受け入れることを拒むようになったのでしょうか。想像の世界に行き過ぎて現実を受け入れる能力が減少したのか、あるいは不運の代償を他者である誰かが支払うべきという変な信念を抱くようになったのか。

「諦めない」ではなく「諦めきれない」という意識が強くなっているのでしょうか。周りの往生際が悪いと往生するはずの人もできなくなるような気がしてなりません。

2008-01-20

デジタルデータを所有することの意味

どうも、ダビング10の話は燃えません。ダビング10自体は筋の悪い解決方法だよなあとは思うのですよ、エンジニアとしては。回数ってのが妥協を示すものであるのは理解できるのですが。でも、根本的な話として、何が自由で何が自由でないかってのは単なる現状追認では意味がないのも確かなことですので、なんらかの形を作るしかないですよね。やって、失敗してみればよいと思うのだけど。

様々な圧力への反発から、利用者側からするとつい利用者としての権利を強調しがちになるのですが、権利者のもつ権利を侵害しまくろう!なんて思っているわけではありません。いや、利用者側全員が一致団結しているわけではないとは思いますが。むしろ、デジタル時代において、どのように権利者に利益をもたらすかを考えなくてはならないのですから…

さて、デジタルなデータに著作物がシフトしてきたことによる問題は、データ保持の低コスト化、コピーの容易性によるオリジナルの価値の低減にあるといえます。CD-Rが1枚1000円して、失敗も日常茶飯事だった時代にCDのコピーに使うのはギャンブルに近いものがありましたが、今や1万で買ったHDDに500枚分は軽く入るという体たらく。記憶媒体のバイトあたりの単価が安くなる、ということはそこに記録されるデータの単価も安くなる、ということに繋がります。もはや、データという概念において、コンテンツはそのボリューム的な意味を失いつつあります。「我々が欲しいのは、データそのものだ」という言い方をした場合、一山いくらと勘定されてもおかしくなくなっているわけです。

しかし、コンテンツの価値はその内容にあります。内容の価値とデータの価値が一致したことは未だかつてないのだとは思いますが、現在はあまりにもデータの価値が低すぎて、アンバランスになっています。このことが、内容の価値を失わせる方向に動かしている要因でもあります。これを防ぐために新世代の規格としてBDやHD-DVDを出す、つまり、データの価値をかさ上げして内容の価値に近づけよう、という試みがなされましたが、データの単価減少の方が圧倒的であったため、上手くいったとはいいづらいですね。さらに言えば、内容の価値を上げて行っても、肝心の再生装置や受容する人間の感覚器官のほうが先に限界に到達しそうです。

ここでいう価値は、評価とかそういうものでは当然なく、市場価値ということですが、従来コピーをコントロールする(=本来の著作権の目的)ことで価値をコントロールしてきたことが、技術の進化によって追いつかなくなった、というのは事実ではあります。従来のコントロールはコストコントロールであり、海賊版が成り立つのはスケールメリットを出すことの出来る手段(これは最終的に消費されるところまでのコストも含まれるから結構難しい)を得るか、または希少価値によりコストが度外視できる場合に限られたんじゃないかと思います。ところが、デジタルデータのコストの概念は、記憶媒体のコストとほぼイコールになってしまいました。そして、その記録媒体が汎用であるためのコスト削減効果はものすごい、と。

ここで我々は一つ考え直して見なければならなくなりました。まず、従来のコピーコントロールが実態としてそうだったのか、意図的にそうであったのか。もちろん、後者です。コピーガードCCCDの発想というのは、従来十分と思われたコピーコストと劣化によるコントロールが不十分になったという実態を反映したもので、逆に言うと従来のコントロールが手段として十分コントロール足りえるという認識の下で行われてきたといえます。著作権法の考え方からいっても妥当です。それでは、デジタルデータのコピーはどうコントロールすべきなのか。

ここで問題になるのが、私的複製。私的複製は著作権法上も認められた利用者の権利では有ります。しかし、デジタルデータと私的複製の概念はとても親和力がありそうで、実は相反するものなのではないか、とふと思ったのです。

再三述べたように、デジタルデータにおいて、既にデータそのものの(量的)価値は激減しています。逆に言うと、持っている我々の側も、「データを持つ」ことそのものには「任意の状況で再生できる」こと以外の意味はほぼありません。データの所有とは、データをいつでもどこでも再生できる権利であるといい変えることができます。であるならば、その権利と私的複製の自由が結びついているのは現状の技術的な実装の問題であり、今後もそうである必然性というのはあまりないのかもしれません。

結局、何が言いたいかというと、デジタルデータの時代において、「複製という概念自体が意味なし」なのではないか、ということです。つまり、

  • パッケージというメディアが継続される場合、所有者に対する利用形態の制限や、バックアップとしての複製の制限はかけるべきではない
  • 配信というメディアに取って代わられる場合、いつでもどこでも配信を受ける権利や、バックアップとしての複製の制限はかけるべきではない

というところに帰結します。ええ、強引ですとも。単純にいうと、「デジタルデータのコピーはバックアップでしかない」という話。

コンテンツの所有とデータの所有の概念を切り離して考えることが必要なのではないか、ということは最近強く思いますし、そういう観点から見てダビング10という考え方そのものが古い所有に縛られているようにも思えます。結びつくべきは、コンテンツとメディアではなく、コンテンツと人なのではないでしょうか。

2008-01-19

DRMは解決策足りえるか考えてみる

相変わらず迷走を続ける私的録音録画小委員会ですが、今度はこんな話になったようです。

私的録音録画小委員会:「DRMが普及すれば補償金縮小」で合意へ - ITmedia NEWS

合意ってねえ…

さて、折角なんでDRMについてちょっと考えてみる。

DRMはパッケージから価値を奪う

ここで言うパッケージとは、メディアに固定化されたコンテンツのこと。DRMを施されたコンテンツはパッケージそのものに価値がなくなります。正確に言うと、「ダウンロードの手間分」の価値しかないわけです。ちょっと大げさかも知れませんが、大雑把にはそうなります。

DRMは将来の再生可能性が保証されない

例えば、暗号解除キーをネットワークからダウンロードする形式のDRMの場合、サイトが死んだら再生できなくなります。ネットに繋がらなくなっても。未来永劫コンテンツの提供元が生き残るともいえませんし、この辺の整備は必要

破られないDRMはない

逆の話になりますが、技術の進歩といたちごっこになることは間違い有りません。ただ、アングラな世界では破れるのが常識でも、一般の人が泣く泣く使えなくなったコンテンツを捨てる姿は想像できます。

利用データが蓄積されるかも

図書館の貸し出し履歴の比じゃありませんよ!持ち物データベースなんですから。

以下取りとめもなく

うーん。なんか違うなあ。業界団体の人もそうだと思うんだけど、結局のところ、パッケージと配信(ダウンロード)と放送録画の線引きが上手く出来なくて、どうすればいいかわからないってのが根本的な問題なんだろうと思った。

CDが登場したとき、CDの容量は既存の記録メディアに比べて圧倒的に多かった。CD-ROMが一般化したとき、HDDの容量は「何枚もの」CDをリッピングして取っておくほどのものではなかった。CD-Rが登場したとき、ちょっとの振動も許されないくらいシビアな書き込みが、一枚数百円のメディアに対して行われていた。そんな過去はあっという間に過ぎ去って、進化したPCと高速な回線が今僕達の手元にあります。

DRMは何を守っているのかな。コンテンツの価値をいくらか毀損する変わりに権利を守っているのか。いや、価値は制限することから生まれる。コンテンツが空気のようにそこにあったら誰もお金を払おうとしないでしょう。そう、デジタルのネットワークにおいて、デジタルデータは空気みたいなものなのかも知れない。DRMは空気の缶詰?

デジタル時代になって、消費者側の所有に対する概念もちょっと変わってきたように思える。特に、かつてCD⇒MDのようなメディア対メディアだったものがメディア対HDDや不揮発メモリに変わって行ったときに1対1の概念は崩れたよね。パッケージとしてのメディアを持つ、というのは内容の利用形態はユーザーの自由だ、というのが基本的な考えなんだけど、つまり、「ある再生手段に特化したメディア」を所有しているのではなく、その内容を所有しているという。じゃないとマルチユースという考え方ができない。CD⇒MDだってそうなんだけど、やっぱり量が非可逆であるであることが大きいのかも知れないね。

そういった意味では、DRMは決定的に所有欲を減退させるかも知れない。同時にそれは、再生手段別の価値を創造するということになる。でも今まで持っていたと思える権利を制限するようになるしかないから、当然の感覚として、単価は下がるべきとなるよね。本当にマルチユースを求めている人がどれだけいて、実際に使ってくれるのか。そんなにはいないと思うのだけど。

結局話が帰結するところは不正コピー対策なのでしょう。そして、不正コピー対策としてのDRMは、必ず破られるであろうという点から有効性に乏しい。だからといって野放しにもできない。利便性より権利保護。

多分みんなDRMが答えじゃないのを知っている。現状のどうしようもない運用として。

コンテンツを持つって事はどういうことなんだろうか。そこの概念をきちんと明確化しないとこれから先の議論は利害関係者の対立で終わってしまうよね。入れ物から脱却したことによって、かえって制約を得そうな事態ではありますが、何かしらで線は引かなければならない。その線がDRMであるってのは終わりの始まりかも知れません*1

タバコと排気ガスを比較するのはそれほど的外れではないのでは

観点によってはナンセンス極まりない比較ですが、全ての点において両者が比較できないわけではありません。もちろん、皆さんそれを認識した上で、比較の土俵にあがらせないようにしているのが見てとれます。何故そうなるかは土俵にあげたい人の目的が、「許容されている」何かと同列であることを示すことでこっちも許容されるのがフェアだという論理を示したいわけです。そのものに対する重要度が無視できるというのが言葉遊びになっている主要因なのですが…

さて、排気ガス。光化学スモッグ杉並病地球温暖化。ネガティブキーワードが沢山ある排気ガス。当然、規制の一途を辿っています。趣味性のため燃費を犠牲にしたら税金は上がるし、ディーゼルは都内では大規制。メーカーはなんとか生き残るためにクリーンエナジーを目指して躍起になっています。そう遠くない未来、ガソリンエンジン車の公共の場での禁止が義務づけられ、ドライビング愛好者から恨み節が聞こえてくることでしょう。

何かが完全に趣味の世界に完結するものであり、その趣味が他者に具体的な悪影響を与えることがわかっているのであれば、規制されるのが現代の社会です。そういう意味では、本来車は必要悪の部分に趣味の部分が上手く隠れているものに過ぎないのではないかと思いますよ。タバコと排気ガスの比較がナンセンスなのはあくまで今、この時だから。50年前にタバコの規制といってもナンセンスだったことでしょう。

大きく見るとこの通り。むしろ、タバコのほうが他者に対してより直接的に被害を与える一方で、地球環境にはそれほど影響がないため、特定の場所では吸えるということで、生き残れるのではないでしょうか。趣味で言ったらガソリンエンジン車の方がよっぽど危ない。

この2つの比較をするのは、タバコも個人に対しての影響のみならず地球環境への影響を考えなくてはならないという問題提起なのではないかとふと思ってしまいました。

*1:眠いので言葉がちょーてきとー

2008-01-17

図書館利用者として思うこと

当事者でした。練馬区民なので。

監視されている、あるいは、他人に知られたくないなど、不安を感じた利用者は図書館を利用しなくなったり、行政が快く思わない本を借りることを避けるという当然に起きるだろう。「貸し出し履歴」の導入が何をもたらすのか、利用する側にも立って考えるべきである。

「練馬区立図書館貸し出し履歴保存」報道に関して: 東京の図書館をもっとよくする会(旧ページ)

そんな心配するくらいなら最初から図書館なんて使いませんよ。3週間借りっぱなしのあと13週間残る。つまり、最大16週間履歴が残る、と。で、その間に某圧力により貸し出し履歴が…って言い出したら貸し出し中ならしょうがないのか、って話になるでしょ。そうじゃないよね。あらゆるタイミングで、図書館が資料を管理するため以外には使用しない。これが原則であれば、13週間「資料を管理する」目的の為に残っていてもいいでしょう。確かに

返却される本を受け取ったときに、きちんとチェックし、問題があればそこで処理するのが原則である。破損して使用できない状態になっていることが確認できたら、弁償を求めなければならない。

「練馬区立図書館貸し出し履歴保存」報道に関して: 東京の図書館をもっとよくする会(旧ページ)

てのはあるけど、返却ポストとかもあるしね。

利便性においての反論は

2008-01-16(Wed): 図書館での貸出記録の保存をめぐって−行政は説明責任を果たし、市民は慎重で冷静な議論を - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版で触れられているので割愛。

前のシステムからずっとだけど、予約連絡や返却の催促メールも、対象の資料が何かわからないようになっているし、色々配慮していると思いますよ。どうも過剰に利用者の保護を求めている印象があるけど、それほどのものかな?

萌えの正体

なんとなく思った。

「丈の長いベースボールシャツにホットパンツとか。」

ここで、師匠のメガネを拭く手がピタと止まった。

「違うな、IDA-10。それは『劣情をもよおす』と言うのだ。」

〜中略〜

「おいS、女の子がサングラスを外したらすごくかわいくて、しかもそのサングラスをTシャツの裾で拭きはじめて、おヘソがチラチラみえるのはどうだッ!!」

「……イツハット!It's hooot!!」

ガイジンが「萌え」を理解した瞬間に立ち会った - GAME NEVER SLEEPS

ううむ…わからん。そもそも萌えがhotなのかもわからない。のだけど、なんだかこのやりとりを見てて、萌えってマイナスをポジティブに捉えることなのかと思った。マイナスってのは悪いって意味ではないけどね。

文化を守るためって一体なんなの?

またしても携帯で書いたエントリにアクセスが集まって若干凹み気味のnovtanですこんばんは。なんだろう、余分なことを書くのが面倒だから簡便になるってのがいいのでしょうか。ちなみに風邪はまだ治りません。げほげほ。

前のエントリで特に言いたかった点についてちょっとだけ補記してみます。

反商業主義を掲げて商業主義の論理で消費者を制限している。Culture Firstが寝言にしか聞こえないのはそのせいだ

すでに我々は、文化至上主義の名の下に余分なお金を払っている - novtan別館

これね。反商業主義なのであれば、業界団体は手弁当でもいいから文化の発展に尽くすべきなんだけど、実際にはコストが掛かるものは切り捨てている。一方で、税金や教育の費用を使った図書館なんかには資料として残されていることがあるわけで、どちらがより文化を守っているかなんてのは一目瞭然です。

我々がデバイスの進化で得た利益を補償金で還元することを求めるならば、業界側にもデバイスの進化により今まで消費者に与えてきた文化的な損失を補償する義務があるだろう。

すでに我々は、文化至上主義の名の下に余分なお金を払っている - novtan別館

あとはここ。ハードウェアやシステムの進化が消費者の側に一方的な恩恵を与えているか、というと、そうではない。例えばインターネットを例に取ると、Amazonロングテールを掘り起こしたように、また、BtoBからBtoCへと取引の仕方が変わって言ったりと、ものを売ったり作ったりする側にも恩恵があるわけです。iPodにしても、音楽を手軽に持ち歩くファッションを拡大したという功績があり、それに伴って音楽業界が得たものはあるはず。

むしろ、ハードウェア的な制約、例えば、音楽を流通させるには従来メディアに載せるしかなかった。例外として放送はあったんだけど、それは不安定で固着させづらい形での流通。なので、メディアのコストというのは全体に織り込むしかなかった。当然、売れないものは赤字を生むし、倉庫代だってバカにならない。結果として廃盤になるのはやむなし、ということで受け入れられてきた。これは、消費者側としては不利益だ。だから、新しい流通の仕方でこういった制約が取り払われるのであれば、業界は積極的に方法を提案しなきゃ。だって業界のためと思って我慢して私的録音補償金を払っているんだから、それを適正な形で還元するのが業界の仕事でしょ。

結局のところ、業界がいうところの「文化を守る」っていうのは、文化を巡る商業構造を守るってことに過ぎないのですよね、これだと。大体、文化っていうのが何か、というのは誰が決めるのか。僕らが決められるの?インディーズは文化じゃないの?ウェブで趣味の作曲を公開している人は文化と言えないの?それともそういう人にも分配する?

大ベストセラー作家や、大物作曲家が、取るに足らない駄作を物したとき、それは文化といえるのでしょうか。しかし、今の商業構造では、きっと売れに売れて、また一つ、後世に残らないものにお金が費やされるかも知れない。それはね、文化ではなく消費です。単なる。そして、その中の一部は文化として後世に残ることでしょう。文化を守るなんておこがましい。文化的活動ではあるのです。ただ、別に今の文化的活動にお金を使ってもそれがどう評価されるのは後のことなのですから。RIAJの主張によると「レコードは文化財であり一般消費財とは異なります。」なのだそうですが、何が文化財であるかなんてね。

少なくとも、今の社会では文化的活動は商業行為からほとんど離れられない。あるいは、売れない文化は別の手段、例えばアルバイトしてその金をつぎ込むとか、本業が別にあって趣味でやるとか、といったところに支えられているわけです。これもある意味では商業主義。そして、そのことは、別に悪いことではありません。むしろ文化の何たるかをわかっているともいえる。本当にいいものが世に出るかどうかなんて、運です。多分18世紀の音楽家だって、小説家だって、運悪く埋もれてしまったいいものを残しているでしょう。いいものが、ちゃんと残るかなんてわからない。けれども、残ったものは大切にしようとする。それが文化を守るってことであって。

でも商業活動としての「文化を守る」ってのはあってもよいです。きっとそこから何かが残っていくことでしょう。でも、それはCulture Firstなんてスローガンからは絶対出てこない。文化は高みからは生まれないでしょう。

ブクマコメントに反応

shiranui copyright 再販制度と値下げに関する日本レコード協会の報告書→http://www.riaj.or.jp/all_info/saihan/saihan7.html

おおっと、ありがとうございます。ざっと読んでみましたが

  • 大部分の商品は再販期間2年が6ヶ月に⇒新譜にはそんなの関係ねぇ
  • 非再販CDが約1700タイトル(比較のためCD+DVD除く)で激増⇒新譜CDタイトル数が約18000タイトル。まだ10分の1
  • 多種多様な設定が引き続き行われている⇒焼き直し低価格、寄せ集めコンピ、プロモーション戦略価格が中心

という印象です。ちょっと穿った見方かもしれませんが、特に最後の点についてはジャズCDの「XXbitマスタリング」旧譜商法には飽き飽きしましたのでそういう感想。

hidea 著作権 言いたいことはともかく,なんで日本人は自己主張して終わりなんだろう? パプコメなんかは言って終わりの範囲内ね。欧州とかなら本気で運動が起きそうなもんだけど

というわけで、言うだけではしょうがないな、と思ったのでMiAUに参加してみましたよ、と。

すでに我々は、文化至上主義の名の下に余分なお金を払っている

再販制度が維持される建て前では搾取したりないのか、という感想。

そもそも私的録音補償金ってなんだろう。自分の持っているものの使い方に文句をいわれる筋合いはないはずだから、他者との貸し借りなどが想定されるならば、一定割合で損害が生じるのもわかる。でもそれはメディアに掛かるものでデバイスに対してではない。この境目が無くなってきたのは確かに問題だ。けれど、用途は変わりゆく。いろいろな場所で、いろいろな形態で聴けるようになった。見られるようになった。個人のニーズによる多メディア展開であるのは明らかだ。買い換えたプレイヤーの用途は、今ある楽曲を丸ごと移すところから始まる。補償金二重取りの印象は拭えまい。

それでも、DRMよりはマシだ、という声もある。確かに我々はデバイスを選びたい。DRMでは選べないし、将来に渡って再生できる保証はない。DRMは商業主義の帰結だ。

しかしね、音楽業界は再販制度によって、我々に文化の維持を求める一方で、売れなくなったものを廃盤にしている。反商業主義を掲げて商業主義の論理で消費者を制限している。Culture Firstが寝言にしか聞こえないのはそのせいだ。輸入権で値下げの話はどうなった。廃盤は、商業としての失敗を表している。ならば文化的には失敗したのか。文化を守ると明言している団体が廃盤にしたのならそれは守るべき文化で無かったのだ。そんな馬鹿な。

以前であれば流通、スペースコストの問題であることは理解できる。しかし、我々がデバイスの進化で得た利益を補償金で還元することを求めるならば、業界側にもデバイスの進化により今まで消費者に与えてきた文化的な損失を補償する義務があるだろう。反商業主義を標榜するのであれば、今すぐ廃盤になったものを公開する手だてを考えるべきだ。まてまて、これは再販価格の維持の話だった。補償金の有無に関わらず、行われるべきだ。無論、原則が商業主義であればその限りではない。

何故、自分達が商業主義的観点でものを考えていることを認めないのか。自分達が保護しようとしているものの中に守られるべき文化でないものが多数混じっているものを知っているからではないか。

そもそも、文化にすら競争という要素はあるのだ。後世に遺るのはたまたまであることも多い。何が文化であるかをその時代が判断することは後世から見たらおかしいだろう。今の文化とは、日常である。

我々が今の文化を守りたいと思うのは、それを楽しみたいからであり、また、商業主義社会において、文化もまた商業主義からは離れられないことを知っているからだ。昔の文化はそこから離れているか。一部は確かにそうだが伝統芸能などは確実に今を生きている。そこに商業主義はある。

繰り返しになるが、商業主義が悪いとは思わない。仕方がないことだし、メリットもある。しかし、それをCulture Firstなんて嘘で覆い隠して欲しくない。商業である以上、消費者に対して適正な取引であることを見せなければならないし、今までも文化の名の下にそれを怠っていた。本当に補償金が必要であることを示すことはその商業主義の実態を白日の下に晒すことであるからやりたくない、というのが文化という言葉でごまかせると考えているのであれば大甘だ。文化そのものは、そこにあるものしか保護されないし、政策的なものによって生まれるものでもない。

現在において、適正な取引こそが文化を作る。反商業主義の団体になど補償金を委ねることはできない。彼らはきっと消費者のことを考えず、文化かどうかわからないもの*1に費やしてしまうことだろう。

*1:自分たちのスイーツ(笑)な生活とか

2008-01-16

Culture Firstに一言いいたいけど具合が悪い

風邪で死にそうなんでちょっとだけ。

「文化が経済至上主義の犠牲になっている」とし、経済性にとらわれない文化の重要性をアピールしながら、

「iPod課金」は「文化を守るため」――権利者団体が「Culture First」発表 - ITmedia NEWS

そのとおりですね。これは作り手側の問題でありますね。いいものなら売れなくてもいいんじゃないの?生活できなくても。そうじゃない?互助したい?だとしたら、それは経済性に囚われてますよね。

違うの。はっきり言えばいいの。クリエーターが暮らしていくための金を下さいって。そしたらみんな消費のためのコンテンツは買わないで、自分の欲しいのだけ買うんじゃないかな。結果として全体のパイが小さくなると思うけど、文化の質は高まるんじゃないかな。どうかな?

「補償金があるからこそ私的なコピーが自由にできる」とした上で、「受け取る補償金の額が激減し、権利者の保護レベルが急激に低下した。危機的状況にある」と訴える。

「iPod課金」は「文化を守るため」――権利者団体が「Culture First」発表 - ITmedia NEWS

あれ、MDってコピー自由に出来なかったよね、補償金あっても。

マルチユースを前提にした映像コンテンツはコピーネバー(1回もコピーできない)が基本。コピー可能ならば『補償金なし』は甘受できない

「iPod課金」は「文化を守るため」――権利者団体が「Culture First」発表 - ITmedia NEWS

後半で補償金ありならコピー可能は甘受できると言っているように聞こえる。でも基本はネバー?

ま、足並みが揃っていないだけだと思うけど、内部で意見調整しないと権利対権利の戦いになるだけじゃないかな。

成功したポジティブ教信者は持てるリソースを社会にコミットしてほしい

別に他者を啓発しなくてもいいから。一緒にレアなチャンスを掴もうぜとかいわなくて良いから。

そんな気毛頭なくて自分以外にコミットするつもりがないなら干渉しなければよい。そうでないならやるべきことは、一段上に行くことだと思う。今のレベルで結果としての成功体験を語ることではごく少数の他者をそこに引き上げるだけだから。

Tumblrによる無断転載に価値なんかあるの?

結論から言うと、極めて限定的にはあると思う。匿名置き場的なものとして。でも、Tumblrというか、reblogである必要ってないよね。

そもそも転載って広く伝えるための手段としてあるのだろうけれども、ウェブの世界で転載しないと広く伝えられない場合なんてのはあるとしたらサーバー負荷とかアクセス制限の回避という目的でしかない。リンク張れば済むことを転載したいってのはどういうことか。よくわからない。

よく言われるのが、「ウェブページはいつまでもあるとは限らないし、内容が変更されるかもしれない」って話での転載正当化(?)。これも僕の考えからするとちょっとおかしい。確かに、見たものを保存する権利は(権利というほど立派なものじゃないかも知れないが現実として)ある。でも、それはローカルでやればいい話であって、作者の代わりにウェブに公開する権利まで保有しているかというと、それはない。だから、クリッピング+ソーシャルなサービスがあったとしたら、そのソーシャルな部分には結構気を使わないといかんと思う。無断転載しないとか。

公開したり、引っ込めたりする権利は作者にあると思うし、著作権放棄(日本ではできませんが)していない限り、他者が無断で転載することもできないと思う。ライセンスによる転載は、事前に確認できているから無断ではない。

ウェブはたまたまその仕掛けの中で、公開したものが残りやすい状態になっているけど、それを自由に使っていいというのは利用者側の傲慢ではないかなあ。

ただ、ウェブ上からなくなっちゃうと、引用する場合にも出展元の掲示についての真偽がわからなかったり、内容が変わっていて困る、ということはある。版数管理もできないし、公開停止への対応も満足にできない。このへんは元々参考文献へのアクセスを志向したウェブの発想から言うとやむをえない欠陥ではあるのかもしれない。

と、ここまで書いて、別にたんぶら関係ないってことがわかった。無断転載の問題は単なる原則とツールの話であって、ツールが便利だから原則を無視してもいいよねって話ではない。Winnyとかの話だって同じことだろう。

無断転載ですらこうやってカジュアルに破られている。著作権法の非親告罪化やダウンロードの違法化がどのような影響をもたらすか、火を見るより明らかであろう。

2008-01-15

Tumblrなグレーと著作権

何でたんぶらが単純にクロとして断罪されないかということそのものがウェブ時代の著作権問題。従来の権利に対する考え方とウェブにおけるリソースの考え方との一致と相違と。

先ず、僕の見解として。Tumblrは原則としてはウェブのリソースに対する概念に反している。キャッシュなどの一時的なものや、負荷軽減の目的を除けば同一のリソースは一意なURI(語義矛盾かな)で示されるべき。Yahoo!の転載問題の焦点でもある。もう一つ。Tumblrのコンテンツメーカーとしての側面は転載を使うと基本的には著作権侵害。

Tumblrはこういう側面が暗黙で許容されうる、というか許容される世界に目を向けたツールだと思う。だから、グレーゾーンに浮かんでいる。

もう一個。ウェブのコンテンツは制御しづらい。これは作者だけではなく、閲覧者にとっても。閲覧者は所有権を持っているわけではないから本来制御できないことに文句も言い難いけれど、コピー容易なデジタルメディアの特質が、実力行使的保存を可能としている(魚拓とか)。そのことが半ば当然とされるところではTumblrは特段他のツールと異なるものではない。

僕は公開したら制御できないことをウェブの利点とは思っていない。この特質は過剰に制御された従来のメディアへの対抗言論的文脈で語られているのではないか。だからそのあたりに自覚的でない人が気軽に使うツールと化しているのであればあまり好ましい事態ではないと思う。

その辺を了解してやっていくのは結構難しい。結局のところ、空気嫁なんだろうな。

Yahoo!ブログの転載問題とTumblrの違い

あれれ、いつの間にかYahoo!のときの問題とごっちゃになって語られている。あの時は批判されたのにTumblrは何故みたいな。Yahoo!のときに僕が思って批判していた問題点をおさらいしておく。

  • 無断転載ではなく、転載許可が暗黙の転載許可であること(ここが主に争点)
  • 転載機能がデフォルトで許可であること
  • それにより初心者が自らのブログを転載OKにしていると気付けないこと
  • また、転載というものについて基本的には著作権を侵害する可能性の高い行為だということを認識せず、利用してしまうようになること
  • 転載OKの場合でも、(同じブログシステムの中なのに)コピーになること
  • コピー先の記事は制御できないのに、時限性のある記事が転載推奨されてしまうこと
  • それによって終わった問題の連絡先にいつまでたっても電話などが行ってしまう可能性があること(転載じゃなければ元記事を消せばいい)
  • 転載元が間違いを修正しても反映されないこと

このへんだったように記憶しています。転載の是非そのものよりは、転載許可という機能が暗黙に意思を反映しているかどうかが最大の焦点であり、また、転載がいけないことだ、ということについては著作権侵害よりは転載元で制御不能であることや、選択的な許可が難しいことが問題になりました。

んで、Tumblrはどうかというと、使ったことないからわからないんだよね。他の人のたんぶら見に行くこともない。あれって基本的には個人のためのクリッピングサイトだと思っている。けれども、個人と他人のボーダーラインが薄いウェブの中では当然他人に見られることもある。だから、いわゆる転載をしている人はグレーを意識して使っていると思ってたんだけど。YouTubeと同程度には。

そういう点でいえば、Tumblrは正真正銘の無断転載問題であって、Yahoo!の話と同列に語るべきではないし、無断転載であればNGなのは現時点では議論の余地なくNGなので特段利点について語る文脈が僕の前に提示されなければ言及することでもないよな、と思ったりしています。そこには戦うべき利権団体もいないので、当事者間で解決してください、で終わりな気がするんですよね。

2008-01-14

断定できない議論の大前提

ちょっと面白かったので参考までに。NATROM先生のところのコメント欄より。

まあ、いずれにしましても、pingu98さんが主張したいのが、「断定できる根拠はないはずだ」ということであれば、確かにそのとおりです。ネット上で語られることで、最初から自明なことや直接当事者に確認できるようなごくわずかなこととを除いては、100%断定できる根拠のあることなどありはしません。

それでも通常は、お互いに共有できる経験などを探って、それをベースに推論や分析で議論を進めるのが普通だと思います。だから、私の推定には同意していただかなくても結構ですから、pingu98さんの経験では該当するお婆さんは何%くらいいたのかを教えていただけると有り難いです。

しかし、pingu98さんはそうしたいとは思わず、「断定できる根拠はない」ということだけをただ主張したいのであれば、それは自明なので議論する意味が無いですね。

一歩踏み込んで、「完全に断定できる根拠がないことは主張するな」というのがpingu98さんの主張であれば、先に述べたようにネット上で語られるほとんど全てのことは完全には断定できませんから、それに従うと私もpingu98さんもほとんど何も主張できなくなってしまいます。もしpingu98さんの基本スタンスがそれであれば、これ以上ネット上でpingu98さんと議論することは不可能ですね。

喫煙とマナーに関する議論の続き - NATROMの日記

暗黙的に確認されている前提を、敗勢が濃厚になると「そんな前提知らない!」なんていいだす人がいて、まあその時点で普通敗北宣言と捉えるべきなんだろうけれども。

こういった、大前提をひっくり返す行為は最も忌むべき行為であるのだけれども、最初から確認することがない部分でもあるから、よく起きることでもあります。本気で自分の側は言えるんだって思って言っている人も結構いますが、自分の側の主張も同じ前提に立てなきゃならないことを意識してないんだよなあ。または、爆弾抱えて特攻してきているんですよね。拘束して解体することが出来ればよいのですけれども、結構成功して火をつけられちゃうからなあ。

以下余談。

規約で禁止されているから止めよという要求は、NATROMさんの「他人を配慮せず迷惑を省みない」と判断する根拠を明確にする事が目的でしたので、他の方と議論しても意味がありません。また、もしNATROMさんとのやりとりを踏まえず「規約で禁止されているから止めよと要求したにも拘らずその根拠を示さない」という形式だけをとって見るならば、それを卑劣と判断するのは自然な事だと思います。

喫煙とマナーに関する議論の続き - NATROMの日記

これは「おもしろフレーズがはてな規約で禁止されている」という主張に対して「どこに書かれているの?」という問いが多発し、はじめ「答える必要を感じない」と言ってさらに批判された後の回答なのですが、大抵の人がおもしろフレーズが禁止されているという認識のない空間において規約に書いてなくてもダメなものはダメっていう主張はちょっと無理がありますよね。すごい飛躍。ちなみにこの話は以下のことを指します。

  1. それで?とか、ステキなコメント云々とか、同情するとか理解力が無いとか、いちいちオモシロフレーズ挟まないでください。(p)
  2. オモシロフレーズは議論を見ている人のためですのでお気になさらずに。pingu98さんがマトモな主張をしているのなら不要なのですが(N)
  3. いや、はてな規約で禁止されてますけど。すみやかに訂正または削除してください。(p)
  4. 「はてな規約で禁止されてますけど」って具体的にどの規約ですか?(N)
  5. どこだーどこだー(観戦者)

というやりとりであり、今更そんな裏の意図があったなんて言い訳されてもね。そういえば、そもそもこの話ってタバコを吸うことの是非じゃなかったのにタバコを吸う奴は配慮がないのだなあというネガティブキャンペーンになりつつありますね。

医者の視点は面白いけどなんだか限定的

ちょっと発想が飛躍しているという感想もあるみたいだけど、飛躍というよりは固定化じゃないかと僕は思う以下の記事。

彼は利発そうな顔立ちで、成績もきっと優秀にちがいない。身なりも裕福そうだ。将来何になるつもりか知らないが、おそらく難関といわれる進路を目指しているのだろう。

難関といえば、医学部は今もそのひとつで、成績のよい者しか入れない。もし、あの少年が医師を目指しているならと考えて、背筋が寒くなった。彼のようなやり方で勉強した者が、医学部に入って、果たして思いやりのある医師になれるだろうか。

no title

なんとなく医学部幻想的なものが感じられなくも無い。医療崩壊が報じられ、医師が尊敬されない世の中になり、果たして都会の子供達が理想に燃えて医師を目指そうとするか。

というか、なんとなく、今の医師は全員思いやりがある、というイメージで書かれているけど、白い巨塔がいつの時代の話かということを考えるとむしろ、ね。

医療崩壊が進みつつある今、よい医療を実現するには、医学部の入試状況から変えていかなければならない気がした。

no title

これもそうだよね。そもそも先生思うところの思いやりの無い人間がくだんの小学生だとしたら、医者以外は思いやりが無くてもいいんだーと言っているように思えちゃうよね。そういうのって医者以外の職業の人への思いやりに欠けると思います!

しかし、医療崩壊に繋がっちゃうのはどうしてなんだろう。入試状況をどう変えるのか、変えたとして結果が出るのは15年後くらい?なんだけどそれまでどうするのか、ということを考えると、そんなこと気にしている場合じゃないんじゃないかなあ。

久坂部先生の本は「無痛」を読んだけど、医師の視点ってこんなに冷たいんだって思った場面がいくつかある。医師として大事な視点だってことは重々理解したうえで、一般の人にどう理解してもらうかってのが一番大事だし、作家としてわかりやすく伝えて欲しいよなって思う。

無痛

無痛

実名だったら変なこと書かないし、書いたら反省するだろうという抑止効果は期待できない実例について

批評家でもない限り文章そのものについての客観的な評価はし辛い。好きとか嫌いとかはまあ主観だし、論理的な整合性がないとか一貫性が無いとかは評価できるけれども行間や全体の文脈、思想までを総合的に判断しての評価にはなかなかならない。単発のその一文をもって評価はしづらいし。

とはいえ、他人の言うことを殊更に腐すような場合にはその応答として感情が浮上しても仕方が無い。という前置き。

ネットメディアの反応の早さと、ノーサインの記事の嵐と、そのレベルの程度を感じさせる事になり

エラー

さて、ここで語られていることについて。まあ、反応の速さはネットの特徴でもあるし、いまさらそれを感じる感性でネット記者をやるというところに僕は危惧を感じなくも無い。で、ノーサインとレベルの程度*1に繋がりがあるという書き方をするということがまた「記名である」自分に対する自尊心というものが如実に現れていて実に「興味深い」。

今時の女性に対して、助かる道を述べたにもかかわらず、理解されず、私は、ダブルレイプ犯であると、罵詈(ばり)雑言非難中傷を浴びてしまったのである。言葉のワルい私でさえも、切れてしまいそうな言葉で罵倒(ばとう)された。「女の敵」「ぶっ殺してやる」「家族に気をつけろ」と刑事事件沙汰にでもと、一瞬、思った程である。もちろん、私の言う、女性の自立心に対して賛成してくれた意見も頂いたわけである。

エラー

どの口が「助かる道を述べた」というのだ。罵詈雑言非難中傷を浴びたとして、賛成してくれた意見の割合を出さないところを見ると大半は批判だったことに目を向けるべきなのだが。もちろん、脅迫的言辞はする方が悪い。そこに関しては同情申し上げるし本気で訴えるべきだが。もっとも、被害女性を「悪い」と断言した自らの言説をもって社会と立ち向かう覚悟が要りそうだが。以下、非難囂々な前回の記事。

このレイプ事件、「一番ワルいのは、レイプされた女性」と私は思う。ピストルや刃物で脅されているなら別だが、凄まれただけできっぱりと、あるいは、大声で、あるいは、立ち上がって何故周りの人にアピールしなかったのか。なぜ、その勇気が持てなかったのか。それは、自分が危険であるにもかかわらず、まだウジウジと、拒否の表現をしない曖昧さが、普段から身に付いているのである。結果として、そのファジイがレイプされる事になったのだ。だから、この女性が一番ワルいのだ。自己主張しなかったから。

エラー

事件に遭遇するに際して、自立心をもち、自己主張できない女性は犯人よりも悪いわけだ。なんともご立派な意見を書いて助かる道を、と。もう一歩先に進めて、女性は男性よりもいい体格になって腕力を持つべき、と主張すべきだな。人間に蟷螂の遺伝子でも注入すればよいかな。

ネットターゲットが若いと言う事。言葉、文章理解ができてない事、ノーサインの無責任記事が多い事が分かったことであるが、

エラー

そしてまた主張がノーサインに戻る。ノーサインって2ちゃんねるくらいだろ。実名顕名匿名を問わずブログで批判されまくっただろ。都合の悪いことを相手にレッテルを貼ることで隠してしまえると思っているのか。

もう一つ重大なこと。「言葉、文章理解ができる」というのは、伝えるべき人にきちんと伝わるかどうかの問題でもある。ネットターゲットは若いということがある程度最初から想定できるのであれば、そこに理解を出来ない文章を一段上のつもりで書くことは単なるオナニーに過ぎない。そして、前回の記事のターゲットは一体誰だったのか(傍観者を責める大手メディア?)。それを表現するために、被害者を「悪い*2」と断言するようなやり方が単に感性が同じだけの人に届くためのレトリックとしてなされるのであれば、言論の自由、表現の自由が守るものは自己満足と自己承認のための手段でしかない。

いまだに記事が存在しているのは、「フラット」精神が生きている証拠と思われる。ネットメディア上での「PJニュースの特性としてフィックス」されて行く要素となり得るようだ。

エラー

自己主張できない「ワルい」女性がセカンドレイプされても訴える気力が無くてよかったですねといわざるを得ない。フラット精神がその源だとしたら、同様にPJ記者への罵倒やトリプルレイプ?も許容されるべきだろう。というか、「トリプル・レイプ」されたPJ記者っておかしいよね。被害者がその後のやりとりでさらに二重三重にダメージを受けることをセカンドレイプというわけだから。レイパーがレイプされたとか言うこと自体がトリプルレイプだろ。

*1:「レベル」と「程度」がこの使い方だと同じ言葉だということに気付かないで「の」で繋ぐ文章を書く人に言われると自虐としか思えない

*2:カタカナで「ワルい」と書いたことにごまかしの片鱗が感じられる

2008-01-13

告白しますが、僕は努力教信者です

報われることではなく、努力することに価値を置き、結果を重視しない、ということが努力教ってわけでもないでしょう。

いつもわからないのは、何が努力なのかってこと。日々単純作業をこなすことにも、努力である部分と努力でない部分が混在し、何にウエイトを置くのかはそれぞれだし、それが何かを生むのかどうかを決定するのも周囲ではないし。喰うに足る糧を得る行為を努力と呼ぶか呼ばないかは見解が分かれるのかもしれないけれども、努力自体を否定する人が過剰な結果を求めているという印象はどうも拭い去れない。今成功している人が、あるいはこつこつとぎりぎりとやっている人が、将来どうなるかなんて実際にはわからない。未曾有の災害が起こった後、必要とされる技能が何かなんてのは今からわかって備える対象でもあるまいし。

僕はこつこつやらないことにはかなりの自信を持っている(なんだそりゃ)。でもまあ普通に生活できているってことは効率がいいんだろうきっと。と言っても、仕事に必要な知識なんてのは多分集める努力をしているんだと思う。別に普通に半ば趣味でやっていることだけど。一方で本当の趣味に関してはある程度「努力」をしている自覚がある。

努力において、過程が大事なんて思ったことはほとんどない。結果は大事だ。ただし、結果は当人が意図している成功とは限らない。そして、失敗したという結果は成功と等しく大事である。なぜなら、次に成功するための何かになるからだ。こういった考え方が「過程が大事」ということであれば、僕は過程が大事だと思うし、同様に、努力は大事だと思う。

努力教で最もダメなのは努力原理主義だ。努力そのものに価値を置いてはならないと思う。努力をすることの大切さは、単にアウトプットしていくことが大事だということの置き換えであるべきなんだけれども、目的が努力そのものになってしまう。それは報われるわけが無い。結果が無いのだから。

悪い努力ってのは、結果を評価しない努力だ。このまま努力し続ければいつか上手くいく、というような考え方は、それほど幸せな結末を迎えないと思う。例えば、宝くじを当てるための「努力」がありえるかといえば、ない。どんなに頑張っても運であること以外の評価ができないからだ。

同様に、頑張ってるけどうまくいかない、けれどももうちょっと頑張ればきっと、というのは事実の評価ではなく未来への予断が入っている。これは長いスパンでの努力であり、実際には結果を評価していない。

人と競争して打ち勝っていくことが努力でもない。結局のところ努力って言葉は日々行っていることを出来るだけポジティブに捉えた表現に過ぎないのではないか。

やりたいこととか、なんとなくの人生設計とか、おかれた現実の把握とか、そういった視点が欠けている悪い努力教信者にイライラするのだったら、努力そのものを否定するのではなく、視点を与えてやるべきだと思う。ハゲタカ的極端な例でなくても、プランの大切さを教えてあげる程度であっても。

僕は努力そのものを無碍に否定できない。人間のある種の安全弁でもあるから。厳正な基準による結果を満たすことが出来なかったら絶望して死ななければならない世界でもあるまいし。

2ちゃんねると嫌儲

いくつかの心理が組み合わさった話なんじゃないかと思うので、何が正しいかは簡単には言えないと思うけど見解として。

嫌儲の話に戻すと、おそらく嫌儲の多くはこのWeb性善説を維持するために、意識的にしろ無意識的にしろ金の流れを作らないようにしている部分はある。ただ、このWeb性善説が機能するような状況にも関わらず、金の流れに神経過敏になり過ぎた層が存在していて、時々問題になっているのでは無いか、という話。

嫌儲とWeb性善説 - 花見川の日記

そういう側面もありそうだけど、僕としては「匿名になりきれていない」というか、「俺は匿名で著作権を(実態として)放棄しているのにお前なんでそれで儲けとんじゃゴルァ」という心理があるんじゃないかと思ったり。

例えば、ブログまるっきり転載サイトとかだと「何勝手に転載しとんじゃワレ、著作権法舐めとんのかいゴルァ」という気分になりますが、しかもアフィ満載だとしたら怒り倍増。2ちゃんねるまとめの場合、「アフィなしでもヤダ>アフィダメ絶対(嫌儲)>なんでもいいよ」という階層がいると思いますが、儲けという要素を抜きにしていうと全部ダメって言うのもカッコワルイし、参加した自分の労力はなんなのとか変な風に取り上げられるのはヤダとか、著作者精神が残っていることを、殊更に言うのもなんだか、というところでの折り合いの付け方として、「アフィ無しならいいよ」という妥協点があるのではないかと。

だから、嫌儲というのは匿名・共有原理主義的な神経過敏さの対極にある権利意識のなせるものではないかと思うのです。コントロールを放棄していないという言明でもあるわけですし。

でも、嫌儲自体は別に悪くもなんともないですよね。コントロール不能であることを意識していないことよりもむしろ良いかも知れない。その後の行動が常軌を逸していなければ特に問題ない。ただ、実際問題として、アフィブログに転載されてしまうこと自体は防ぎようが無い匿名のジレンマがあり、それを止める為には制裁的な行為しか有効な手段が無い、ということがあって、行動に出てしまうというのはわからなくはありません。やりすぎなければ、というかウェブ論陣の範囲内で攻撃するのであればよいのですけれども。

はてブと「こそこそ」

仄めかしはこそこそ度が高いと思うのだけど、単に相手に通知せず言及するのがこそこそかどうかってのは正直なんともいえませぬ。そりゃあ相手に対して堂々と論陣を張りたいときはコメント欄に書いたりトラバしたりって言うのが良いとは思うけど、もうちょっと低いレベルでのブクマによるコメントってのがじゃあこそこそしているかっていうと、相手に届けたいかどうか、という気持ちの部分と、相手がいつもコメント見ているかどうかという部分があって、ケースバイケースとしか言いようが無い。ので、はてブ=こそこそという等式は成り立たないよね。

ウェブってのは全世界発信型(ただし受動)システムなのだから、本人の意図がどうあれ、こそこそしても無駄である、という点もあります。エゴサーチすれば大抵の言及先は拾えるし、はてブだったら「d:id:〜 の新着ブックマーク」のRSSでも購読していれば良い。もっとも、相手がそういうことに全く疎いことを知ってあえてブクマでコメントするような行為はこそこそかも知れません。でも潜在的に見つかる可能性がある行為をこそこそというのかしら。

2008-01-12

実名の横暴「も」何とかしないとウェブに未来は無いかも知れない

よく、でもないか、作家が私小説を書いて周囲の人に訴えられるじゃないですか。その作家を個人的に知っている人にとって、モデルが自分であることが明らかであり、プライバシーの侵害だったり、名誉毀損になるから出版差し止めろ、とか。

今まではそういう事件ってのは普通の人には関係ない、あったとしても新聞の投稿欄とか読者参加型番組みたいなごく限られた部分であるわけで。記録としては残るけれど、情報として辿ることは困難な。

でも、ウェブの時代になって、そうでもなくなっているわけです。実名の人が自分の領分の中で書いたものはあまり問題になりません。専門家が専門のことを書いたような。作家でもそうだけど、エッセイみたいなものを書き出すと危ない。あ、あれもしかしてあの人のことを言っている?みたいなのを平気で物してしまいます。まあでも大抵のことは害が無い。でもたまに罵倒したりもする。さて、どこまで許されるのかな。

こういったものは、望んで自らのことを書いている匿名が実名をばらされる(と言っても非は匿名側にあったりする場合もある)のと比べても、より危険なのではないかと。本人が情報発信する意図が無いことが、他者の実名のせいで推測可能になる。もちろん、伝わる対象はその実名の人に近しい人だけではあるけれども、刹那的な情報ではなく、残り続ける。

そういうこともあるのであえて引用もリンクもしないけれども、某素人記者ニュースサイトで実名の筆者氏にとっては厄介な人なのかもしれないが、ある事件の(実質的)被害者である人のことを引いてその事件の記事を書く。その中で、ケチケチしているとか理解力に乏しいことを匂わせる発言などを連発する。こういった行為がウェブに参加していない人までも切り裂いていく。ご自分は実名だから堂々としているつもりかも知れないけど、こういった形での他者への言及は、匿名の卑怯な中傷とそれほど変わりが無い。いやそりゃ実名晒すとかの行為が絡めば別だよ。その辺は一つ一つの行為をきちんと分けて考えたい。

僕らはまず、脳という情報の塊をもってこの世に立っている。そこから必要な情報を選んで世に出していかなければならないのは実名も匿名も変わりない。トレーサビリティとか、名誉がどうとか、プライドがどうとか、そういうのは、あくまで為されてしまったことに対しての責任の取り方の部分に適用される話であって、何を情報として出していくべきかを考え、そして間違えない、ということは実名匿名を問わず情報を発信していく人に課せられた責任であるわけです。テレビ局だって出版新聞の編集だって世に出す選択をしている。

責任を取れるから、取れないから言っても良い悪い、ではないのです。言うべきと思ったから言い、言うべきでないと思ったら言わない。言ったことで起きた事象に対しての責任は、言ったことが自己の信念に対して誤っていなかったとしても、他者の受け取り方によっては取らざるを得ないものです。まず、そこからだと思いつつも、それを意識させるために実名であるべき、というのは発想としてはありだと思うのですよね。ただ、こういった考え無しの実名が普通に登場するのでは、むしろデメリットのほうが問題になってしまいそう。実名というだけではある種のモラルは守られない(意識できない)ので、明確な規範として実名者を導くものも必要なのではないか、そう思います。

実名というだけで正義ではもちろんありませんが、実名であることである程度の力はもってしまうのですから。

2008-01-11

地味な努力

なんか努力って言葉を過剰に嫌う人は結果にこだわり過ぎている気がする。結果が満たされてない焦燥感的なものを。他人の努力それ自身に意味があるとかないとかの価値を付与しているような。

この手の話の特徴として、求める結果が過剰にポジティブなことがある。大金持ちになったり社長になったりみたいな。そして、日々暮らせればよいとか好きなことをできればよいというと資本主義社会の負け組と決めつける。僕だって現状を嘆くばかりの声を聞いたらもう少しなんとかしたらと思うけど、過剰な成功イメージが提示されることには違和感がある。そっち方面には頑張れないもの、求めてないから。

人は少なからず地道な努力をしているよ。求める結果が違えば努力のやり方だって変わる。なんでドーピングするスポーツ選手が忌み嫌われるのか。その辺の話でもあるよね。価値観は色々あって、何を大事にするかは人それぞれ。楽をすることだって悪くはない。けれど、そのための努力は、本人が努力と認めなくてもしているよ。

結果を重視するのは良いことだけど、自分の視点による努力の方向を押しつけても何の意味もない。「あなたの意図する結果が得られてないのであれば、こうしたらよいと思う」というアドバイスは、もしかしたら有効かもしれない。

議論の中で中立であること

中立であることは難しいって言うけどそれは当たり前で、議論のテーマについて何かしら意見があるのであれば、それは中立ではないからだ。だって議論がこっちに振れたらあっち側に、あっちに振れたらこっち側に、ってのは自分の意見があるとは言えない。もし中立であるという意見が成立するとしたらそれは「わからない」という表明だけだろう。価値判断できないということ。

だから、中立ってのはほとんどがポジショニングの話。もちろん中庸とも違う。

中立者は議論の中身ではないところにツッコミを入れることが多い。議論の進め方や言葉遣い、態度、可能性の問題、論理性。逆に言うと、中立者の登場はこういった問題を明らかにする。当事者からみたら別にありがたくも何ともないけれど、そのときに議論が第三者からみて問題のあるものになっていないかを確認する必要はあるかもしれない。議論に参加していない人は内容よりも「いい話」を重視するかもしれない。バカバカしいけど。

もう一つの立場として、確固たる意見があるけど言わない、というのがある。これは必ずしも傍観者ではない。遣り手の経営者なんかは会議で部下にだけ発言させたりする。その場においてだけの中立というのも、そういうわけで、ありうる。裁定者なんてのはこの類だろう。

いずれにせよ、中立という言葉が現れたら、何かしら問題がある。対処を間違えると誤った印象を周りに与えることもあるから、何とも厄介だ。もっとも、大抵の中立は傍観に等しいものだし、そのことを糾弾するのは藪蛇だから、気にしないのがよいのだけれども。

自由なウェブ幻想

幻想なのは匿名性と言うよりはウェブが自由であることそのものなのではないか

このブログを書き始めたときからいくつかのウェブの自由についてのエントリを書いています。

やっぱり自由なインターネットは廃止すべき - novtan別館

そろそろインターネットの自由な利用の制限という潮流についてまとめておこう - novtan別館

インターネットの自由とは - novtan別館

それにしても、自由な社会は世知辛い - novtan別館

ウェブは公共空間(断言) - novtan別館

「ウェブの自由」の範囲について - novtan別館

自由な言論とウェブの自由 - novtan別館

わりと最初からウェブの自由については懐疑的なんです。それはなぜか。僕はもはや古参ネットワーカーな方だと思うのだけど、いよいよインターネットの世界も変貌してきたかな、と思ってきたから。それは、CloseだったウェブがOpenになってきたということです。え、ウェブって最初からオープンではないの?と思われるかもしれませんが、かつてのウェブ利用者ってのはある程度の素養と、ある程度つぎ込むお金とが必要で、情報は繋がらず、少ない手がかりを自分で繋ぎ合わせていく敷居の高いシステムだったわけです。そういう意味では、全世界の人にオープンされてたとはいえない、という見方もできるでしょう。んで、PCの値段が安くなったこともあり、普及状態にある今、ウェブの社会化現象が進んでいる。そして、全世界が繋がっちゃっていることが限りないメリットと同時にデメリットももたらしている。もはや秘密の箱ではなく社会インフラになってしまった以上、モラルとか、世間体とかが含有される世界になってきているのですよね。

折角、匿名で、普段話せない人を「世界中の人と」話すことが出来るようになったのに。いや、初めは多分同好の士としか繋がらなかったはずなんですけどね。検索エンジンの高性能化や繋がりを作るシステムの発展によって、本当に「全世界へ発信」する状態になっているのがここ最近。もはや、クローズドなシステム以外では好きなことを言える自由は無くなりつつあります。これは多分手段を奪われたのではなく、たまたまそういう要素を使えてただけなのが、本来の姿に戻ってきたんだよっていうことに過ぎないのかもしれません。つまり、空き家に住んでたら持ち主が戻ってきたみたいな。逆に言うと、ウェブの公共性が次第に取り戻されてきた。

結構みんな「自由に発言する権利」をウェブに求めようとするけれど、それって最初から本当に持っていたものなのかな?

例えば、政治心情とか趣味とかによって仕事に不利益が出たりするのは今の社会の方が間違っているわけで、本来は匿名性なんて必要とするものじゃありませんよね。でも、社会がそう変わったとしても、なんとなく後ろめたかったり、取り扱いとしては不利にならないけれど、内心で軽蔑されるようなことであればそうそう言い難いし、逆に気に入られても困っちゃったりするし、恋愛話なんて本人にばれたくないだろうし、社会的評価というよりは、人間関係の側面で、見つかっちゃうと面倒な話があると思うのです。そういうことを語ることはもちろん反社会的なことではないし、その程度の自由は常に持っていると思う。雑誌に匿名希望で恋愛相談するのと何が違うのか、というと違いません。つまり、現状社会的に認知されている行為をウェブに置き換えただけ。

そういう点があるから、僕は匿名であることを擁護するのです。「ウェブだから」より自由である、ということは、手段に適用されるべき言葉であり、内容ではないのではないか、と思っています。

やっぱり、実名で語る人と、そうでない人は、その心意気に大きな違いがあるよね。実名だと、失うモノが云々とか言ってる時点で、損得勘定してる小者でしかないし、逆に実名で語る人は、全てを失っても、コレだけは言いたいという、堂々とした態度があるわけで、その隔たりはデカイ。

やっぱり匿名は駄目かも - カナかな団首領の自転車置き場

そのへん、立場によるからなんともいえません。これが仕事とそうでない人では覚悟が違うのは当たり前で。だけど、先の個人の思想信条の問題と、待遇のされ方がきちんと立て分けられる社会であれば、こういうケースでの匿名を擁護する必要は無いのではないかと思います。で、先にあげた理由の匿名と言うのは別の話としてあってよいのではないか、と。

先のこれなんかもそうだけど、しかるべき立場でしかるべきコンテンツを発信する、と言うのは必要。実名にこだわると、実名でやるべき部分と匿名でやりたい部分の人格を分けるしかなくなって、そうすると、「こっちではこんなことを考えているあの人は、あっちではあんなことを考えている」的な面白さってのも失われてしまうし、なかなか上手くいかないですね。

蓋然性があることは断言するよなあ

単に可能性が高いってことではありますが、まあ、ほぼ断言するに足るというか。そういった文脈の中で、「そうでない可能性は0ではないから云々」という議論を繰り広げるという人は、何故今の議論に蓋然性があると周りが判断しているのかを理解していない。でも有効な反論ができないと論点をずらしたり、100%ではないことを盾に取ったりするのですよね。で、反論が整合性のないものや、論理性を欠くものになっていきます。

というのは、NATROM先生のところのコメント欄でのやりとり。

>「近所迷惑になります」と言われてもかの喫煙者が吸い続けたことが根拠です。

なるほど。NATROMさんは通りすがりの人に近所迷惑になりますので死んでくださいと言われたら死ぬんですか?死ぬわけ無いと思いますけど、あなたの挙げた根拠だと、死ねと言われて死なないNATROMさんとあの喫煙者は同等になってしまいますけど。それが根拠でほんとに間違いないですか?

NATROMの日記

例えば、こういうの。詭弁もいいところなんだけど、もうそれしか反論の手がないことを窺わせます。これやったらもうほとんど敗北宣言に近いけど、本人はそう思ってないのかしら。しかも、問題設定すら元のものと同一でない(いつから通りすがりの人の話になったのか/行為の同等性とか)。

しかも元々先生はタバコは害だから吸うななんて書いてなくて、権利を守ろうとする人の態度として問題だ、と言っているのに過ぎないのに、タバコを吸うことの正義の話になってしまったらどうしようもないよね。これでまた一つ、喫煙者を嫌う材料が出来てしまうわけです。もちろん、一人の例を挙げて万人に適用することは意味が無い。けれども、悪感情ってのはそういうものの積み重ねなわけだからね。

そしてまた一つ、仮説が真である可能性が上がっていくわけです。

2008-01-10

自制心のなさを喧伝する人々

ポスターの胸毛が不快で「我慢できない」という表明。

何が不快と感じるかは個人の価値観と社会の価値観の両方をもって決められるから、一概に不快の表明が間違っているとはいえない。むしろ、そういう表明の積み重ねが社会の価値観を作り上げていく。

必ずしも禁止方面にしか倒れないわけではないけれど、愉快よりは不快が優先されるのは引っかかるところではある。一口に「時代」とは言いたくない。

ただ、良いことにしろ悪いことにしろ、こういう自制心の無さが社会を形作るのかもしれない。だからこういう行為を自分勝手だと思うならその反対側の自分勝手をしてやらないと対抗できないのが何とももどかしい。

声高に叫ぶ「死ねばいいのに」はいったい何か

「死ねばいいのに」って基本的にはギャグ(と言うと語弊がある。ブラックな婉曲表現)か、ボソボソと呟いて、現実として望めない願望として、しかも人としての死を求めている場合よりも自分の前から消え去ることを求めている場合が多いと思う。死ねっていうのは報いを求めているのであれば直接的な願望かもしれない。

「死んだ方がよい」んだから、価値判断の表明ではある。ただ、状態ではなく動作を含むところが単純ではない。だから、相手に届くように言うのは単に嘲りの言葉ではなく、行動の推奨ととることも出来よう。ちょっと強引か。

「死ね」というのはもちろん比喩であり、最高の否定を表す表現なのだろうと思ったら「自分なら死ぬ(本当に?)」だったりしてわかりにくい。

声高に叫ぶことについて勝手に思っていたのは、どうしても変えられない現実に対しての無力感のなせるものか、あるいは最大の罵倒として、相手に変わってほしいという強い意志が込められているか、どちらかだということ。でも実際には「死ね」という行為そのものの願望として表現している場合もあると。

本気で思っているならボソボソと呟いて、自分の世界から消せばいいと思う。相手に届くのが前提で発せられるのであれば、単に自分の価値観の表明ではなく、相互性を持つやり取りへ踏み込んでいくと言うことではないか。そこで比喩ではなく、言葉通りのことを思っているのであれば、相手にとっては行為の推奨でしかないと思う。

2008-01-09

続・Winnyノード数減少の原因とこれからの展開について

前回のエントリ、Winnyノード数減少の原因とこれからの展開について - novtan別館は憶測と書いてあるにもかかわらず、反響を呼んだようです。その後の展開も含めて、補足したいと。思います。

P2Pソフトのシェアの話

もっとも利用されているファイル交換ソフトは「Winny」で全体の27.0%にのぼる。「Limewire(18.8%)」「WinMX(15.0%)」「Cabos(13.1%)」「Share(11.0%)」と続いた。

【セキュリティ ニュース】ファイル交換ソフト利用者は9.6% - 1年強で3倍弱の増加(1ページ目 / 全1ページ):Security NEXT

この件については、毎日新聞にも載って、高木先生も言及しています。

高木浩光@自宅の日記 - Winnyの新参利用者は急増しているのか?

しかし、Winnyは情報流出の代名詞になったせいか、こうやって名前が挙がってきますが、実際のところ

ということで、Gnutellaが首位に躍り出るわけ。人気の理由は特に思いつかないのだけれども、消去法でいくと、Winnyはウィルス騒ぎがあったし、WinMXは過去のもので繋ぐのが面倒だし、ShareはWinny同様にウィルスがある。BitTorrent日本語のコンテンツが少ないし(というより.torrentを見つけられない)・・・。ということで、LimeWireやCabosに行き着くのかなと。

日本で最も人気のP2Pファイル共有ネットワークはWinnyじゃない - スポンサー広告調査/統計 ファイル共有

というわけで、Gnutellaが首位。さて、Winnyのノード数が減ったのは他のP2Pに乗り換えたからか、動画サイトに乗り換えたからなのか。この辺を吟味していかなければならないですね。と言ってもどういう方法があることやら。

P2Pソフトの特徴について

背景として、P2Pソフトの特徴を確認しておきましょう。それほど詳しくないので間違いがあればご指摘願います。

Napster

一般的に、不特定多数とのP2Pによるファイル交換はここが始まりでしょう。実際にはAnonymous FTPとかもありましたが、アングラ界隈ではどちらかと言うと学校系の管理の甘いFTPサーバをターゲットにファイルをアップロードしていた感じなので、P2Pというには微妙です。

音楽を共有するために学生が開発したもので、中心となるサーバーがファイルの情報を管理し、P2Pをコーディネートしていたものです。つまり、著作権を無視すると中央に証拠が残ります。結果、RIAAに訴えられて敗訴し、姿を消しました。(今の音楽配信サービスは別の仕掛け)

WinMX

そんな中、Napster互換のWinMXが広まりました。中央サーバーだけではなく、ユーザーが個別に立てたサーバーも使える仕掛けで、独自のプロトコル拡張も施されています。これなんであんなに広まったんですかね?いろんなファイルを使えたから?

でもこれも中央サーバーが訴えられたことや、逮捕者が出たことから下火に。でも今も動いているみたいですね。15%も本当に使われているのかしら。

Gnutella

AOL関連会社が、公開してすぐ公開をやめたのにも関わらずすごい勢いで広まったソフト。その後リバースエンジニアリングにより互換システムが開発され、広まりました。中央サーバーを使わずP2PでネゴシエートできるのでピュアP2Pとも言われます。で、互換のソフトが沢山。というわけで、上記で言及したとおり、シェアNo.1みたいです。

Winny

しかし、これまでのP2Pソフトはいわば「交換」ソフトであり、相手のIPアドレスなどはわかってしまいます。そこで、匿名性の維持と暗号化を技術的な要素として登場したのがWinnyです。特徴としては、細かく分割されたキャッシュを転送する動作により、ファイルの提供元がわからない、またキャッシュは求めていないファイルも転送されたまっていきます。ファイルは暗号化されています。つまり、意図的にダウンロードをしなくても、立ち上げて接続しているだけで、ファイルの共有に貢献していることになります。この特長により、転送効率が上がります。Shareも類似品ですね。

BitTorrent

これもWinnyと同じく、データを拡散することで効率を上げようとする仕組みです。ただ、もともとLinuxの配布などを目的としているため、匿名性の考慮などはあまりないようです。

と、ここまで紹介してきましたが、ここで検索。

  • Limewire に一致する日本語のページ 約 335,000 件中 1 - 50 件目
  • Cabos に一致する日本語のページ 約 196,000 件中 1 - 50 件目
  • Winny に一致する日本語のページ 約 643,000 件中 1 - 50 件目

うーん、やっぱり認知度はWinnyが一番です。でもLimewireやCabosはすごく簡単みたいですね。捕まったって話も情報流出ウイルスの話も聞かないから、軽い気持ちで使ってみるのかもしれません。

先のエントリで指摘したような疑惑もあり、俄かにはP2P使用者が激増、と言う言葉は信用できないのですが、こちら側の言い分に説得力を与えるためにも、実態調査は必要なのかなあと思いました。

続続・「いい話」は思考能力を奪うよね

なかなか盛り上がりますね。てことは、なんとなくみんな同じようなことを感じていたということでしょうか。ブコメ等に触れつつ。

mahal 社会 こういう意見に同意したい面はあるんだけど、じゃあ講談調のトンデモ歴史を信じ込んでいた江戸時代の人たちは本当にアホだったのだろうか?みたいな疑問もなくはない

はてなブックマーク - 続・「いい話」は思考能力を奪うよね - novtan別館

なんども書いているんですけど「現代人として」なのですよ。カメラを怖がる明治期の人を笑おうってわけじゃないのです。

ちなみに、「いい話」ってのもなかなか難しい言葉です。自分に都合の「いい話」だったりすることもあるわけで。

たとえば。「わしゃ戦時中は中国で戦っていたんじゃがあるとき病気の母子を助けて云々」って話を聞いて、「確かに戦争は悪かったかも知れないけど人道的な人もいたから云々」という人がいるとすると、その人はそのいい話をつかって「〜けど」と本来何がしかの材料で判断すべき内容をあっさり片付けてしまいます。これが僕の思うところのいい話による隠蔽効果。エピソディックなものは記憶されやすいし印象に残りやすいから仕方がない面はあります。ある意味これが人間の精神の安全弁にもなっている。ただ、そういった面を乗り越えて理性を少しずつ前に出していっている人間の歴史の中で、そういう隠蔽のされ方を良しとしても良いのか。

たとえば。「あれ絶対おかしいよ。言葉で水の結晶の形が変わるわけ無いじゃん!」に対しての反応として一番良くないのは「いい話なんだからいいじゃん!科学的とか言わないで空気読んでよ!」です。共感を強制されるばかりか思考方法までも強制される。いい話だから。ケータイ小説についての良し悪しならばともかくね。

僕がよく居心地悪い思いをするのは血液型なんちゃら。まあでも積極的には否定しません。害が無いからというよりは自分に害が及びそうだから。生きるために天秤にかけなければならないものはいくらかは有ります。余談ですが、血液型より遥かにパラメーターの多い占いをやっている人は血液型性格占いみたいなものは偽者として糾弾したりし無いんですかね。人間がそんなに単純なわけ無いだろ!せめて366分類ぐらいしろよ!みたいな。

実名情報公開義務だって?

税金を使ったサービスの受益者には実名公開の義務があるなんて話は始めて聞きました。ホントに?

「この大学で君が手にする利便の大半は税金で賄われている。その受益者たる在学生諸君は過不足ない就学情報を納税者社会に公開する義務を負っていること。そのことを、最初によく理解して、大学の情報社会の成員としてふさわしい行動を取ってください。そうでないと、アカウントの保障ができません」

〜中略〜

こんな具合で普通、大学1年生は「個人情報の保護」という言葉は知っていても「情報公開義務」という社会的責任を1人称の問題で捉えたことは絶対にありません(再入学者などは知っている可能性がありますが)。

〜中略〜

東京大学が制定している「情報公開ガイドライン」には「実名情報公開義務」の条項があります。東大のサーバーから発信するすべての情報には、発信元の個人名が付されていなければならないという大原則です。

匿名性幻想でネット環境は悪化する (3ページ目):日経ビジネスオンライン

社会的責任だって?個人情報の保護は法律ですよね。社会的責任ってのは広く言うと道義の問題。ずいぶんレベル感が違う話のように思えます。で、東大の実名情報公開義務。

教育用計算機システムのアカウントを用いてネットワークニュース・WWW等による情報公開をする場合は、少なくとも、以下の条件のもとで行なうことになる。

  • 教育・研究組織に所属する者として
  • 東京大学に所属する者として
  • 国際社会に住む人間として

これらを考えて適切な内容であるかを充分検討してから公開するように心がけたい。条件に抵触する例を以下に示す。

  1. 無名・匿名・偽名で発信するもの

〜以下略〜

no title

ああ、なんだ。東大のリソースを使うときは東大に相応しいコンテンツを実名付きで発信すべきと言うある種のプロバイダ契約みたいなものですね。別に個人情報を公開せよって言っている訳じゃないですよね。名前と所属だけで。実名情報公開義務っていうのこれ?実名「情報」って実名のこと?

で、これが「その受益者たる在学生諸君は過不足ない就学情報を納税者社会に公開する義務を負っていること」になるのでしょうか。どうもピンと来ません。

これは考えてみれば当然のことです。もしkeio.ac.jp のアカウントで何らかの情報事故が発生すれば、世間からは「慶応のシステムで」「慶大生が」問題を起こしたと言われます。また問題の解決には、少なからざる大学側の管理者に手間をかけさせてしまうでしょう。

匿名性幻想でネット環境は悪化する:日経ビジネスオンライン

これは大学のリスク管理の問題であり、個人が個人契約のプロバイダでやることを拘束することではないですよね。

こんな準備をして、「ネットワーク上に残した情報は一般に回収が不可能だから、責任意識を欠く情報は決して残してはいけない。大学のサーバー上にホームページを開設する際には、必ず自分の実名を付し、自身で取れる社会的責任の範囲で情報を発信すること」を徹底して教えるのです。

匿名性幻想でネット環境は悪化する (2ページ目):日経ビジネスオンライン

これはそのとおり。それと実名かどうかは直接関係ないにせよ。

東大のように「税金で賄われている大学」を例にこの手の話をすると、これまた決まって「東大は国立大学だからそうかもしれないが、私立大学は違うでしょう?」と質問されます。これも非常に良いポイントです。そしてまた、ここが、この問題とCSR(企業の社会的責任)の接点になってもいるのです。

実は「私立大学」といっても、日本の学校法人であれば、およそあらゆる官費の補助を受けている可能性があります。加えて学校法人は宗教法人と並んで最低税率に抑えられている。「未来を担う若い人の教育のために」と社会から講じられている優遇措置は枚挙に暇がないのです。

匿名性幻想でネット環境は悪化する (4ページ目):日経ビジネスオンライン

だから大学のサーバ(以下略

いや、全体的にはいい事書いてあると思うのですよ。しかし、遺憾なことに、「匿名性幻想」というタイトルとは関係ない、組織に所属するものが情報発信する際のリスク管理の話になっています。実名で書いたって社会的な常識を欠いていれば平気で不適切な内容を書くわけです。だけど、まあ多少は抑止力になるし、問題があったら対処しやすい。でも、賢い学生は実名と匿名の使い分けを覚えるだけでしょう。そもそも実名で書けないことを匿名では書けるってのはポジションの問題がまず大きいわけで、当然学内のサーバーからの発信と言うポジションが明確なところで匿名である「必然性は無い」だけですね。

実名匿名問題は、もう少し深遠なものです。

2008-01-08

技術に品格など無いよね

コードには品格があるかもしれないし、サービスにも品格はあるかもしれない。でも、技術そのものには品格が無い。なぜか。技術はそんなものを必要としないからだ。コードにしてもサービスにしても、品格は作り手の意思を反映しているだけだ。技術ってここでは思想を抽象化し、実装したものとすると、表現された結果はそういったものがそぎ落とされたより純粋なものであるわけ。多分ね。

インターネットが健全かと聞かれれば、インターネットそのものは健全じゃない。

それを健全に保つのは確かにweb開発者のモラルでもあると思う。

でも責任はweb開発者にはない。

スパマースパムだから責任取れと言ったところでなんの意味もない。

Re:amachang氏。*ホームページを作る人のネタ帳

id:amachangが言いたいのって多分そういう話ではないよ。もちろん他人だから真意はわからないけど。

あなたからは、「共に Web を作る人」への、「かつて Web を作った偉人たち」への敬意が感じられない。

Entry is not found - IT戦記

ほら、人なんだよ。

技術そのものには品格は無いかもしれないけれども、技術「者」たるもの、その意味する思想を読み取り、その目指しているところを損なわないように心がけるべきだ。なんだって悪いことに利用されるのは仕方が無い。けれども、その現実を理想に近づけようと努力している人はいっぱいいるよね。

責任は、まさにweb開発者にあるんだよ。なぜなら人間だから。技術に責任取らせるの?それとも悪い人が得をする社会構造に?そうではないよね。

ウェブに関わる全ての人達が、ウェブを愛し、ウェブの発展を志向し、ともに努力する。それは夢物語かも知れないけれど、一人でもそう思う人が多ければ、きっとspamは取るに足らないノイズとして消え去っていくはず。

臭いものに蓋をしろって言っているんじゃないですよ。見てみぬふりをしろとも。でもね、「なんかこのへん汚いからもっと汚してやれば誰かが掃除してくれる」といって一緒になって違法な産廃回収業を始めることを勧めるような世界は嫌だな。たとえそこから使えるものを拾って他国に売りさばく掃除人がいたとしても。

売る言葉、買う言葉

「お前の大事な人を殺してやる!!!」どうする。コマンド?

  • 「か、勘弁してくださいっm(_ _)m」
  • 「その前に俺がお前を殺してやる!」
  • 「命に代えても大事な人は俺が守る!」
  • 「争いは良くない、考え直せ!」
  • etc...

妥当な選択肢はなんだろう。本気で買ったら「警察に駆け込む」が正解かしら。相手のことを最大限考えて対等に立つ選択肢はどれだろう。

続・「いい話」は思考能力を奪うよね

前のエントリにもキーワードとしてちりばめてあったのでわかった人はわかったと思いますが、あそこで言いたかったのは2点。

  • いい話であるという理由でおかしいことを誤魔化されてはならない
  • 得体の知れない「人間性」によって思考が制限されてない?

ってところですね。ありていに言えばニセ科学批判だったり歴史修正主義批判だったりするわけです。

エンターテイメント的文脈の上にある「いい話」ってのは、その「いい」部分を思う存分受け止めることが目的ですから、上記の批判は当てはまりません。ただ、そこにもし批判があるとしたら「なんでこれをいいと思わないの?」と他人に問いかける行為。感受性が人それぞれであることはもはや疑いが無い常識として認識しておかなければならないものではないでしょうか。現代人としてはね。

で、そういう文脈ではない、別の目的がある文脈の上で、いい話が出てくるというのは罠の可能性が高いわけです。いい話に感動した感受性ではなく、科学的思考を適用すべきなのです。例えば、「確かにおかしい気がするけどいい話だから信じたほうがロマンが有っていいよね」みたいなのは、「いい話」によって検証すべき点が隠蔽された、場合によっては消極的な承認を得たとまでいえるのではないかと思ってしまいます。

命題が何かを見抜くってのは結構大事で、結構難しい。

何をもって立ち上がろうか

何から書こうか色々迷っている間にこんな時間になってしまいました。

まずはid:himagine_no9さんにお返事。

himagine_no9 2Watchdogs, インターネット, 言論・表現の自由 筆者氏の決意表明と受け取ったがおK?

はてなブックマーク - ウェブに対する社会の認識 - novtan別館

さて、何を決意したのか。実は、何を決意すべきかを考えよう、というところまでしか行っていません。ここしばらくの議論や考察の中で、確かにあるネットのダークサイドをどうすべきか、というところにぶち当たって、しかもその確かに存在するけれども、ネットの一部でしかない存在、しかし、ある意味ではネットの存在を作り上げてきた一つの功労者であるところの者たち、あるいは、これからのネットを形作っていく者たちを、どうすればいいのか正直なところわからないのです。無法ではなく、これから規範が作られていくのかも知れない。昨日の違法は明日のビジネスかも知れない。何をどこまで縛ればいいのか。

ただ、ネットがダークサイドしかない、というのはもちろん間違いだし、マニア以外の人たちに対して、何が危険か、何がそうでないかをしっかり把握して「よくわからない」で逃げずに真っ直ぐ向きあうためのお手伝いが出来たら徒は思っています。

そして、ウェブの未来を閉ざすような変更をさせないために情報を発信していきたい。もしかしたら現実での活動もあるかもしれません。

中途半端極まりないですが、現時点ではこんなものです。

おまけ。

himagine_no9 2Watchdogs, 著作権, MIAU で、相手には例のブログの書き手だと認識されていたのでしょうか? どう? どう

はてなブックマーク - MiAUの緊急シンポジウムに行って来たよ - novtan別館

小倉先生にはちゃんと会社の名刺出して、ブログも名乗って、いつも絡んですみません、あれはあれとして、MiAUでの活動はできる限り協力していきましょうって挨拶しましたwなので多分認識しているかと。会社の名刺渡したからもう小倉先生にとっては匿名の卑怯者ではありませんねえ。

2008-01-07

/.ってすごいのね

先日書いたエントリスラドからリンクされたんだけど、時間別アクセス数が日にち別に見えるようなくらいアクセスが来てる。意外でした。あのエントリも殴り書きで補足しなきゃならんことが沢山あるので今から書くことにしよう。

「いい話」は思考能力を奪うよね

いい話だから許される的な発想は結構根強いみたいだけど、現代人の嗜みとしてはどうかと思うよね。水伝信じちゃうみたいなのも、まあ実際には信じてないんだけど、「本当かどうかはどうでもいいけどいい話しだからあってよい」というわけのわからない願望的な発想によって許されてしまうように錯覚している。けれど、そんなことはないよね。

よく、事実は小説より奇なりっていうけど、事実は多少脚色しても許されるけど、小説はわざとらしいドラマが非難される。それだけのことであって、事実が本当に事実のままであるなんて誰も保証してくれないよね。

いい話を信じちゃうってのは、他者に対するポーズでもある。自分はこういう感受性を持っているというアピール。本当はみんなでお互いのことをアホだと認定しなければならないのに、そうすると非人間的だと非難されることがあるよね。人間性ってのは歴史を経るごとにどんどん内容が変わっているはずなんだけど、なんで現代では停滞しなければならないんだろう。僕らは科学的思考と言う新たなツールを手に入れたはずなのに。まだ過程なのかもしれないけれど。

人間って難しい。もうちょっと単純に出来ていればいいのにね。

2008-01-06

ウェブに対する社会の認識

先日、友人の高校教師(数学・情報)と話していて、「プロフとかスゴいよね。大丈夫なのアレ?」と言ったら「プロフ?なにそれ?」と返されましたよ(笑)

…世間の認識とはかくのごとし。問題は2つ。周囲の大人が子供達の利用しているものを知らない。これは問題発生時の瞬発力や事前認識に関わる。もう1つ個人情報の大切さについての教育が多分不十分。

友人の学校は進学校でもあるし、問題は起きてないのだろうけれど、通達が回っているわけでもない。規制より前に現場の教育だよなあ。

監視のすべがないと考えているから規制に向かうのかも知れない。確かにネットワークはいたちごっこ度が高くて把握しきれないと感じるかも知れないしゲーセンや雀荘に補導しにいくのと比べて現行犯度が低いから白を切り通されると直接は怒れないかも知れない。でも教師だって全国に山ほどいるんだから組織的な監視って実はできるんではないか。もちろん、隠蔽体質という大きな壁が立ちはだかっている。

つまり、規制ってのは手抜きのために自由を犠牲にする行為だと解釈することができる。世間の人はインターネットのことを理解したいなんて思っちゃいない。ただ便利に使いたいだけだ。規制が表現の自由を侵害するなんてことはわりとどうでもいい。自分の書くことが規制されるなんて思ってもないから。ホームページはプライベートと勘違いしている人も多い。そして現実として、そういう人が規制の犠牲になることはめったになく、だから妥当な規制と見なされてしまうだろう。

ネットはダークサイドだという認識は、ある意味では正しい。それは十分に光を当てていないせいではある。そして、光が当てられたら生きていけないものが潜んでいる。ネットは現実より、光が当たったときの曖昧さが少ない。

僕は時たまネットがダークサイドを脱したいのかどうかという疑問に突き当たる。自由が立脚しているのは何によってか。猥雑なインターネットが好きだ。ダークサイドと呼ばれることにある種の誇りを感じる。かくも自由な世界。だからこそ規制は当然で、その網の目をかいくぐる。ネットができる前に自由を求める人がしていたことを。今にわかに現れた低コストな手段に甘えてないだろうか。そんな風に。表現の自由っていつからネットの既得権益になったんだっけ。今までなかった手段を得たことで可能になった?きっと明治期の新聞もそうだったに違いない。無論現在のような普遍的な自由という概念と、我々がそれを持っているという疑いない事実の認識はなかったのだろうけれど。

みんなが本当に望んでいることは何ですか?光を当て浄化し、胸を張ることですか?それとも。

現状からみて、ウェブにおける表現の自由は持っているものを奪われる、という問題ではないのかもしれない。これから勝ち取っていく、確認していくものであるのかも。だから、単に座して傍観していることで結果として規制されちゃったらどうしようもない。許容できないなら立ち上がらなければ。我々は有権者なのであるから。

世間の認識は一つの壁だ。ウェブという世界が世間に露出したときから、いつかこうなるのはわかっていたはず。昔を懐かしむのであれば再びマニアだけの世界を作ればよい。そうでないのであれば、世間にこの世界を認めさせるようにしていかなければならない。

有害サイト規制に到る発想について

民主党の法案が非難轟々みたいだけどどうだろう。

法案の内容については後で吟味して書きたいと思うのだけど、そもそも「未成年に影響を与えないための」有害情報の「削除」という発想に到った根本には、仕組みがわからない=制御できないという短絡的発想があるように思える。たとえば、コンビニで18禁の雑誌類が置くことが出来る(規制されりる自治体もあろうが)のは、人による年齢認証(アバウトだけど)が可能であるという前提なのだろうけれど、じゃあインターネットの年齢認証が意味あるか、というと、アクセス主体が誰なのかわからない。だからほぼ意味が無い。少なくとも、閲覧するだけであれば。その先にはいくつかのハードルがあるけれども。

表現の自由よりも青少年の育成が大切である、という発想だとしたらその青少年の育つ先は表現の自由の無い世界だ。これは本末転倒だし憲法違反と言うか、検閲時代の幕開けと言うか。

とはいえ、建前上、未成年に対する有害サイトを規制する、ということは必要だと思う。何が有害か、ということはもちろんはっきりと決められることではないから、実態として意味があるかどうかはわからないけれど、じゃあ18禁なりゲームのレーティングなりはどうなのよ、という話ではある。少なくとも、教育の範疇として、家庭や学校では規制されるべきだ。そして、その家庭の中に携帯は入っていいと思う。

もしかしたら、法案を作ったものにとってはやはり民主党により2006年末に出された携帯で出会い系をできるだけ使わせないようにしましょう法案をさらに先に進めただけのイメージなのではないか、と思う。ただ、実際に(実態としての)出会い系を解した犯罪などの事例が重なってくると、そういう発想に到るのは仕方が無い。そして、仕組みがわからないから、全部規制しちゃえばって話になる。

多分ね、表現の自由を制限とかそんな大層なことだとは思ってないですよ、議員のわかってない人は特に。インターネットなんて現実の世界にどう繋がっているかなんてわかっちゃいない。著作権の問題でも「ネットはダークサイド」という発言があったとおり、ウェブによって成し遂げられている多くのことは多分ほとんど意味が無いと思っているはず。だから、有害なら削除と言う発想もでる。

僕は、制限はデバイスにより行うべきだと思っているから規制の妥当性があるとしても削除にはもちろん反対なんだけど、それはそれとして、ウェブの重要性と世界的潮流をちゃんと偉い人に理解してもらう必要があると思う。もっというと、政治・行政にマイナスになる要素のてんこ盛り状態はこちら側でも解消の仕組みを考えていかないといけないんじゃないかとは思っている。難しいけどね。

箱根駅伝の件について補足

いくつかブクマコメントを頂いたので補足。

aozora21 『映像と解説だけあれば十分』/誰かが倒れるのなんて、できるだけ見たくないですよね。

そうですね。演出で無いなら尚更。

ryankigz 途中棄権とか繰上げとか、あと「タスキの誇り」とかそういう物語を、みんなしておせちと一緒に消費してる/まあたしかに24時間よりは半万倍マシ

確かにもはやお節なみ。誰だこんなことにしたのは。

hebomegane うー。でもね。演出なしで今テレビでやってるようなストーリーになる。同じ釜の飯食って、何年も辛い練習こなして、強い絆が出来て。で、仲間の好走を自分がふいにしてしまったとか。高校や中学の駅伝でも同じだか

実際に繰り広げられるドラマはそうなんだということはもちろんわかるんですけど…そんなものはアナウンサーにより抉り出す必要は無いと思っています。

morutan 24時間テレビ的な作ったドラマは嫌いだけど箱根には特にそういうの感じないなぁ。24時間の場合はしろーとに物語着せた上に見ずに歌ってるだけだからアホかと思うけど駅伝とかは鍛えられた走りの様を見ている

アナウンサーがいなければね。

ululun 箱根駅伝見なかったオレは勝ち組。テレビなんてそんなもんというのはもう十分にわかっている筈だよね?何故見たの?

違うの〜箱根駅伝自体は好きなの〜上り坂とかすごいよね。去年とか。

enemyoffreedom あれはスポーツ残酷物語を楽しむためのものなのではw

ぎゃー。まあ勝負事と言うのは残酷なものです。殊更に敗者を嬲ったりしなければいいのに

もう何年も思うのですが、スポーツ中継のエンタメ化というのはどうも我慢なりません。特定の選手に肩入れするようなテロップとか。そりゃあ例えば世界大会では日本人が活躍して欲しいと思うものの、すげー奴を見たいわけですよ。試合映さずにタレント映したりもするし。そうでもしないと見てくれないコンテンツになっちゃったんですかね?嘘っぽい演出で塗り固められていくのはスポーツにとっては不幸なことだと思うのですけど、当事者はそうでもないのかな?

それにしても、24時間テレビが引き合いに出されてしまうことがすごいと思いました。あんなんスポーツでもなんでもないんだから比べられること自体がスポーツのエンタメ化の証拠であると思ってしまいました。

宣伝:第4回関東アマチュアビッグバンドJAZZ音楽祭

【日時】2008年1月6日(日) 13:30開場 14:00開演

【会場】府中グリーンプラザ けやきホール(490席)

    京王線府中駅より徒歩1分

【料金】500円(全席自由)当日券あり

【出演バンド(出演順)】

  • UNTITLED
  • Aebulay Zzja(アエブレイ・ズージャ)
  • ヴィータ・アンリミテッド・ジャズ・オーケストラ
  • 東京ブラスバンド
  • Starry Sky Jazz Orchestra(SSJO)
  • After 5 Lab BAND ←これ

出番は17:30くらいの模様。

2008-01-05

受診を自主規制

結局のところ、こうするしかないのかな。

小児科医の負担を軽減しようとする母親たちの活動が丹波市で実を結んでいる。可能な限り「かかりつけ医」で受診し、診察時間外の利用を避けるよう訴えた結果、同市の県立柏原病院では軽症の小児患者が駆け込むケースが激減。

神戸新聞NEXT

「ちょっとした症状では呼びづらい社会的圧力となって、結果として救急を呼ばないことで手遅れになった。訴えてやる!(誰を?)」みたいな話にならないことを祈っています。多分、全体の助かる率が上がった、では満足できないだろうしね。

そういうことができるだけ起きないよう、できた余力で頑張って欲しいものです。

消費されるコンテンツ(3)メディアの先へ

聴覚・視覚から入るコンテンツであるのが映像であり音楽であり、お話であり、絵画であるる。触覚もまた、それらの芸術に、直接的、あるいは間接的に寄与するものだ。

一方で食も一つの芸術として、味覚や嗅覚を刺激する。食は生きていくための欲とも結びついているため、記録を繰り返し楽しむようなものではないけれど、再現性はあるため、レシピとして固着される。しかし、原材料や気の遠くなる製造過程は希少価値とも結びついて、コンテンツの価値を保っている。メディアが次に切り崩すとしたらこの辺だろう。欲により密着したコンテンツは、一方でそれとは別の本能や、人が人として成り立つための精神により解釈される芸術たちを駆逐してしまう可能性がある。少なくとも、消費と言う面では。社会として欲がある程度抑制されているのはリソースに限りがあるからだろう。もっとも睡眠欲に関しては人の手によりリミットが外され、眠らなくてもよい状態を作り出すことは可能になっている*1。あるいは、これらと協調した新しい表現形式が生まれるかもしれない。単に「リアル」なものではなく。

しかし、いくらテクノロジーが進化しても、人間は5感しかもっていないし、それを刺激するメディアはどんどん開発されてきた。この先、全ての感覚が記録可能になったときに、表現形式の進化は止まるのだろうか。メディアは記録でしかない。再現される感覚が制限されている以上、記録できる種類は増えない。

何か新しい感覚が生み出され、それを整理して一つの概念にまとめることが可能になり、そこでの表現形式が生まれる、と言うことはちょっと今は想像し得ないけれども、人類が文字を得たように、今はまだ抽象的に過ぎない感覚が体系化されることはもしかしたらあるかもしれない。

この先はあるのかどうか。今のことも見えてない状態でおかしな話ではあるけれど、無限の可能性があることをもってアーティストへの期待としたい。何か、僕らの価値観をぶっ壊すようなことをやってくれ*2

消費されるコンテンツ(2)コンテンツは体験へ回帰する?

さて、これから。一つの道として、体験への回帰が良く挙げられる。

ツアーと楽器に共通して言えることは、使い古された言葉ではあるが、「体験」ということになるだろう。コンサートに参加することと、自分で楽器を演奏すること。両方とも「唯一無二の体験」である。ニコニコ動画でコメント祭りに参加するのも、そうした体験の一つだと言えるだろう。コンテンツは今や、体験する、あるいは体験を共有するための、トリガに過ぎない。

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僕は、この体験への回帰はどうも幻想ではないかと思う。少なくとも、体験によって「売上が上がる」ということは多分無い。なんども言うように、娯楽にかける費用と言うのはそれほど変わらないはずだから、別の形でのパイの奪い合いが起きるだけだ。コンテンツの価値として、固着したメディアと、ライブのどちらがすぐれているかと言う議論は意味が無いことは以前触れたとおりだ。アーティストの収益として本当にライブが相応しいか、というのもあるけれど、もっと大事なのはアーティストとして成し遂げたいのが「ライブなのかどうか」という点だろう。

僕が思うに、ばら売りが出来るようになったことによるアルバム不要論や、宣伝でばら撒いてライブで回収、というようなものは全て「音楽で如何にして金を稼ぐか」というところが出発点にある議論だ。そのことを否定するわけではないけれども、それが次の世代のモデルだ、と言い切ってしまうことには抵抗がある。むしろ、収益モデルとしては退化ではないかとも思う。もっと退化したところにパトロンシステムがある。ここで重要なことは、著作権とメディアによる収益モデルというのは、活動し続けなくても収益を生む可能性がある。一方で、ライブはできなくなったら一銭も入らない。パトロンシステムは気持ち次第かも知れないけれども、活動しないアーティストにただ金を与える、というのは業界に対する投資にはならない。結局のところ、生活を守るレベルの話になると、継続した何かを売らなければならないのだけどバラ売りは小ヒット以上を続けないといけないだろう。

一つの期待として。音楽は、人間が得た根源的な芸術の一つである。だから、どんなに他のコンテンツ、特にコミュニケーションという最も時間を消費するものにその時間を奪われたとしても、音楽が過去のものになることはありえない。そう思っている。そういう意味では、なかなか日常にならない「志の高い音楽」だけではなく、消費される音楽、常に身に纏う音楽というのも結局は廃れていくことは無いと思う。

もう一つ。僕は体験への回帰ということへの疑問を、現在のテクノロジーから判断してそれだけでは意味がないとしたのだけれども、元々レコードが存在する前とあとでは音楽は大きく変わった。ライブだっていつ時と場所を越えるかわからない。映画館的に(擬似的にほぼ)直接体験ができるようになったりするのであれば、別の収益モデルもあるだろう。そして、収益の話は本題ではない。仕掛けこそが一つの表現形式になる。

まだ「この先」のはっきりした形は見えていない。誰よりも早く「この先」を捕まえた者が、次の時代を作るだろう。

消費されるコンテンツ(1)コンテンツはコミュニケーションの糧でしかないのか?

年末に一発ネタ的にこんなことを書いた。

特に、消費されるだけのコンテンツは、話のタネに過ぎないと言えるかもしれない。

人類史上最大最強のコンテンツ「おしゃべり」に対抗するのは容易ではない! - novtan別館

僕の考えとして重要なのは、実はコンテンツ自体を求めている人はそれほどいないはず、というところにあるのです。というか、芸術って実はそれほど普遍的な感動を与えるものではなくて、人それぞれの感受性に左右されるし、「はまった」度合いによっても変わってくる。コンテンポラリージャズなんていきなり知らない人に聞かせてもよっぽどツボにはまらないと価値を認めてもらえないだろう。カジュアルなコンテンツを入り口にするかしないかというのはとても大きい。中に入らなくても満足してしまう人は、本質的にはそのコンテンツを求めていないと考えることができる。

かつてはあまり志の高くない音楽が売れていた。今は売れない。

では、なぜ、売れなくなったか?

もともと志の高くない音楽のユーザーとは、純粋な意味での音楽ファンではない。

彼らにとっては音楽は、所詮ツールであり、媒介だった。

「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方

ここでも同じことが言われている。音楽業界の中の人も必死だ。ポップな音楽と言うのはその存在そのものが「たとえ志の高いものを内包していたとしても」広く売れることが一つの大きな目的であり、その為に削られているものはあるだろう。もっとも、そういうものばかりではない。ポップカルチャーは僕自身はあまり触れてこなかった分野だけれども、深遠な何かがあり、必ず後世に残っているものはあるはずだ。クラシックだって(特にオペラなんかは)本質的には当時のポップカルチャーだろうし、音楽としての優劣があるわけではない。ジャンルとしては。ポップであること、売れるためのものが相当数混じることで総体的な質は落ちるだけであって。これも質って言葉はどうなのかと思うけれども。

さて、上記で引用したエントリに触れた松岡氏の記事の記載。

『理想は「志の高い音楽」が売れることだ。なのに消費者が衆愚だから、いいものを作っている彼らは売れない。悪いのは消費者だ。音楽をわかってない「奴ら」が悪いんだ──』

音楽界に限らずどこの業界でも、こう思っている業界人は多い。

繰り返しになるが、アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、このテの思考に陥りがちなのだ。冷徹に「何が利益なのか?」を計算し、「お客様は神様です」と言ってしまえる商売人になり切れない。

CDが売れない「本当の理由」 - すちゃらかな日常 松岡美樹

商売人は、アーティストの側には確信的にやっているのでない限り、いないはずだ*3いわゆるプロデュースする側の仕事であるだろうし、アーティストが利益を計算し始めたらできるのは「どこにでもあるいい物」になるだけだろう。この辺は難しい。売れれば成功と思っているアーティストと、自分の音楽を貫くことが大事だと思うアーティストは違う人種とも言える。大体商売だけ考えればいいんだったら人気絶頂のときに解散するとか、そういうのってなかなか出来ない。もちろん、音楽性の問題ではなく、人間性の問題で解散することだってある。アーティスト自身は本質的には商品ではないのだ。

志の高い音楽が売れないのは「消費者が衆愚」だからでは決して無い。理解できない、感受性を持たない音楽を受け入れられないのが「愚」などであるわけがない。どちらかというと、志の低い音楽が売れるのは「消費者が衆愚」だからであって、逆には適用できないだろう。無論、本当は衆愚なんかではない。求めているものが本質的に違うだけだ。単純に受け入れられる要素がかみ合っていたら、志に関わらず売れることになるだろう。そのことの差異をわかっていない人は「志だけが高い音楽」を作っているかも知れないけれど。

初めの議論に戻ると、つまり、音楽は消費されるために作るものと、音楽の為に作るものの2種類がある。どちらかに決められるものではなく、オーバーラップしているけれど。目的の差異であり、結果はまた別の話である。そして、消費されるための音楽というものが衰えてきている。それでも生きながらえると思うけれど、ある程度の縮小は避けられないだろう。コンテンツを消費するというのはコンテンツ自身もさることながら、ユーザーの時間を消費することだ。ユーザーの時間が他のもので消費されれば縮小するのは当たり前のなりゆきである。

ここで、考えなければならない問題は、市場が縮小したら日銭をどうやって回すか。また、志の高い音楽をどうやって残していくかだろう。出版社が次々と倒れていくように、レコード会社もそろそろ限界が近づいてきているはず。市場が適性であれば、現状維持はありえないのではないか。

「不適切だが、やむを得なかった」

すごい発言だよね。

太田房江知事は4日、「再建団体にならないための措置。不適切かもしれないが、やむを得なかった」と述べ、公式に事実を認めた。

朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?

不適切というのは、赤字隠しが不適切なのだろうし、やむを得ないというのも赤字隠しのことだろう。つまり、目的が手段を凌駕するわけで必要悪という認識なのだろう。再建団体にならないためなら不適切である赤字隠しもやむを得ず「許される」。省略しているよね。実際には許されないことを、やむを得ないという言葉でくるんで。しかも不適切「かもしれない」と、ここでも不適切でない可能性に留保している。そんなわけがないだろう。

これでは再建団体という存在自体の意義が問われる。もし、起死回生の一発が予定されていて、また、予定通りに進行しているとか、一時の不祥事のせいで総体としては問題が無いけどこの一年だけどうしても乗り越えられないとか、そういう事態であればやむを得ないという発想があってもよい。よいというのは相対的にロジカルであるというだけであり、許す許さないとは別の話で。しかし、どうにもならない赤字を抱えてどう「再建団体にならないためにはやむを得ない」赤字隠しができるというのだろうか…

よくわからないけど〜否定論って

どのくらい否定しているか、ということは議論において大切なことではないのか。

  • 部分否定(程度の部分について喧伝されることについての誤りを指摘するような)論は否定論なのかそうではないのかどうか。
  • 全肯定しないと肯定論者じゃないのかどうか。

このへんってみんなどう考えているんでしょうかね。部分否定は懐疑派なのかな?でも懐疑ってのも全体に対しての懐疑があるから否定論ともいえるしな。否定なんてまともな頭の人なら考え付くはず無いという前提で否定論者=アホと断じてしまうのも印象操作だと思う。

なんでこれを言うかと言うと、僕は引用と言うのは自分の考えを伝えるための創造行為の一部であると考えているから。僕も恣意的に人の文章を抜き出して、ちょっと誤解を招くような使い方をすることがある。だから、某劇場の人が不誠実な逃げを打ったとも思わないけどね。もちろん、だから正しいというわけではない。戦略的撤退をするなら今が潮時ってことだろう。

結果として、某問題についての否定論者はバカでアホという一つのオピニオンが出来上がってしまった。個人的な感触としてはあながち間違いでもなかろうと思いつつも、無知による否定に今後もラベルを貼り続けるようなことはしないで欲しいものだ。

*1:壊れるけどね

*2:ただし平和にね

*3:ちょっと断定的に過ぎるが

2008-01-04

[議論]えらく盛り上がっている話について雑感

なんか結論ありきの人とロジックありきの人が正しい検証「方法」についての議論を戦わせている印象。だんだん事実はどうでもよい話になっている気がする。しかも、7割方解釈論になっているから噛み合いどころがないよね。不完全なデータや記録から導き出される結論は不完全で、どちらがより説得力があるか、という仮説同士の戦いになったとき、どちらの仮説も絶対的な弱点と言うのは必ず存在して(だって元になるデータが不完全なんだもの)、そこを突付き合って楽しんでる感じ?

多分、タイムマシンにより現場を見ることができても解釈論に終始するような気がする。都合の悪いことを隠蔽するってのは現代の政府や企業でも行われていることで、時として政治的に強制された実行犯が全ての罪を被って自殺したり不審死を遂げたりすることは良くある。これを持って「疑惑が無かった」とすることはまあ普通無い。でも事実が闇に葬り去られるのは確かだ。

だから、双方の解釈する事実が有ったにせよ無かったにせよ、状況証拠とか証言は得られるし、その反証も得られるだろうし、最終的な結論としては客観的と言う名の元の恣意的な判断に委ねられるしかないんだろうなあ。裁判とか。

より事実に近いと推測されることが結論として採択され、なおその結論には反論の余地は残る。もちろん、認定されてしまったことを覆すのはそれ相応の手続きが要るし、その認定を受け入れない内心というのは自由であるけれども、世間一般的には通用しなくなる。それだけのことだけど。

あるレベル以上の事実の検証は、事実上無意味だし、不完全な証拠から類推した議論を意味がないと切り捨てることもまた意味が無い。イデオロギーの対決になると揚げ足取り合戦にしかならないし、それによって導き出される結論は論者の主義主張そのものでしかない。断定的に結論付けることはそのこと自体が弱点にもなりうる。仕方ないんだろうけど。

そこまでを踏まえて、様々な検証方法やエビデンスを沢山提出してくれている、という現状はとりあえず僕がこの事件のことを解釈するに当たっては大変ありがたいことであると思う。現時点での自分なりの結論はでる。事実を探ろうとしている人には乙としか言いようが無い。

あと、ロジカルな議論ってのは、ちょっとした事実を握っているかどうかとか、隠し事をしているとかで簡単に攻守逆転するアメフトみたいな競技だと思った。

箱根駅伝がお涙頂戴物語になっている件について

古館伊知郎のアナウンス業界における影響と言うのはものすごいよね。今更だけど。

しかし、そんなこんなで箱根駅伝と言うのは過去の長い歴史の中で、ほぼ高校野球にも等しい外付けの精神性を身に纏うに到ったわけです。繋がないと駅伝ではないとかさ、どんだけ勝手なことをアナウンサーが言っているんだか。繰り上げスタートやめればきっとこの無用なドラマは無くなる。ずっと苦しんでる姿を中継し続けてさ。どんだけSなんだよプロデューサーとか思うよね。もちろん、ハラハラしながら見ている視聴者もS。昨今のテレビ番組は、大抵視聴者の隠れた嗜虐心を刺激する方向に演出されているのだ(言いすぎ)。

儀式としてのスポーツになりつつある箱根駅伝、その一方で学連選抜が4位とかも本末転倒だし、大体大学生にもなって勝負の世界に徹することが出来ない競技で良しとするのはどうなんだろうか。これも過剰演出によるコンテンツ自体の価値の損傷と転換の一つなのだろうか。なんか何回だかの記念大会からおかしくなったよね。

駅伝そのものは結構見てて楽しい。応援したくなる。映像と解説だけあれば十分なのに。

Winnyノード数減少の原因とこれからの展開について

大半は憶測です。まず、高木先生のエントリから。と、その前に、話の枕的エントリを紹介。

アンケート調査によると、昨年9月以降にファイル交換ソフトを使ったことがある「現在利用者」の割合は9.6%(1943サンプル)。昨年6月調査の3.5%から6ポイント以上増えた。

「ファイル交換ソフトユーザーが急増」──ACCS・レコ協など調査 - ITmedia NEWS

なんと、現在利用者が3倍に激増です。しかしこのオチは後述。

さて、高木先生のエントリで、高木先生謹製Winnyノード数監視ツールによる観測結果が提示されています。それによると。

昨年の11月末から12月末にかけての大きな減少が見られるが、これは、違法な送信可能化をしている利用者にISP経由で警告通知を行う活動が開始された時期と一致している(「ACCSプロバイダを介してWinnyユーザに警告メールを送付」参照)。その後、年明けにぶり返し、1月末までは増加傾向が見られる。しかし、3月の頭から再び減少に転じ、ゴールデンウィーク中に若干ぶり返しつつも、その後は単調な減少傾向が見られる。3月頭に何かあったのかは不明だが、ニコニコ動画が「β」を終了し「γ」として新規ID登録を開始してサービス再開したのが3月6日だったようだ。

高木浩光@自宅の日記 - Winny稼動ノード数が減少中

おおっと、実際の実働ノード数は減少しているようです。しかし、何故前述のような報道になったのでしょうか。それは一旦おいておいて、ニコニコ動画。どうも、Winnyでいつゲットできるかわからない高画質神動画をダウンロードするよりも、ニコニコ動画にアップロードされたものを視聴する、という形態にシフトしていったのではないかということが、この結果から推測されます。Winnyで最も流通していたものはなんなんでしょうか。直感的にはアニメとゲームなんですが、この辺は統計があればあたりたい。

で、その中の、アニメすなわちバイナリそのものが必要なのではなくて、どのようなデータ形式でも良いから見れればよい、という層が少なからずいるカテゴリのものについては、実はWinnyは本当に視聴手段の一つであり、オリジナルデータが欲しい人は少数派だった、ということが推測されます。このことは、大雑把に言うと、「WinnyなどP2Pソフトによる損害」というものが実体としてはそれほどではなかったかもしれない、ということも推測できる、ということです。つまり、カジュアルに「見れるなら見てもいいかな」というレベルであり、かつ、潜在的な顧客である可能性も高い層であるともいえます(ちょっと言い過ぎ気味ですが)。だから、むしろ自由な流通がプラスになった、すなわち、ニコニコでオリジナルソース以下の画質を見てオリジナルソースを購入するかも知れない層とも言っていいかも。

いや、別に違法なアップロードを擁護しようとしているわけではありませんが、実態としてみると、そんなにP2Pなり動画アップロードサイトが実害を与えているとは言い難いような気がしてきてしまいますよね。

というわけで、僕が思うに、ある程度低画質ソースのものをいかに自由に流通させ、興味を持った人が高画質ソースに手を伸ばさせるか、というところを戦略的にやっていくべきなんじゃないかと思うわけです。本当に高画質が欲しい人が大半なのであれば、ニコニコ動画にいくらアップロードされようが、DVDソースのファイルをWinnyなりでダウンロードしたくなるはずなのですよ。しかし、実際にはノード数は減少している。ニコニコで満足できる層は果たして潜在的な購買者なのかどうか。ここのポイントは、しかし、お互い譲れない線にはなってしまうと思います。

さて、最初にあげた調査結果。これが、業界の責任の押し付けと言うか、苦しさを具現しているというか、そういったものであることも高木先生が引用したサイトに示されています。

「調査方法」の変更。

  • 2002年から2006年までの調査は「インターネットユーザーを対象として、ファイル交換ソフトの利用実態に関して、インターネット上のWEBアンケートサイトを利用してアンケート調査を実施」
  • 2007年の調査は「(株)メディアインタラクティブが運営するアンケートシステム「アイリサーチ」のモニターを活用して行うWEBアンケート方式で実施」

「現在利用者」の定義の変更(徐々に定義が拡大)。

  • 2002年の調査では特に説明なし。
  • 2003年と2004年の調査では、ファイル交換ソフトを利用していると回答した利用者と定義。
  • 2005年の調査では、アンケート時より半年以内にファイル交換ソフトを利用したことがあると回答した利用者と定義。
  • 2006年と2007年の調査では、アンケート時より約1年以内にファイル交換ソフトを利用したことがあると回答した利用者と定義。

これらにより、今回の「現在利用者」急増の背景は、「調査方法」の変更が影響しているのではないかと、という疑問がわいてくる。

(追記)要するに、2006年以前と2007年では調査方法が違う可能性が高いということ。調査方法が違うのなら、数字の比較はあまり意味がない。

はてなダイアリー

ま、つまり、延べ人数の範囲が徐々に広がっているから拡大するのは当たり前、という話ですな。これはひどい。何が何でもファイル交換ソフトの利用者が増えているとしないと、それによって業界が脅かされているということに説得力がなくなるから、こういった形での結果を公表しているとしか思えなくなってしまいます。

僕は、統計を恣意的に弄るという行為を行った時点で、その主体は何か後ろめたい、隠したい、捻じ曲げたい、ものがあるのではないか、と強い疑いを抱きます。

多分、これからの1〜2年で決まってくる、利用者と権利者と、業界団体の利権争いは、向こう何十年かに影響を及ぼすものになると思います。こういった政治的なオピニオンというのも言ったもの勝ち、調査結果として出したもの勝ちになりがちですから、高木先生の調査結果なんてのはなかなか心強いものがあります。

売上がどのくらい落ちた、なんてのは業界の内部資料ですからいくらでも操作可能ですし、今回のようなP2P利用者の急増と言う実質嘘の発表もしたもの勝ちです。これからこういう類の裏取りを利用者側でも行わなければならないですねえ…。

ダイエットが盛んな国アメリカ?

アメリカ人ってセレブは必死でダイエットして、そうでない人は徐々にヤバイ体型になっていく、というイメージがある。これは偏見かも知れない。メトロポリタン美術館で目撃した老夫妻がコーラをがぶ飲みしてたけど普通の体型だったし。

しかし、この、誰の目にも明らかな生活習慣の改善が、アメリカではできないのであった。

ダイエットが盛んな国ではあるが、一方で「見た目で判断するな」「太っていて何が悪い」という意見も根強くあるし、そもそも、周り中肥満なので自らの肥満が認識できない人も多い。6−11歳の病的肥満の子供を持つ親のうち、自分の子供が太っていると認識している人は13%しかいない、という調査結果もある。

そのうえ、たとえ問題を認識して食生活を改善しようとしても、料理ができない人が多いという現実問題が。肥満が多い貧困層ほどその傾向が強く、健康改善の話になると

メタボリックシンドロームは新たなデミングか | On Off and Beyond

僕のアメリカ旅行体験。住んでる人はもっと色々あると思うけど、とりあえずニューヨークの思い出。

  • あるライブをやるレストランで前に座っていた四人組に大皿が来たから取り分けて食べると思ったら一人一皿
  • スーパーで、並んでる間から「買う予定の」菓子を開けて食べ始める主婦?
  • ローファット⇒砂糖満載、ノンシュガー⇒脂肪満載
  • 巨大Tボーンステーキ屋で日本では中ジョッキくらいの量のバドワイザーが1ドル
  • コンビニで牛乳を売る単位は1ガロンのペットボトルというかポリタンク
  • 食後のアイスは一人1パイント

これでどうやったらダイエットできるのか不思議でしょうがない今日この頃です。食欲と言うのはかくのごとく。

2008-01-02

集団の中の単体を集団のラベルでくくることの馬鹿らしさ

「匿名だから」「2ちゃんねらーだから」「はてな村民だから」というような理由で他人を否定することほど簡単なことはない。ステレオタイプどころか、目立つごく一部のサンプルをもって全体が否定できる人はよほど騙されやすい性格をしているとしか思えない。

全体としてのそれを見ているのであれば、理解はできる。しかし、ひとりになったときまで集団の空気を纏っていると感じるのであれば、それはあなたの恐怖か憎悪がそうみせているだけだ。

きちんと中身に目を向けよう。聞くべきものがそこにあるのであれば、その所属的なら文脈などどうでもいい

ただし、政治的発言というものはある。一部に同意したら全てに同意したとみなす悪辣な人間もいる。そういうものをかわしていくのであれば、ラベル貼りにも意味があるかもしれない。しかし、その時の正しい対応は、口を噤んで相手にしないことである。

紅白を見て思ったコンテンツの終焉

チラ見しただけなのですが、ますます過剰な演出に振れていく紅白を見るにつけ、「歌というコンテンツだけで勝負する」ことができなくなっているんだという思いが深まります。一回限りの演出が一体にならないと見向きもされない?いや、それが嫌で見ていない人もいるとは思いますが

一つの単純な、しかし完成されたものに感動する気持ちは、過剰な演出、どんでん返しの繰り返しに慣れてしまうとなかなか出てこないのかも知れませんが、それって何だか刺激によって調教されてませんか?

まあ、演出することはよいでしょう。しかし、その対象が何年も前のナツメロであるのはなんでか。結局新しい価値を生み出せず、古いものに別の価値を付与して何とかしようとしている。これでは著作権を70年に延長したくもなるものです。

価値を生み出す力が衰えたのは何故か。動機の問題ではないかと思うことがあります。産業であり、クリエーター以外の周辺の人間の日銭を稼ぐことが必要な業界はそれでもたまにはいいものを生み出すはずでしょうけれども。

コンテンツがコンテンツで完結する時代は終わるのでしょうか。その鍵を握っているのは我々消費者なのですが、どうも自分が最近マイノリティになっている気がします。

2008-01-01

去年の総括と今年どう生きるか(その3)

去年見たり聴いたり読んだりものを最後に

CD/DVD

今年は全然紹介してないや。

ピタゴラ装置DVDブック2 - novtan別館

子供番組と言ってもなめてはいかんですね。ちなみにこれこそ個人的にはYouTubeありがとうな存在。あれを見なかったら買わなかったでしょう。

ピタゴラ装置 DVDブック2

ピタゴラ装置 DVDブック2

サム・スカンク・ファンク / ランディ・ブレッカー・ウィズ・マイケル・ブレッカー - novtan別館

WDRも素晴らしい演奏をしていますが、ブレッカー兄弟の存在感は抜群ですね。ウィル・リーがすげー楽しそうなんですよ。

サム・スカンク・ファンク [DVD]

サム・スカンク・ファンク [DVD]

ああ、マイケル死んじゃったなあ。生で見てみたかったうちの一人なんです。紹介していなかったので遺作。

そういえば、先日Bill Watrousの(本人曰く)最後の来日でようやく聴きに行くことができました。

The Music of Bill Watrous

The Music of Bill Watrous

これ買ったんだけど、難しくてほとんど参考になりませんw

書籍

本は沢山読んでいるんだけど、今年は紹介が少なめ。決して駄作ばかりで紹介できないというわけではありませんよ。

ひとりっ子 / グレッグ・イーガン - novtan別館

イーガンは小難しいイメージがあるけれども、短編集は味わい深いです。もっともSF初心者には薦めづらい。ルミナスが大傑作だと思う。

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

まっとうな経済学 / ティム・ハーフォード - novtan別館

経済学も小難しいイメージがあるけれど、説明しづらいものをなんとか説明しようとするとそうなってしまうのでしょう。多分に教科書的らしいけど、大学で学ばなかった人にとってはいいのではないでしょうか。と、かじりもしなかった僕の感想。

まっとうな経済学

まっとうな経済学

ボーン・コレクター / ジェフリーディーヴァー - novtan別館

これを契機にリンカーン・ライムものを一通り読んでみることに。ミステリというよりはサスペンス?どんでん返しが多すぎて食傷気味でした。でもまあ面白いことは確かですね。

フーコーの振り子 / ウンベルト・エーコ - novtan別館

今年の努力賞。いや、僕がね。何かこう、話題の歴史問題にも繋がる、関係性なんていくらでもこじ付けられるということを体現しているような話でした。

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)

フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)

こちらもあわせて。薔薇の名前 / ウンベルト・エーコ - novtan別館

フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫)

フーコーの振り子〈下〉 (文春文庫)

今日の早川さん / COCO - novtan別館

はてな上で連載中。coco's bloblog - Horror & SF。いつも楽しく読ませてもらっています。今年は書き下ろし満載の続編が出るそうです。楽しみ。

今日の早川さん

今日の早川さん

独白するユニバーサル逆メルカトル / 平山 夢明 - novtan別館

描写そのものは生々しいのに、なぜか汚らわしい感じのしない、不思議な文体を持つホラー作家です。異常で詩的なその世界は比類ない。描写の表層に目を瞑らなければ、きっと見えてくる幻想の世界。美しくもあり美しくもなし。欲望と芸術の狭間。人間の存在そのものを問いかけるようなそんなところも垣間見られます。

独白するユニバーサル横メルカトル

独白するユニバーサル横メルカトル

こちらもミサイルマン 〜平山夢明短編集〜 / 平山夢明 - novtan別館

ミサイルマン―平山夢明短編集

ミサイルマン―平山夢明短編集

去年の総括と今年どう生きるか(その2)

長くなりそうなのでエントリ分割。タグごとのエントリ数とか、月ごとのエントリ数とか、月ごとのブクマ数とか簡単に集計できる手段は無いんでしょうか…

さて、去年は議論と著作権に明け暮れた日々with匿名論と言う感じですね。

関心ごとについて(1)匿名とウェブの自由について

当初無条件で許容されているべきだと思っていた匿名ですが、やはりその匿名を支える社会の存在を抜きにしては語れません。社会の崩壊=匿名の崩壊であり、政府権力という最悪の形で監視社会が成立するのも、逆に匿名の批判者による監視社会が成立するのも、同じようにいわゆる健全な匿名文化に対する脅威であると考えますし、それに対抗しうるのは一般の利用者の意識に掛かってきます。悪意の介在が増えれば増えるほど、大きな力が動くことになります。大きな力が動くと、それに対抗する勢力も大きな力を持たなければならず、あたかも核の脅威を体現しているような、そういった方向もちょっと見えてきました。小倉先生とは散々やりあいましたが、最初から見据えている先がそんなに違っているとは思わないんですよね。立場とアプローチは全然違いますし、おかしいと思うところもいっぱいあるけれども、自分の意見が大事なのではなく、良くしていこうという気持ちが大事だということを考えていきたい。

匿名掲示板の問題は、いわゆる実名顕名の問題とはまた別個のところにあります。トレーサビリティが十分か、という点については個人的には十分と言いたいのですが、情報開示へのハードルもありますし、なかなか難しいですね。ただ、非難されることについては結局のところバランスの問題と考えていて、僕らがどんなに擁護しても、悪>善になってしまえば社会からは排除されていく運命です。善>>>>越えられない壁>悪であるからこそ、擁護のし甲斐もあるのです。もっとも、悪をなしている人が自分は善だと勘違いしているケースもあるでしょうし、実際には善たるべきだけれども社会的に許されないから匿名掲示板でやっている、という側面も考えると、簡単に善悪で二分することも出来ません。このことが問題をややこしくしているのですね。自重することで自らのとりでを守って欲しい。アフィブログがどうとか、本来の目的から考えるとどうでもいいことなんじゃないかと思って欲しいし、羨ましいなら自分でやればいいんじゃないかなあと思うし。本当にやりたいことはなんですか。ただ人を追い詰めるのが楽しいという場を提供して欲しいというのであれば、それはそろそろ許されなくなると思います。

関心ごとについて(2)議論のやり方

年初のこのエントリ、議論がこじれた場合の心がけ - novtan別館 をきっかけとして、議論とは何か、というのを考えて行きました。年末に到るまで、いくつかのことを書いたのですが、その中にはモヒカン原理主義もあれば、相手の気持ちも考えよう、と言うものもあって、我ながら都合のいいもんだな、と思います。個人的には、原則を貫くことというのはとても大事で、しかし、相手をみてモノをいうのが生活者であるというところも大事にしています。なので、最初の基準は議論をするべきかどうか、という点にあって、その見極め方はもちろん全然理論化できないのだけれども、そこに全く無関心であることはできません。自分の基準を他人に当てはめないのも大事なことですね。

いざ議論をすることになったらこの辺 [思考停止キーワード]記事一覧 - novtan別館 も参考に。

関心ごとについて(3)無断リンク

これについては結論は何度も出て、何度も同じロジックを繰り返しているだけです。それでよいと思う。ここは原理主義者的価値観で問題ないと思っています。ただ、あくまでこれは世界の成り立ちの問題であって、ルールと言うのは時として変わりゆくものです。何か大きな力によって変わってしまったときにレジスタンス的な抵抗をしようとは思っていません。そのときは多分ウェブのあり方も大きく変わることになるのでしょう。

関心ごとについて(4)医療問題

タミフルの事件や医療崩壊について。特にお医者様のブログを拝見していると、諦めにもとれるような、そういうムードが漂っていることが多いです。

正直な話、医者が金儲けとかそういうのはどうでもよいのです。医者になるまでに投資する金も大変だし、仕事としては大変だと思うし、気持ちだけで病気が治るならそれでもよいのですが、そうでもないわけで。その原因を招いたのはほかならぬ医師だ、という議論は全ての議論に通じる「一部の悪い人間のせいで大半の善人が割を食う」という話に過ぎませんよね。それよりも、変な施設を作ったり、年金を着服したり、豪華公舎を作ったりする金を削らないで、我々が税金として払っているお金が還元されるところにお金が落ちていかないということがおかしいと思うのです。今健康な人が「病院行かないから関係ない」というのは頭が不健康だと思います。人々はどうしてこう直接的な自分の利益にならないことに無関心になったのか。それなら社会なんていらないのではないでしょうか。なんでもそうです。患者として必要以上のわがままを言わない、というのはお客様至上主義の表れなんでしょうか。サービスはサービス業という業種に伴うのではなく、サービス料に伴うものであり、それ以外のものも含めて、料金以上のものを期待するのはオプションである、ということは理解しておくべきだと思います。教育問題にも繋がる話ですな。

医療系ブログでは

を定期的に読ませていただいています。僕は一人の市民として、医師の方と世の中との認識のギャップを埋めていきたいと思っています。

関心ごとについて(5)ニセ科学

大抵のことは言い尽くしたので、今年は個別の事例への言及とかメタ批判とかそのへんがターゲットの気がします。

信じてもいいんじゃないのニセ科学 - novtan別館において、バックグラウンドについては考察しました。科学は理系のものではなく、じゃあ文系に何が欠けているか、というのは文系にとって科学の前に必要なこと - novtan別館に少しだけ。これは、理系文系ではなく社会科学を含めた学問の基本的な問題であると思うし、そこをサボることは日本の学生は特に多いのではないかと。

ニセ科学って言われるのが嫌ならトンデモ科学になればいいのに - novtan別館どうにもニセ科学批判批判みたいなのには納得できませんが - novtan別館 で示したように、科学である、ということを謳わなければマイナスイオンだってゲルマニウムだって効果があってもいいのです。実際に未知なる力がある可能性は否定できません。「科学的に立証された」という文言がプラシボ効果を呼ぶのであれば、それでもいいでしょうけれども、科学の側はたまりません。未知なるパワーとか言っていればいいのにね。つまり、人間って結構科学大好きなんですよ、理解しようとはしないけれども。それは、科学がどんどん魔法化されているからだとやはり思うのです。家電製品やコンピューターもしかり。もはや一般人では修理ができないような代物を通常から扱っていると、原理なんてどうでもよくなるのでしょう。

ただし、わからない、ということを無視することが日常的思考になると、騙されることへの耐性がなくなります。本当であることを見極めるためには、自分の中で納得するだけではダメなんですよね。そのうち地球は本当は丸くない陰謀論とかに引っかかる人が出てきそうな気もしています。

関心ごとについて(6)著作権

MiAUに参加したこともあって、今年のメインのテーマはやっぱりここになりそうです。正直なところ、突き詰めて語れば語るほど、権利者にとって不利なロジックしか出てこない問題じゃないかと思っています。直感的にね。なので、本当は権利者は上手く誤魔化して妥協することが一番で、実際に今の運用はそうなっているのではないかと思っています。全員が納得はしないけれども、大体なんとかなっているような。

文化庁の今のなりふり構わない暴走ぶりは来るべくして来た、産業としてのコンテンツの崩壊を意味していて、文化と著作権に対するありかたが未来へ向けて羽ばたくことをなんとか阻止しようとしている苦しさの体現であるとも感じられます。苦し紛れの存続案と、限りない未来への飛翔、文化を担う官庁がすべきことは一体なんなのか。コンテンツが閉鎖産業化してしまったことの弊害が一気に現れているのですね。

今年がターニングポイントになるように思っています。関心のある皆様は是非、直接的な行動を始めようではないですか!

年頭のご挨拶に代えて、去年の総括と今年どう生きるか(その1)

喪中にて年初のご挨拶はご遠慮させていただきますが、今年もよろしくお願いします。

さて、去年の頭、どんなことを書いたか。「もう少し頭を使って書く」うん、達成できていませんね(笑)。大抵のエントリは思考の過程まで含めて書かれていて、上から下まで行くにつれ、「あれ、なんか書いているうちにコレじゃあおかしいことがわかったぞ」といって結論が最初の書き出し時と全然違うことも結構あります。そんなとき、上を直すこともあれば、過程として残すこともあって、一つのエントリとしては不完全なことが良くあります。

ブログの性質上、一つのエントリに注目されるということも、その後のフォローが読まれないことも沢山あります。そのことを気にしすぎてはつまらないと思ってはいるのですが、事実関係の誤りとか、そういったものはできるだけ無い様に気をつけていきたいものです。

さて、去年の総括です。うちは規模的には中堅どころなのでしょうか、そのへんの統計は知らないのでよくわかりませんが、自意識過剰wなので、いくつかデータを残しておこうと思います。

アクセス数

年間トータルアクセスは368740アクセス、ユニークアクセス292419でした。30万ってのはどのへんなんでしょうかね。月別だとこうなります。

月度TotalUnique
1月2129316827
2月3405326403
3月2442918298
4月1309610390
5月3557129221
6月3961730676
7月3116526365
8月2801421083
9月4626037590
10月2996223462
11月2549719724
12月3978332380

9月はアレのせい、12月は年末になぜかヒット、6月は直前に書いた記事がGIGAZINEに載った影響と、エントリ量の問題でしょう。

ページ別アクセス数は以下の通り

順位内容回数比率
1novtan別館14,4747.18%
2インターネットの世界が、一つ崩壊しようとしている - novtan別館13,7826.84%
3格差社会の原因なんて、みんなとっくに気付いているよね - novtan別館12,6376.27%
4初心者が実名でブログを書くならば - novtan別館12,2226.06%
5不明11,1125.51%
6そろそろ匿名掲示板も限界か - novtan別館5,7182.84%
7ダウンロードが違法化されるとインターネットは変わるか - novtan別館4,1072.04%
8銀行SE…かわいそうです… - novtan別館2,2381.11%
9人類史上最大最強のコンテンツ「おしゃべり」に対抗するのは容易ではない! - novtan別館1,8340.91%
10メディアに欠けている、本当は必要な唯一のものは取材対象に対する敬意 - novtan別館1,7930.89%
11そろそろFX破産主婦続出の予感 - novtan別館1,7300.86%
12タバコの害 - novtan別館1,6440.82%
13ライブこそが音楽?そうではないよね - novtan別館1,3630.68%
14雇う責任 - novtan別館1,3260.66%
15はてブのタイトルを旧字に変えまくる奴が居る - novtan別館1,2980.64%
16ミドリ十字の会見が酷すぎる - novtan別館1,2140.60%
17はっきり言え。 - novtan別館1,1680.58%
18だからなんでもJASRAC批判にするなって - novtan別館1,1590.57%
19他人の実名を暴く行為について - novtan別館1,1570.57%
20自分の価値観による断言 - novtan別館1,1460.57%
21新古書店からの印税収入? - novtan別館1,1360.56%
22どうにもニセ科学批判批判みたいなのには納得できませんが - novtan別館1,1240.56%
23初音ミクに未来はあるか - novtan別館1,1010.55%
24魔軍の適材適所について - novtan別館1,0620.53%
25他人に迷惑をかけると願いが叶う話 - novtan別館1,0590.53%
26なんでid:eigokunが非難されてたかわからないのだけど - novtan別館9640.48%
27違法サイトの作り方 - novtan別館8950.44%
28「格差社会の原因」エントリについて(2) - novtan別館8880.44%
29これはすごいNTT東日本副社長の発言 - novtan別館8790.44%
30膨れ上がった団塊を食わせるために搾取されている実感 - novtan別館8740.43%

実質一位はGIGAZINE効果?未だに上位3傑は断続的なアクセスがあります。