ITシステムによるグローバル化は本当に企業に利益をもたらしているのだろうか

トレンドマイクロのWebサイトがクラッキングされた事件を見て認識を新たにするのは「セキュリティーに万全はない」ということだ。人間が作ったものを人間が運用する以上、誤りは避けられない。それを最小限にすることが運用に携わる者の責務であるにしても、ゼロにできると考えるのは夢想に過ぎない。
しかし、何でもネットワークを経由することになったことで、セキュリティーにかかる費用は増大している。最新のOSに最新のセキュリティーソフト。暗号化装置に電子証明書ICカードリーダー。これらはネットワークにつながっている必然性がなければ最小限しかいらないものかもしれない。或いは、メールとウェブ閲覧の目的にはオーバースペックだ。
5年前の、あるいは10年前のPCが鈍重に感じるのは、単純なスペックの差だけではない。最新のセキュリティーソフトやその他の安全な企業活動対策に固められたことで、重装備によってかえって動けなくなった兵士のように役に立たないだけだ。このことによる業務の非効率化を避けるための端末の更改は費用対効果が十分なんだろうか。本来必要なかった費用ではないのか。セキュリティーのためにかかる費用は、果たして本当にペイしているのか。必要であるというだけで評価を留保していないだろうか。
話を拡大してみると、そもそも、グローバルな調達とか、在庫コストの圧縮とか、企業間連携とか、そういうのは誰のためにあるのか。国際競争力とか、効率化とかのお題目で旧来のwinーwinの関係(ただしここには談合やリベートのような外部にとってのマイナス要素はある)を壊して王様と奴隷を作り出すシステムではないのだろうか。IT化そのものと、オープン化、グローバル化は話が違う。グローバル化とは、王様のための均質化なのではないか。
インドの技術者が高コスト化し始めると、限りない成長を予感させたインドのシステム会社でもリストラが始まる。技術者として優秀であることは付加価値のほんの僅かの部分でしかない。グローバル化の中で技術者は固定化された資産ではなく、コスト管理するパーツに過ぎない*1。標準化による均質化はそのことを鮮明にする。
下層の低コスト化による上層の高収益化。代わりがいくらでも創出できるものを産業の基幹に据えるのがグローバル化の本質であるならば、それは市場の地域性を無視した上からの押し付け市場であり、実りを食い尽くすイナゴのように、世界を食い尽くして行くのかもしれない。
技術の進歩により地球が狭くなりそこにフロンティアがなくなった。拓くべき新たな地平を見つけることが出来なければ、人類の未来は一部の、より早く拡大したグローバル企業とその奴隷に二分されてしまうかも知れない*2

*1:IBMでグループ内オフショアを行う部門は当初GR(グローバルリソース)と呼ばれていた。さすがにリソースはあんまりだろうという理由で今はGD(グローバルデリバリー)と名前が変わった。あんまり度はそれほど変わっていない気がするが、このことは技術者に対する視線を象徴している。

*2:一昔前の未来史SFがみなそういう(コングロマリット的存在が世界を表も裏も操っているような)イメージをもっているのは人間の活動分析から導き出された預言であろうか。