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2008-08-10

エスカレーターの保証する基準

みなさま様々なご意見ありがとうございました。

今更ながら、エスカレーター事故 - novtan別館

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普段の通勤ラッシュの感覚ってのは通勤ラッシュだからなのかな。イベント会場では必ずしもそうではない、というのは良くわかりました。

さて、全然メーカーの責任とかそういう話をしようとは考えてなかったのですが、ちょっとそういう流れもあったので考えて見ます。

責任はメーカーにある?

今回のビッグサイトのあれをどう捉えるかは、まずどのようにしてあの製品が選定されたか、という点がわからないと考えるのが難しいですね。個人的には

  • 設計重量を偽装していない(ビッグサイト側が要件検討時にちゃんと把握している)
  • 全部の段を埋め尽くさなくても設計重量をオーバーすることを説明している
  • 設計重量超え以外の部分での部品や設計の欠陥がない

のであれば、メーカーには責任がないと考えています。逆に、上記のどこかが否定されるのであれば、メーカーの責任は重いと思います。

とはいえ、全段に乗れないっておかしくない?

機器として、必ずしもイベント会場用でないものがある(≒埋まることは想定しづらいから設計重量を下げることでコストダウンをしているものがある)だろうということを考えると、まずエスカレーターそのものに責任があるわけではありません。

が、メーカーとして、イベント会場に納入するものがそれでよいのか、という問題はあると思います。モノづくりをしているもののプライドとしてもね。

でも、東京ビッグサイト開館の平成8年はすでにバブルも崩壊しているさなか、大仕事であるビッグサイト、担当の人が「まあまあきっと大丈夫だからこの機種で行くことにしようよ。それともなに?その絶対安全な機種ってのをその値段にしてくれるの?」みたいな形で押し切られていたりして。妄想ですが。

そんなわけで

設計がおかしいとは必ずしもいえないけど、イベント会場にそんなものを入れることにした、メーカーあるいはビッグサイトあるいはその両方は何考えてるんだ!

久々にやってみたけど

やっぱりこれ以上突っ込むのは止めよう。

主張の全体を否定するのに曖昧なエビデンスを持ってくるとろくなことにならないですね。まあ、同じ構図なんだけど。

それを指摘された後、どのようにするのか、というのは重大な問題で、自分で持ち出した以上はそれへのツッコミに対する応答責任はある程度はあるはずです。そう思って考えてみたけど、そうすると自分がちょっといいすぎなのがわかる。であれば、それはそれできちんと取り下げればいいわけです。

こういった手続きを踏んで進んでいかないと、堂々巡りをしているだけになってしまう、というのはある程度身を持って示したつもりではありますが。

ひとりのため。

共有されるべき前提。その前提が共有されていないのであれば、議論にならないのは当然として、共有されていたとしてもその前提をその場でどう扱うかによって議論がかみ合わないこともあるのだろうなあ。

「みんなはひとりのため」を外した「ひとりはみんなのため」が暴走するとアレなことになる、という話です。「ひとりがみんなのためになることによってひとりのためになるべく社会を考える」がドラッカーの当初説いた経営学でした、「ひとりがみんなのためになることによってみんなのためになる」とするナチスの構想した社会を克服するべく。ナチスはドイツ社会の歴史的多様性を合理的に均一化し類的概念において一切を塗り潰しました。ヒトラーは「私たちの危機」をその切迫性を説き続けました。日々説かれる「私たちの危機」はその切迫性は現代日本社会においても他人事ではありません。「私たちの危機」において個人を単位とするネオリベ的な解があり、一方、共同体を単位とする解も、あるいは国家を単位とする解も存します。雑に言うなら。

HALTANさんへのマジレス(倫理の枷について) - 地を這う難破船

ここ最近のかみ合わない議論?を見ていて何故そうなるんだろう、と思っていたのですが、最大限両者を善意に解釈すると、

  • 「みんなはひとりのため」を外したらいかーん!全てにその視点を適用すべし!
  • 「みんなはひとりのため」は暗黙の前提!だけど物事を考るため、時にはその視点はおいておく

のかみ合わなさなんじゃないかと思った。

みんなのために人死にが出ることはやむをえない、そう思ってしまうことに私たちは後ろめたさを覚えています、それは倫理的なダブル・バインドであるのですが、資源の有限性を前提とする経済的な合理化はその二重拘束を倫理的な枷を解き放ちます。

HALTANさんへのマジレス(倫理の枷について) - 地を這う難破船

個人や人権という概念が発達してから、この問題は避けては通れないものになったのでしょう。今でこそ経済的な合理化という言い訳が必要になるのですが、かつては配分できる資源がかなり少なかったために問題外であった話なんだと思います。それが配分可能性の高まり(農業生産力のアップなど)に伴い問題とされる余裕が(主に今まで人と扱われていなかった側に)出てきた、そのことによって新たな倫理的枷が生まれた。自らに科した枷を留保なしに外すことはだから、

ただ一般的に取り扱うならそのことに留意しないと擬似問題でしかないだろうということです。あのとき「葛藤がない」と指摘した人があったのは、そのことです。すなわち、必ずしも人格的な非難でなく論点の提示であったのですが。

HALTANさんへのマジレス(倫理の枷について) - 地を這う難破船

となる。

先に示した対立は、繰り返しになりますが、前提を全てに必ず適用すべしというのと考えるときは外してみることも必要というのの対立だと思っています。そして、時には本当に限られた資源により、倫理の枷を外さなければならないことがあり、それがトリアージなどに繋がっている、と考える。sk-44さんは「全員平等に死ねば宜しいということでもまったくない」とおっしゃるし、それには同意したいけれども、時に「じゃあ平等に死ねばいいのか!」と詰問したくなる視点の押し付けがあることは否めないのではないでしょうか。

合理性をもって物事を説くときに、どのような倫理的な枷を必要とするのか。これはいよいよドラッガーを読んでみないといけないようです。

「Guidelines for the NHS」について考える

先のエントリで産科医療のこれから: イギリスにおける診療関連死への警察介入に対するガイドラインに上げられているイギリスの文献、「Guidelines for the NHS」を紹介したところ、「産科医療のこれから」さんの覚書の内容紹介が捏造だという指摘がありました。

個人的には、書いていない、というよりは、書いてある内容から類推するとそれなりに妥当性のある論理的帰結ではないかと思ってはいます。

が、まあ僕も引用元の訳に引きずられて先入観のある解釈をしているということは否めないところなので、英文が得意ではない僕ではありますが、ちょっと見ていきたいと思います。決して訳そうだなんて思っていませんので、意訳推測が中心になると思います。解釈がおかしいのではないか、というツッコミは大歓迎です。

なお、ガイドラインはガイドラインでしかないので、何故、の部分は覚書の方が本文と思い、そちらのみ。

Memorandum of understanding: Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm : Department of Health - Publications

覚書のサブタイトルの部分に「between the National Health Service, Association of Chief Police Officers and Health & Safety Executive」とあります。この文書はNHS、警察、HSEの三者間での連携を企図したもののようです。

まず、患者が適切な治療を受けるためにエラーがきちんと報告されることが大事だけど、それは医療関係者がちゃんと報告できるような開放性が必要だ、とあります。それには医療関係者個人に対しての措置が公平であることが必要ですともあります。

事件においては、個人の失敗もありますが、システム上の問題というのもあり、その調査に果たすNHSの役割は大きいとされています。

また、他の似たようなリスクの高い産業の経験上から言えば、個人が非難されることがミスの隠匿に繋がる(し、医療もそうである)、と言っている感じですね。

で、はっきりと犯罪であるようなものだけが調査の対象となるべき(This means that such investigations should take place only where there is clear evidence of a criminal offence having been committed or where a breach of health and safety requirements is the likely cause or a significant contributory factor. )とされていますが、そのために何故この手続き(というか合意?Protcol)が必要か、というと、序文にははっきりとは書いていませんね。

あれ、そういえば、forewordが序文だと思ってたけど、それでいいですよね?


さて、イントロダクションにこうあります

・ここ数年で警察の調査が必要な事件が増えている

・事件の取扱いは公正さと正義が必要

言うまでもないことをわざわざ述べている、ということは、今現在の取扱いに疑念があるからという推測がなされるところです。

もっとも、その直後にはその為にこうすべき、ということを述べていますので、そこは恨み節にはなっていません。

3のところは大事なことを言ってそうですが、最後のところのニュアンスがちょっとわからない。その後の箇条書きの部分で

3つの機関(NHSとHSEと警察)はNHSのスタッフに対して予め

・3機関の責任を明らかにする

・法令で定めるところの責任範囲を明確にする

・効率よく短時間でやろうぜ

等々述べられているので、法律を逸脱して物事を行うなよ、というニュアンスでしょうか。

そんなわけで、僕の「つまり、警察による過度の介入が医療関係者の士気を落とし、医療ミスの連鎖や逃散の原因になりかねないということは十分認識されているようです。」という書き方もちょっと過剰だったかな、と思うところはあります。

むしろ、事件がおきたとき、誰がどのように調査するのか、そもそも調査の対象とするものの線引きはどこなのか、が明らかにされている、ということが大事なのかもしれませんね。