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2008-08-15

NOV19752008-08-15

何故間違った主張を守り抜きたがるのか

明らかに間違っている主張(それもそもそもは勘違いとかの自分の落ち度が発端)を意地でも守り抜く!みたいな人いますよね。誤りを認めたほうが絶対に合目的なのに、認めたくないために泥仕合。本人は童心にかえって楽しいのかもしれないけど周りは服が汚れるから敬遠気味。結局最後まで帰らなかったから勝ちね、みたいな我慢大会?

そのうちかくれんぼで鬼の間にみんな帰っちゃうよ。

相手をやっつけることが目的になるとアホなことでも正義の力と思うのだろうなあ。

まあなんだ、僕は飲み屋で論争したら同じこと100回くらい言って勝利する自信はあるけど同じくらいの確率で酔って寝て不戦敗、表にでろ!って言われたらボコボコにされてきて勝利宣言すると思うなw

なんかそんなレベル感な。

それについてはおっしゃるとおり、で済むのに枝葉末節の勝利が重要事項になる。それが否定されると全体が否定される重要な点ならともかく、そうでないところにしがみつくと単にアホ認定されて終わるだけなのにね。

フルボッコされてもめげない根性には敬服するけど、それだけだ。

SpottSpott 2008/08/15 22:10 ちょっとした表現の仕方や力点の置き方など枝葉末節でしか対立していないのに、相手と意見が根本的に対立するものと思い込んでその相手の人に喧嘩を売っている人を見たことがあります。仲裁しようとしたらこっちにまで喧嘩を売ってきました。別にその人の主張が明らかに間違っているとは思わないんですが。
…というわけで、自分の主張が第三者から見て正しかろうと間違っていようと、相手の主張が絶対に間違っていると信じてやまない人も場合によっては面倒なものです。その人の場合、もしかしたら「相手と自分の主張が根本的に対立している」というのが「間違った主張」なのかもしれませんが。

NOV1975NOV1975 2008/08/16 01:28 結局のところ、それって自分が絶対に正しいという間違った確信によって、そのちょっとした違いまで認めようとしないってことなんでしょうね。
傍目八目ともいいますが、横から眺めていると当事者よりもシンプルに議論を解釈できて、その結果もどかしい思いを感じることもありますね。

いずれにしても、僕は事実を突きつけられたときに折れない人はバカだと認定しています。じゃあ、自分がそんなことをやらないか、というとそうでもないわけですが。
事実と認めるところにも一つ大きな壁があって、蓋然性があることを事実としてしまうか、100%でないと駄目か、とかの基準が人それぞれなんですよね。
だから、「事実を認めろよバーか」「(…でもそれ確定してないし)」ということはよくあります。でもその基準は提示するけど。

傍観者に傍観者に 2008/08/16 09:56 他人について忖度して言及している文は自分の思想の鏡
http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/08/post.html
”他方、ネット上での「論破」というのは、社会一般における「論破」という言葉の意味とは異なり、「議論の相手方から議論を継続する意思を奪うこと」程度の意味で用いられることが多いようです。”(匿名コメンテーターを批判する文脈で)
”松沢知事がブログのコメント欄に付けられたコメントに「誠実に回答」したところでコメンテータの方々が納得することはないでしょうし、また、知事もまたそれらのコメントを見た上でなおもその見解を維持しているのですから、今後いくら同じようなコメントをそのブログにぶつけられたとしても、考えを変えることは先ず期待できないでしょう。”
 僕も他人にコメントを「ぶつけられても」(被害者意識の表現?)考えを変えませんという宣言ですね。(被害者意識と言ってはいけないかもしれないので、言い換えるなら何らかの落としどころを見つけるべく議論している当事者としての意識?他人事か。)

NOV1975NOV1975 2008/08/17 21:49 議論を放棄するのは良くないですよね。もちろん、受け入れないのはありですが、受け入れない理由が合理的でない限り、何かしらツッコミが入るか、無視されるかのどちらかであって。
合理的っていっても多分説明として十分成り立っているかどうか、というレベルでしかないと思いますけれどもね。

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