批判されたら「お前は何をしたんだ」とか「お前が癌だ」とか言うのは正直萎える

当事者としての形は色々あるし、都合って物も色々あるし、自分の出来ることをやるというので良いと思うから、積極的に多数に伝える形で何かをすることはすごいなあと思うわけです。もちろん、やろうとすれば出来ることはありますが、優先順位というものは人それぞれであって。
それでも批判すべきだと思ったことは当事者能力があろうがなかろうが批判すればよいと思うし、批判された人も聞くべき意見なら聞く、そうでないならスルーする、でいいと思うんだよね。広く伝えるような形をとった時点でそこは覚悟しておくべきだと思うんだ。
だから

観客や傍観者のつもりですか?
ギャーギャー文句言って誰かが変えてくれるのを指を食わえて待ってるだけですか?
そんな貴方が癌だと気付いてますか?

http://yoshiori.org/blog/2008/09/post_229.php

なんて言い方をするとそれこそ「内輪」にならないと問題意識を共有できませんよ、という宣言をしているように見えてしまうんだよね。大体ぎゃーぎゃー言う人がいないと動かない物だってあるし、問題意識が共有できていれば、それぞれなりの動き方をすればよいわけであって。
もちろん、内輪批判だマッチョがどうだなんてのは行動の一歩手前のものだしそこから何がしかが直接生み出されるわけじゃないからそれほど意味があるわけじゃないけど。
「一緒に」を伝えたかったみたいだけど、その「一緒」は狭い一緒なんですか?問題意識を共有して、自分の会社なりで少しでも何か前向きに動いたり、学生が気にするであろう業界の話でポジティブなことを書いたり、ということは認められないのかな?
僕もサラリーマンエンジニアだし、特筆すべき技術を持っているわけじゃないけどね。どう未来を明るくしていくか、というのは少しずつこのブログでも書いてきているし、問題点を愚痴ったりもしているけど、自分が働く業界ですもの。悲観しているだけじゃダメなのは確かです。だから、そういう諸々に参加しないまでも、色々考えているんだけどな。
批判者を「癌」と言い放てるメンタルは正直どうかと思うよ。