はてブのお気に入り可視化は何かを変えるか

mixiYahoo!ブログじゃあるまいし…と思ったけど、それは観測範囲の狭い話で、mixi的なコミュニティーとして使われているかもしれないからなあ。
フォローしあうってのはある臨界値を越えたらノイズの山になるような気がする。自分の興味があるものを自分とは違うソースから持ってきてくれるからお気に入りにしているわけで、フォローしあって繋がりまくっちゃったらブクマが被りまくるだけじゃない。かといってブクマを減らすと観測範囲内から消える記事も出てくるだろうし。
そんな使い方をしてもしょうがないからねえ。コミュニケーションツールを志向したらそれだけでもウザイ。結果として多少のコミュニケーションが可能、くらいが丁度いいと思う。そういう意味では会話をするには苦しい今の100字制限ってのは良く出来てるね。

都民としては勝手に命掛けてくださいとは言えないよ都知事さん

自治体の首長としての責任というのはその職務を遂行することにあって、くだらないイベントの成否に命を掛けることではないのでレトリックだとしても失敗したら命を捨てる的な職務放棄を公言するものではありません。

私、命を張っても戦う!。とにかく抗議に行く」などと宣戦布告した。

「ホンダと命がけで戦う!」 石原都知事なぜこれほど怒る : J-CASTニュース

どうせ負けても自決したりしないんだろ?あるいは歳だから全力を尽くしたら命に関わるって?(どっかの野党の党首みたいだ)だとしたらお前もう職務遂行能力足りないから引退しろよ。
一企業との下らん争いを都の問題にするな。そんなにイベントに命を掛けたいんだったら都知事を辞任してからやるようお願いします。

iPhoneのインターフェースが直感的とかどうとか

そもそも、iPodで時計回りは下、反時計回りは上に移動するみたいなのだって全然直感的じゃないよね。あれも単純に慣れのなせるわざ。ただ、ホイールみたいなものはもうまわすしかないじゃんというのが経験上積みあがっているから、タッチホイールというちょっと新し目のデバイスも直感が働く。こういうのは形状からくるアフォーダンスと呼んでも良いと思うけれども。
iPhoneのピンチイン/アウトみたいなのはじゃあ直感的かというと、そこにあまり経験則がない以上、そちらからの直感は働かない。一方で、形状において単なる平面であるタッチパネルが何か機能を訴えかけてくるかというとそういうことも全く無い。だからピンチイン/アウトが直感的であるというのはあまり普遍的ではない感覚であろうと。
そもそもピンチって結構不自然な動作だよね。つまんで広げたらびりびりって破れそうだ。

たった一つのなんとやら

アルファブロガーの悪い癖なのかもしれないけど、「たった一つのXX」みたいな説明って大抵的外れか、そこに到るまでの大量の前提条件が無視されているだけだったりするよね。あと、特定の誰かにとって、とか。物事がたった一つのなんとやらで説明できるようなものかというと結構疑問であるわけで。
純化したり抽象化を推し進めていくと、ああ、こんな単純な捉え方が出来るんだ、という風に思えることは良くあるけれども、単純化したり抽象化したりしたときに捨てられたディテールや視点が実は大事だったりして。
だから、たった一つのなんとやら、というのは特定の、ごく限られた条件の中において、であることを注意して読みたい。