「メーデー(死語)」とか書いてドヤ顔の人がいますよ!

いや、僕だってそりゃメーデー自体はもう死語だと思うよ。そういえば子供の頃は交通機関がストで学校が休みになるかもってわくわくした(児童は登校できるけど先生が来れないしね)ものだけど、一度足りともストが成立したことはなかったけど。だからといってそれが茶番だったわけではない。最近は茶番すらない。
社会が豊かになると、ほんのちょっとの待遇改善を求めること(それ自体はとても大事なんだけど)よりも、公共の利益と言うなの「俺たちに迷惑かけんな」が優先される。ぶっちゃけ、組合に関係ない人、待遇改善(や給与アップ)に関心がない(やっても無駄)な人たちにとって、迷惑な場合だってあるよ。でもさ、それを迷惑だって公言しないことが民主主義社会に属する市民たるもののあり方でしょう。ところが。


いやいやいやいや、郊外でやれとかw面白いことをおっしゃります。
大渋滞で迷惑とか、マジでこの社会にある程度の立場で参加している人の言葉としてはあまりに低レベル。そもそも渋谷界隈にGWに車でやってくる時点でどうかしてるんだけど…郊外で遊べよ。仕事なら電車で来いよ。どうしても車が必要な仕事なら渋滞を見込めよ。

僕ちょっと最近怖いのね。こうやって、本来きちんと向きあわなければならない社会の問題を「ネタ化」して無関心を装ったり、無視したりする経営層の人間が増えてきた気がする。確かに組合(や共産党的なもの)の力は個々の問題はともかく、社会を動かすという点では落ちている部分はあるし、労働者側も無関心を決め込んでいる部分はある。
メーデー(死語)」と言われてしまうのは確かにデモ側の問題でもある。
でも、それは問題の先送りであり、地下化であり、先鋭化であり、過激化の目を育てている話でもある。このあとに「ネットでやれよ」と呟いてたけど、それのカテゴリーは違うけどひとつの帰結が在特会なんだよ。労働運動の過激化は無関心の果てにあると思うし、このままこういう状態が続くと極端な話「原発をやめさせるための原発テロ」レベルの本末転倒な結果へ帰結する危険性すらある(言いすぎだが)。
きちんと向きあって、解決の道を探る姿勢を見せないと、行き着くところは実力行使であるのは今も昔も変わらない。

遠くから見るとさ、近未来的小説で実業家が「なんだこのゴミどもの群れは」とか言ってたら後でそのゴミどもに暗殺されるフラグ的ななにかに見えるじゃない。別に個人のフラグたてを心配するひつようはないけれども、社会秩序が乱れていく予兆じゃないかという予感が怖い。

そういえば、ギリシャは極右政党が政権を握る可能性まで出てきたみたいですよ。決して他人事ではない。