ネタを見抜けないと使うのが難しいインターネットは終わりなんだろうなあ

ネタって言っても色々あるけど、特に字面通り解釈すると不謹慎なもの(皮肉、風刺含む)が特に難しい感じです。
希有馬氏の生活保護に関する銀英伝ネタの冗談とそれに対する反応 - Togetter
まあ、これがネタだってのを瞬時にわかるのは「救国軍事同盟」「グリーンヒル大将」あたりが把握できないといけないので、それを「見抜け」というのは難しいわけです。もっとも、どうみても実在する日本の団体、人物ではないのは明白なんだけど、その明白性ですら「日本の主な政治団体なんて知らない」ということで実在と思い込んでしまうことが免責されるのであればもうどうしようもないよね。
その後のやり取りも、あくまでネタ文脈がわかるように提示されているのに、その部分は多分見てももらえていない。つまり、ネタを見ぬくどころか、ネタ文脈を完全に無視して会話されている。
もはや、伐り出されたことによって文脈が失われるどころか、140字という中で必死に表現した文脈ですら無視されて受け取られる時代がやってきたわけですよ。
これは免責事項を用意しないと日本語表現は死ぬ。死んでしまう。ネタネタとして書いた、ということが明らかになることによって、「ネタになってねーよ」「不謹慎だよ」という批判はともかく、「ネタだということがわからなかった」ということから自由になりたい。たとえば、ネタ引用符を必ずつける
ネタ<〜〜〜〜〜〜>/ネタ
的な。もう見るからにつまんないけど。
でもまあ今回の事例なんかは、見てない→知らねーよそんなのネタとか言ってんじゃねーよ的な事態だろうし、そういう事態になった場合、「ネタが見抜けなかったことを認めたくない」から、字面だけを批判することでそこから逃れようとするケースなんじゃないかと思う。だとしたら、これくらい明らかにしてあげることで、「ネタとして妥当だったか」レベルの批判で済むようにしたい。

とはいえなあ。

挨拶

みたいなのみるともにょもにょするんだよなあ。