世界の労働者階級と日本のIT業界のギャップについて知りたい

なんかさ、海外組といまいち認識が合わないのは、いわゆるIT業界が日本においては大学全入時代におけるホワイトカラーの受け皿みたいになっている結果じゃないかなあという気がしなくもないんですよね。
海外だと、コンピューターサイエンスをやっている人がIT業界を目指すのが当たり前で、そうでなくてはついていけない、という話がありますが、日本では世界に名だたる(いい意味でも悪い意味でも)教育水準と、一億総中流時代を経てきたことによる格差の相対的ななさによって、結果としてホワイトカラー人口が溢れてしまい、その最期のフロンティアがIT業界だった、というのが2000年前後。と考えると、IT業界内の格差も、IT業界にいる人のレベル感の差もなんとなく実感と合っている気がします。
だから、いわゆるブルーカラー的な職業分類がされなかった。コーダー、テスター、プログラマー的な階級も作られなかった反面、プログラマーあるいはSEと名乗る人がそれだけの能力を持っていない現状も作ってしまった。きちんと役割が分化されないから、標準化を作っても一人のカバー範囲が広すぎて適応できない場合も多いし、現場ごとに役割がコロコロ変わるから効率良くノウハウが横展開できない。ユーザーもIT業界が当初持っていた人材のレベル(ようはある程度専門的学があったりトレーニングできている、あるいは頭が良い人)をイメージしたままで仕事を振ることに問題があるのがわかって慌てて標準化しようと思ってもあと祭り的な。
電脳土方を集めて仕事をするやり方を変えるためには、厳密な形でIT業界の職業階級社会を作らないといけないような気がするんだけど、それは今もう土方的仕事しかできない会社はともかく、そうでない会社にいる土方的仕事しかできない人にとっては待遇が大きく落ちてしまう問題なので、死ぬほど抵抗があることでしょう。

その点、海外はどうなんでしょうかね。デスマーチはあるとしても、いわゆる日本の電脳土方に近い人達はいるのだろうか。

人の死を食いものにすることについて

良かれ悪かれ、人の死というのは人間にとって、あるいは社会にとってイベントであることは間違いない。だから、それを目当てにした商売というものは常に存在するし、そのことを悪いというのは僕には難しい。一つ間違えば「賤業だ」という事になってしまう。それはおかしな話。ただ、人の心の弱みに付け込む悪質なものがあることも確かで、そういう点からきちんと逃れるために、人の死を扱う場合は過度に儀礼的になる。
葬儀屋みたいなダイレクトワークにおいては儀礼は十分に発揮される(いい面も悪い面も)けど、報道や、もう少し別の形でのメディアによる利用は死との距離が遠くなる分失われていくことも多い。
注:以下の発言は本人のものそのままではなく、多少悪意のあるサマリみたいなものです。

坂口   「東日本大震災の直後は日本人ってだけで世界中のネットユーザーが同情心からチヤホヤしてくれる状況がありまして」
ヨシナガ 「ああ(笑) 確かにそういう時期あったよね」
坂口   「そのビッグウェーブに乗るしかないと 便乗してやろうと」
ヨシナガ 「まあ当然だよね」

日本人が死ねば死ぬほどフォロワー数が増えておいしいです^q^

目的があって、チャンスがある。だからそれを利用する。その事自体は僕はおかしくもなんともないとは思うんですよね。ええ。問題は、それを公言してしまうこと。公言することにより、問題が出てくる。
はっきり言ってしまうと、単純にゲスいってこと。人の死を踏みにじるような発言に見えてしまうと、その利用された側の気持ちがかき回される。ようはさ、そのビックウェーブに乗った結果、利益を独り占めしました!ざまーみろ!的な見え方しちゃうんだよね。死の当事者にとってゲスいものを見せられるということはそれだけでも精神的なダメージですよ。
ちょっと元のソースが見れなくなったのでこの要約がコピーなのか書き直されてるのかわからないけど、「同情心からチヤホヤ」「(笑)」「便乗」「当然」あたりのキーワードをもうちょっと儀礼的に整理するだけでもよっぽどマシではあります。
でも、やっぱりこういうのは事実であっても公言しないほうがよいよね。日本的には。
自らを恥じるってのはいい面も悪い面もありますけれども、日本の文化の良い所だと思っています。
もし、仮に功成りとげ、いい歳になって「昔はそういうことをして〜」と述懐する分には「恥ずかしくて公言できなかったんだな、勇気のある告白だな」みたいに受け取ってもらえますけど、まあこうダイレクトに「自分は下衆です」みたいなことを喧伝するってのはもう新しすぎて困っちゃいますよね。
少なくとも、当時から恥も外聞もなくそういう意図で人の死を食い物にしていたんだな、ということが未来永劫残ることがプラスに成るとはどうしても思えないんですよ。
炎上マーケティングってのはうまく使えば面白いんだけど、こういう人の心の底みたいなのが炎上しちゃうと取り返しがつかないんじゃないかなあ。

そろそろ、ノーアクセス、ノーコンタクト、ノーバイイングって感じ?批判もネタとして喰っちゃうような奴らに一番効果的なのは無視だと思うので、次回からはほのめかしで頑張ることにします!

ごく単純な礼儀の問題として

ただ、「読みました」と言いましょう(笑) - Togetter
まあ、たまにエゴサーチして「図書館で借りたなんて言うなー!!/ブックオフで買ったなんて言うなー!!創作者の気持ちを考えろ!!!」っていう作家がいそうな気がする。
とはいえ、僕はまあ自分が仮に作家になった時にそう言われて困惑するかというとどうだろう。生活に困窮していたら「買えよ」って思うかもしれないし、そうじゃなかったら「図書館でもなんでもいいから読んで俺の作品をみんなに宣伝しろ」って思うかもしれない。そういう相手の経済事情がわからないのであれば、不快に思うかもしれないから余計なことは言わんでおこう、というのがまあ礼儀ってもんだと思いますね。

従来(というのも馬鹿馬鹿しいほどウェブが当たり前の時代が長くなって来ましたが)なかった表現者と受容者の直接接続が行われることでこのへんの礼儀というか儀礼というかそういったものを意識しないでも接続できる環境になりました。身構えというものがなくなっているというべきか。初対面の人に会うというのは一種の儀式みたいな部分があって、きちんと身構える(相手のことを考える)というステップを踏むことが多いのですが、ウェブはそういう壁も取っ払っちゃいましたね。
だから、もう一つ重要なのは、本来的にはそれほど失礼さを持たない人でもウェブでは失礼な振る舞いをしてしまう/本人が意図せず繋がってしまうので儀礼を伴わないというケースがあるということですね。

なので、ある程度そういう不幸な出会いを許容できない人は、ウェブでもリアル知り合い以外とはお話しませんよ!というスタンスを持つしかない。あくまで発信手段でのウェブを利用しているのであって、双方向コミュニケーションを企図していませんよ、ということでなくてはならない。そうじゃないのであれば、この手の失礼でいちいち凹んだりしなきゃならないので身が持ちません。
無論、繋がりたい側が礼儀を持たなきゃならないのは前提なんですけどね。単に批判/批評したいだけなら直接本人と話す必要はないわけですしね。問題の根本でないところをきちんとスルーできる人ばかりであればこんなことが問題になったりはしないのですけど。