円安急過ぎワロタ

まだ具体的にはなにもやってないのにアベノミクスだのなんだの言われているけど、期待感だけでこれだけ上がっているわけではないだろうね。
今日発表の11月の貿易収支が予想以上に大赤字だったけど、正念場はこれからで、いくら円安になったところで物が売れないと話にならない。売れないままどんどん円安が進むとインフレと財政破綻が両方きてしまう。
長期的にはもう少し円安でいいと思うんだけど、急激な変動を問題視しながら自分の都合のいい方向ではだんまりなんてしてると痛い目をみそう。

理性的であるべき層が体罰の肯定をするのはなぜか

体罰と躾のボーダーラインはどこか、というような話をし始めると結論は出ない人が大半だと思う。原始的な行動心理学に照らすと罰を与えることが行動に影響を与えることは確かなことだし、そういった行為によって人間の行動を規範的に変えることはできるだろう。もっとも、それは一般的には洗脳であると思われる。
「痛い目に合わなきゃわからない」というのは裏を返せば「俺は頭がいいからわかるけどな」ということであり、社会の正義の側に立っている確信のもとに発せられる言葉だと思う。しかし本当にそうか?例えば自衛隊に入れろとかなんとか言っている人は自衛隊の訓練によって(これは自衛隊としては必要なことではあるが)思考を方向づけられることに耐えられるのか?仮に耐えられるとして、それは矯正されたのか、それとも「誤魔化している」のか。世間に対して「正しい人間」として渡り歩いてきた人間の精神が高潔なことを保証されているわけでもない。むしろ、単に上手く世間と調整するための能力を発揮しているだけで、その実心の底では障害者や貧乏人を差別する心が満載であるケースだってある、というのはエリート層たる政治家の発言からにじみでてくることからも証明できよう。
ぼくのかんがえたさいきょうの生活保護
こういうのにも端的に表れているけれども、規律を叩きこんで矯正する、という発想は確かに効果的だと思う。戸塚ヨットスクールを擁護する人が後を絶たないのはそういうことだ。だから、問題は効果があるかどうかではないことにまずは気づかなければならない。体罰によって年間何人か自殺者が出たとしても、それによって達成される規律の向上効果のほうが総体的に考えると世の中を短期的には良くする可能性が高い。「古き良き」を言う人の大半は、成果しか見ていない。本当に見るべきは犠牲のほうだ。

僕も正直「ちょっとくらいは目くじら立てなくても…」と思うことがある。

しかし、そう思うことそのものが理性の敗北を肯定しているということに思い至った。その点においては橋下大阪市長には感謝せざるを得ない。

悲観的に見ると、理性のみを信じたことによって、非理性的な集団によって社会が崩壊する未来というのは十分有り得る。元来、国家における教育というのは人間の矯正であり、理屈がダメなら体で覚えろ、というのは社会に対して抑圧的な人間を生産するという目的だけを考えると実に効果的と思われる。

十分に理性的な層(しかし、人間一人ひとりのあり方に重きを置かない層)においては、そうでない人間というのは社会における不安要素であり、できれば排除したい。もっと言うと、自分のやりたくないことをやってもらいたい。肉体労働であるとか、戦争であるとか。つまり、人間として、社会としての喜びの共有を肯定せず、ただ生きることが出来ればありがたいでしょ、というレベルでしか見ていない。どっかの「食わせてやってるんだ。それだけで幸せだろ?」と言い放った社長(心当たりは複数ある)なんかは典型的なそれだ。農民は生かさず殺さず。

そうじゃないだろ!

自由を肯定する以上、階層はあってもしかるべきだけど、貴賎を伴う階級はあってはならない。