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2013-10-30

無宗教なのにお化け怖がる奴ってwww

いやね、僕が仮に無宗教ならお守り切れるだろ?って振られたら絶対細切れに切り刻んでやりますけどね。そんなことを言うチンピラに絡まれるようじゃご利益ないからな(ん?なんか変だ…)

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アニミズムとかそういうのを「自然信仰」と位置づけるのはわかるけどね。でも、無宗教なら夜の墓場で怖がることなんてなにもないだろ?なんてことは無いよね。お化けというのは暗がりに対する恐怖の象徴みたいなもので、僕らの心のなかに済んでいるものだとしても、それを宗教って言うか。お化け教とでも言うのか。

教義がない宗教は宗教じゃないし、いかなる教義にも伏していないけどなんとなく超自然的なものからの祟を恐れる、というのは特に日本人にとってはふつうのコトですよね。いや、それこそが宗教なんだということもあるけれども、大抵の人って「神様みたいなものがいるかもしれないし、ものを粗末にするとバチが当たるかもしれない」程度であり、そこから得られる行動規範ってせいぜい物を粗末にしないという程度でしかなくて、これを宗教と位置づけてしまうのはやっぱりちょっとね。

なお、よく法事で修証義を唱えるためなんとなく仏教徒曹洞宗)な気分の僕ではあります。お守りくらいは切り裂けますけど。

元の記事が結構スゴイことを言っている。

私は生命科学の最先端の分野で話題になっている遺伝子というものを、一度も実感したことがない。生命体としては存在を実感しない。しかし、その存在は確実に実証されている。それに対して、たとえば本を読んで感動するとか、スポーツ選手のすごい演技を見て感動するとか、そういう霊的な体験は実感できる。しかし、その霊的なものの存在は証明することはできない。

それで科学者に聞くんです。「あなた、遺伝子を実感できますか?」と。すると半分の科学者は、「実感できる」と言う。だけどこれはちょっと強弁している感じだな。私はあんまり信用していない。宗教者はこの実感のレベルで、科学に対してモノを言わなければならない。

no title

うーん…

遺伝子って電子顕微鏡で見ることができるようになってんだよね。

no title

403 Forbidden

どうもね。

宗教と科学をむやみに交差させるのってよくないと思うんですよ。宗教家が科学者と共有すべきなのは「倫理」。決して実存についての議論をする相手じゃないと思うんだよね。こういうギャップが生まれるのはどうしてなんだろう。「遺伝子を実感できますか?」という問いが完全に断絶しているよね。んなこと聞かれたら苦笑いですよ。いやらしい問いって言っているけど、こんな問い発すると宗教家が馬鹿にされるんじゃないかな…

続いてこんなことも。

上田:宗教的な感覚は持っているが、それは宗教ではなくて、単なる習慣としてやっているのだと考えている、その二枚舌。そこらへんから攻めていく余地はまだあると思うんですよね。やっぱりどんな子でも、家でエロ本を見るときは仏壇を閉めるというから(笑)。

no title

聞いた話ってのをそのまま普遍的な話として展開していくのもやっぱり科学とは相容れない何かですよね。

上田:単にヘンなことをして、人に見られて恥ずかしいというのではなくて、ご先祖様から生をいただいている私としたことが、こんなバカなことをしてしまって恥ずかしい。つまり、誰も見ていないけれども、世界視線からは見られていて恥ずかしいことをしてしまったという、より大きな恥の感覚がある。

それがどんどん縮小していって、経済人や政治家までどんどん縮小していって、また団塊の世代というヤツらが縮小していった(笑)。

山折:はっはっは。

上田:団塊の世代は本当に世界視線がないですよ。(以下略)

no title

仏壇なければオッケーという間隔もよくわかりません。世界目線からみて恥ならそもそも仏壇がどうとか関わらずしないよね。お前エロ本見たこと無いのかと小一時間…

うん、この人どうもいわゆる日本的宗教観を骨の髄から体現している人のような気がする

山折:それはやっぱり3つの問いにいくんですよ。さっき宗教を信じるか信じないかという話が出ました。やっぱり西洋の一神教的世界においては、神、あるいは神と類似のものを信じるか信じないかが重大な問題なのですが、多神教的世界における日本人にとっては、信じるか信じないかではなく、神々の気配を感じるか感じないか。「感じる宗教」なのです。

「信じる宗教」と「感じる宗教」を分けて考えると、日本人の心のあり方がよく理解できる。山に入れば山の気を感じて、そのかなたに先祖を感じたり、神々や仏たちを感じたりする。お守りをズタズタに切ることができないというのは、たたりがあるという深い深層心理が働くからでね。

何か悪いことが現実に起こると、それは何ものかのたたりだと。神々のたたりだ、死んだ人のたたりだ、生きている人間の怨念がたたりになる。それを気配として感じる。そういう鋭敏な感覚が、逆にわれわれを育ててきた。気配の文化と言っていいかもしれない。

それが日本人の宗教感覚、宗教意識なんだ。と、本当はこういう教え方をしなければならない。それはもうすでに鈴木大拙が『日本的霊性』(岩波文庫)で言っている。

no title

ここまで来るともうよくわかんないんだけどさ、こういう説明をされちゃうと科学が宗教に取って代わって全然OKだと思うんですよ。祟を恐れ、悪魔祓いをする、というのは宗教の要素の中でもかなり特殊な領域の話であって、宗教の一番大事なところはどう死に向き合い、結果としてどう生きるかの規範を示すところだと思っている僕としてはこれを宗教感覚、意識なんてものと考えることは難しい。

祟にしろ、お化けにしろ、自分の心の平静を保つための方便の一つでしか無いので、これを信仰の問題として強く打ち出している宗教って大抵ツボ買わせたり高いお布施を要求したりとか言う奴になるよね。

日本の治安のよさは、この二大教団が非常に大きな役割を果たしていると思っています。単に警察が優れているからではない。しかし、それは誰も言わない。批評家も政治学者も言わない。

no title

これも怖い話よね。ひっくり返せばこいつらが本気で動いたら日本の治安は壊滅的になるって話でしょ。そりゃまたちょっと違う気がするけどね。

モラルとしての宗教、生き方の拠り所としての宗教ってのは大事だと思うんだけど、どちらかというと宗教側の立場の人に「ヘイヘイお守り切ってみろよ」とか言われると「あれ?宗教って頼って大丈夫かな」とかいう気分になっちゃいますね。

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