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2015-08-10

老害批判者が老害になる時

内容はともかく言葉の選択がもうアレ。

で、かつての老害批判者自身が老害の域に達したことに気づいたら自らをどう処すのか。老害と言われるものはみな自らが老害であることに気づかないから老害であるという真理に照らすと悪化の一途を辿るばかりか。

2015-04-14

「正しい答え」が正しくないこととロジックの大事さについて

ググる先生が教えてくれるのは答えだけである、という僕の知っている真実については考慮不足のところがあった。もともとこの言葉は答えに至る思考であるとか、答えが答えである理由であるとか、そういった部分のほうが大事であることを戒める言葉であるけれども、答えは答えだけでは正しくないのみならず、問いかけに対する答えが正しくても目的に対しては正しくないことはあるのだ、ということがもっと大事だった。

ネットで薬の知識を頭に詰め込んで来院される患者さんには、この、『自分が知っていること』と『自分が知っていると思っていること』の区別がついていないタイプがかなりいるようにみえます。自分がネットで仕入れた知識をありがたがるあまり、どこまでネットに載っていなくて、どこまで自分が知らないのかには無自覚な人が大半ではないでしょうか。

ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない - シロクマの屑籠

そうだよな。

知りたい、と思うことの範囲は何を目的にしてそれが知りたいかに左右される。そもそも目的自体が正しく設定できなかったり、目的に対する適切な問を発せない場合に知りうる答えは限定され、目的に到達しているのかどうかも判断できない。そして、専門家というのはそれができる人のことをいうのだと思う。

素人が専門家に多少なりとも近づくためには、まず専門家のロジックを知ることであるし、そこにある情報の取捨選択だけではなく、範囲を必要十分にすることだよなあ。

特定の事象について、専門家より詳しい素人というのは存在する。で、専門家に対して自分がより詳しいことをもって信頼に値しないと判断してしまうこともある。だが、大抵の場合はその専門家が知らない事象は取るに足らない事象であり、あるいは枝葉末節に過ぎ、その他の広範な知識と専門家としてのロジックに裏付けられた知恵にまさるものでは全くない。ましてや、その事象そのものがインチキであり、知る必要のないことが明確なものであった時、その事象に対する知識を持たないことがどれほど専門家の信頼度に関係するというのだろうか。

というようなことを考えると、ネットというのは賢者の天国、愚者の地獄なのかもしれない。

2015-03-12

もうほっとけよ…

「あーこりゃアウトだわー」と、時々思う。思ったらいないことにするのが僕のジャスティスである。

だってねえ。

なんだけど、お節介にもお前が如何にアンタッチャブルであるかとドヤ指摘しちゃう人がいるんだよな…

だから触っちゃダメなんだって…

2015-02-27

殺伐としたWebの住人として

んー、まあ罵倒は良くないよね的な、原則的な話はもちろんあるとしても、罵倒や揶揄をしたくなってしまうこともあれば実際にしてしまうこともあるし、それがいいことだとは必ずしも思わないけれども、断罪すべきこととは思っていないので、これからも少なからず罵倒表現をしてしまうことは避けられないんだろうなあと思う自分が居るわけですよ。

放射脳とかね。

非建設的な結果に終わることも多々あると思っているんだけど、それも含めてウェブなんだろうなあと思ったりもしていて、ただ、罵倒する相手が実名ばかりになるような今日このごろ、難しいなあと思ったりはする。罵倒相手が匿名だったらリアルの名誉を傷つけることを多少なりとも避けられるとは思いますが、最近ねえ。

2014-11-20

ヨーゲンvs安田で起こったことと匿名性の有り様について

匿名問題ブロガーだったからね。言及はしておこうかと思う。

安田浩一氏の「ヨーゲン」記事に見る正義の暴走について : 人類応援ブログ

この記事をどう見るか。僕は別にこの件を正義の暴走とは見ていない。これは私刑でもヘイトスピーチでもないと思っている。いわゆる、ネットの暴走問題というのは、相手のパーソナリティーではなく、プライバシーを暴くことだ。もっとも、今回の件がプライバシーの域に触れているという見解はあるだろう。僕はボーダーラインと見ている。

ヘイトスピーチだろうがなかろうが、ウェブであろうがなかろうが、社会に対して(それは他者に対して、というのとだいたい同義だ)何か働きかけをすることは繋がりができることではあり、真の匿名性はありえないし、一方である程度の壁を意識した活動もできる。全ては、人間関係に基づくリスクに依存していて、大過なく過ごす人の大半は、深い恨みを買うことなく日々を過ごしているのだろう。

防御力は必ずしもその必要性と比例していない。当り障りのないことを書くのにもTorを使う人もいれば、犯罪に当たるようなことを実名で書く人もいる。たいていのことは、意識的な防御力の行使によってやり過ごすことは出来きるけれども、自分自身はこの程度は大丈夫だろうと高をくくっていても他人がそう思ってくれないことによって、実は防御なんてマキビシを撒いているだけのようなものでしかないことにようやく気づく。

執拗な追跡と取材にかかれば、ウェブから人格を割り出すことは容易であることがほとんどだ。労力という観点で考えると容易というのは語弊があるかもしれないが。

もはや実名で堂々とヘイトを書き連ねている人が珍しくない現在において、匿名のスピーカーになどどれほどの価値が有るだろうか、と思わざるをえないのだけれども、人を呪わば穴二つであり、匿名であることが自分を守ってくれていると考えているのであれば、それは浅慮であったと言わざるをえない。ましてやそれが他人の恐怖を煽るものであれば尚更。