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2013-05-11

ウェブ自意識肥大症の治療について

ウェブで活動する難しさは、一見客観的に見える評価の指標(例えばブクマ数)があってそれを自己の正しい評価と勘違いしてしまうようなこと。それだけではなく、過去のそういった栄光を盾にとって「俺はスゴイ!偉い!俺を評価できない人は視野が狭いかアホかだ」みたいになってしまう。観測範囲中に何人か罹患していると思しき人がいる。

「やればできる(けどやらない)」というのは「明日から本気出す」と一緒で強がりにすぎないし、「俺が評価されないのは周りのせい」と唱えてしまうのも同様なんだけど、自己防衛本能もあってついついそう主張してしまうのは仕方がないことではある。

でも、そこで自分に向き合わないと成長はないよね。ところが、変な成功をしちゃった人はそれができずに「できるはずの理想の自分」に対する自意識ばかりが肥大していく。

以前、成功体験では人は救えない - novtan別館という記事を書いた。とはいえ、自分自身の成功体験が自分を成長させるきっかけになることはよくある。僕がラッキーだったなあと思うのは、まず大学時代、数々の障壁はあったものの、その世界のアマチュアでの最高の結果を出した。一方で、プロとアマチュアの違い、自分の才能についての限界、研鑽するための時間のなさなどがはっきりわかった。僕にとってそれは決して甘い成功体験ではなかった。ものすごい達成感の一方で、その成功は刹那のものであって、しがみつく栄光ではないこともわかったから。

こんな記事を読んだ。ゲームにおいて、「上を目指す」という欲求から逃げている、という話: 不倒城

これは、ああわかるなあ…と思わされた反面、どこで線を引くべきことなのかということをもう一度考えたくなる話だった。例えば、僕はその「成功から得た挫折」について、もっと真面目に向き合ったのかどうか。

答え:趣味なんだからまあいいか

本当か?もっともっと上を目指すことはきっと可能だし、人生において、それを行うことは楽しみの元なのではないか?

僕は本質的にはそれほど集中するたちの人間ではなく、非常に散漫に、いろいろなことをやってしまうのであるから、気質としてそれ以上を目指すことは難しかったのだろうとは思う。もっとも、今、(ちょっと別のジャンルではあるが)壁に当たっていて、真面目に時間を費やす気分になっている。もっとも、仕事のせいで果たせていないというまずい状況ではある。

さて、自意識の肥大を抑制するためにはどうしたらよいか。いや、肥大しても良いのだけれども、そのために必要なのは、それに見合う自分になることだ。僕はそれを諦めた結果として、「欲」に対して行動を伴わせない選択をしてしまった。それは諦めでも有り、敗北でもあるのであるけれども、それを受け入れることは次に踏み出すための原動力になる。実力を伴わないまま自意識だけが肥大するとどうなるか。非常に醜い自意識のお化けになってしまう。自分を客観視できないのが肥大の原因であるとしたら、客観視できるようになるしかない。しかし、それこそが自意識肥大症の人が最も恐れることなのだ。多分、強制的に自分を振り返らせたとしても、しがみつく過去の栄光がある限り、そこに依存してしまうだけだと思う。

荒療治と考えると、もっとも効果的なのは「無視すること」であると思う。

ところが、そういう人って遊び道具としては面白かったりする。あくまで道具、人扱いされない。なので、ネタにされ、からかわれ、アンバランスになった自意識はそれを自虐ネタ的に昇華するか、自分を理解しない世間に憤ってみたりするしかなくなる。残念ながら、そこで活動を続けながら治療するのは不可能だろう。

であるならば。今すぐウェブから自らを遮断するんだ。ウェブがなければこんなことは起きなかった。世間に受け入れられない自分の能力の限界を知ることもなかった。ウェブなんて所詮虚構の世界である、といえるうちに退散するんだ。実績のない一人の自分になった時、それでもなおそこに自意識を感じなければならないのであれば、失敗して餓死する覚悟でその世界のみで生きることを選択するんだ。

僕は自意識競争の敗残者である。適度に人生を楽しむ分には、そのくらいがちょうどいい。

2013-05-10

新興ウェブメディアの耐えられない軽さ

NHKを退社した堀潤氏が創設した8bitNews(名前がダサい)、黒船来襲的な勢いがあるかと思ったらなんだかオーマイニュースの空気感が漂うハフィントン・ポスト(今なお人の名前がついているあたりがなんとも)と、新興メディアが話題になっている昨今です。と言っても、「え?この人達大丈夫?」的な話題が先行しているというところが残念なんですけどね。

8bitNewsなんて、

誰もが一次情報発信者になれる時代。既存のマスメディアによって濾過された情報とは対局にある発信がそこにある。

8bitNewsとは? – 8bitNews

なんてうたっちゃってます。ウェブ黎明期のメディア批判は主に捏造・誘導・隠蔽についての批判が多かったと思いますが、「きちんとした取材」「デマの濾過」という機能について否定されていたわけではないんですよね。ただ、問題のほうがクローズアップされがちだし、実際に問題が起きた時の責任をきちんととってないことからの信頼性低下なんていうところがポストマスコミの必要性をみなに感じさせたわけです。

ところが、無濾過で情報発信してメディアを名乗ろうとする8bitNews。これは根本的なことがわかっていない(NHK出身にしてはね…)という評価をせざるを得ません。誰でも情報発信できる時代、あえてメディアを名乗るサイトを利用しなくても情報発信できるわけですから、メディアと名乗るサイトが果たす役割はそれが一般の参加を企図しているのであれば、いわゆる「デスク」でしょう。

既存マスコミの問題点としてみんなが抱えているのは例えば広告の問題、思想の問題などによってあえて報道しなかったり、あらぬ方向への誘導を行ったりすることへの不満などですよね。そういったバイアスのかかっていない視点がほしいのは確かなんですが、だからといって明らかな嘘や知識不足・勘違いに基づく誤った情報なんてのはいらんわけですよ。もっというと、そういうのに騙されやすい人に対してそれを提示しないことも一つの役割なわけです。垂れ流しでよしとするのは単なる動画投稿サイトでしかなくて、メディアを名乗る資格はないんじゃないでしょうか。

一応問題になるようなものは削除しているらしいけど、後付ではなくて、サイトとして載せるべきもの載せないべきものの判断基準を明確にした上で、筋が通った対応をする、という手続きを作ってほしいものです。

一方、ハフィントン・ポスト。これはまだまだよくわかりません。逆にコチラはフィルターをかけるのに手間取って寄稿が掲載されないという声が沢山聞こえてきます。もっともこっちのほうがその点健全かとは思いますが

元々ゴシップ誌的な要素からスタートした本家ハフィントン・ポストは政治力が無視できないレベルの存在になっています。メディアとしての成功は取材力に基づいた信頼出来る記事の掲載が基礎となるべきかと思いますが、日本語版には今のところまだそういう空気を感じないですよね。単に個人ブログの記事の集積みたいな感じで、特段メディアとして何かを提示しているようにも思えない。

それ以前に、「ハフィントン・ポスト」で検索して今日現在Googleさん検索結果に日本語版サイトが出て来ません(あるいはだいぶ下の方?)

かつてのオーマイニュースの失敗は鳥越編集長の責によるところが大きいとはいえ、悪質な市民記者を排除できなかった問題も大きいわけですね。8bitNewsは今の時点ですでにその二の轍を踏もうとしています。

組織の力ってのは想像以上に大きなものです。「メディア」として市民を組織化する試みが失敗してきたのはそれが組織ではなく目的を共有しない烏合の衆だからという部分は大きい。新興メディアが「単一の」メディアを目指す必要もないわけだから、それぞれのメディアは思想をはっきりと定義し、それに見合った人材を実績も踏まえた判断により採用し活動してもらうというのが必要なんだと思います。こうやって力をつけたメディアが沢山ある、というのが理想的です。とにかく素人の投稿を集めてさも既存メディアが語らない真実があるかのように提示するジャーナリストごっこをしている限り、ゴシップサイトの域を脱することはできないと思いますし、仮にそのまま力を持ってしまったら(ユーザーが思っているほどは力のなかった)2ちゃんねるよりも悪質なサイトになってしまうこと請け合い。少なくとも教育機関からのアクセスはフィルタリングすべき、というレベルに今はあると思っています。

もっとも、だから潰れてしまえ、というわけではありません。理念自体は素晴らしいと思うので、仕組みを伴わせて欲しいというのが僕の願いです。

2013-05-07

Gunosyがはてブ依存から脱却するために

思っていたよりも各所で話題になっていてGunosyにとってはプラスの面もマイナスの面もあったかなというこのGWでしたね(関係者っぽいw)。

僕のエントリはわりかしGunosyに好意的だと自分では思っていたんですが、そうでもないのかな。そもそも僕自身ウェブでのリコメンドシステムというのがあまり好きではないため、自分では使うことはないかなーと思いつつ書いているのがいけないのかもしれません。

リコメンドシステムそのものが嫌いか、というとそういうわけでもなく、例えばタワーレコードとかに行って熱い(暑い?)ポップがあったら試聴してみるじゃないですか。オススメってのは魂の共有なんですよ!大げさだけど!ジャズコーナーいったら普段歯牙にもかけられないビッグバンドのCDにやたら熱いコメントがされてて「そうは言うけど百戦錬磨の古強者である俺様を満足させられるCDなぞ生半可なビッグバンド愛の持ち主じゃないと推薦することは不可能だぜ」とか思って試聴して悶絶したいじゃないですか!

オススメってのがどうあるべきかは結構議論の分かれる所ではあると思います。そんな暑っ苦しくなくていいんだよとか。あえて「キュレーション」って言葉を使うのであれば、それがアルゴリズムの成したものであったとしても、そういう背景が欲しいと思うわけですよ。

コンピューター将棋の世界では開発者のロジックからコンピューターの学習にアルゴリズムが切り替わってから世界が変わりましたけれども、人の嗜好にアダプトするのはそう簡単ではないですよね。はてブなんて非常に偏っていると思うし、個人の嗜好を把握するには膨大な積み上げが必要。アルゴリズムを適用するにしてもインプットをどれだけストックできるかの勝負になってしまう。だからその土俵ではなく「いま話題の」にフォーカスするためにソーシャルメディアを活用する、というアイディア自体は悪くありません。

ただ、それだけで終わってしまうのであればつまらない。

はてブの観測範囲ってのは、実は結構狭くて、世間で話題の出来事があまり拾われないこともありますし、ニッチな話題はいかにはてブユーザーにその関心ごとを持つ人がいるかにかかっています。だから、はてブのサブセットになってしまっているGunosyってのは観測範囲が狭くなりがちという世間一般にオススメできない弱点があるんですよね。

この壁を越えていくにはやはり「オススメとはなにか」をもう一度定義し直すことが必要なんだと思います。どうせ一日遅れるんだから、サービスとしては自動にこだわらないというのも必要かもしれませんし、旬を意識しなくてもいいネタを適度に配信することもあっていい。ニッチな嗜好についてはそれを持つ利用者からのフィードバックを貰うとかいっそ非常に狭い範囲のキュレーターになって貰うとかそういう部分も取り入れて、良い感じのサービスになればいいんじゃないかなあ。まあこれは僕の個人的な意見。いろんな道はあると思う。とにかくはてブの(結果的)サブセットである現場からの脱却は急務かと思います。

自動にこだわるなら、一刻も早く仕組みの構築をしなければならないと思うのです。もう開始からだいぶ経っていてできていることがこれだけ?というのはスタートアップとしては実に危ういし、もうちょっと明確なビジョンがほしい。

来年の今頃、「2013年に終了したサービス」として語られないように頑張ってほしいものです。

2013-05-06

いまさらGunosy叩いている人って情弱なんじゃないの?

幸い僕は多数のキュレーターを抱えておりまして、自分好みの記事を見つけるのにそれほど手間がかかるわけでもございませんし、自ら発見した有用な記事については僕の側から展開することもありますね。まあはてブのお気に入りとお気に入られなわけですが。

とはいえ、きっかけは仕組みに対する指摘

つまりは「はてなブックマークの再編集サービス」に過ぎない。

それ以上でもそれ以下でもない。みんなが夢を見ているような夢のAI(人工知能)システムとは程遠いのだ。

Gunosyのレコメンドエンジンの仕組み解説 - ベンチャー・アンダーグラウンド

まあ夢見ている人が情弱よね。

でそこから派生的に非難がたくさん上がってきてますね(一部擁護もありますが割愛)

[Gunosy検証] やっぱり全部はてブだった&流用の痕跡もあった - NAVER まとめ

検閲?Gunosyが自社批判記事を一切配信しなかったことが判明 - NAVER まとめ

Gunosyという情弱御用達サービスについて

近い将来、Gunosyが私達から奪うもの

みなさん、Gunosyに夢(というほど大げさでないにせよ)を見ていた感じはします。

でもさ、そもそもGunosyの問題はそんなところじゃないんだよな。それなりにホッテントリになる記事を書いているサイトの人はみんな知っていると思うけど、Gunosyって次の日にならないとアクセス来ないんだよね。キュレーションって言ったって人気の記事が配信されてくるのであればその速報性は目的によっては非常に大事になってくる。もちろん、興味が有ることについてであればどんなに遅くなってもコツコツとやってくるのが嬉しい(科学系とか分析系の記事の賞味期限はそれなりに長い)んだけどさ。話題のこのネタを!という点ではちょっとのんびりしたツールではあるよね。

ただね、ツールとしてそういった部分の有用性は実際にはあまりないにしても、「そもそもそんなにたくさんインプットしたくねーよ」という向きにはちょうどいいくらいのツールですよね。

今更ながらだけど、はてブのトップページは魅力的になったと思うんです。というのは、僕はほとんどお気に入りしか使わない人で、情報のフロー的な要素においてはそちらで十分なんだよね。なので、「こんなネタがいま注目ですよ」というのをつまみ食いするにはあのトップはちょうどいい感じになっている。あんまり見なかった増田も目につくようになったし(こっちが目的じゃないかと勘ぐるくらい)。

Gunosyを見ている人がはてブトップを見たら「あれ?Gunosyっていらないんじゃ…」って思ってしまうのはしかたがないことだと思います。ええ仕方がない。

で、Gunosyの中の人が見解を出してきたわけですが…

1.Gunosyは、はてブの再編集である/アルゴリズムなど存在しない?

結論から先に言わせて頂きますと、そんなことは無いです。ただ、我々のアルゴリズムの未熟さにより実際にそういう風に見えてしまう部分はあると思います。

現状、以下のフローで配信準備を行っております。

・前日にFacebookTwitterでの話題に上がった記事や各種RSSなどから収集

・ユーザー様のtwitterやFacebookの行動や登録後Gunosy内でのクリックログからユーザーの特徴を解析し、その特徴にあった記事をスコア付けし推薦

Gunosy blog - ここ最近のGunosy関連の批判についての所感

ちょっと待ってtwitterやFacebookの行動分析されるの?まあいいか。このアルゴリズムって、実のところ全然夢がないのよ。少しでも話題にならないと見つからないんだから、ニッチな感心事については全然配信されないわけですよね。

らにスコア付けの際、ユーザー様と記事の関連性の高さに加えて、記事の最低限の質を担保するためtweet数、like数、はてなブックマーク数なども考慮しています。なぜかというと、「興味有りそうだったから読んでみたけど、内容が薄かった」というような体験を減らしたいからです。その結果、記事にはてブが付いているものが多い、というところに帰着する理由があります。そのためホットエントリをそのまま流用しているという事実はまったくございません。

Gunosy blog - ここ最近のGunosy関連の批判についての所感

結果としてホッテントリになるよねー。そのまま流用というのとなにが違うかって言うと一応他のソーシャルメディアの人気も考慮するよねーというぐらいの話で。そういえば、はてブもいいねもRTも多かった記事はGunosyからのアクセスが結構あるけどそうじゃない記事は来ないことが多いねー

まず一点申し上げたいこととしては弊社のアルゴリズムは存在するということです.

過去にアルゴリズムによるスコアリングによる配信と,まったくランダムな配信による比較を行った結果,クリック率に3〜4倍の違いが確認されております.

Gunosy blog - ここ最近のGunosy関連の批判についての所感

うん、まあそうだろうね。たとえそのアルゴリズムが単に「どうホッテントリからフィルタリングするか」に過ぎなかったとしても存在はするよね。

批判が配信されなかったことについては

この件関しては、素直に申し訳ないと思っています。事実と異なる内容を配信してもユーザー体験を損なうと判断してしまったのですが、事実と異なるかは読者が判断すべきであり、全面的に我々が誤っていたと思っております。大変申し訳ありません。以降メディアとして情報を扱っていることに責任感を持ち中立に扱いたいと思います。

Gunosy blog - ここ最近のGunosy関連の批判についての所感

まあそんなものじゃないかな。

Gunosyのアルゴリズム云々というのはそもそもの話としてソーシャルに乗っかっているのが前提だ、というのはある程度わかって使っている人には当然の話だと思うんですね。だってさ、そうじゃなかったらなにをインプットに分析するのさ。こういうものの一次解析をするのはやはり検索エンジンを持っているところが非常に強くて、次にソーシャルを抱えている人たちが強い。こういうサードパーティ的な立ち位置で分析を行うためにはやはりそういった部分での結果をインプットにしていくしか方法がないんだよね。はてブのソーシャル性ってのはそういう点で若干異質な部分があるんだけど、そのおかげもあって、いいねや検索順位にとらわれないデータが得られている。逆に言うと、はてブに乗っかることなしに外部からのキュレーションを行うのはほぼ不可能なんじゃないかというのが日本のWebの現状だと思うんですよね。はてなスゴイ。

Gunosyが独自の世界に行くためには「人気の」から脱却しなければならないと思うんですよ。そのためには記事を収集し、解析するための膨大なコストが必要になってくるから今のままでは到達不可能でしょう。かと言って、はてブのサブセット的なままでマネタイズなんてした日にゃはてなユーザーから批判が殺到することだってありえる。いっそはてなと提携しちゃえばいいんじゃね?

最近ITproにいくと「この記事読んだ?」ってリストが見れるのね。はてブに足りないのはこれ。逆にキュレーションして欲しいのもこれ。それだけじゃないにせよ、まだまだ単に「人気の記事をあなたの嗜好に合わせて配信!」以外にも満たされたない分野がたくさんあるんですよ。はてブやTwitterってどうしても情報が流れていってしまいやすいし、いいねはバイアスかかりすぎてて信用ならんし、という意味でイマイチ。ぐぐるさんの「もしかしてこれかも?」の配信版みたいな?やるにはリソースがたくさん必要そうですけどね…

てなわけで、今更Gunosyがはてブパクリとか言っても意味ねーなーという話でした。

最後に、ちょいちょいタイトルだけはおお?と思うイケハヤ師のご高説を紹介。

Gunosyが画期的なのは、「アルゴリズムによってあなただけに最適な記事をお届け」というカスタマイズ性と、「毎日1回、ニュースをまとめて届ける」というパッケージ性の2点です。

「Gunosy」にあって「はてブ」にない魅力:パッケージ性 - ihayato.書店 | ihayato.書店

あれ、ふつうのコト言ってる…最適が全然最適じゃないという事実とか画期的は言いすぎという点はおいておくと、カスタマイズ性とかパッケージ性というのはそれなりに意味のあることだと思っています。

ただ、僕が昔から主張していることなんですけど、「関心事のみ」をインプットにしてしまうのはあまりよろしくないと思うんですよね。新聞に僕が一定の価値を認めているのはその取材に因る情報ソースとしての存在もさることながら、幅広い話題を押し込んでいることにあります。なので、Gunosyを使うことそのものが自分の幅を狭くしないような形で発展していって貰いたいものです。使わねーけど。

2013-04-23

批判と嫌がらせ、コンビニ店長の場合

書き手の端くれとして、観測範囲中最も嫉妬する相手、コンビニ店長。何が悔しいかって持ちネタの破壊力とその調理法。一度エントリを書くや瞬く間に大量のアクセスを集める。まあ面白いからねえ。妬むものが出てきてもおかしくはないわな。しかし、引っ越してもすぐまたたくさんのアクセスを集めることだろうね。僕なんてここから離れたら0スタートなんじゃないかという恐れを抱いてしまう。引越し宣言前の記事が僕の記事への言及スタートだったのも何かの縁。また会いましょう。

で、きっかけは増田の執拗な粘着(執拗でない粘着など粘着ではないが)であったわけだが、あれは批判か嫌がらせか。難しいんだよね。客観的に正統な批判、というのがそもそも難しい。「アレが嫌いアレがダメ」の範疇にとどまるのであれば、それが事実に反しているのでない限り、単に嫌がらせとは言いがたい。でも気に食わないものを叩くというのはその内容が正当な批判であっても悪意が入りやすいし(ご多分に漏れず、僕自身もね)、その悪意の部分だけを抽出して中傷だ、ということはできると思う。

でもそういうこまごまとした感情的な部分も含めてコミュニケーションなわけだし、客観的な批判のみが言説として受け入れられるのであれば世界はもっと平和でつまらないものなんだとは思う。そうはいっても、ウェブで文章をものす資格が「打たれ強いこと」であるのも面白く無い。そうすると形成されたコミュニティー対誹謗中傷みたいな構図が生まれ、対抗言論的な「俺のXXに手を出す人非人は死ね」的な言動は出やすい。これを個として捉えると多分にダブスタと理解されやすいけれども、コミュニティーの内向け外向けの行動と考えるとそうではないことがわかる。ただ、どっちの言動もオープンになる結果として区別がつかないだけ。

嫌がらせをしたら嫌がらせが返ってくるのは道理だし、それに対してダブスタだ、という対抗言論?は有効性がないと思うんだけどね。