ブラウザシェアはサイトで偏る

MicrosoftWebブラウザでもシェアを落としている。IEのシェアは、2007年初めには80%近くあったが、2007年末には76%台に下がり、2008年2月に75%を切った。一方、オープンソースFirefoxMozilla Foundation)は11月、20.78%を記録して初めて20%台に突入した。AppleSafari、米GoogleChromeも11月、シェアを増やし、それぞれ7.13%、0.83%となっている。

Windowsのシェアが初の90%割れ、IEも70%切る-米Net Applications調べ

当blogは、Firefox 48%、IE 36%、Opera 5.4%、Safari 4.7%、Chrome 4.6%という戦慄のブラウザシェアでお送りします。

文字コードを定めても使われなければ意味がない 補足

最強なのはコレ。U+23B2 SUMMATION TOPとU+23B3 SUMMATION BOTTOMのコンビ。

ちょっとマテ、と言いたくなる。なんでシグマの上半分と下半分を分けた文字なんか作ったんだよ!

文字コードを定めても使われなければ意味がない - プログラマーの脳みそ

この文字なんだけど、Unicode一覧 2000-2FFF - Wikipediaを見れば分かる通り、Unicode3.2で追加になった文字であることが分かる。

2002年3月 Unicode 3.2 ISO/IEC 10646-1:2000の追補Amd.1に対応。JIS X 0213正式対応
Unicode - Wikipedia

このへんを丹念に調べれば分割シグマの元ネタがわかるかもしれない。ブロック的には

U+2300-23FF Miscellaneous Technical その他の技術用記号
Unicode - Wikipedia

の部分に該当する。技術用…?

んで、この謎の分割シグマなんだけど、ブクマコメントでは以下の考察が指摘された。

Σを上下に分けたのは、計算式を書く人のためじゃないかな?皆が皆パソコン知っているとは限らないんだし。

来年日本でも出るAndroid携帯ようじゃないかな?自作アプリで絵文字扱いやすくはなると思う。

まず、計算式用に分けた説なんだけど、シグマ記号の使い方を考えた場合に、2段に分割される意義がない。

上はWikipedia総和 - Wikipediaからひっぱってきた数式だが、ご覧のとおり、数列の和を表す記号なので??aとか書けばよくて、2段である必要性がない。敢えて言えば分数になるときに2段だと便利そうに思えるのだけど、実際には分数用の横線を引けないので文字だけで表現したければ3段必要になる。

そして、このシグマは部分和の場合上限のnと変数と初期値を表すi=mといった部分が必要なのだけど、この記号ではそれが表現できない。つまるところ、数式を書くのに使うことを考えても、どうにも使えない代物なのである。なので、「計算式を書く人のため」という説はちょっと説得力を持てない。

また、2002年3月時点での追加ということを考えると、Android携帯用というのもちょっと考えにくい。繰り返しになるが、シグマの右側部分の数式は2段になることで書きやすくなるような性質のもではないし、部分和の際のnとかi=mとか書くこともできない。

とうぜん、2002年というのは相応のマシンスペックを持っている時代であるから、わざわざAA的な書き方をするための文字を新たに追加するという必然性がない。すでにプロポーショナルフォントが普及して久しい時期だし、数学屋さんはLaTeXとか使っていたはずだ。*1

そんな分割シグマをわざわざ2002年3月という時期にUnicode3.2で追加したという意味が理解できない。謎は深まるばかりである。

*1:友人に数学屋の人がいて、当時そんなことを言っていたのを覚えている。

存在が謎な文字

存在が謎な文字と言えば、U+26A2からの一連の文字だろう。DejaVuフォントだと表示できるっぽい。


ところでUnicodeはより多くの状態を表す文字があるようです:

U+26A2 DOUBLED FEMALE SIGN (lesbianism)
U+26A3 DOUBLED MALE SIGN (male homosexuality)
U+26A4 INTERLOCKED FEMALE AND MALE SIGN (bisexuality)
U+26A5 MALE AND FEMALE SIGN (transgendered sexuality)
U+26A6 MALE WITH STROKE SIGN (transgendered sexuality)
U+26A7 MALE WITH STROKE AND MALE AND FEMALE SIGN (transgendered sexuality)
U+26AA MEDIUM WHITE CIRCLE (asexuality, sexless, genderless)
U+26B2 NEUTER

性別のISO標準。 - Hole In The Wall

この辺、染色体異常などを表す生物学的な記号なのか?と一瞬疑ったのだけど、どうもそういう情報もかからないので勘ぐりすぎな気がする。普通に解説されているlesbianismとかmale homosexualityとかの意味どおりなんだろう。

ニコ動でこのあたりの記号をコメントしたりしてもUnicode 4.1からの文字なのでほとんどの人は表示されないと思われる。

惹かれる文章

 僕は文章の巧さとか稚拙さというのは、言い回しであるとか用いる語彙とかで決まるものではないと思っている。そうした表層を飾れば人を引き付ける文が書けるなんて風には思っていない。そういうテクで人を惹きつける文が書けるのだとしたら楽なのだけども。

 毒にも薬にもならない文というのは結構あって、つまるところ、読んだ後に自分になんらの影響を及ぼさない文。これは、表現方法によって決まるものではなくて、語られる内容によって決まるもの。例え恋空のようなケータイ小説調で書かれていたとしても、それに共感するだとか、何かに気づかされるだとか、何かを考えされられるだとか、その文を読んで自分が変わったと思えるなら価値がある。

 そうなると、人に読まれるような文章を書きたいと願うならば、結局のところは人に「なるほど」と思ってもらえるような考察をするだとか、人に面白いと思ってもらえるネタを探し出してくるだとか、そういう苦労をしょい込む必要がある。表現の枝葉末節をどうにかするなんて話よりも数段難しい課題である。

人生経験だとか

 自分は小説の応募とかはしたことがないけども、懸賞付きの公募の結果などは幾度か見たことがある。講評で「筆者の人生経験うんぬん」とか言われていたりとかするわけなんだけど、学生時分の自分なら威勢良く反発したかもしれない。今だと「まぁそうなんだろうな」と思えてしまうのは歳をとったからだろうか。

 「人生」なんて言い方をするから反発するのであって、まぁ、結局描こうとしている対象物について、やはり洞察と言うか経験と言うか、そういうものがないと表現できないというのはあると思う。未成年が煙草や酒について語るとすれば、それは経験の伴わない知識やイメージで語らざるを得ない。*1

 自分は大学を中退してIT業界に飛び込んだような人間なのだけど、小学生ぐらいからプログラムを書いていたような奴だから、プログラムをすることは問題なく行えた。だけども、世の中がどう回っているかなんてことはやっぱり良く分かっていなくて、いろいろと失敗をすることになった。「お前はシステム開発がどういうものだか分かっちゃいない」なんて言われては悔し涙を流して自問するような夜を過ごしたりもした。

 学問なんかはペースアップして若くともどんどん先に進むようなことができる。プログラミングなんかもそうだ。反面、対人スキルというか、人に接する能力と言うのはなかなかそうはいかないものなのかもしれない。

 だからって悔しいじゃないか。若いというだけで軽んじられるのが悔しくて仕方がなかった。

プログラムを綴る

 http://blog.pettan.jp/archives/50615845.htmlプログラミングと文章を書くこと - GoTheDistanceでは、日本語で綴る文章ってものと、プログラム言語で綴るプログラムを対比すると言うところが面白いわけなんだけど、読みやすさの考察では表現の枝葉末節の論に終始してしまっているように思う。これは貶めて言っているわけではなくて、読みやすさの要素は複数あってそれを意識するべきじゃないかという提案だ。

 何かを説明する文章というのは、表現の枝葉末節の巧さで分かりやすくなるというわけではなくて、理解に対してどのようなアプローチをとるのかという思考の筋が大事なんだ。どうも今までに見たアプローチの仕方ではどうにもうまく伝えられない、どうしたものか、と考えて新しいアプローチ方法を思案する。

 そうした試行錯誤から、「なるほど、こういう説明のアプローチというものがあるのか、これは分かりやすい」というものが生まれてくる。そういう文を書く人のblogを見ると、「あぁ、この人は文章が巧いな」と思うのである。


 プログラムの綴り方の巧さというのは、そうしたアプローチの巧さというところが大きい。スペースを入れるだとか改行を入れるだとかなんてのは、今だと自動で機械的にやることもできてしまう。*2実はそこを人力でちまちまと直す意義は少ない。

 そうではなくて、大筋の設計というかアーキテクチャ選定というか、そうしたアプローチにこそ凝るべきだ。適切なアーキテクチャであれば、プログラムと言うのは自然と素直になる。筋の悪いデータ構造だとか、アプローチを誤ると見通しが凄く悪くなる。こうなると、どのように表現を工夫したところで読みやすさの向上は望めない。

敵を知り己を知れば百戦危うからず

 敵を知り己を知れば百戦危うからずと思うからこそ、僕らは敵を知りたがる。己を知りたがる。文章表現の巧さってなんだろう?プログラミングの巧さってなんだろう?

 だからこそ同じような話題をプレーヤーを替えては幾度となく繰り返し、新しいアプローチを探っている。

 ニュートンは「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」と語ったけども、僕らはニュートンら偉大な先達の肩に乗って山頂まで上りつめようとしている。そしていずれは山頂までロープウェイで簡単にやってこれるようにしようと試みている。そう、プログラミングハイウェイ構想だ。

 そのためには、人間の脳みその構造を知る必要があると思う。認知心理学などは触れてみるととても興味深く思えるジャンルだろう。


 人の脳みそはこういう作りなのだから、そこに適したアプローチはこうするべきなんじゃない?


 そういう議論を進めれば、プログラミングハイウェイは割と早く整備がすすむのかもしれない。

*1:もちろん煙草と酒なので、未成年が経験して語ってはいけない

*2:Eclipseならformatの機能で一発だ