はてブのシステム考をするなら

 はてなブックマークというか、システム全般というか「こうしろ」「ああしろ」という意見は多く聞くけども、人によって意見はバラバラ。全ての意見をホイホイ聞いていたらシステムは迷走を極めることだろう。それでもガツンといいたい人は絶えないのだろうけども。

 システムを論じるときにありがちなミスのひとつは、自分のユースケースのみを前提にシステム改修案を考えると言うことだ。システムというのは設計者が意図した使ってほしい形で使われるんじゃない。ユーザが使いたいように使うんだ。その設計意図をあざ笑うように、ユーザは珍妙な使い方をするものだ。そして、携帯電話をカナヅチ代わりにして「使いにくい。どうにかしろ」みたいなことを言い出すものなんだ。

 携帯電話をカナヅチにするなんて原始人ですか、と言ったところで話は始まらない。

 なんせ、はてなブックマークをブックマークとしてではなく、ミニブログとして使いたいんだけどミニブログとして使いにくいとか言う人がいるんだから!

 そして、それを悪いという気もさらさらない。システムというのは設計意図を離れてユーザが面白い使い方をすることがある。みながみなそういう使い方をするわけじゃないけども、そういう派閥ができるなら、そして開発元がそれを「面白い」と思えばおーるおっけーだ。

 この時点で、ユースケースが複数パターンになっているわけだが、ユースケースごとにシステムに対する感じ方が変わってくるのもまた当然のこと。はてブの客観性 - プログラマーの脳みそでは、ベーシックなユースケースで事前に他のユーザのコメントをみることはなく、それゆえに同調圧力を受けて周りに合わせたコメントをすることもないのではないか、ということを示した。

 もちろん、それがユースケースの全てではない。コメントで指摘があったようにホッテントリから主にブクマをするようなユーザであればあらかじめ他のコメントによる評価を見た上で感化されてからコメントすることになりうる。まぁいずれにせよ、はてなブックマークはブックマークなので、人のコメントに対する応答のようなやりとりをするのには向かない。向かないからこそ時間と場所を共有した「場の空気」にあてられにくいという特性も出てくるのだろうけども。

 そんなわけで、はてブに「ああしろ」「こうしろ」を言いたいなら、自分のユースケース、まぁどんな目的で使い方をして居る場合にどういう風に不便だから、こうすればその用途においては改善するんじゃないかという言い方をすると、システム屋的にはよほど「使える意見」になるわけだ。いや、僕は中の人じゃないけどさ。

 はてブを目の敵に思っている人は、その仮想敵の使い方を想定して、それを封じるように「ああしろ」「こうしろ」と考えてはどうだろうか。その敵はもしかしたら空想の中にしかいないかもしれないけどね :-P

システムの中心に据えられるもの

 システムを設計しようとしたならば、アルゴリズムを、データ構造を、ネットワークを、注意深く編み上げていくことになる。それでも「使えるシステム」にはなかなかならないし、ましてや「狙った通りの成果を出すシステム」はもっと難しい。

 システムを構成する大きな要素はユーザだ。アルゴリズムも、データ構造も、ネットワークも、ユーザの行動をうけて動き始める機械にすぎないことを思い知らされる。システムにおいて人の動きをプログラムすることの難しさに打ちひしがれながら、機械って素直だよな、ちょっとバグが出たってすぐに直せるんだもの。と膝を抱えたくもなる。

 どのように動いて欲しいかのイメージをもってシステムを設計するわけだけど、実際のユーザはそのように動かしてくれない。それは、ワンクリックの手間があるかないかと言った程度のユーザビリティの欠如であったり、ヘルプの情報の欠如であったり、わずかばかりの処理の遅延だったりする。人を誘導することはとても難しい。UIデザイン云々のテクニックを駆使しても、ユーザビリティ云々の書籍を読みあさっても、ユーザは意図どおりにシステムを使ってはくれない。

 ユーザが想定外の使い方をするのに半ば呆れつつも、どうすればユーザに設計通りのシステムのパフォーマンスを体験してもらえるだろうかということを考える。ユーザが本来進んで欲しい道を避ける理由をこれでもかと検討し続ける。わずかずつパッチを当ててはユーザの反応を聞いて回る。それでもなかなかこういうシステム設計にしたらこうやってユーザが使ってくれるさってのを確度をもって答えられない。システムを設計すると言うのは本当に難しい。

 たとえば、家の設計図を見て。あるいは、公園の設計図を見て。街の設計図を見て。あなたは人の動線を正しく予測できるだろうか。家の使い勝手を、原寸大の模型なしに、図面の状態で想像できるだろうか。それが容易ならリフォームの需要はもっと少ないことだろう。あるべき形を一発で落としこめるのは相当に優れた建築士だろう。そこに至るまでにどれだけのミスを重ね、修正を試み、反省してきたのだろうか。