中村てつじの「日本再構築」 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-11-18

[]政策担当秘書へのきっかけ 政策担当秘書へのきっかけ - 中村てつじの「日本再構築」 を含むブックマーク


風邪を引いて今日は自宅にいるので、昨日の続きを書くことにします。

1999年に司法試験を諦め、就職をしようと就職雑誌や求人広告に目を通すようになりました。しかし、27歳・既卒の学生を大企業が取ってくれるはずもなく、また、これから一生「出遅れ社員」として企業の中で生きていくことにも自信はありませんでした。

履歴書を送ったりもしましたが、「司法試験は続けないの?」と聞かれて、諦めたはずなのに即答できない自分も、そこにはいました。

そんな自分を企業が採用するはずはありません。進路に迷う日々が続きました。しかし、生活のためにとにかく動かなくてはならない。焦りもありました。


そんなある日のこと、自宅の電話が鳴りました。参議院議員の海野徹(うんの・とおる)事務所からでした。「政策担当秘書の採用について、応募する意思はありますか?」というものでした。


私は、大学4年生の時(1994年)に、その前年(1993年)に創設された「国会議員政策担当秘書」という資格を取っていました。

合格直後の話では、政策担当秘書とは名ばかりで実際には政策のことはさせてもらえないという話でした。だから、採用希望のエントリーはしませんでした。

しかし、今年(1999年)は、試験に落ちたら就職しなくていけない、職を選んでいる余裕はない、だからエントリーはしておこう――。そういう思いで、エントリーシート(希望調査票)を国会に提出しておいたのでした。


海野事務所からは、まず応募のための論文を書いてもらうという話でした。そのための応募要項を送ってもらうはずだったのですが、届きません。そのうち、「海野がまずお会いしたいと申しております。交通費を持ちますので、出てきていただきませんか」という話をいただきました。

国会議員と一対一で話する機会なんて、一生に何回もないだろう」

「交通費まで出してくれるらしい」

東京の叔父さんにも会える」

そんな軽い気持ちで面接に行ったのを覚えています。

1999年6月7日のことでした。

2006-11-17

[]後輩の開業と学生時代の私 後輩の開業と学生時代の私 - 中村てつじの「日本再構築」 を含むブックマーク


先日、大学の後輩が弁護士事務所を開業したというので、大阪にお祝いに行きました。一緒に、司法試験の勉強をし、また、今でも慕ってくれている後輩が新しい道に足を踏み出したのは、とても嬉しいことでした。


少し、自分の学生のころを思い出しました。

京大法学部の中庭のベンチに座りながら、「こんな自分でも、生きていていいのだろうか」と思っていた日々。約10年近く前、25〜27歳ぐらいのころでしょうか。サクラの花が満開に咲き、散っていく姿を見ながら、毎日、進まない勉強に悶々としていました。


最近、私のことをよく知る人から、「大学8年行っていたこと、ブログに書かないの?」と言われて、「そういえば書いていなかったかも知れない」と思いました。私自身は、自分がいわゆる「高学歴(?)ニート」であったことを隠していないのですが、確かに、サイトにはあらためて文章にしていなかったかも知れません。

まあ、あまり胸を張れることでもありませんが、あらためて自分自身のことについて書いておこうと思うようになりました。

何回かに分けて書くことになると思いますが、お付き合いください。


私が、弁護士をめざそうと思ったのは、12歳のころだったと思います。良くしゃべり、何でも大人に食ってかかっていた私に、「将来は弁護士やな」と大人は無責任に言っていました。

今の時代では、若い政治家が出てきているので、子どものなりたい職業として政治家ということもあり得るのかも知れませんが、当時は、「国会議員になるには何億円もかかる」と言われていた時代でした。自分にとっては、はじめから選択肢にはありませんでした。

それよりも、自分ひとりの力で困っている人の力になれる弁護士という仕事にあこがれを持ったのでした。


弁護士になるためには、どの大学に行けばいいのか。また、そのためには、どの高校・中学校に行けばいいのか。

新聞を見れば、司法試験の現役合格者数が出てきます。実は、国立大学の場合には、留年をして受験をしているので現役合格率が高いだけなのですが、東大と京大が現役合格率が高かった。私の家はあまり裕福でなかったので、自分としては自宅から通える京大しかないという判断をしました。

そこで、京大に行きやすい学校として、東大寺学園を受験したのでした。


・・・15年思い続けて、結局、家庭の事情もあって27歳で諦めた司法試験の受験でしたが、挑戦したこと自体は今も後悔していません。

結果として、「乾いた雑巾をさらに絞る」ような気持ちにまで追い込まれ、自分が生きていても意味のない存在なのではないかと思い詰めました。

でも、そのおかげで、「頑張っても報われない人」「頑張りたくても頑張れない人」のしんどい気持ちは、当事者の一人として良く分かるようになりました。

もし、あのまま成功していたら、「自分の力で成功はできるものだ」と考える人間のままだったでしょう。「うまくいっていない人は、努力が足りないだけだ」と思っていたでしょう。おそらく、将来、自分では乗り越えられない大きな躓きを経験したかも知れません。


この1年間も、衆議院選挙に落選したり、大切な伴侶を失ったりと、大変な経験をしました。でも、あのときから順に大変な経験をさせていただいているので、何とかギリギリ乗り越えられてここまでくることができたと思うのです。

「神は乗り越えられない試練を与えない」と言われます。

決して輝かしい人生ではありませんが、だからこそ、地味ながらも国政に携わらせていただけたのかな、とも思います。


こういう話を直にすると、「印象が変わった」と言ってくださる方が多いです。

ありがたいことなのか、悲しいことなのか・・・。