「安全策」の認識の違い
情報の扱い方のルール意識
昨日の図を再掲。
情報の扱い方について、「より穏便で安全な態度」とは、どんなものだろうか。
右図において「安全策」ってなんだろうか。科学(緑色の情報)は共有の事実認識なわけだから、この情報が頼りになればなるほど安心できる。そのためには、ろくに知らん人が思いつきでベラベラ喋るのを何でもかんでも採用するわけにはいかない。採用審査が厳しければ厳しいほど、失敗の可能性が減るような気がしてくる。
次に、左図での「安全」とは何だろうか。主観事実の等価値原則を意識して考えてみる。
すべての個人の主観事実は、公共の場においても(不特定多数の人がアクセス可能な場での発言であっても)、すべて等しい価値を持ってる。よって、特定個人が発表した主観事実が、他の個人の主観事実より優遇されるべきではない。
特定個人が発表した主観事実を基準として、他者の主観事実を否定することも、原理的にできないし、すべきでもない。ひとりの主観に他人が従う結果、他人までも巻き添えにして失敗するのは危ない。
左図の人らは、すべての人は平等に発言すべきであるとする態度こそが、安全に繋がってるものだと感じてしまう。
もっと分かりやすく言い換えると、「道具と選択肢(赤い情報)は沢山あったほうが良いに決まってる」と勘違いしている*1。
公共の場での情報処理方法が対立する
両者は、互いに互いの態度を認められない。
「情報を共有して信頼性を高めないと、みんなが危ない」とする態度の人は、思い込みを事実であるかのようにベラベラ喋る人を、無責任だと見なす。
対して、「個人個人の体験事実を広く公に共有することこそが(特定個人の悪意に騙されないためにも)安全につながる」とする姿勢の人は、情報の信頼性を検証済みの情報のみ慎重に発言し、異なる意見を否定しようとする人を、(他人を従わせようとする)傲慢な態度である、と見なしてしまう*2。
もうちょい具体的に
たとえば、ホメオパシーの批判批判。例はこれとか。
赤い情報の領域どうしは不干渉なのだから、「科学」が「ホメ」を否定することはありえない。否定する行為は主観事実の等価値原則に違反してる。
たとえホメが社会に存在することを邪魔しないでいても、科学は科学でそのまんま存在している。科学がわざわざホメを否定する必要がない。
赤い情報でしか考えてない人らからしてみれば、ホメがあろうとなかろうと、街の病院がなくなるわけじゃないのだから、困らない。
「科学」では治療できない病気がホメでは治る可能性をバッサリ否定するにはためらいがある。
わざわざホメを否定しようとする人が何をやりたいのか、わからない*3。
赤い情報は「自己選択」ができる
赤ばっかりの図のなかでは、社会のなかで、どの赤い情報が信用できるのか、白黒つけることはできない。「科学」と「ホメ」とは分離されているべき、なのだから、どっちが良いのか決めることができない。どっちを選ぶかは、個人個人の勝手。好きか、それとも嫌いか。
たとえると、「情報の買い物」のようなことをしてるんだと思う。デパートの地下食料品売り場に、「科学」や「ホメ」の専門店が並んでるのと同じ。
中身はあまり関係がない
ホメ批判批判する人にしても水伝批判批判する人にしても、必ずしもホメや水伝をよく知ってるってわけじゃないと思う。水伝なんぞ全く知らんかった人が、水伝批判を聞きかじっただけで、批判批判をいきなりはじめることもある。
基本、ホメや水伝の中身なんて関係ない。批判批判は、社会のなかでの情報処理方法の食い違いが原因。*4
自己責任主義との関係
さらに余談。分かりやすさ70%オフの大安売り。
自己責任主義と同じ
ここで取り上げてる問題は、「強い自己責任主義」と同じだろう、と私は思ってる。
「自己責任主義」の核心は、自己責任主義ではないです。核心は「自己選択主義」。
「社会正義は、公共の場に提示された個人個人のプライベート情報を、まるで聖域のように扱わねばならない」というのが、自己責任主義の実態。
「自己責任主義」は、核心にある「自己」を傷つけないためにある。失敗の責任の押し付け合いを回避するための、処世術。議論で負けないために作った、見せ掛けのこけおどし。「大人の責任を、このオレは果たしてるのだ」という見栄。それが自己責任主義。
「自己選択」を社会に認めさせるための「自己責任論」なわけで、自己責任そのものが大切なわけではない*1。
自己責任主義者たちの情報の共有と共感
「自己選択」をするためには、選択肢が必要なわけです。
しかし、商品カタログがない問題*2に直面すると、非専門家には選択肢そのものが用意できない。どうしていいのか分からない。
そんなとき、「欲しい専門情報(商品)を、非専門家である一般の個人個人が、自己選択可能な権利を付与した状態で提供してくれる専門家」が現れれば、支持されるんだと思う。
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